第漆集:作られた才能
小型の鳥類に似た精霊が庭園を飛び交っている。
何か会話をしているのだろうか。
とても無邪気に命を謳歌しているように見えた。
一匹の精霊が仲間たちとのおしゃべりに少し疲れたのか、緩やかに下降をし始めた。
着陸し、鈴の音のような鳴き声で歌う。
その歌は浄化を始めた。
精霊の足元にある、変わり果てた姿で転がる形代の残骸を。
ファージはまだベッドで眠るキールを愛おしそうに、少し切なそうに眺め、その頬を撫でた。
おでこに愛情を込めたキスを落とし、スッと立ち上がるとバスルームへと向かい、ファージについて回るように空に浮かぶクリスタルの鏡を、まるで音楽をかけるかのような軽やかさでノックした。
ザザッ、ザザッと、音がする。
砂嵐の後、霧が晴れるように鮮明な映像と音声が流れ出した。
「ここで、臨時ニュースをお伝えします。先ほど警視庁からマスコミ各社に向けて緊急の発表がありました。それによりますと、昨年発生した旅客機の事故で死亡した人物の中に、各都道府県警本部と警察庁が合同で捜査していた連続殺人鬼のDNAが発見されたとのことです。DNAは損傷が激しく人物の特定には至りませんでしたが、特徴的な類似点が多く、連続殺人鬼本人のものであることには間違いないとのことです。続報は入り次第お伝えいたします……」
大きなクリスタルで出来た鏡に映る異世界の国――日本のニュース。
ファージは指をパチンと鳴らし、映像の投影をきった。
甘やかな香りと揺らめく湯気が、優雅に彩られたティーカップをさらに魅力的なものに変える。
「日本の警察がここまで優秀だなんて……。情けなんてかけずにあの時全部消し去っちゃえばよかったわ」
ファージは空中から自分の長杖を取り出すと、勢いよく床へ突き立てた。
魔力の波紋が緩やかに広がり、部屋を満たして行く。
「ギフトは絶対に守り抜くわよ。どんな手を使ってもね」
ファージの魔力がゆっくりと屋敷全体に溶けていった。
ギフトは昨日、四回目の地獄を味わってきたため、今日は朝からげんなりしていた。
「わたしルークさん本当に嫌い……」
昨日は散々だった。
ギフトに施す大量の魔法陣を描くのに余裕が出てきたのか、ルークは施術中もガンガン話しかけてくるようになったのだ。
「肌が真珠みたいに輝いててすべすべだね」とか、「毎回染めたての髪で来てくれるなんて本当に可愛いね」なんてのは序の口で、昨日は「最初のブラは大事だと思うんだ」とのたまい、オススメのランジェリーショップを伝えてきたのだ。
ギフトは嫌すぎて嫌すぎて嫌すぎるが故に、キールに追いかけられる夢まで見てしまい、現在進行形で最悪の気分を味わっている。
そんな頭を押さえながら呻くギフトの背をさすりながら、今日もカノンは最高の紅茶で朝を演出してくれた。
ギフトの気持ちは、カノンの笑顔と優しさと柔らかで温かい手の感触によって、ゆっくりと解放されつつあった。
「あらあらギフトさま、そんな時はわざと笑顔を作り、いつもより上品な雰囲気の中で過ごされるといい気分転換になりますよ」
「上品な雰囲気ですか?」
「そうです。優雅で、上品で、豊かな時間をお作りになられるといいと思います。ということで、今日はゆっくりと朝風呂をいたしましょう。蓮の花に集まる朝露だけで作った魔女の秘薬を奥様にいただきましたので、ぜひそれを入れた湯船でリラックスなさってください」
(め、女神だ……。女神がいる……)
「ああ……、わたし、カノンさんと結婚したいです……」
「まあ! わたくし、ギフトさまの未来の旦那さまに嫉妬されてしまいますね。ふふふ、ギフトさまを想う気持ちはいい勝負になると思います」
「ふぁあ……」
(す、好きぃ……)
大変、もしかしたら同性にも恋できるタイプの子になったのかも……。
いや、カノンさんが特別素敵なんだ、きっとそう。
などと、脳内でめくるめく甘美な妄想を繰り広げながら、ギフトは紅茶を飲み干した。
「さぁギフトさま、お風呂でゆっくりあったまりましょう」
「はぁい」
ギフトはスキップしながらバスルームへ向かい、中に入ると、着ていた服をポンポンっと脱いでガラス扉を開いた。
