第参集:おかいもの
「うわぁ、すごい! 絨毯が、絨毯が飛んでいる!」
小さな身体を目一杯後ろに反らせながら見上げた空は、たくさんの影でいっぱいだった。
影になっているせいで色彩がよく見えないのが残念だが、下から光が当たればきっと美しい光景が広がっていることだろう。
「あれはね、絨毯の上に買ったものを乗せて空に上げてるの。そうすれば、重い荷物を持って歩かなくて済むし、狭い街中でもみんな快適に過ごせるでしょ?」
「な、なるほど……」
魔法だ、魔法が生活の中に生きている。
こんなことが本当にあるなんて。
絨毯を飛ばすという行為が、もはや通常なのかなんなのかがわからない。
先ほどからはるか上空を、箒に乗った魔法使いたちが風を切りながら飛び交っている。
デッキブラシで飛んでいる女の子は見かけない。
あれはもはやドジっ子魔女におけるひとつの様式美だ。
ちなみに言うと、魔女らしきひともたくさん飛んでいるが下着は見えない。
ギフトは少し安心した。
キールに手を引かれながらも飽きずに「わあ!」とか「す、すごい……」などとつぶやきながら空を見続けていると、時折キラリと光るものが通り過ぎていった。
目を凝らして見てみたら、胸が高鳴り、自分の瞳が輝くのがわかった。
「わああ! なんですか⁉ なんですかあのかっこいいひとは! わたしもあれがいい! あれを所望します!」
地図に書き込んだタイムスケジュールとにらめっこしていたファージがガバっと顔を上げ、ギフトが指差しているものをみて顔を顰めた。
「あらやだあんた、せっかく可愛い顔してるんだから箒に乗りなさいよ。それが魔女っ子ってもんでしょうが」
「あれがいい! 絶対に、あれがいいです!」
そう、ギフトは見てしまったのだ。
背丈ほどもありそうな大剣に乗って移動する魔法使いを!
もちろん、大剣は鞘に納められており、魔法使いはそのブレード上に立って乗っていた。
かっこいい、そして攻撃的。
華美な可愛い箒などには興味は無い。
「でも、ギフト、あれだと終始立っていなきゃならないぞ? 座れた方がよくないかい?」
「……そ、それもそうですね…」
キールは実用性でギフトを説き伏せる気なのか。
正論を言われてしまった。
「だからさ、大剣と箒と絨毯、三つ買っちゃおう! そうすれば移動もお買い物も戦闘も困らないな!」
「……ええ⁉ い、いいんですか?」
聞き間違えかと思った。
「もちろん! 俺だってファージほどではないが、けっこう稼いでるんだぞ! 金額の心配は何もいらないから、欲しいものを選ぼうな。まぁ、杖だけは魔力にあったものじゃないと使えないから、もしかしたら意にそぐわないデザインになってしまうかもしれないけど……。せめて他のものは好きな物を選んでいいんだぞ」
「ありがとうございます!」
なんと、まさかの金額無制限宣言が発せられた。
どうやらキールはお金持ちで、ファージはもっとお金持ちらしい。
これならば、将来、こちらの世界では結婚せずとも悠々自適の生活がおくれそうだ。
殺す前に一筆、財産の分け前についてちゃんと書いてもらおうとギフトは思った。
「こらギフト、あんた悪い顔してるわよ! 可愛くなさい。愛想振り撒いて、店で一番いいやつ出してもらうのよ!」
「一番いいやつ……、ラジャー!」
所狭しと立ち並ぶ様々な店を、忙しなく視線を動かしながら眺めつつ大通りを歩くこと数分、ギフトの希望で剣の専門店に入ることに。
抱いていたイメージとは違い、どことなく洒落ている店。
建物は木造四階建てで、すべての階に大きなはめ込み式の窓がある。
窓にはそれぞれの階で扱っている剣の種類が、メタリックな金色に縁どられた黒い文字で描かれていた。
店内では職人がメンテナンスをしている様子を見ることが出来、簡単な修理だったらその場でやってくれるようだ。
ギフトたちは三階にある大剣の売り場へと階段をのぼっていった。
「うわぁ……、何が何やら……。ほおう……」
店内の灯りを反射する煌びやかな武器の数々。
前の世界では絶対に見ることが出来ない光景だ。
「さぁ、どれを選んでもいいんだぞー!」
「待って、キール。とりあえず一番いいやつがどれか聞きましょうよ」
