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第弐拾参集:誤解とドレス

 教室でせっせとアルバイトの申し込み用紙に記入しているのは、深緑色のデールにグレイッシュライトブルーのウムドゥ、そして黒いブーツを履いているおさげ姿のギフト。

 その隣でロイヤルブルーの旗袍(チーパオ)に白いパンツ、焦げ茶色のブーツを履いたポニーテールのホンロンが、ギフトと同じ場所へ配属されるようにチラチラと記入事項を盗み見ながら申込書に書き込んでいる。

 その様子を白いセーラーカラーがついた若葉色のワンピース、ヒールのあるワンストラップの黒いエナメルシューズでコーディネートしたツインテールのルルーディアが、新しいドレスのカタログを読みながら待っていた。

「わたしはやっぱり会場特殊効果係かなぁ……」

「それがいいと思うわ。それならギフトの長所と美点とセンスの良さが引き立つし、何より交代要員が多いから私と過ごせる時間もいっぱいとれるわよ」

「そ、そうだね」

「俺はなぁ……、兄上が見てるから会場特殊効果係はハードルが高い……。でも、ぎ、ギフトが一緒に練習してくれるなら頑張れるかも……」

 ホンロンはギフトの長いまつ毛が揺れる可愛い横顔を見ようとチラリと振り向いた。

 すると、ギフトもちょうどホンロンのことを見ていたので、ホンロンは心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。

「ぎ、ギフトさん⁉」

 ギフトはホンロンの手を両手で握りながら、目を爛々(らんらん)と輝かせて言った。

「いいね! 一緒に練習しよう! ママが玖寓(くぐう)さんをエスコートするって言ってたから、成長した姿を見せたいし!」

 ホンロンは顔を真っ赤にしながらふわふわとした気持ちと高鳴る胸に眩暈を起しそうだった。

 ルルーディアはその様子をとても恐ろしい形相を浮かべながら横目で見つつチッと舌打ちすると、ホンロンにだけ聞こえるように小声で告げた。

「ホンロン、もちろん私も練習には参加するわよ。浮かれないで」

 ルルーディアの目は本気だった。

「……ルルーはどうしてそんなに俺に厳しいの……」

 ホンロンはため息をつきながら、自身の初恋が前途多難だということを嘆いた。

 そんなことはつゆ知らず、ギフトはアルバイトの申し込み用紙に記入しながら、ふと、ルルーディアのことを見た。

(そういえばルルーは……)

 こういったことを疑問に思うのが、この世界では失礼なのかどうなのかわからず、ダンスのパートナーのことを知った時からずっと聞けずにいたのだ。

「あ、あのね……、ちょっと二人に聞きたいことがあって……」

「なぁにギフト?」

 ルルーディアは、いつもとは違い少し俯き加減なギフトが小動物に見えてキュンとした。

「ママもそうだけど、ルルーもさぁ……、その、同性に恋するひとでしょ? なんで好きな人……、というか、好きな性別の人と組まずに……、その、異性と組むの? この世界ってそういうの自由じゃないの?」

 ギフトはとてもセンシティブなことを聞いてしまったような気がして恐縮した。

 しかし、ルルーディアもホンロンも、ギフトが言っていることがよくわからないといったように小首をかしげた。

「あのね、ギフト。ダンスはお互いを高め合える相手と組むのが常識よ? 何でもかんでも好きな人とじゃなきゃいけないなんて、それこそ息が詰まっちゃう。素敵なダンスを披露して意中の子の視線を奪うのがいいんじゃない」

「そ、そうなの? でも、同性同士でも素敵じゃない?」

「それじゃこの世に二つの体型がある意味が無いじゃない? だから男女ペアなの。同性同士だと、見にきているいろんな王侯貴族の連中が体格や髪の質、瞳の輝きとかを比べるでしょ? でも性別が違えば比べようがないもの。男女で育ち方が違うのなんて当たり前なんだから」