そこに広がっていたのは、思わず乙女顔になってしまうほどの清らかで可愛い花の香りと、クリスタルの瓶に入った冷たいアールグレイティーの綺麗な飴色だった。
「わたし絶対にカノンさんのこと連れて行く。大人になって自分の家を持ったらカノンさんの家を同じ敷地内に建てて大事にする。決めた、もう決めた!」
身体に軽く湯船の香り豊かなお湯をかけ、さっと清めると、つま先からゆっくり幼い肢体を沈めていった。
ビリビリとした快感は身体全体を包み込み、寝ていた脳をはっきりと起こすように気持ちの良い香りが鼻をかすめた。
「美女に起こしてもらった後に美女が用意してくれたお風呂に入り美女が淹れてくれた紅茶を飲むなんて……、貴族最高」
つい先日まで貴族であることに散々文句を垂れていたとは思えない発言をするギフト。
良い意味で、丁寧に扱われることに慣れてきたのかもしれない。
ただ、金銭感覚だけは慣れないようで、いまでも一人で買い物に行く際はキールに教えてもらった安くて美味しい定食屋に行っている。
「あぁぁぁぁ、染み渡るぅ。お紅茶最高に美味しい。ちょうど良い渋みと香りの立ち上がり方がたまらない。カノンさんは紅茶の淹れ方選手権とかあったら確実に優勝するね」
ギフトは最高の機嫌を手に入れた。
今日は何があっても全てを許せそうなほどの菩薩の境地に至ったギフトは、鼻歌交じりに優雅なバスタイムを終え、美味しくいただき空になったクリスタルの瓶を洗面所に置くと、ふわふわなバスタオルで体を拭き、香油を身体全体に丁寧にすり込んだ。
用意されていたサラサラで柔らかい下着を身につけ、バスルームから出ると、妖精たちが持って遊んでいた今日の洋服を着せてもらった。
「白い丸襟に赤いリボンタイがついた黒いワンピース…。なんかものすごくお嬢様みたいな服だなぁ……」
同じように赤いリボンがついた黒いハイソックスを履いて猫足のスリッパに足を通したその時、勢いよく自室のドアが開かれた。
「ギーフトー! 今日の試験頑張りましょうね!」
「……はい?」
(試験……、だと?)
「あれれ? 言ってなかったっけ?」
「まるで何も一度も一言も一切聞いていませんが」
「そうだっけ? いやん、怖い顔しちゃって! 今日は入学試験の日よぉ。まぁ、あんたなら主席入学間違いないから心配しないで! 朝ごはん食べたら出発よ」
「おおおおい!」
お尻をフリフリ左右に揺らしながらご機嫌な様子のファージは、さっさとリビングに行ってしまった。
ギフトはさっきまでの菩薩タイムが音を立てて破壊されていくのを感じ、頭が真っ白になった。
「えー……、あいつのあの自信はなんなの? なんかわたしに試験用の魔法かけたりとか、なんか諸々小細工でもしたの? なんなの?」
ギフトは疑問符でいっぱいの頭を妖精たちに撫でられながら食堂へ向かった。
今日は試験があるから髪は結ばないらしく、カノンは別の業務へと外出してしまった。
「気が重い……」
長い廊下を歩きリビングに入ってすぐに席に着くと、座った瞬間にため息が出た。
「はぁ……。試験て……」
フラフラしながらリビングへやってきたギフトにメイドたちは心配になりながらも、素早く丁寧に給仕をしていった。
珍しいことに、ギフトは朝ごはんを三回しかお代わりせず、用意されたりんごジュースもコップで二杯しか飲まなかった。
メイドたちはそんなギフトの様子にそわそわしている。
「あらあら、大丈夫だって言ってるのに。ふふふ! 実際に試験を受けてみればわかるわよ。あなたがどれだけ努力してきたかってことがね! あー! おもしろーい! わたし超楽しいんだけど!」
「は、ははは……。大丈夫、ですかね……」
ギフトにはファージに嫌味を言う元気すらなかった。
ファージが用意した絨毯に乗ること一時間。
試験会場である王立メガロスディゴス魔法学院上空についた。
「え、うわ、ちょ、朝廷? 宮殿? 何かの大きな寺院? え? 何なの? 想像してたのとだいぶ違うんですけど……」
「あらぁ、誰が城だなんて言ったかしら? 魔法を教える学校が全てゴシック調のお城だとは思わないことね」
「いやぁ……、それにしてもなんて雅な……」
「あんたの感想ってやっぱりババくさいのよね」
(いや、だってこの外観は雅と表現するしかないでしょう!)