ファージは美しい笑顔を作って店員のもとへ行った。
キールは自分も新調したいのか、店内で物色している。
ギフトはそんな保護者たちに若干呆れつつ、値段が手ごろなものから順番に見て行った。
「わぁ、これはなんというか……。もしこれを選んだら前の世界で中二病って言われそう……」
店内はまさに思い描いていた『武器屋』と呼ぶに相応しいものだった。
店員なのだろうか、小さな可愛い皮エプロンをした三角帽子の妖精が、剣の装飾に使うような宝石やネジなどの材料をたくさん袋に詰めて飛びながら運んでいる。
目に映るのはドラゴンが巻き付いているようなデザインのものや、宝石が散りばめられているもの、なにやら読めない言語が彫ってあるもの、刃の色が赤いもの、オールブラック仕様のもの……。
選ばれし勇者にしか引き抜けないようなデザインのものがいっぱいあった。
「わたしはシンプルなのがいいなぁ」
大剣を欲したことを少し後悔し始めた時、ファージが軽やかな足取りでこちらに向かってきた。
「ギフト! このお店で一番魔力伝導率が高くて丈夫で切れ味も抜群で、なによりあなたにとっても似合うものを出してもらったからちょっと見てみてほしいの!」
「はーい」
ファージはどちらかというと装飾がついているものが好きなイメージがあるため、わたしはそっとため息をついた。
きっとゴテゴテな、勇者が持つ、ある意味クラシックで煌びやかなものなのだろうな、と予想。
足取り重くギフトがレジにつくと、ちょうど職人が木箱を持ってきてくれたところだった。
ギフトはその木箱を見た瞬間、心臓が強く打つのを感じた。
「これって、日本語……⁉」
「あら、ほんとねぇ……」
「ニホン語って? ニホンなんて国、聞いたことないなぁ」
どうやらキールは知らないらしい。
ギフトは激しく打つ鼓動と、瞳孔の収縮が早く収まっていくように祈りながら、目の前に置かれたものに集中した。
箱にはこう書いてある。
――英雄に成ってはいけない。悪の芽を生かしてしまうから。 刀匠 弦巻星雲
墨で書かれた達筆な文字。
いったい、このひとに何があったというのだろう。
ギフトは無意識に自分の体を抱きしめるように右手で左腕を掴んでいた。
職人は木箱についたホコリを静かに払いつつ、商品の説明を始めた。
「私共も、これがいつ作られてなんと書いてあるのかはわからないのですが、どうやら大昔に、とある職人が最後に作ったものらしいのです。この職人がつくった武器は全部で十三種類あるらしいですよ。帳簿にはそう書いてありました。これはその中でも最後に作られたのに、番号は五番なのです。では、開けますね……」
開かれた箱の中には、ふかふかのシルクの布団に横たわる、おそらく漆塗りと思われる濃い朱色の大きな鞘に納められた大剣が入っていた。
華美な模様などは一切なく、鞘にたった一つ大きな深い緑色の宝石が付いているだけで、ただ美しくなめらかにそこに存在していた。
柄は銀色で、持ち手のところには黒い皮が巻かれている。
まだギフトには浮遊魔法が使えないので、かわりにキールが手に取って鞘から引き抜いてくれた。
「あらまあ……」
「すごいな……」
「わたし、これにします……」
店内にいたすべてのひとがその大剣の輝きに目を奪われた。
まるで水に濡れているかのようにしっとりと光を内包する綺麗な銀色の大剣。
耳鳴りがする。
身体全体が緊張した。
「うんうん、これに決定ね! こちらはおいくらかしら?」
「あ、は、はい! ありがとうございます! こちらは三年間メンテナンス無料カードがつきまして……、三千八百万mayzです」
「あら、思ったよりもお手頃価格なのねぇ」
ファージのお手頃価格の定義が全くわからないが、多分おそらく絶対にお手頃価格ではない。
「……え? サンゼンハッピャクマンメイズ? それはどういった単位ですか?」
「えっと、ギフトがいた国の価値で言うと……、四千五百六十万円ってとこかしらね? 一メイズが一円と二十銭くらいよ」
「……物価がわからないんですが、安いわけないですよね? それは高所得者の余裕でそう言っているんですよね? どうなんですか? これは本当にいいお買い物と言えるんでしょうか? 不安不安不安不安……」
