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第肆集:初めての魔法修行

 取り壊し予定のとある教会に、美しい顔立ちの女がひとり座っていた。

 真っ白なたっぷりとした布を使ったドレスのようなものを着ている。

 手に持っているのは赤いガラスで出来た小瓶。

 女はコルク栓を抜き、中身を味わうようにゆっくりと飲み干した。

 唇の端から薄いピンク色の液体が滴る。

 それから歌うようにひとりで話し始めた。

「可愛くお化粧して、髪も綺麗に結って、レースをふんだんに使った白いスカートを着せて、空色のブラウス、手編みの赤いカーディガンにクルミボタンとカメオのブローチをつけたものを羽織らせて、黒いリボンがついた白い靴下に、黒いエナメルの靴をはかせて完璧な死体を作りたい。はやくあの子に会いたい。どんな顔をするかしら。この手であの子のスカートに赤い水玉をつけてあげるの。首から滴る体温で。赤いネックレスみたいになるかしら。一緒にお歌を歌いたいわ。わたしの一番のお気に入りの歌」

 女の呼吸が荒くなる。

 少しずつ、少しずつ、水風船が弾けるような音がする。

 膝から崩れ落ちるのは、恍惚の前触れ。

 月が照らす。

 女の影は小さく歪み、声は雲雀(ひばり)の響きを取り戻していく。

 音階を整えるのは、雛菊のような指先。

――さんさん太陽、イチゴを照らす。兄さん駆けだす、芝生のお庭。

「あの子も気に入ってくれるかしら。最期に見るのがわたしの顔。最期に聞くのがわたしの歌声。最期を飾るのはわたしの手。少女は閉じる、黒い黒い扉。ひとつ通ればひとつ失い、ふたつ通ればふたつ失う。それでも少女は止まらない。たったひとりへの殺意(あい)を込めて」

 話し終え、恍惚の表情で自分に拍手をする。

 女は――少女は終始笑顔だった。





「ギフト様、おはようございます」

「……はっ! おはようございます!」

 顔を優しい光が覆った。

 いくつかの色ガラスから透き通り、ギフトの身体へ届く朝の調べ。

 身体よりも先に、思考が行動を始める。

 どうやらギフトがずっと壁だと思いこんでいた場所は、とても大きな窓だったようだ。

 カノンがゆっくりとカーテンをあけると、それはそれは素晴らしい庭園が見下ろせるステキなバルコニーが目に入った。

 どうやら本日晴天なり。

 昨日、買い物から帰宅したときにはもう白い月が浮かび、夕陽が輝いていた。

 幼い身体のギフトは眠さに勝てず、なされるがままカノンにお風呂に入れられ、ご飯も食べずに寝てしまったようだ。

 うっすら覚えているのは、カノンが歌ってくれた子守歌。

 アカペラのはずなのに、声の後ろで少し切ない笛の音が聞こえたような気がした。

 とても柔らかな女性の歌だった。

 おぼろげながらも、ギフトはその旋律を覚えていた。

 まだ起きたばかり。

 良い気持ちで起床できたからこそ、つい目覚めたばかりの自分の瞳には美しいものを映していたくなる。

 寝起きの頭でテキパキと働くカノンを見つめていたら、ふいに目が合い微笑みかけられた。

「あ、なんかキュンとしました」

「まぁ、ギフトお嬢様。両想いですね」

「わたし、この御屋敷に来て今が一番心おだやかです」

「うふふふ。そう言っていただけて光栄です」

 このひとの瞳と角は、とても貴重な宝石でできているのかもしれない、とギフトは思った。

(もし将来独立しても、カノンさんには手紙を書こう)