朱色の柱に白い壁、施されている豪華絢爛な極彩色の模様は圧巻の一言。
金の細やかな装飾が太陽の輝きをより一層きらめかせている。
まさかの瓦屋根に左右で対になっている黄金の巨大な阿吽の龍の飾り。
しかし、この巨大な建物だけではないところがこの学院の驚くべきところ。
同じような二階建の建物が四角く囲われた塀の中にいくつもあるのだ。
(わたし、絶対に迷子になるやつじゃん……)
「さ、降り立ってみましょうか」
「は、はい……」
ギフトは地面が近づいてくるにつれて驚きが増し、さらに鼓動が早まった。
敷地内に敷かれているのが全て白くて美しい玉砂利だからだ。
「じ、じ、神社かよ!」
「ちょ、あんた突然どうしたのよ」
なんとも言えないシャリシャリともジャリジャリともまた違う、玉砂利の心地いい音に懐かしさと混乱でつい大きな声が出てしまった。
「あ、いや、つい……」
(いやいやいやいや、上空から見てて、地面がちょっと白いなーって思ったけど、まさか、まさかの玉砂利! 遠くに見えた運動場みたいなとこだけじゃん、本当の地面は)
「どお? 王立メガロスディゴス魔法学院、ちょーセンス良くない?」
「あ、はぁ、そ、そうですね……」
ギフトはハッとした。
もしかすると、もしかするかもしれないので、一応ファージに聞いてみることにした。
「あのぉ、もしかして……。ママがデザインしてたりとかは……」
「あら、惜しい! デザインしたのはわたしの曽祖父よ。この学校は千年くらい前に出来たんだけど、その時は私立だったのよ。リリーベル家、メイクェイ家、ナールトフィリ家、アズリーア家のかつて最強と謳われた四大貴族によって作られた、貴族のための魔法学校だったの。でもその中のアズリーア家とナールトフィリ家が七百年前に突然起こった戦争で没落しちゃってね……。戦争の責任は国にあるって言うことで当時の国王一族が学院を丸ごと買い取ったの。王立になってからは貴族も庶民も王族さえも関係なく平等に学べる間口の広い学院になったのよ」
「うっわ、うっわ、うっわ。リリーベル家って本当の本当に貴族だったんですね……」
「何よあんた、なんだと思ってたのよ」
「いやぁ……、別に」
(うわぁ。成金貴族だと思ってた)
金で地位を買い取って成り上がったような貴族なんだと、ギフトは割と本気で思っていた。
ギフトはリリーベル家のご先祖様に対し、心の中で深く謝罪し、とても反省した。
「ギフト、こんなことで驚いてたら身体もたないわよ?」
「はぁ」
ギフトは「もうどうにでもなぁれ!」と心の中で思いながら歩いていると、続々と受験生らしき子供たちが目に入るようになってきた。
ここ一年弱で養った高級なものを見分ける目を使うまでもなく、高そうな服に身を包んだ親子で溢れていた。
「え、子供のくせにあの宝石のブローチとか金のヘアピンとか間違ってませんか?」
「何言ってんのよ。あんただってでっかいアレキサンドライト腕につけてんじゃない」
「あああそれを言わないでえええ」
どうやらギフトには他人様のことをとやかく言う資格は皆無のようだ。
「さぁさぁ、試験会場に行くわよ! あー! 早くギフトにびっくりしてほしいわー!」
「びっくり……?」
不安と混乱と不信感。
目に入ってくる情報量の多さに動揺しつつ、ファージに手を引かれながら学院内へ入ると、ギフトの心は無になった。
(ココハ学校ナンカジャナイ)
外側からある程度は想像できていたはずの内装。
しかし、現実はいともたやすく想像をはるかに超える。
まさに豪華絢爛。
幾らするのか全くわからない白磁の巨大な壺や、いちいち彫刻が施された手摺、階段に張り巡らされたビロードの深紅の絨毯に、それを留める純金の金具、壁沿いを彩る絵画の数々はまるで美術館のよう。
床は当然のように白い大理石で埋め尽くされており、浮遊する色とりどりのランタンはとても幻想的だ。
ギフトはファージが家を改装した理由が少しわかったような気がした。
「す、素敵……」