「まぁ、庶民のみなさんからしたらちょっとお高いかもね。物価ねぇ……。あんまり考えたことなかったわ。うーん、リンゴがひとつ五百メイズくらい?」
「ファージ、普通のひとはリンゴひとつにそんな値段かけないんだよ。そうだなぁ、うーん。たとえば、この辺で一番安い定食屋さんだと八百メイズでお腹いっぱいになれるぞ!」
「あら、そんなに安いの? そんなに安くしちゃって、みんなお給料ちゃんともらえているのかしら」
「ファージは優しいなぁ」
「うふふ」
二人のラブラブアピールがまったく気にならないほど、ギフトは自分に買い与えられたものの金額に放心していた。
このままでは金銭感覚がおかしくなってしまいそうだ。
先ほどまでは超が付くほどのお金持ちの養子でラッキー、程度にしか思っていなかったが、少しレベルを見誤ったようだ。
「いいお買い物ができたわね! 次は絨毯を見に行きましょう。このあともお買い物するから荷物を置いておく場所が欲しいもの」
「あの、絨毯は安くていいです……」
ギフトの言葉の何かが間違っていたのだろうか。
ファージはガバッとわたしの肩を掴んで揺らしながら、素っ頓狂な声でまくしたて始めた。
「何言ってんのよ! 安物なんてすぐ色あせるし寝心地わるいし細工も出来ないし、絶対ダメよ! 絨毯は一千万メイズ以上のものじゃないと買わないからね!」
「い、一千……」
ギフトは一旦考えることをやめ、会計の時は店の外で待っていることにした。
もはや金額を知りたくない。
その後、びっくりするほど寄り道を繰り返した。
菓子屋という菓子屋を巡り、貴石屋ではファージの体重ほどの量の宝石を買った。
なんとか軌道修正しつつ、絨毯――なんと二千万メイズ!――と箒、調剤器具、その他もろもろ買いそろえてもらい、先ほどキールが言っていた定食屋で昼食にした。
ファージは安さと量と味に感動しており、わざわざ厨房まで行って賛辞を述べ、食事した料金よりも多くチップを払っていた。
定食屋の料理はギフトにもなじみのある味付けだったので、ひとりで買い物に来くることがあればここでごはんを食べることにしようと決めた。
「はぁ! 白米があんなにおいしいと思ったのは初めてよ! すばらしいわ!」
「だろ? 安い早い多い旨い! 体育会系男子の楽園と言っても過言ではない! ……それにしても、まさか俺と同じ量を食べるとは! さすがギフト! 俺の娘!」
「いやぁ、まだまだですよ」
本当はデザートにアイスか何かも食べたかったが、お昼時と言うこともあり、あまりゆっくりしていると他の客に迷惑かと思ってやめた。
「さぁ、ついに最後のお買い物よ? 心していくわよ! ギフトにぴったりの杖を探しに!」
ファージは意気込んでいた。
なぜなら、杖、というものは相性が大事なものだからだ。
使える属性が少なければ大量生産品を使うことになるため、デザインで選べる杖は少ない。
使える属性が五つから七つくらいだと、職人も作りやすいのか、選べる杖はとても多い。
しかし、使える属性が八つを超えてくると、とたんに選べる量は減り、出会うことが難しくなるのだという。
多属性に対応し、尚且つ莫大な魔力を放出可能な杖となると、ほぼほぼ運任せとなる。
オーダーメイドで作ってもらうことも出来るが、そうなると一か月は待たなくてはならないらしい。
ファージは修行を遅らせる気はサラサラないようだ。
何としても今日中に出会う必要があった。
「杖屋さんって何軒あるんですか?」
「優秀で高品質な杖屋さんは三軒よ」
「あ、なるほど」
「まぁ、でも、たまに掘り出し物が眠ってる可能性もあるからねぇ。優秀な杖屋さんに万が一なかった場合、わたし的下位互換のお店にも行くわよ」
「その、ファージさん的下位互換のお店は何軒あるんですか?」
「六軒よ」
「わぁ、先が思いやられる」
言葉ではそう言いながらも、ギフトはとてもワクワクしていた。
どんな杖が自分のもとへ来るのか。
どんな杖が〈魔女〉として見込んで選んでくれるのか。
この際、合うものがあるなら見た目なんて気にしない! ……ことはない!