「比べる……、でも、当人同士が愛し合ってて、お互いの良い部分がわかってれば、見ている人の意見なんて関係無い、とかじゃ無いの? それに、自分の好きな人が、例え相手が異性であっても、他の人と踊るって嫌な気持ちにならないの?」

 二人の会話を黙って聞いていたホンロンも、ギフトの質問に答えているルルーディアも、ギフトの考え方から、どうすればその誤解や前の世界の常識を変えてあげられるのかわからず、唸ってしまった。

「ううん、ギフトが元いた世界の考え方ってややこしいのねぇ。同性を愛することに対して偏見があるくせに、同性愛者が異性とダンスするとそれは違うって言ったり、ただダンスで身体が近付くだけで嫉妬したり……。この世界はもっと自由よ。男女でペアを組むのは、お互いの身体的特徴の違いで表現する『美』のためなのは当たり前だし、ダンスで身体が触れ合うのはもはや言いようがないわ。だって離れたまんまじゃ踊れないじゃない? ダンスは恋のために踊るんじゃないの。社交性を磨くために踊るのよ。まぁ、異性愛者やどっちもいける人が恋人と組んだり、下心ありで組もうとする人もいるけど、そんなの極少数ね。みんな自分とパートナーがダンスで表現する芸術性と美しさで意中の相手や周囲の人々の関心を惹き、瞳と心を奪うことが楽しいのよ。イチャイチャするのはその後で十分だもの」

「な、なるほど……。身体の形が違う異性と組むのは何も性愛云々じゃなくて、その対比が美しいからってことなのね」

「そうよ。男性の身体に生まれたけど女性の心を持っている人は、その頃にはとっくに適応手術で身も心も女性になっているからなんの問題もないのよ。逆もまた(しか)りね」

 ギフトが興奮気味に頭を上下に揺らし頷きながら聞いていると、ホンロンが思い出したように話し出した。

「あ、そうそう。あえてそのままの身体で学生最後の思い出を飾りたいって人もいるんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。適応手術の前に今現在の自分が出せる最大限のかっこよさとか美しさを思い出に残しておきたいって言う理由でね。兄上のご友人は女性の身体のままダンスパーティーに出るって言ってたよ。適応手術の段取りを終えてそのあとにタキシードを仕立てに行ったら、女性用のパンツドレスのカタログが置いてあったらしくて、薄い布を何枚も重ねた金魚みたいなロングテールジャケットと真っ白な細身のセンタープレスパンツ、鎖骨部分にあしらわれたレースがとんでもなく綺麗だったから、女性のままダンスすることにしたんだってさ。そのことを彼女さんに相談したら、実は彼女さんも一度でいいからドレス姿を見てみたかったらしくて、大賛成でダンスのパートナーを解消して、お互い新しい相手と組んだらしいよ。適応手術は卒業後に延期したんだってさ」

「何それとっても素敵な話!」

「ダンスパーティーの後にある学生だけの卒業パーティーで一緒に踊ったりして過ごせるから、ダンスのパートナーなんて自分と同じレベルで踊れる人なら正直誰でもいいのよ」

「わぁ、自由ってこういうことだよね、素敵」

「ギフトも早く慣れてね」

「うん!」

(ルルーが言う慣れとは……)

 ホンロンは、ニコニコしながらギフトを見つめているルルーディアの思惑には気づかなかったフリをしてあげることにした。

 どっちにしろ、ライバルは増えても減ることはなさそうだからだ。

 恋をすると、世界は何度も逆さまになる。

 その権利は、誰にだってあるはずだから。

「わたしはまだまだこの世界についてちゃんと理解してないことが多いなぁ……」

「いいのよ、だっていつだって私たちが教えてあげるもの」

「そうそう、ギフトには俺たちがついてるよ」

「うふふふふ」





 放課後、学院内にあるファージの研究室に立ち寄ったギフトは、あれこれと戸棚を開けながらファージが来客用に買ってあるお菓子を端から引っ張り出して応接セットで食べていた。