 あまりにも素敵な朝なので、ギフトはあのことをすっかり忘れていた。

 ゆるゆると動きながら身支度を済ませ、あの長いテーブルの部屋、食堂へと向かった。

「今日の朝ごはんはなんだろうなぁ」

 妖精たちはポニーテールにしてもらったギフトの髪で遊びながら、楽しそうに笑っている。

 今日もギフトはファージが用意した、タンスやクローゼットにいっぱい収められている服からなるべくシンプルなものを選んで着た。

 カノンにも褒めてもらえた服の合わせ方に、少しだけ浮かれながら廊下を軽やかに進む。

 白いパフスリーブのブラウスについた赤いリボンがふわりと揺れ、灰色のシフォンスカートが軽やかにひるがえる。

 食堂は扉が半分開いていたので、そのまま部屋へはいると「おはようございます!」と元気のいい挨拶とともに両脇から花びらが降ってきた。

「な、何事!?」

 ひとり驚いていると、テーブルの向こう側にファージとキールがこれ見よがしに紙を持って立っていた。

「お、おはようございます……?」

「見て見て! 見て! 結婚証明書をもらってきたのよー!」

「今日から夫婦であり夫夫だ!」

「あなたの名前も養子の欄にちゃぁんとあるのよー! これで晴れてあなたはわたしたちの娘! そしてわたしの弟子! 優秀な魔女に至る道が始まるのよー!」

「わ、わーい……。おめでとうございまーす」

「んまぁ! 本当に心がこもってない!」

 ギフトは精一杯の苦々しい笑顔を向けながら席に着いた。

(朝からテンションが振り切れているってどういうことだ。シナプスの伝達が狂ってるとしか思えない。それともエナジードリンクかなんかをきめたのか。それに、結婚って明日じゃなかったっけ? まぁ、もはやなんでもいい。大方、昨日の家族ごっこで盛り上がったのだろう。わたしも魔女への一歩を踏み出したことだし、頑張ればはやくこいつらを抹消できるし)

 一瞬、カノンの笑顔が浮かび、胸のあたりがズキっとしたが、ギフトは忘れることにした。

「めでたいですー。お腹すきましたー」

「わたしたちの結婚よりも朝食の方が重要なの⁉ そのブレない食へのまっすぐな姿勢、嫌いじゃないわ!」

「ギフトは育ち盛りだからな! 俺の娘だし、いっぱいご飯食べような! 俺の娘!」

「え、あ、うん、そうです、娘です。さぁ、パパ、朝食にしましょう」

「……感無量だ!」

 ギフトが放った「パパ」という響きに感動したのか、キールはギフトとファージを交互に見つめながらグスグスと泣き出した。

「ちょ、もう、いいや。すみませーん、今日の朝ごはんは何ですか」

 お腹が空きすぎて機嫌が斜めになり始めたギフトは、席を立ち、キッチンへ直接聞きに行くことにした。

 あのふたりは互いを見つめ、手を取り合い、無言のコミュニケーションをしているので放っておくことにした。

 キッチンへ入ると、なんとも香ばしいパンの匂いと、甘くまろやかなコーンスープの香りが漂ってきた。

 作業中のゴブリンやオーガ、まだ知らない種族の従業員たちがギフトに気づき、一斉にあいさつした。

 明るく爽やかな言葉が飛び交う。

「ギフトお嬢様! おはようございます。もうすぐご用意できますからね」

 雪のように白いフワフワな髪を一本の三つ編みにしているお洒落な壮年の料理長は、今日も可愛いギフトにメロメロの様子だ。

「おはようございます! わぁ、楽しみです。昨日、お夕飯を食べずに寝てしまってごめんなさい……」

「なんと! 謝ることなど何もありませんよ」

「でも、用意してくださっていたのに……」

 ギフトは幼い頃から両親には食べ物は大事にするようにと言われて育ってきた。

 そのため、用意してくれていたのに食べることができなかったことを悲しく思い、俯きながら小さな身体をさらに小さく丸めて落ち込んだ。

 そんなプルプルしているギフトを見つめ、まるで孫を慈しむような優しい声で料理長は話し始めた。

「ふふふ、ギフトお嬢様、お嬢様はもう少し貴族としてのいい意味での傲慢さはお持ちになったほうがよろしいかと思われます。世の中には謙虚なことを怠慢だと言ってくる哀れな者もおりますから。そんな愚か者共に隙をみせてはいけませんよ。ご自分の身分に胸をはってください。それに、ギフトお嬢様の分は昨晩旦那様が晩酌のときに召し上がりましたので、無駄にはなっていませんよ。ふふふ、お嬢様は本当にお可愛いですね」