(いやいやいや、前の世界で流行っていたけど、魔法少女みたいなきゅるんきゅるんしたやつだったらどうすればいいんだ。あんなピンクで角が丸い星がわんさかあふれ出すようなもの、絶対に似合わないから絶対に嫌だ。重厚な本格ファンタジー小説の物語に出てくる魔法使いが持つような、シンプルなのがいい! ピンクは嫌だ! パステルカラーは嫌だ!)
「ちょっと、ギフト。あんたどうしてさっきから頭ブンブン振ってるのよ。怖いわねぇ」
「あ、ちょっと杖に対する期待と現実と妄想がわたしに悪夢を見せています」
「変な子ねぇ」
「ははは! 大丈夫だよ! ギフトならとびきり素敵な杖が見つかるさ!」
「わぁ、パパってばハイパーポジティブ」
まだ起きてもいない最悪な事象についてあれこれ思い悩んでいると、一軒目の杖屋についた。
「あぁ、入りたいような入りたくないような……」
「何言ってんのよ。はやく入るわよ」
「あああああああ」
黒っぽい煉瓦が象徴的な真四角の建物。
半分開け放たれた、金色に縁どられた大きなこげ茶色の木の扉を通ると、建物からは想像もできないくらい室内はとても広かった。
敷き詰められた赤い絨毯。
壁には古い薬局の百味箪笥のように引き出しが並んでいる。
棚ごとに杖の柄の部分使われている素材が分かれているらしい。
これを一から見ていくのだろうか。
「いらっしゃいませファージ様、キール様」
いつの間に現れたのだろう。
シナモンのようにスパイシーで甘く、コントラバスのように低く響き渡るような魅惑的な声と、その声の持ち主だと一瞬にしてわかる美しい風貌の壮年の男性が近づいてきた。
「こんにちはミカエル。今日は娘の杖を選びに来たの。何本かみつくろっていただけるかしら」
「それはそれは! 光栄にございます」
つい見とれてしまったギフトは、慌てて全身をミカエルの方へと向け、深々と頭を下げながら挨拶をした。
「こ、こんにちは。ギフトと申します。本日はよろしくお願いいたします!」
「ほほほ。ギフト様、緊張なさらなくても大丈夫でございます。私めにお任せください。では、両手をお借りできますか?」
「は、はい」
ギフトは両手をミカエルに差し出した。
ミカエルはファージやキール、わたしともとくに変わらない外見をしている。
種族は同じなのだろうか。
人間? 魔女族?