「ギフト、待たせてごめぇん。授業が長引いちゃって……、って、あらあんた、また高いお菓子ばっかり見つけたわねぇ? もぉ、どんだけ食べるつもりよ……」

モゴゴ(だって)ゴモゴ(お腹)モモモゴゴ(空いたんだもん)モゴゴモゴ(お茶ください)

「はぁ……。はいはい」

 ファージはため息をつき呆れながらも、嬉しそうにお茶を淹れてくれた。

 今日はアッサムのミルクティーだ。

「ねぇ、そういえば小忙しくてずっとうやむやにしてたけど、ギフトのお誕生日を決めましょう」

 ファージもギフトの向かいに座り、紅茶を手にしながらニコリと微笑んだ。

「……ふぁい?」

 ギフトは久しぶりにファージに対して「何言ってんだこの人」と思った。

「だから、お誕生日よ、お誕生日ぃ」

「え、十月三十一日ですけれども?」

「いやいやいや、違うわよ。それはあんたが前の世界で生きてた時の誕生日でしょ? わたしにリセットされたじゃない」

 ギフトはファージの言葉に思わず飲んでいた紅茶を吹き出した。

「ウェッ、ゴボホォ! ……り、リセット⁉ わたし、リセットされてんの⁉」

 驚き動揺するギフトを尻目に、ファージはさも当然でしょ、とでも言うように無視して話し続けた。

「どうしようかしらね~。攫ってきたのが冬だったから……、オトラーヴァ()の月の二十五日で良いかしら?」

 ファージの口から聞き慣れない言葉を聞いたギフトは、思わず挙手をして質問をした。

「はい、ママ。オトラーヴァってなんですか?」

「ああ! そういえば教えてなかったわね。あなたにはずっと前の世界での言い方で月を伝えていたから……」

 この世界では、一年を魔法の属性名がついた十二個の月で分けている。

 三月・初春…ライ()、三十一日間

 四月・春…ハワ()、三十日間

 五月・初夏…レイ()、三十一日間

 六月・夏…フォ()、三十日間

 七月・晩夏…チー()、三十一日間

 八月・秋…リンギョム()、三十一日間

 九月・秋…ソーリ()、三十日間

 十月・秋…アークァ()、三十一日間

 十一月・冬…ゾォダ()、三十日間

 十二月・冬…オトラーヴァ()、三十一日間

 一月・冬…カーミン()、三十一日間

 二月・冬…チマ()、二十八日間 (四年に一度二十九日間になる)

 一年はライ(三月)から始まり、チマ(二月)に終わる。

 大体の学校はソーリ(九月)から新年度で入学式や始業式が行われ、チー(七月)で卒業式や終業式が行われる。

 この王国には新年を祝う行事があるのだが、今年は昨年にミンシンの事件があったため、祝いの祭は自粛された。

「どう? わかったかしら?」

「ううむ、じゃぁわたしは知らない間に十一歳になっていたと言うことですか?」

「そうね、そうなるわね! 大丈夫よぉ、ちゃんと幼児化した時から身体の年齢はチェックしてあるから、今はバッチリ年齢と身体があってるはずよ」

「え、ズレてた時期があるの?」

 ギフトはサァーっと青ざめていくのを感じた。

「そりゃあるわよ。だって人を幼児化したの初めてだもん」

「初めてだもん、じゃないわ!」

「てへ!」

 ギフトは驚きのあまり大きな声が出てしまった。

 まさか自分の身体が日々調整されていたなどとは全く知らなかったし気づかなかったからだ。

 大人の魔法使いというものはこんなにもすごいのか、と、ギフトは改めて強くなる意志を固めた。

「子供って成長が早いから大変だったのよぉ? 可愛く健康に美しく育ってるんだからいいじゃない。ほら、今日は卒業パーティーのお手伝い用ドレスを選びに行くんでしょ! なんだっけ、ギフトはパンツドレスがいいんだっけ?」