「でっしょ! でもギフトに驚いてほしいのは校舎じゃないのよ。試験問題よ、試験問題」
「は、はぁ……」
今以上に驚くことが待っているのかと思うと、げんなりした。
ここまでくると、わくわくするようなポジティブな気持ちは湧いてこないものだ。
「じゃ、あの子供たちの流れについて行きなさいな。教室の前で待ってる上級生たちが席まで案内してくれるから」
「あ、はい」
「わたしは学院長とお茶して待ってるわね~」
「はーい……」
ギフトは本日二回目の「もうどうにでもなぁれ!」を心の中で唱えると、緊張した面持ちの子供軍団の中に同じような顔をして入って行った。
コツコツと音のする大理石の上を無心で進んで行く。
横目に入ってくる教室の引き戸にも様々な彫刻が施されており、だんだんどこかの城にいるのではないかという気になってきたギフトは、そっとため息をついた。
すると、ちょうどそのタイミングで上級生に呼び止められ、教室の中へと案内された。
(もう何も言うまい……)
教室の床は流石に木ではあったが、ヘリンボーンだった。
黒板の縁は朱色で漆塗り。
漆喰の壁は傷一つない。
何のための教室かは知らないが、おそらく何らかの座学用なのだろう。
机はゆったりとした長机で、二人ずつ座るようだ。
机と椅子はオレンジ色と茶色の中間のような色で、大変見目麗しい作りになっており、ギフトは少し元気を取り戻した。
(もうこうなったら楽しもう、試験なんてどうにでもなぁれ!)
十分くらい大人しく座っていたら、続々と入ってきていた受験生の波も落ち着き、さらに数分経つと試験監督が現れた。
注意事項を聞き、試験問題を受け取り、専用の鉛筆を五本と消しゴムを二つ、小さな文字で呪文が縫い込まれた髪を縛るゴムを一本もらうと、五分ほど他の教室との時間調整を行い、ついに試験開始の鐘が鳴らされた。
ギフトは素早く答案用紙に名前を書くと、問題用紙を凝視した。
(あ、あれ? 簡単すぎない? ……ああ! 鉛筆がなんか変!)
問題は全部で百二十問。
選択式と記述式があるが、どれもギフトなら眠気眼でも解けるほどの問題だった。
試験時間は九十分。
どれほど簡単でも、ケアレスミスを防ぐために、ギフトは全てを慎重に解いた。
それでも四十五分しかかからなかったため、逆にものすごく不安になり、全く心が休まることはなかった。
なんどもなんども問題を確認し、自分の解答が適切かどうか、実は何かひっかけ問題になっているのではないか、などと緊張しすぎて指先が冷えるまで脳みそをフル回転させた。
どのくらい経っただろう。
はやく終了の鐘が鳴らないかな、と、そわそわしていたら、やっと試験終了の鐘がなり、緊張からブワッと解放された。
この世界に来て一番長く拷問のような時間だった。
試験監督が立ち上がる。
「はい、終了です。髪を結んでいる人はそれをほどき、鉛筆を置き、その場で待機していてください」
試験官の指示に従い、ギフトやその他の受験生たちは一斉に鉛筆を置いてまっすぐ前を見た。
(う、うなだれている子が結構いるなぁ……)
ギフトは余計に不安になった。
十分ほど経つと試験官の指示で受験生たちは教室から解放され、それぞれ親が待っている場所へと歩き出した。
ギフトもやや放心状態のままファージの元へと急いだ。
とにかく、早く帰りたかったのだ。
「あら? 何その顔。試験簡単だったでしょ?」
待ち合わせ場所へ着くと、ファージはニヤニヤしながらギフトを待っていた。
「いや、あの、え? 簡単……って言うか、え?」
「あはははははははは! おっかしー顔! ねぇねぇ、あんたの試験何問出たの?」
「え? 百二十問ですけど……」
「ひゃ、ひゃくにじゅう! さすがわたしの娘! 最大数出たのね! 立派よ!」
「は、はあ?」
試験なんだからみんな同じ数の問題を解くんじゃないの? と、ギフトの頭はさらに混乱した。
「あのね、この学院の試験は魔力量によって問題数が変わるのよ。一番少ない子で二十問、一番多い子であんたが解いた百二十問!」
「ファ……」