「うあぁあ、いろいろ、ありがとうございますうう……」

 ギフトは頬を桜色に染めながら、ニコニコと微笑んでくれる料理長を見てホッとした。

 屋敷内で出会うひとは、みんな幸せそうに働いている。

 ギフトの心はドス黒い何かでつないでいる状況なのに、このひとたちを好きになってしまったら、死んでしまった家族へ顔向けできなくなりそうで怖かった。

 大事なものが何かわからなくなってしまう。

 ギフトは少し泣きそうになりながら、無理やり笑顔をつくってキッチンをあとにした。

 日常の穏やかさが、ギフトの生きる目的である殺意を揺るがしていく。

 こんなに幸せを辛いと思ったのは初めてだった。

 幸せだと感じることすら、今のギフトには罪に思えてならないのだ。

(はやく殺して、はやく死にたい)

 食堂へ戻ると、またもやファージとキールがニヤニヤしながらギフトを待っていた。

 いつの間にかまき散らされた花びらは回収され、テーブルには籠にもりもりのカスミソウとピンク色の薔薇が用意されていた。

 そして、ファージはなにやら青い箱を取り出すと、浮遊魔法でゆっくりとギフトの手へそれを移動させた。

「ギフト、わたしたちがあなたの親になって初めての贈りものよ」

「あけてごらん」

 キールにうながされるまま箱を開けると、そこには緑色と紫に輝く大ぶりなアレキサンドライトにリリーベル家の紋章が彫られた銀色のバングルが入っていた。

「きれい……」

「それにはあなただけが出入りできる亜空間魔法を閉じ込めてあるの。荷物や杖、食料、ペット、なんでも保管できるわよ」

 ファージから説明を受けながら、ギフトはバングルを右腕にはめ、美しい宝石を撫でてみた。

 とても艶やかで、ひんやりと冷たい。

 一応、お礼を言おうと顔を上げると、先ほどとは打って変わって真剣な顔をしたファージが目に入った。

「もしこの先、わたしたちの目が届かないところで怖い目にあったときは、その中に入りなさい。わたしたちが助けに行くまで絶対に出ちゃだめよ。無理に立ち向かうことはしないでほしいの。その中へ逃げなさい。隠れなさい。自分の身を護りなさい。解決しなくたって、勝てなくたって、生きていてくれれば、それでいいの」

 胸に痛みが走った。

 苦しくて、辛くて、あたたかい。

 そう感じることを、心の中で、自分が咎めている。

 なぜそんな顔で、瞳で、ギフト(わたし)を見つめるんだ。

 わからない。

 殺したい、死んで欲しい、今すぐにでも、消えて欲しい。

 そう願ってやまない相手なのに、そう祈りながら毎日夜を越えているのに。

 わからない。

 なぜこんなに胸が苦しいのか。

(なんで……)

 答えが出ない。

「……ありがとう」

 そう告げることしかできなかった。

 愛によって殺意が相殺されたとき、はたしてわたし(ギフト)ギフト(わたし)のままでいられるのだろうか。

(今、わたしがファージとキールに感じているこの気持ちは、なんと呼べばいいのか)

――解決しなくたって、勝てなくたって、生きていてくれれば、それでいいの。

 ギフトはこれを、ずっとずっと昔に他の誰かにも言ってもらったような気がした。

 顔も声も何もかもに靄がかかったようで思い出せないが、その時感じたあたたかさは、この胸に残っている。

(あれは誰だったんだろう)