「そうですー、ひらひらふわふわしたスカートだと動きづらいのでー」

「はいはいそうね。でもあなたまだ胸が真っ平らだから……、パンツドレスならレースとか色々工夫しなきゃね」

「……ま」

 ギフトの頭は真っ白になり、ファージの言葉が心に大いなる傷をつけて行く。

「なぁに?」

「ま……、ま、真っ平らですと⁉ ひどい! ひどすぎる! ひどい! ひどい!」

 ギフトは顔を真っ赤にしながら腕を猛烈に振り回し、ファージに全力で抗議した。

「何よぉ、本当のことでしょう? 大丈夫よ。エリドーラ姉さんは性格はあんなんだったけど、スタイルはよかったし、胸もそれなりにあったわよ」

「でも、母は前の世界ではそんなに胸部は大きくなかった気がしますけど……」

「それは魂の置換先の女の人が貧乳だったからじゃない? 姉さんはこっちの世界にいたときはそれなりに良い身体してたわよ」

「……ふぅん」

 ギフトの心に一筋の光がさした。

「まぁ、成長は人それぞれですもんね……。あ、わたしって来年度は二年生と六年生と授業受けるんですか?」

「そうね、六年生との授業は途中からだったから多分来年度も一緒に授業を受けることになるわね。でも節目節目に大学部への飛び級試験があるから受けちゃえばいいわよ。あ! そうそう、ギフトたち六人で夏休みアルバイトしない?」

「アルバイト?」

「そう、夏休み限定で学生も参加可能な悪霊討伐(ナイトライダー)のアルバイトよ」

悪霊討伐(ナイトライダー)……?」

 言葉の響きだけで言うと、とてもそそられる仕事だ。

「そう! 魂の置換に失敗して世界の狭間に追いやられた罪人たちの肥大した悪意の塊(悪霊)とか、自分や他人から成仏を邪魔するような呪術がかけられた霊魂がフォ(六月)になると活発になるのよ。『火』の精霊や悪魔たちが焚きつけちゃうのよねぇ、悪さしようぜって」

「それって一年生も参加していいやつなんですか? わたしは絶対参加したいですけど」

「あなたたちのレベルなら大丈夫よ。普通は三年生から参加するんだけどねぇ」

「へぇ、課外授業みたいなもんなんですかね?」

「そうそう。あと学生が参加できるアルバイトだと、五年生から参加可能な海中での遺跡発掘のアルバイトもあるわよ。これは十五歳からしか取れない遺跡関連の資格が必要だから、まだギフトは参加は出来ないんだけど、十五歳になったら是非参加してほしいわ」

「ほえぇ、楽しそう。海って言えば、海水浴みたいなのはするんですか?」

 海水浴、と言う言葉に、ファージは紅茶を飲んでいた手を止めてびっくりした。

「……死んじゃうわよ! この王国の海域は塩分濃度が四十二パーセントから四十八パーセントもあるのよ⁉ 生身で入ったら肌が荒れるわ! しかもフォ(六月)は夜から早朝にかけては気温が三十度前後だけど、朝から夕方にかけては五十一度から六十二度まで上がるの! そんな時間に外には出さないからね! 今まで通り屋敷内かどこか他の室内で過ごさせるわよ!」

「ヒェッ」

 そう、ギフトは学校に通い始めるまでは、ほとんどを屋敷の中だけで過ごしてきたのだ。

 メイルランスのおもちゃ屋があるあの街、トリブイスティに行くのも、ファージの許可が必要だったし、ルークの店がある職人街、シエンチアには、ファージと一緒に行くか、ルークが家に来て施術してくれることもあった。