「いやぁ、すごいことなのよー! 百問はいくと思ってたけど、まさか最大数をたたき出すなんて! 鼻が高いわ」
(ファー)
ギフトの脳は限界を迎えかけていた。
修行の日々が走馬灯のように駆け巡り、眩暈がした。
「あ、あと、鉛筆、何色だった? プププ」
もはやファージは笑いをこらえる事なくクスクスぷすぷす笑いながら聞いてきた。
「それが、なんかいろんな色が出てきちゃって……。芯は確かに黒だったのに、ど、どうしたらよかったんでしょうか……」
そう、ギフトはこれこそとても不安だったのだ。
問題を解き、それを解答用紙に書き込む度に鉛筆の色が様々に変化してしまい、もし試験監督や採点する人にふざけていると思われたらどうしようかと気が気じゃなかったのだ。
「ぷ、ぷ、あははははははははははは!」
「わ、笑い事じゃないのでは!?」
「笑い事よ! その鉛筆はねぇ、ぷくくくく。使える属性によって出てくる色が変化するようになってんのよ! 採点する教員がその色を見て受験生の属性を確認するのよ~」
ファー。
思考がショートした。
「はぁ、面白すぎるわ~」
「え、でも、使える属性なんて事前に調べてるじゃないですか……。わたしもやりましたよね? あれを受験票かなんかで申告すればいいのでは……」
「ぷふふふふ。あー! もう言っちゃおう! あのねぇ、いくら優秀な魔法使いや魔女だって学院に入学してから自分の属性の練習を始めるのよ。複合魔法なんて普通三年生から習うものだしね。それまでは基礎魔法しかやらないのよー!」
ファー。
ダマサレター。
と、ギフトの脳内で語彙力が消失した。
「うふふふふ。ギフトは魔女として生まれてきたわけじゃないからぁ、学校で苦労させたら可哀想かなぁって思ってぇ、先に上級生レベルまで仕上げておこうって思ったのよぉ。うふふふ! 勉強に邪魔されずに恋に友情にいっぱいエンジョイできるわね!」
ファー。
(わ、わたしの、あの苛烈な勉学の日々は……。物理的に血反吐吐きながら頑張ったあの日々は……。学校に入ってから学ぶ事だったのかぁ……。どんな顔して新入生面すればいいのかなぁ……。あんなに一生懸命覚えた魔法なのに「もう使えるなんて生意気」とか言っていじめられたらどうしたらいいのかなぁ……。どうしたらいいのかなぁ……。でも、もしかしたら、もしかしたらわたしみたいな境遇の子がいるかもしれない……。こう、教育熱心な家庭の子とか……)
「……ト、ギフト!」
「あ、はい」
「何をボーッとしてんのよ」
「いや、なんかこのままじゃ純粋な気持ちで新入生面できないなぁって……」
「大丈夫よー。複合魔法は使えなくても、属性魔法が使える子は何人かいるんじゃないかしら。プライドの高い貴族の坊々やらお嬢ちゃんもいるだろうし。きっとものすごい家庭教師つけてる家庭もあるわよ。まぁ、あんたには遠く及ばないでしょうけど! 笑えるー!」
「わ、笑えない……」
親の親切な悪意? によって作り込まれた優秀な魔法、大貴族の身分、高級な魔法魔術道具、諸事情で毎月整えられる美髪。
今のギフトには負荷としか思えなかった。
「わたし、友達できるでしょうか……」
「出来るでしょう、そりゃもういっぱい。家に連れてきていいからね」
「……そう願っててください」
ギフトはほぼ放心状態でファージの絨毯に乗り込み、家に着くまでずっと絨毯の模様をなぞっていた。
試験から十日後、結果が届いた。
なぜかキールまでもが有給休暇を取り、リビングにて結果発表を一緒に見ることに。
「さぁ、開けるわよ」
「わ、わたしは見たくないので終わったらまた呼んでいただいて……」
ギフトは怖気づいていた。
「何言ってんのよ! 主役が逃げてどうすんの」
「そうだぞぉ! ギフトがこの場にいてくれなきゃ、俺は一体誰を抱きしめて高い高いすればいいんだ!」
「いや、パパ……」
「さぁ! 開けるわよ!」
封筒に妖精の羽をかたどった銀のレターオープナーが差し込まれ、ゆっくりと横へとスライドされていった。
紙が切れるスッとした心地いい音。