そんなことを考えていると、ミカエルに握られた両手があたたかくなってきた。
「なんかポカポカしてきました」
「それは良うございます。はい、終わりました。爪の色を拝見させていただきます」
「……ぎょ!」
なんと、ギフトの爪が真っ黒になっていた。
『闇』属性を保有していないのに、魔王にでもなってしまうのだろうか。
「あの、これはいったい……」
「ほほほ。説明させていただきますね。私は杖職人をしておりますので、この両手には様々な素材がしみこんでおります。その手で魔法使い様や魔女様の手に触れると、しみこんだ素材がその魔力に魅かれ、爪に転移するのです。その転移した素材こそが、その方に適した杖の素材となります」
「な、なるほど……」
「ギフト様の爪は黒くなりましたので、これは金属が良いということをあらわしております」
まさかの金属。
魔法使いの杖と言えば、木ではないのだろうか。
または何かの骨。
「では、まずは五本ほど見繕ってまいります。こちらにお掛けになって少々お待ちくださいませ」
「はい!」
何はともあれ、金属ならばピンクという心配はないだろう。
たぶん。いや、どうだろう。
杖屋の妖精たちが運んできてくれた紅茶をいただきながら、おとなしく待つこと十分。
杖とともに金魚鉢が乗った小さな高足テーブルが運ばれてきた。
「ギフト様、お待たせいたしました。こちらの五本の杖を順番に一本ずつ持ちながら、目の前の金魚鉢に光を灯すイメージで念じてみてください」
「は、はい! あ、でも、わたしは光属性の魔法が使えないようなのですが……」
「大丈夫ですよ。ここで言う〈光〉というのは、魔法使い様や魔女様が魔法を行使する際に灯る〈魔力の輝き〉のことです。さぁ、想像するのです。身体をめぐる魔力が胸の中心から広がり、腕に流れ、杖へと注がれる。明かりが灯る様子を頭に浮かべ、ゆっくりと深呼吸しましょう。魔法が放つ光に徐々に反応し、金魚鉢に込められた呪いがその力を示します」
「わ、わかりました。やってみます!」
光を灯す、光を灯す……。
一本目は何も起こらなかった。
二本目、三本目、四本目も何も起こらなかった。
焦るしとても凹む。
自分が魔女になるなんてやっぱり嘘だったのではないだろうか。
そして五本目。
さっきよりもさらに強く念じた。
結果を見たくなくて瞼をぎゅっとしていたら、店中から大歓声が上がった。
「ママ、あれ見て! すごーく綺麗!」
「そうね。あんなに美しい魔法を見たのは国王誕生日のお祭り以来だわ」
「あんな景色の中でプロポーズされたーい」
「あれやばくない? 杖試してるの子供じゃん。何者?」
「きれーい」
「わぁ、あれ、僕のお誕生日会でやってほしい!」
「芸術ですな……」
何事かと思い、目をそっとあけてみると、そこには幻想的な世界がひろがっていた。
「これ、わたしが……?」
「そうよ、あなたの力よ」
鮮やかだった。
百個ほどもあるだろうか。
色とりどりに柔らかく光る金魚鉢が宙に浮いていた。
触れるとふわりと跳ねる金魚鉢。
金魚鉢同士がぶつかると綺麗な音がする。
まるで星々の囁きが聞こえているようだった。
「おめでとう、ギフト。素敵な杖に出会えたな!」
「本当に、素敵です……」
ギフトの手に握られていたのは、身長よりも長い百六十センチくらいの長杖。
銀色の柄は光沢があり、まるで鏡のように景色を映していた。
杖の最上部は小さな木の枝のように分かれており、それぞれに実のような美しい宝石が揺れている。
とても綺麗な杖だ。
ミカエルはその美しい水色の瞳に浮かぶ温かな雫をそっとぬぐいながら、優しくギフトに微笑みかけた。
杖を艶やかな白いシルクの布で包んでもらい、ファージの支払いが済むと、ギフトはミカエルに感謝を伝えて店の外に出た。
「さ、杖も手に入れたことだし、おうちに帰りましょうか」
「あの……、一軒目で見つかるのはラッキーなんでしょうか?」
「いいえ? ここの杖屋さんは本当に優秀で、むしろここで見つからなかったらどこ行ったってみつからないわよ」
「……え?」
「だからぁ、あんたはこの世界では最高クラスの魔女になる素質を持っているの。そんな偉大な能力を持ってる魔法使いの杖が、そこらへんの杖屋にあるわけないでしょう? 何軒もまわるかもって言ったのは、あんたの危機感をあおるためよ。好奇心だけでふにゃふにゃされちゃ、杖にそっぽ向かれちゃう。本気で杖探しさせたかったから、ちょっと盛って話したの」
「ぐぬぬ……。しょうがないですね。たしかにわたしは浮かれていましたし……。素敵な杖に出会えたので感情的にはプラマイゼロです」
「はっはっは! ギフトは面白い子だなぁ! 普通なら、ママひどーいって言うところだぞ」
「絶対に言いません」
「はっはっは!」
(くっそう、わたしに魔法が使えたならば、いますぐに灰にしてやるものを)
「そんなに怒んないでちょうだいよお。じゃぁ、最後に楽しい場所に連れて行ってあげるわ! 子供たちに人気のお店だから、わたしは最初近づきもしなかったんだけど、ある仕事で店主さんと仲良くなってお店に行ってみたら、ものすごく素敵だったのよ! 技術とセンスと才能をフル活用してる職人さんたちよ!」
「へぇ、何のお店なんですか?」
「ふふふ、おもちゃ屋さんよ」
不穏な響きだ。
「……それはわたしが行ってもいいおもちゃ屋さんですか?」
「……ちょっとあんた、今十歳なのわかってる? マセガキねぇ。このエロ小娘! でもそういう知識は大歓迎よ! 今から行くおもちゃ屋さんは正真正銘子供用よ。そうねぇ、うーん、たしか最高年齢だと十五歳以上が対象の高機能の知育玩具があるかしらね。ギフトならそこで簡単な適性テストを受ければ何でも買えるようになるわよ」
「わたしまだ魔法について何も知りませんが……」
「あぁん、筆記じゃないわ。魔力儀に手をかざすだけよ。おもちゃについてるセーフティー装置を発動させる魔力があるかどうかをチェックするだけだから大丈夫よ」
「ふうん……」
おもちゃだと?