 そして、ファージはなぜこんなことを言うのだろう。

 なぜ自分のことを恨み、憎み、殺そうとたくらんでいる子供を愛せるのだろう。

 また、胸が痛くなってきたような気がした。

 誰かこの痛みをどうにかしてくれ、と思っていたところへ、朝ごはんが運ばれてきた。

 いい香りがする。

 空腹を満たせば、少しは気がまぎれるかもしれない。

 ギフトはテーブルにつくと、おとなしく給仕が終わるのを待った。

「本日の朝ごはんはコーンポタージュのパングラタンでございます。器も熱くなっておりますのでお気を付けくださいませ」

 目の前に置かれた美しいサラダと、これまた黄金の輝きを放つ香ばしいグラタンをみつめた。

 先ほどまで脳をしめていた感情はふっと後ろへ下がり、食欲が怒涛のようにおしよせてきた。

「それではいただきましょう」

「いただきます!」

「いただきまーす!」

 朝からこんなにおいしいものを出されては、食べるのが忙しくて口が疲れてしまう。

 グラタンの焼き目がテディベアの形になっており、サラダの人参がギフトのものだけリボンのかたちに結ばれているのも可愛い。

 ギフトは心があたたかさでいっぱいになった。

 難しく考えたいときもあるが、食事の時くらいはよそう。

 美味しいものには、おいしいリアクションをしなくては。

「おかわりくださーい!」

「はっはっは! ギフトは大きくなるぞー!」

「うふふ。わたし、キールのことは心から愛しているし尊敬もしているけれど、ギフトがガチムチになるのは絶対に嫌よ」

「むう……、美少女だもんなぁ……」

「華奢なレースのドレスが着せられなくなったり、繊細なフリルのブラウスが筋肉に負けて魅力が発揮できないなんて困るわ!」

「筋トレはしませんよ。大丈夫です。わたしも市販の服が着られなくなったらこまるので」

「んんんん。筋肉は無敵の鎧なんだがなぁ……」

「いいのよ、キール。あなたはそのままでいいのよ」

「ううむ」

「はい、パパはかっこいいですよ。そのままでいてくださいね」

「なんと! ギフトのためなら俺は棺桶に入る直前までパンプアップし続けるぞ!」

「はーい」

「あらあら、キールったら!」

 会話の内容はさておき、ギフトはグラタンとサラダをそれぞれ八回おかわりして一リットルほどリンゴジュースを飲み、朝食を終えた。


 食後の紅茶をいただいていると、ファージが自分の部屋から鏡を持ってきた。

 大きめの姿見で、車輪がついている。

「お! ついに修行が始まるんだな」

「そうよお。あなたがお仕事に行っている間に、ギフトはどんどん成長しちゃうんだから!」

「いいなぁ! いいなぁ! 俺も娘の成長を見つめていたい。休日は俺も参加させてね」

「もちろんよ」

 話がどんどん進んで行く。

 ギフトは取り残されないよう、話に入って行った。

「あのっ! 修行には鏡を使うんですか?」

 この夫婦の会話を遮るのは一苦労だ。

 ただ、なんとなくわかったのは、ファージもキールもギフトが見つめながら少し高めの声で話しかけると、嬉しそうに聞く姿勢を取るということだ。

「あぁ、これは扉よ。この中にはわたしが許可した者しか入れない仕組みになっているから、修行を妨害されることもないし、魔法が暴走しても中だけで処理できるのよ」

「ほえぇ、ママはいろんなものを持ってますね」

 一瞬、ファージが全ての動きを停止した。

 息をするのも忘れてしまったのではないだろうか。

 ムカつくくらい瞳が輝きを増した。

「ま、ママ! いい! いい響きよ! でもわかってるわよギフト! ファージさんって呼ぶよりも短くて済むからママって呼ぶことにしたんでしょう!?」

 どうやらギフトの魂胆はバレバレのようだ。

「せいかーい」

「動機がいただけないけど、響きが魅力的だからよし!」

 ファージが「ママ」という響きに酔いしれつつ、身悶えしながら杖で鏡をポンっとノックすると、鏡の表面が波打った。

「はい、これでもういつでもギフトは自由にこの中を使えるわよ。どうせ修行したらすぐお腹がすくんでしょうから、食堂に設置することにしたわ」

「はぁ、わかっていらっしゃる」

 ギフトの生態に合わせてくるとは、さすがとしかいいようがない。

 本当は昔からギフトのことを知っていたのではないか、と思うほどファージの気遣いは完璧だ。

「じゃぁ、カノン、ギフトを修行用の服に着替えさせて頂戴」

「はい、かしこまりました」

「え? この服でやるんじゃないんですか?」

 まさか、スカートを履いたのがいけなかったのだろうか。

「何言ってんのよー! 服はテンション上げるためにあるのよ? 修行には修行用のテンションが必要でしょう! せっかく可愛いの用意しといたんだから着なさいよ」

(そういうことか)

 やはりお金持ちは考えることが違うようだ。

「はあい」

「たまには子供らしく喜びなさいよね~」

「はっはっは! ギフトは可愛いからなんでも似合っちゃうもんな!」

 ふたりが夫婦になってからまだ数時間だか、はやくもわたしは疲れてきた。

 毎日このテンションに接するのかと思うと、頭痛と胸やけがする

 アレキサンドライトの中へ入る回数が増えそうだな、と思った。


「パパいってらっしゃーい」

「あなたぁぁああん! 早く帰ってきてねぇぇん!」

「おう! 行ってくるー!」

(なぜ仕事へ見送るだけなのにこんなに時間がかかるんだ……)