中には三色の二つ折りされたカードが入っていた。
真紅、深緑、黄土色。
ファージはまず真紅のカードを取り出し、ギフトに手渡した。
鼓動が早鐘のように耳にまで鳴り響く。
ゆっくりと封蝋を外し、中を開く。
「ご、合格、です」
ギフトは目の前が突然天井になったので何事かと思ったら、キールによって空中に投げ上げられていたのだった。
「う、うわあああ!」
「フォーウ! さすがギフト! だろうと思った!」
「まぁ、こんなの当然の結果よね。問題は次のカードよ!」
キールに抱きとめられながら無事に着地し、ファージが差し出してきた次のカードを見やる。
深緑のカードが渡され、そっと受け取る。
封蝋を外し、中を見ると、そこにはとんでもないことが書かれていた。
「ぜ、全問正解。魔力保有量満点、出力満点、属性数最高。しゅ、主席入学につき、当日壇上にて代表挨拶うんぬんかんぬん……」
ファージの目の色が強烈な光を放ち始めた。
「ま……」
キールの腕の筋肉がピクピクと波打っている。
「ま……」
ギフトはあまりのことに言葉を失い、息継ぎがうまくいかなくなっていた。
「ま……?」
「祭りじゃァア!」
キールが叫んだ。
いつの間に用意していたのか、キールが大きな長い猫のぬいぐるみをポンポンポンポンと魔法で取り出し、ギフトの上に降らせながらたくさんの花を召喚した。
「今日はパーティーよ! もちろん明日もね!」
「猫ぉぉお!」
ギフトは嬉しい、というよりも安心して力が抜け、たくさん降ってきた猫のぬいぐるみたちにペタリと身体を沈めた。
自分の恵まれた環境で得た分の成績を、無事に出すことができてホッとしたのである。
いくら不本意だったとはいえ、養子として入った家の名を辱めずにすんだことに心底安堵した。
「さてさて、最後の黄土色のカードも見てみなさい」
「は、はい」
ファージからカードを受け取り、封蝋を切って中を開けると、そこには授業プランが書かれていた。
どうやらわたしは魔法以外の基礎学習は一年生、魔法に関する授業の多くは四年生と受けることになるようだ。
魔法に関しては随時飛び級が可能らしく、年に数回の試験を受けて判断されるらしい。
「こりゃ、優秀な無属性の先輩をとっ捕まえる好機なのでは……」
「あら、ギフトそんな計算して友達つくる気なのぉ? 残念だけど、無属性の子は今だと五年生に一人と二年生に二人しかいないわよ。あんた達の代はまだ全生徒の属性発表はされてないからわかんないけどね。あ、でも確か毒属性を持ってるのはあんただけだったって聞いたわ」
「うわ、知ってます? それ漫画だと完全に嫌われるやつなんですけど」
「あんた、いつから漫画の主人公になったのよ」
「まぁ、そうですけど……」
でも、よりによって〈毒〉なんて絶対に嫌われる、とギフトは思った。
そんな不気味な魔法を使う奴は、前の世界で言えば教室でカッターナイフチラつかせている危ない子みたいなものではないのか。
「ああ! そうそう、メイルランスが今年四年生になるから、運がよかったら一緒に授業受けられるんじゃないかしら。よかったわね」
「あ、ああ! なんていう僥倖!」
「あんたやっぱり本当はおばあちゃんなんじゃないの?」
「おい、攫ったあんたが一番わかってるだろうが!」
「ぉおっほっほっほっほ!」
先ほどから扉の外で聞き耳を立てていたメイドや執事たちに大急ぎで招待客の指示を出しているキールは本当に嬉しそうだ。
ファージはギフトと会話しながらも、封筒とは別に届いていたカタログで制服の試着日の確認や用意する教科書に丸をつけている。
王立メガロスディゴス魔法学院には寄宿舎もあり、学院に通う半分の生徒がそこで生活しているという。
カタログにはベッドや布団だけではなく、部屋を構成するのに必要な家具や調理器具などが学割価格で載っている。
「ママ、それわたしも見たいです」
「ああ、もちろんいいわよ。今教科書の確認してるからぁ……、この家具とか契約幻獣の村案内とか見てなさい」
「お、おお……。契約幻獣……って痛っ!」