 髪を染めるのも家でやってもらったことがある。

 花釣(はなつり)は街全体が過ごしやすいように魔法と錬金術で季節ごとに調節されているため、身体を壊すほどの気温を感じたことはない。

「も、もしや、わたしはまだ冬しかまともに感じたことがないのでは……?」

「いえ、冬もそんなに感じてないはずよ」

「で、でも、学院の競技場とか校舎の外は寒かったし……」

「あれでも調節されてるのよ。冬は冬らしく、夏は夏らしくね。厳しい気温にはならない程度に季節を感じられるように、花釣と同じシステムを使っているわ」

「ヒェ……」

「それに、わたしがあんたが苦しむような貧相な服でも着せると思ってんの? 高級なものにはそれなりの理由と機能があるのよ」

「ヒェ……」

 ギフトは日々ファージに守られていたのだと驚くとともに、自分の無知さに青ざめた。

 なんだったら、ちょっと落ち込んだ。

 一年生ながらに六年生と授業を受けている自分は、少なからず、すごい魔女なのではないか、と、最近自信がついていたところだったが、外気にすらまともに立ち向かっていない自分は、悪く言うと生温い環境で良い成績を出させてもらってたのだと気づいたのだ。

「わ、わたし、ちゃんと外気と向き合いたい! じゃなきゃちゃんと頑張ってるなんて言えない気がする!」

 ファージは、自分の娘が多少ズレた方向にやる気を出してしまったことに、呆れながら苦笑した。

「あのねぇ、魔法使いがその特性を生かさないなんて、それこそ馬鹿よ、大馬鹿者ね。冬に外で震えてる魔法使いとか魔女を見たことある? そんなやつがいたら笑われるわよ。自分の服や周囲の空気すら調整できないなんて役立たずで無能だ、ってね」

「お、おおお……、そういうことか……」

 ギフトはウンウンと深く頷きながら、ファージの言葉に感心した。

 今日もまた一つ賢くなった気がする。

「あんたって天然ではないけど、どこか抜けてるのよねぇ」

「いやいやぁ、この世界と前の世界の一般常識の差にまだちゃんとついていけてないだけですよ。慣れたら変な発言はしなくなります、多分」

「そうねぇ、そうなると良いわね。ふふふ」

 娘の健やかな成長を目にして、ファージはとても満足そうに微笑んだ。


 春の柔らかな空気に包まれた夕方の空を、ファージとギフトは箒に乗ってふわりと飛んでいた。

 ファージはいつもの(つや)やかな黒い柄が美しい蝶の銀細工がついた箒。

 ギフトのは、最近新調した朱色の漆塗りの柄に金で梅と(ウグイス)が描かれている雅な箒。

 今までに乗っていた箒は、六年生との三回目の魔法実戦で(おとり)に使った際に破壊されてしまったのだ。

 それはもう粉々で、欠片(かけら)というよりは(ちり)のようになって風に流れてしまい、錬金術での復元に必要な分量も集められなかった。

 ファージはギフトと一緒に出かける日は基本的にいつもニコニコしているのだが、今日は特にニコニコしている。

「ふふふ、でもまさか団体実戦二回目で勝つとはねぇ。ハンデでギフトのチームにツァンリィェンが大将に入ってたからもしかしたらとは思ってたけど、あんたは本当に強くなったわぁ」