高機能知育玩具だと?
魔力儀って何その魅惑的な響き。
ファージはわかっているようだ。
ギフトがワクワクするものをよく知っている。
殺意が減った。
杖屋さんから歩くこと十分。
ファンタジックな外装の大きな建物が見えてきた。
「ここよ~。外観もかわいくない⁉ おもちゃ屋さんなのに荘厳な古城のような雰囲気! 煉瓦も蔦も偽物なんだけど、投影魔法のかけかたがうまいから子供じゃ本物かどうかなんてわかんないし、あの扉もかなり重そうに見える錆びかけの鉄の雰囲気出てるけど、実はただの杉の木の扉なのよ! それに見て! 塔に施された悪魔の彫刻! 長年風雨にさらされてきたような汚れた大理石感が出ているけれど、あれはただのハリボテなのよ! 何度見てもすばらしいわ! わたしも何度か修理をお手伝いしたけど、この建物にかかっている魔法だけでもかなり高等技術を要するの! 商品を見たらびっくりするわよ! このわたしでさえ魔法の仕込み方がわからないおもちゃがあるんだから! きゃー! わたしも買っちゃおう!」
「ははははは! ファージのそういう子供の心を忘れていない純粋で清らかなところ、本当に愛おしいぞ!」
「やだっ、娘の前よお」
ファージが饒舌すぎて後半は何を言っているかよくわからなかったけど、とにかく素敵なお店だということはわかった。
キスに舌が入る前に二人をグイっと引き離し、ギフトは扉の中へひとりで入っていった。
「ふぁー」
見上げているだけでも数時間すごせそうなくらいの物量。
まるで博物館か動物園か科学館か図書館か……。
そのくらいありとあらゆるわけのわからないおもちゃが頭上を飛び交い、足元を這いまわり、鳴き声を上げ、そこら中を浮遊していた。
店内は吹き抜けになっており、五階建てで、下から見ると階段と渡り廊下が万華鏡のように見えた。
店内に圧倒されていると、こちらにエプロン姿の可愛らしい男の子が走って近づいてきた。
「リリーベル先生! こんにちは!」
「メイルランス! 今日も素晴らしいわね!」
「ありがとうございます! また講義……」
メイルランス、と呼ばれた小柄な男の子が続きをしゃべろうとしたとたん、素早くファージがその口をふさいだ。
「メイルランス、ちょっとお口チャックよ。わけは後で話すわね。今日は夫となるイケメンと娘を連れてきたの」
「ふごふご、ふわぁっ。すす、すみません……。えっと、こんにちは! 僕はおもちゃ職人見習いのメイルランス=バージニアと申します。リリーベル先生にはいつもごひいきにしていただいております」
「おお! こんにちは! ファージの夫でキールと申します!」
キールはいつだって笑顔が眩しい。
(このあとに自己紹介するのは嫌だなぁ)
でも、これから通うことになりそうだから愛想よくしておくに越したことはない。
「こ、こんにちは! ファージさんとキールさんに養子としてむかえていただきました、ギフトと申します。はやく店内を見て回りたくてドキドキしています!」
「ふぁぁ、なんて可愛いんだ……」
「あら、メイルランスならいいわよ。なんてったって優秀な魔法使いだしちゃんと手に職ついてるし、顔も可愛いし、いい子だし。ギフトの旦那さん候補にいれといてあげるわね」
「ぅぇえ! こ、声に出てました⁉ り、リリーベル先生! 歳! 歳を考えてくださいよ! そそそそ、そんな、もももも、もう! ま、まだ僕には早いです!」
(お? 慌てる思春期男子は可愛いなぁ……)
いや、違う。
今はこの目の前で顔を真っ赤にしている少年の方が……、年上だ!