妖精達がふくれっ面でギフトの髪を引っ張っていた。
「うええ? ああ、そうか、妖精ちゃん達も契約幻獣なのか。大丈夫だよ、わたしにはあなた達がいるもん。ただ、ちょっと勉強ついでに見たいだけだから。……一緒に見る?」
妖精達は嬉しそうにギフトの頬にキスすると、肩や頭の上に載って一緒にカタログを見始めた。
「う、うわぁ……。淫魔も契約できるの……? わあ! ドラゴン! ドラゴンだって! お世話しきれないよねぇ? あぁ、ケルピーはちょっと便利そうだけど……。嫌われたら食べられちゃうってのがもう怖すぎる。妖精は……、え?」
ギフトは妖精のページで思わずその目を疑った。
「『〈妖精〉や〈精霊種〉といった属性強化用の幻獣は吸い取る魔力量も膨大なため、二体以上の契約は妖精王の許可が必要です』って書いてあるんだけど……。わ、わたしそんな許可取りに行ってないよ……?」
妖精達はキャッキャと笑い転げるようにカタログの上で踊り出し、小芝居を始めた。
「え? なになに? 契約変更を申請しに行くときに? わたしの髪を持って行った? そしたら? 妖精王から一発オッケーが出たから? いいってこと?」
妖精達は一斉に飛び上がると、ギフトの周りで祝福の輝きを振りまいた。
「わぁ、いつ見ても綺麗! みんなありがとうね」
妖精達は嬉しそうに飛び回ると、またギフトの肩や頭の上に乗ってカタログを見だした。
「ううん、たまに増えたりしてるからちゃんと数えたことなかったけど……。十一人もいるのね、妖精ちゃんたち……。そりゃ最近昼間も眠いわけだ」
妖精を減らすのではなく、この先どんなに仲間が増えても大丈夫なように、魔力量を増やす訓練をもっと頑張ろう、とギフトは心に決めた。
「ああ! なんと! やっぱり悪魔は種類が多いなぁ。淫魔だけ別ページだったのはきっと問い合わせが多いからなんだろうなぁ、理由は知らないけど。うわぁ、なにこれ……。ガスじゃん、ガス。わああ、これとかエグい。なんで身体がパッチワークみたいになってるんだろう……。えっ、常に悪臭を放っているって……。教室で出されたら叩き出すレベルじゃん! ね、猫又もいる! かわいー! おっとぉ……、刑天とか僵尸まである……。でも僵尸って確か反魂の術とか使えないとダメなのでは……?」
まるで服のカタログでも見ているかのような歓声をあげながら、ギフトは楽しんでいた。
「なんか一気に魔法使いって感じがするなぁ。お? 生きてる動物を使い魔にすることもできるんだ! どんな種類があるんだろう……」
猫、梟、鷹、鼠、蛇、狐、狸、貂、蜂……。
あげれば数えきれないほどの種類の動物が描かれていた。
中には水棲生物も描かれていたが、やはり管理や使い勝手の観点からあまり選ぶ人はいないらしい。
「イルカを連れて歩くわけにはいかないもんね……。でも可愛いなぁ」
一通り契約幻獣のカタログを見終わった後、家具のカタログを見よう、と思ったその時、玄関からキールの笑い声と共に恐怖の笑い声が聞こえてきた。
「ま、まさか……」
一歩ずつこちらへ近づいてくる足音。
スリッパがパタパタと廊下を鳴らす。
ふと、部屋の前で音が止んだ。
静かに扉が開かれ、その先にいたのは……、あの変態だった。
「ギフトちゃん、合格おめでとう。また一歩俺のお嫁さんに近づいたね」
「る、ルーク、さ、ん」
「おいおいルーク、ギフトはお前にはやらんぞ! あはははは!」
キールはルークの言葉を完全な冗談だと思っているようで、にこやかに笑っている。
「え~? わかんないよキール。ギフトちゃんが俺のこと好きになっちゃったら止められないでしょ?」
「ちょっとー、わたしがそんなことにならないようにギフトのことしっかり育ててるから! ほらもうギフト怯えちゃってるじゃない! この変態が!」
お気楽なキールに変わり、すかさずファージが牽制した。
「えー、俺顔も身体も頭も魔法もパーフェクトなのになぁ」
(なにその発言! ……ヤベェ奴きた! 家に! 一番安全なはずの、家に!)