 食後のティータイムの後、それぞれ着替えに自室へと戻り、仕事へ行くキールの見送りのために再び玄関へと集合した。

 集合してからすでに十五分は経っている。

 二人はいつまで別れを惜しみあっているのだろうか。

 どうせ今夜仕事が終わり次第帰ってくるというのに。

 ファージはキールの姿が見えなくなるまでハンカチを振り続けている。

 いっそキールには出張に行って欲しいなぁ、とギフトは心から思った。

「ギフト、朝から切ないわね。でもお仕事だからしょうがないわよね」

「はぁ、そうですね」

「わたしたちはみっちりきっちりばっちり魔法のお勉強しましょうね! さぁ、修行場へ行きましょうか。杖持った?」

「はーい。さっきもらったバングルに必要そうなものは全部しまっておきました」

「出来る子!」

 ちなみに、本日の修行用の服は細身の白いパンツにこげ茶のロング編み上げブーツ、深緑色のゆったりしたブラウスに黒の太めのリボンとキャメルのジレ。

 貴族のお坊ちゃんのようだ。

 ファージはブラウスだけスカーレットだが、その他はギフトとおそろいにしていた。

 そう、おそろいだ。

「ふふふふふ。娘が出来たら絶対に親子コーデしたいと常々思ってたのよ」

「はーい、よかったですねー」

「んもう! つれないんだから!」

 プンスカと怒っているのかなんなのかわからないが、体をくねらせて気味の悪い動きをするのはどうにかならないのだろうか。

 ギフトは心から呆れながらこれ見よがしにため息をついた。

「まあ! もういいわよ! はやく修行始めるわよ!」

「はーい」

 一歩足を踏み入れると、鏡の中はとても広かった。

 どこまでも続いていそうな草原。

 その草原のところどころに様々な色の扉が設置してあり、それぞれが多様な状況を想定して作られた修練場だという。

 全部でいくつの扉があるのかはわからないが、パッと目に入ってくるものだけで三十はありそうだ。

 あれらを全部使うのだろうか。

「さぁ、ギフト。今日は最初のお勉強よ」

 そう言ってファージは一番近くにある白い扉を開けた。

 中に入るとそこには広大な花畑が広がっていた。

 可愛い花だなぁ、と眺めていると、刹那、こめかみを突き抜けるような細く鋭い痛みが走った。

「痛っ」

「あら、ギフト大丈夫? お薬飲む?」

「いえ、大丈夫です」

 頭痛がした。

 それと同時にギフトの脳に浮かんだのは真っ赤なイメージ。

 どういうことなのか。

 まさか、ファージがこの場所になにか魔法をかけているのだろうか。

「ほんとうに大丈夫なの?」

 心なしかファージの瞳は揺れている。

 ギフトに異常がないかどうかせわしなく動く目で観察しているのだろう。

 ファージのせいではないとすると、一体何が原因なのだろうか。

 ギフトはチカチカとする目を手で覆いながら深呼吸をすると、姿勢を正して言った。

「……大丈夫です。おさまりました。さぁ、はじめましょう」

「ギフトが大丈夫って言うならいいんだけど……。じゃぁ、はじめましょうか! 今日の課題は硝子のコップ作りよ」

 ニコニコと微笑むファージに、なんとなくだが易しい課題のような気がした。


 開始一時間、ギフトは花畑にあおむけに倒れていた。

 なめていた。

 さんざんファージに特別だと言われて思い上がっていたのかもしれない。

 魔法が使えるという現実、状況、環境、その他諸々に浮かれていたのかもしれない。

 ギフトの膨大な魔力はすでに終わりが見えそうなほど消耗していた。

「あらあら。まぁ、最初はこんなもんよね。ほら、回復してあげるからもう一回最初からやってみましょう」

「は、はい……」

 ファージが調合した回復薬を三種類飲み、プライド以外は全快した。

「まず、ガラスの原料となる珪石を右手に持つ。左手には石灰を。目の前には先に出しておいた重曹を火の魔法を使って炙るのよ。まずは目で見て、『どうやったら硝子が生成されるのか』を覚えるの。さぁ、やってみて」