かける言葉を間違えたら後々面倒なことになるかもしれない。
「わたしもメイルランスさんは素敵だと思います」
「ほら、いいじゃなーい。三歳差なんてどうってことないわよ」
「パパはそんな会話を目の前でされて寂しいです……」
少し混乱してきた。
自分の前の年齢 (二十一歳)と今の年齢 (十歳)が脳内で混ざってしまう。
「ふ、ふううう。も、もうっ。父を呼んできますので魔力儀を試しながら少々お待ちください」
真っ赤な顔をしたメイルランスは慣れた様子で箒にまたがり、最上階へと飛んで行った。
「三歳差ということは、メイルランスさんは十三歳でもう働いていらっしゃるんですか?」
「あの子はまだ学生なんだけど、才能があるからアルバイトを許可されているの。実家の手伝いをしつつ、きちんと勉強もして、職人としての修行もおこたらない、素晴らしい子なのよ。思春期になったらああいう子と付き合いなさいね」
「はあ」
「まぁ! 十歳にしてもう枯れてるの? そんなの許さないわよ! 夜にママと寝室でパパに内緒の恋バナをするっていうのは娘の義務でしょうが!」
「そんな義務はありません」
「はっはっは! 恋人が出来たら連れてくるんだぞ! パパは男同士の会話をしなくてはならないからな……」
「まだ芽生えてすらいないわたしの恋心にそんな悲しそうな顔しないでください」
生きてきた年数と今の年齢の差で少し混乱してしまいそうだ。
はたして以前の自分の初恋はいつだったのだろうか。
家族のことすら思い出せなくなってきているギフトには、甘酸っぱい思い出なんて、気持ちすら思い出せない。
……この世界では無事に初恋をすることが出来るのだろうか。
一つだけ確実なのは、ファージに恋の相談はしないということだ。
奥ゆかしさや恥じらいを感じられない。
きっと「すぐ押し倒しちゃえ!」などと助言してきそうだ。
そういえば、前の世界にもそんなこと言う友人がいた。
今はもう、名前も顔も靄がかかったようで思い出せないが。
少しずつ、いろんなことを忘れて、空いた部分にこちらの世界で学んだことが収容されていくのだろう。
(まぁ、生きていかなきゃならないし、しょうがないか)
ため息を飲み込みながら魔力儀に触れていたら、重なった三つのメモリがすべて最高値をたたき出した。
出てきたレシートのようなものをファージに渡すとニヤリとされた。
どうやら、思い通りの結果だったようだ。
メモリの説明を聞こうとしたその時、上の方から大きなティンパニーのような声がふってきた。
「こーんにーちはー!」
「ムートン!」
ファージが上から降りてくる巨体に思いっきり手を振った。
巨体は絨毯から飛び降り、ボウンと跳ねるように着地すると、元気いっぱいの声で話し始めた。
「どうもどうも! リリーベル先生とそのご家族様! ここ『アトイ』の店長をしております、ムートン=バージニアと申します! このたびはご家族でのご来店、ありがとうございます! さぁさぁ、ご案内いたしますぞ!」
そういうと、ムートンは乗っていた小さな絨毯をくるくると巻き、小脇に抱えながらお店の中を案内してくれた。
「まずはこちら! 今月の新商品! 三歳から使える『立体お絵かきセット』三千五百メイズ! この八十枚入りの特製スケッチブックに付属の特製十二色のペンでお絵かきすると、描いたものがスケッチブックから抜け出して立体になるんです! スケッチブックは一度書いたらその紙はもう使えなくなってしまいますが、特製スケッチブックだけでも販売しております! 一冊二千メイズ! 特製ペンは一本から買い足せます! 一本二百メイズ! この商品の素敵ポイントは、スケッチブックを切り離して好きな大きさに繋げ、絵を描くと、描いた大きさのまま飛び出してくるところなのです! 