「ふふふ、来年度は絶対に大将になって勝ってみせる!」

「あらあら、六年生は最高学年だけあって手強いわよぉ。それに、来年度はツゥイランが監督に来てくれるから余計に六年生は燃えるでしょうね」

「ああ……、ツゥイランちゃんの気を惹きたいもんね」

「そうそう。思春期のお子様達の関心ごとなんてそんなもんよ」

「わたしは違いますけどね!」

「あんたまだ十一歳でしょうが」

「今はね!」

「はいはい」

 楽しくおしゃべりしながら飛行すること十数分、二人はトリブイスティにある高級な仕立て屋の屋上に降り立った。

「さぁ、ここよぉ。屋敷の衣装部の子達もたまにここにお世話になってるのよ」

「へぇ、お勉強会みたいな感じですか?」

「そうそう、ここの主人は教えるのも上手なの」

 真っ黒な屋上から金色の手すりがついた優雅な黒い階段を三階分降りると、正面入り口にたどり着いた。

 これ以上深くなりようがないほどの黒い漆喰で塗られた外壁、真紅に彩られたマットな質感の板チョコレートのような入り口の扉がシックで格好いい建物だ。

 扉の右隣にある真四角の窓へとファージが手を振ると、受付カウンターの女性が笑顔で中から扉を開けてくれた。

「リリーベル様、お久しぶりでございます。すぐにイルンドを呼んで参りますので、お嬢様とカタログをご覧になって少々お待ちくださいませ。打ち合わせ用のお飲み物はいかがなさいますか?」

「ありがとう。温かい紅茶をいただけるかしら。二人とも同じもので結構よ」

「かしこまりました」

 ファージとギフトは、真っ黒な革張りのソファと赤い漆塗りのローテーブルが組まれた応接セットに案内され、腰を下ろした。

 店内は白い漆喰があえて緩やかな凹凸が残るように塗られており、外観とは違う柔らかさを感じるインテリアだった。

 床は艶々したフローリングで、焦げ茶色の飴が塗ってあるような煌き方をしている。

 乳白色のクリスタルで装飾された大きなシャンデリアは、大輪の百合の花が下がっているような優雅さがあり、店内に等間隔に配置されている真四角の窓に輝きを反射してとても綺麗だ。

「ママが好きな感じだね」

「でしょぉ? お店もセンスいいし、仕立ててくれるドレスもセンスいいし、イルンド本人もセンスがいいから、ここはわたしの心を掴んで離してくれないのぉ」

「へぇ」

 運ばれてきた青く香りのいい紅茶を飲みながらカタログを手にする。

 トレーには、ギフトが大好きなメーカーのクッキーも用意されている。

「これいいじゃなぁい」

「これも素敵です」

「あらぁ、迷っちゃうわねぇ。全部作りなさいよ」

「ちょっとっ、わたしはまだ成長期なんですよ! すぐ着られなくなっちゃうし、着ないまま終わっちゃうかもしれないのはもったいないです」

「それもそうねぇ。じゃぁ、デザインだけメモしておいてもらって、成長するたびに作ればいいわ」

「あぁ……、うん」

 もうファージのお金持ち発言には驚かなくなっているギフトだった。

 コツンコツンと、柔らかな革の靴がフローリングを踏む小気味いい音がする。

 音が一番近くなった時に顔を上げると、そこには人の良さそうな笑顔をたたえた若干小太りの男性が立っていた。

「ファージ様! お待たせいたしました。ギフト様、初めまして。イルンドと申します。本日は当店にドレスのお仕立てのご相談をいただき、ありがとうございます」

「お久しぶりね、イルンド」

「初めまして! ギフト=リリーベルです」

「元気がよろしくていらっしゃいますね。ファージ様は今日も素晴らしい着こなしです! そのダークパープルのマーメイドラインで仕立てられたロングワンピースがよくお似合いです。ギフト様の体型は……、少し細身ですね。女の子の中でも筋肉がつきやすい体質のようですねぇ……。そうするとパンツドレスなら太ももの部分は少しだけゆとりを持たせたほうが、しゃがんだ時にスムーズかもしれません」

 純白の立ち襟シャツに濃紺の一つボタンのベスト、チャコールグレーのセンタープレスパンツと黒い丸みのある革靴がとても素敵なイルンドは、首から下げた黄色いメジャーを浮遊魔法で座っているギフトのそばに添えながらアレコレと思案しはじめた。