「ギフトさま、パーティー用のお着替えをしてしまいましょうか」
アワアワしているギフトの元へ、スッとカノンが現れたので、ギフトはすぐさまカノンの手を握った。
「か、カノンさん! あそこに、へ、変態がいます!」
「あら、ルーク様ですね。大丈夫ですよ。わたしが守って差し上げますからね」
「カノンさん……」
しかし、その悪魔のような変態はそんなこと御構い無しに歩みを進め、ギフトの元へと直進してきた。
「ねぇ、君、カノンっていうの?」
その変態は素早く跪くと、あろうことかカノンの手を握り、その甲にキスをおとしたのだ。
ギフトは何かがプツンと切れる音がした。
「ルーク様、お戯れが過ぎます。さぁ、椅子へおかけください。お紅茶をご用意します」
カノンはこういったことに慣れているのか、あくまでも客人に対する姿勢を崩さずに華麗にかわそうとしている。
しかし、変態はその手を離さない。
「俺と付き合わない? 俺、何度もこの家にきたことあるのにどうして君のような美しい女性を知らないんだろう」
カノンは困ったように微笑みながら、少し悲しい目でギフトを見た後、再びルークに向き直り、こう告げた。
「わたくしはギフトさま専属のメイドになる前は、ファージ様直属の暗殺部隊で隊長を任せていただいておりました。ですので、顔を出すことは無かったのです。ルーク様のことは数回隠し部屋からお見かけしたことがありますよ。では、ギフトさまのお支度がございますのでこれで失礼いたします」
カノンは少し悲しい顔をしながらギフトの背を優しく押すように部屋を後にした。
廊下に出てしばらく無言で歩いていると、カノンはギフトの方を向いて微笑んだ。
「黙っていて申し訳ありませんでした。もし他のメイドがよろしければ……」
「なんで?」
カノンはひどく驚いた顔でギフトを見つめた。
「どうして他のメイドさんに変えなきゃいけないんですか? わたしはカノンさんがいいし、カノンさんじゃなきゃ朝絶対に起きませんよ」
「しかし……、わたくしは、元暗殺者です。今でもこの家に仇なすものには平気で刃を向けるでしょう。奥様にはとても感謝していますし、望んで暗殺者になったのです。今ギフトさまにお仕えしていてこんなにも穏やかであたたかい日々を過ごせるなんて、わたくしにはそのような資格、本当は無いのです」
「なんで?」
「ギフトさま……」
困惑したように目を伏せるカノンとは裏腹に、ギフトは瞳を輝かせながら前のめりになってカノンに力説した。
「余計素敵なんですけど! ギャップ萌えってわかりますか? 後で詳しく教えてあげますね。そのギャップ萌えがいき過ぎて今わたしは完全にカノンさんに対して『尊い』、という感情でいっぱいなんですよ? その美しさとスタイル、そして優しさと可愛い笑顔で暗殺者って! ズルすぎませんか? 最高のメイドさんですよ! わたし安心して眠れますね! なんだったら敵が来たらわたしも起こしていただいて一緒に戦うとか考えただけで燃えます!」
カノンは大きな目をさらに見開いた。
ギフトの発言がにわかには信じられないような内容だったからだ。
元暗殺者としての性分なのか、ギフトの瞳を見つめ、瞳孔の反応を見て、それが嘘ではなく本心だとわかり、カノンの胸は熱いものでいっぱいになった。
「ギフトさまのお心はわたくしとは違う次元にあるのですね。わたくしは幸せ者でございます」
瞳を潤ませながら微笑むカノンの手を握り、そのまま一緒にギフトの部屋へ向かった。
繋いだ手はとてもあたたかく、心からホッとできた。
しかし、ギフトはあのことを忘れていなかった。
部屋に着くやいなや、小走りでバスルームにふわふわのタオルと消毒薬と香油を取りに行き、素早くカノンの前へと戻った。
「カノンさん、さっき変態にキスされた手貸して」
「……はい?」
カノンから差し出された手に消毒薬を垂らし、丁寧に拭き、乾燥しないように優しく香油を塗り込んだ。
「ぎ、ギフトさま?」
「ほら、変態の成分がついたままだとそこからなんか気持ち悪い菌が広がりそうだから! ちゃんと綺麗にしないと!」
カノンは目を丸くすると、あまりに真剣な顔のギフトが面白くてつい笑い出してしまった。
「ふふふ、本当にギフトさまはお可愛い」
「今度からはあの変態の前で消毒しましょうね。これ見よがしに『触んなクズ!』って表現しましょうね!」
「ふふふふふ。そうですね、そうしましょう」
ギフトとカノンは顔を見合わせて声を出して笑った。
ギフトは心から願った。
この絆だけはいつまでも続きますように、と。