親御さんへの安心設定として、描いたものは二十四時間で綺麗に消えてなくなります! 火や水を描いても、本物になるわけではなく、描いたままの姿で出てくるだけなので、不必要にお家を汚したりしません! さらに! さらに! もちろん、消えて欲しくない絵もありますよね? そういうときはコレ! こちらも新商品なのですが、『お絵かき保存スプレー』千二百メイズ! このスプレーをスケッチブックに吹き付けてからお絵かきすると、絵が飛び出した後も、元の絵は紙に残るのです! スケッチブック百二十枚分の容量が入っています!」
「まあ! 素敵! 買うわ! 娘用に三セット持ち帰りと、別で百セットをいつもの場所に配送お願いするわね。スプレーも同じ数もらうわ」
「ありがとうございます! すぐにご用意いたします! さぁさぁ、続きましては……」
(おいおいおい、紹介されるがまますべてをわたしに買い与えるのか⁉)
嬉しいけれど、途中から金額がわからなくなってきた。
欲しいものを告げる必要が無いようなので、ギフトはもうムートンの説明だけをひたすら聞くことにした。
何も言わなくてもどうせ買ってくれる。
このままではクソガキに育ってしまいそうだ。
はやく自分で稼げるようにならなくては。
三時間ほどめまぐるしく店内を巡り、ひととおり商品を見て、触って、楽しんで、ファージの物欲が落ち着いたところでお会計。
レジがエラーになった。
金額が大きすぎるため、店員が三人がかりでアナログな計算機と思われるもので計算している。
そして出された請求金額は末尾にゼロが多すぎるのでギフトの頭もエラーした。
もう、考えるのをやめた。
ここでびっくりしたのが、キールが全額現金で支払ったことだ。
キールはただのお金持ちだと思っていたが、もっとお金持ちだったらしい。
このままこの環境に居続けたら、金銭感覚の麻痺がそのうち病気として認定されてしまうのではないだろうか。
「庶民になりたい……」
ギフトは前の世界で口にしたら袋叩きに合いそうなぜいたくな悩みを持つことになった。
(あぁ、目の前にわたしがいるのに、あのふたりはわたし用のおもちゃを全部ラッピングするように頼んでる! 有料なのに!)
「ファージさん、キールさん、いつもごひいきにありがとうございます!」
「ひいきにせずにいられないすばらしいおもちゃを開発していらっしゃるんですもの。当然よ」
「そうですよ! 今日は念願だったご子息にも会えましたし!」
「息子もキールさんにお会いできてとても喜んでおりました! どうやらギフトちゃんと仲良くなりたいようでっ! 親のひいき目なしに、メイリーはきっといい男に成長しますのでぜひともご精査いただければと思います」
ムートンの輝く大きな目がわたしを捉えてさらに煌めいている。
「は、はい! メイルランスさんに気に入っていただけてとても光栄に思っています」
「あら、ギフト。せめて結婚は十八歳過ぎてからにしてよ? パパが寂しすぎて老けちゃうわ!」
「あぁ……、想像しただけで……」
「あの、パパ。わたし、まだ十歳ですから」
周囲から交際をかためられたしまった気分だ。
まだ恋なんてするつもりサラサラ無いが、有能なひとが知り合いにいるというのはとてもいいことだ。
つかずはなれず様子をみておこう。
もしかしたら好きになれるかもしれないし。
(はぁ、とにかく今日は疲れた)
楽し疲れした。
はやく帰ってひと眠りしたい。
出来ればおやつを食べた後に眠りたい。
紅茶も所望する。
あぁ、意識が遠のいていく。
フラフラするギフトを見かねてキールがおんぶをしてくれた。
キールの背中に慣れてしまったかもしれない。
ギフトは心地のいい揺れの中、ゆっくりと夢の中へと入って行った。