 ギフトを見つめる赤い瞳と、サラリと揺れるロマンスグレーの髪が、危うくギフトのストライクゾーンに『おじ様』を入れ込むところだった。

 華奢な金色の丸眼鏡と口元のヒゲがキュートだ。

「た、立ち上がったほうがいいですか?」

「いえいえ、後十分くらいファージ様とカタログを見ながら楽しくお過ごしくださいね。私のことは空気だと思ってくださいまし」

「え、あ、はい……」

「ふふふ、相変わらずねぇ。さぁギフト、形は決まったからテールの長さと幅、透け感を選びましょう」

「はぁい」

 かっこいいおじ様に熱く見つめられ、ドキドキしながら胸元につけるレースを選んでいく。

 この世界の男性は全体的に物理的な距離感が近いような気がする。

 自身が女だから女性との距離感はだいたいわかるが、前の世界では男性とはもう少し距離をとって生活していたように思う。

 しかし、男性との距離が近いのは、今ギフトが子供だからかもしれない。

 思考や記憶が成人のまま身体が子供になったため、余計に大人の距離が近くに感じる。

 そういえば、以前の世界では、幼い子供と会話するとき、背の高さを合わせるようにしゃがんで近くで喋っていたような気がする。

(子供じゃないと見えない景色とか気付かないことって意外といっぱいあるんだなぁ)

「あらやだギフトぉ、口の周りにクッキーの粉つけちゃって。口は子供のサイズなんだから気をつけて食べなさいよねぇ」

「あ、えへへ」

 ギフトはファージから薄紫色のラベンダーの香りがする紙ナプキンを受け取ると、そっと口元を拭った。

「お待たせいたしました! ではお選びいただいた型と布、装飾品のビジューなどを合わせていきましょう! パンツの裾は当日履いていくお靴が決まりましたらその時に調節しましょうね。では、フィッティングルームへご案内いたします」

「はい! よろしくお願いします」

「お任せくださいギフト様」

 三人で店の奥にある部屋へと進んでいく。

 五角形に仕切られた壁に大きな鏡がはめ込まれたフィッティングルームに入ってからは、今まで見たこともないくらいの量の布やらレース、ビジュー、髪飾りなどがたくさん運ばれてきた。

 その全てをファージとイルンドに言われるがまま試着したり巻きつけたりくっつけたり持たされたりしながら、ギフトは物言わぬ人形状態になった。

「これも可愛いわぁ」

「いいですねぇ。ギフト様はなんでもお似合いになるから大変ですね。選びきれません! しかし、だからこそ私の腕の見せ所です!」

「ねぇねぇ、アレキサンドライトに合わせるならこっちの色だと思うんだけど、ギフトの瞳の色に合わせるならこっちよね?」

「そうですねぇ……、髪のお色の変更予定などありますか? もしそうなら瞳の色に合わせておいたほうがいいかもしれません」

「髪の色は大事よね! ギフト、どうする?」

「え、うご! え、あぁ……」

 ボーッとしながら無に徹していたギフトは、突然声をかけられて驚き、変な声が出た。

「髪の色かぁ……、もし変えるならアレキサンドライトとかアメジストみたいな濃いめの紫色かなぁ……。最近、アレキサンドライトの色を制覇しようかと思い始めています。赤とか、ママの瞳みたいな濃い桃色とか……」