「は、はい」

 石の魔法、火の魔法を同時に使いながらそれぞれの出力を調整する。

 魔法使いの子供はこんなにも難しいことを日々やらされているのか。

「ああ! 重曹が丸焦げに……。すみません……」

「余計なこと考えてない? 魔法に集中して。ほら、もう一回」

「はい!」

 その後、石の魔法の出力を間違えて珪石を水晶にしてしまったり、周囲の草を焦がすほどの炎を出してしまったりと、さまざまな失敗を二十回以上くりかえし、やっとまともな素材の生成に成功した。

「つぎは珪石を細かく砕いて、出来上がった素材三つをすべて混ぜ、千五百度に熱した釜でドロドロになるまで溶かすのよ。慣れたら釜無しでやれるように特訓しましょうね」

 珪石を風の魔法で細かく砕くと、バングルから取り出した魔法の釜へと投入する。

 そして、出力を調整しながら火の魔法をかけていく。

「ほら、弱まってるわよ! 風の魔法も同時に使って火の魔法を強めないと」

「は、はい!」

 炎の強さと熱さに少々パニックになりながらも、なんとか材料を溶かすことができた。

「さぁ、いよいよ形成よ。浮遊魔法でそのドロドロしたものを球体に保ったまま目の前に浮かべなさい」

「はい!」

 これがまたとても難しかった。

 全方向から均等に力をかけなければ綺麗な球体にならないし、モタモタしていると冷えて固くなってきてしまう。

 頭が爆発しそうだった。

「コツは優しく子猫を抱きしめるような、包むようなイメージで腕を楽にして、肩から上半身すべてをやわらかくして手をクルクルと回転させることね。無理に力を加えてガチガチに球体を保とうとしても無理よ。優しく、流れるように、そのドロドロが自ら球体を作り出すようにサポートするのよ」

「はい!」

 頭の中でイメージを膨らませる。

「うん、いいわ。きれい! 上出来よ、ギフト」

「ありがとうございます」

「では、その球体を四分割して、それぞれをまた球体にしましょう」

「はい!」

 慎重に等分にわけ、さっきと同じ要領で球体にして行く。

「うん、いいわ。とても上手よ! ではそれぞれの球体を風魔法で適度な大きさに膨らませなさい。ガラスの厚みをよく考えてね。いきなり大量に吹き込むと裂けてしまうし、弱すぎると膨らまないわ。さぁ、頑張って!」

「はい!」

 もはや立っていることすら辛いほど魔力も体力も消耗していた。

 しかし、気力だけはあった。

 悔しいが、やはり褒められると嬉しいし、何より、自分の才能に負けたくなかった。

 宝の持ち腐れだと、思いたくなかった。

「まぁ! すごいわ! ギフト、風魔法は完璧ね! さぁ、膨らんだその球体の上部を切断し、コップの底となる部分を平らにするわよ。同時に二種類の風を使うの。大丈夫、ギフトならできるわ」

「はい!」

 ガラスの上部を鎌状にした風で切り落とし、底を回転する風で平らにならす。

「うん! すばらしいわ!」

「あ、あり、ありがとう、ございます」

 肩で息をする姿を見かねて、ファージが魔力を回復してくれた。

「切り口に火の魔法をあてて滑らかにしたら、ふっくらした可愛いコップの出来上がりね」

「はい!」

 ものすごい時間と魔力を使ってしまった。

 もうヘトヘトだ。

 こんなにもできの悪い弟子で申し訳ないような、悲しいような気持ちでいっぱいになったが、ファージはとても満足そうに出来上がったコップを眺めているので少し救われた気がした。

「お疲れ様ギフト。あなた気づいてる? もう八時間経ってるのよ」

「え、え」

「はいはい、ご飯持ってきてあげるから、頭の中で今日教えた魔法の復習をしていてね。余裕が出てきたら杖と想像力だけで魔法が使えるように特訓しましょう」

「はぁい」

 ファージが扉から出て行ったと同時に、ギフトはその場に仰向けに倒れこんだ。

 空が青い。

 ここは魔法で作り出された空間なのに、そよ風も花の香りも感じる。

 とても美しい場所だ。

「魔法って便利だと思ってたけど、便利だと感じることができるまでにはかなりの努力が必要なんだ。わたし、大丈夫かなぁ。初日でこんなに手間取ってるのってまずいことなんじゃ……。まぁ、いい。とりあえず、脳内で復習だ!」

 ギフトは目を瞑り、集中した。

 すでにお気に入りとなっている艶やかな銀色の杖を手に持ち、初めから工程を丁寧に脳内で繰り返し、魔法を使うイメージを膨らませて行った。

 そのイメージがスムーズになると、倒れていた体を起こし、胡座(あぐら)をかきながら目の前で石がガラスに、ガラスがコップになるイメージを、身振り手振りを交えて再現した。

 炎の力、風の力、石が持つ可能性。

「ギフト! あなたはやっぱり天才だわ!」

「ほえ⁉」

 ファージの大声に驚き、目を開けると、目の前にはさまざまな形の美しいコップが何千と並んでいた。

「え、え? これは何ですか? 後半に作るコップの見本ですか?」

「あなた、気づいてないの? これは全部、あなたが作り出したものなのよ。三つの魔法の複合魔法、〈硝子の魔法〉よ」

「え、は? えっと、うん?」

「あはははは! さぁ、今度は目を開けてやってごらんなさい。そうねぇ、じゃぁ、お花を作ってみなさい。ゆっくりでいいわ」

 ギフトは半信半疑ながらも、頭の中でイメージを作り上げて行く。

 石があらわれ、風で砕かれ、混ぜられ、炎の熱と風の力で溶け……。

「で、出来た……」

 目の前には、一輪の百合の花の形をした美しい硝子細工が出来上がっていた。

「ま、ママ、これはどういうことなんですか?」

「あなたはこの八時間で学んだのよ。すべては関係しあってその場に存在しているってことをね。石だけではガラスにはなれない。火だけでは溶かせない。風だけでは暖められない。あなたなしではその硝子は百合の形にはならない、ってね」

 涙が流れた。

 悲しくないのに、悔しくも、切なくも、何ともないのに、ただただ涙が流れた。

「あらあら、泣いたら余計お腹空いちゃうわよ。さぁ、ごはんにしましょう。おいで、ギフト」

「はい、ママ」

(すべては関係しあってその場に存在している、か)

 それがどんなに奇跡的で、運命的で、尊いことなのか。

 簡単にはいかないのに、気づけばすぐそばにある。

 当たり前なのに、難しい。

 魔法はそういうものなのだと、もしかしたらこの世界で一番大事なことを教えてもらったのかもしれない。

 ファージは一体何者なのだろう。

 本当に悪いやつなのだろうか。

 このまま憎み続けることなんてできるのだろうか。

(わたしは一体、何者になるのだろうか)

 浮かんでは目の前を通りすぎて行く、様々な恐ろしい可能性が右手を震わせた。

 このまま硝子の刃をイメージしてしまえば、美しいグラスを生み出した綺麗な魔法が、たちまち殺人の道具となる。

 魔法とは、そういうものなのか。

「まるで、言葉みたい……」

 ギフトはひとり小さく呟くと、何もなかったかのように鏡を通り抜け、食卓についた。

 目の前には愛おしそうにギフトを見つめるファージの優しい微笑み。

 殺意が保てない。

 生きる意味がわからなくなりそうで、しかし、そうなれたらいいのに、と、ギフトの混乱は深まった。

「何難しい顔してんのよ。はやく食べなさいな。デザートだってあるんだから!」

「はーい。ありがとうママ」

「うふふ」

 罪は日をおうごとに重くのしかかる。

 心にも、このおだやかな関係にも。





 色の無い砂混じりの風が、道ゆく人の頬をかすめ、喉に小さな痛みをはしらせる。。

 瓦礫がぶつかり合う音が響いている。

「ありゃ、これ、誰の忘れ物だ?」

 教会を取り壊しにきた作業員が見つけたのは、まるでウェディングドレスのような真っ白のワンピース。

「あぁ、ここで結婚式をしてた時の残り物じゃないか?」

「いやぁ、それにしては綺麗なんだけどなぁ」

「なんか不気味だな。捨てちまえ」

「そうだな、捨てちまおう」

 黒いゴミ袋に入れられたワンピース。

 礼拝堂の陰にはひとりの少女が立っている。

 誰も少女に気づかない。

 取り壊されて行く教会。

 破片は少女を避けるように降り注ぐ。

 輝くステンドグラスが、まるで光の雨のように煌めく。

「うふふ。あれはわたしの死装束。可愛いあなたの死装束は、わたしが一生懸命作ってあげる。大好きよ、ギフトちゃん」

 少女は笑う。

 真昼の月を撃ち落とす、悪魔のように。


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