「あらいいわねぇ。ギフトは全部似合いそう。じゃぁ今回は瞳の色に合わせておきましょう」

「はぁい」

 その後も一時間近くギフトは人形に徹していた。


「つ、疲れたぁ」

「よく頑張ったわねぇ」

 採寸や布、装飾品を合わせるのでグッタリしたギフトを乗せるために、ファージは絨毯を取り出し、それで帰宅することになった。

 ギフトは、空を優雅に飛ぶ濃い紫色に繊細な模様が金の糸で刺繍された絨毯の上で、ブランケットにくるまりながら寝転んでいた。

 ファージは温かいアールグレイに少し多めに砂糖を入れ、それをギフトのいた世界で購入した色あざやかなモロッカングラスで飲みながら、横たわるギフトの頭を優しく撫でた。

 ファージの絨毯は学生を乗せて飛ぶこともあるため、とても大判なサイズになっている。

ハワ(四月)の月は陽が落ちると涼しいというよりは寒いわね。しっかりブランケットを巻いておきなさい」

「むん、わたしにも紅茶ください。寝ながら飲める温度でストローを指すことを所望します」

「あんたって子は……」

 ファージはため息をつきながら紅茶を注いでいく。

 風にのって香ってくるベルガモットのいい匂いに、ギフトは目を瞑ってうっとりとした。

「はい、どうぞぉ。お砂糖は疲れた身体に染み渡る量にしてあるわ」

 硝子の綺麗なストローを吸いながら、その甘さを口と身体いっぱいに行き渡らせた。

「甘ぁい、美味しい、癒されるぅ」

「ねぇギフト、髪色どうする? パーティー直前は予約で埋まっちゃうから、変えるなら早いほうがいいわよぉ」

「あぁ、どうしようかなぁ。……どうしようかなぁ」

 ファージは一瞬止まったギフトの瞳の行き先を見逃さなかった。

 頬をうっすらとピンクに染める娘の変化に、ついニヤニヤしてしまう。

「メイルランスは何色でも好きって言ってくれるわよ」

「ブフォ!」

 ギフトは考えていたことをファージに見透かされ、吸う力がひゅっと強くなり、飲んでいた紅茶が気管支に入って思わず咳き込んだ。

「な、なぜそれを……」

「あんたねぇ、好きな人のために可愛くなりたいって気持ちは応援するけど、好きな人に好かれるために可愛くなるのはあんまりよろしくないと思うわよ」

「ええ、なんで?」

「あなたの可能性を狭めて欲しくないからよ。メイルランスの好みにばっかり合わせてたら、メイルランスの世界観の中でしか生きていけなくなっちゃうわよ? 恋にはそういう側面もあるかもしれないけど、わたしはギフトには愛を感じて欲しいの。お互いの良いところを尊重し合い、弱い面や悪い面を受け入れ合えるような、そんな関係性を築いて欲しいわ。愛っていうのは世界観を共有することじゃなくて、相手がこの世に生まれてきたという途方も無い奇跡を尊ぶことよ」

「……わかった」

「うふふ」

 ギフトはブランケットを身体に巻きつけたまま座り直し、火の魔法で少し温め直した紅茶を飲んだ。

 ファージとキールの関係性を見ているから、ファージが言った言葉にはとても説得力がある。

 二人はいつも自由に愛し合っている。

 月に一度の恋人デーや結婚記念日はあるけれど、他に変なルールはないし、特に過剰に一緒に過ごそうとしているようには見えない。

 家にいてもそれぞれの部屋で自分の研究や仕事の準備をしたり、同じ部屋にいても本を読んだりウトウトしたり。

 夜も必ず一緒に寝ているわけじゃなくて、お互いの仕事の時間がバラバラなときはそれぞれの部屋で寝ている。

 でも、起きる時間や寝る時間が違っても、まだ寝ている相手に寝る前と朝起きた時に必ずキスをしているのは知っている。

 それを目撃した時、いつもファージもキールも「内緒ね」って言う。

 お互いに内緒でキスしているのをお互いは知らないのだ。

「月並みですが……、理想の夫婦はパパとママですよ」

「あらまぁ! 嬉しいこと言ってくれるじゃないのぉ。来月の研究費用は二倍にしてあげちゃう!」

「いえぇい」

 ギフトは笑う。

 心から安心できる、この場所で。

 この先、どんなことが起ころうとも、ファージがいれば平気な気がした。

 きっと世界は逆さまになる。

 何度も、何度も、恋を経験するたびに。

 順応したって苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しい。

 終わってほしくないと願いながら、終点の見えない道をずっとひた走るようなもの。

 いつか現れるかもしれない。

 道に花を植え、木漏れ日の下で共に昼寝をし、月を見上げながら手を繋げるような人が。

 唐突に訪れる『愛』との対峙に、ギフトは耐えられるだろうか。

 自分に対して向けられる好意に気づくことはできても、それを心の底から受け入れられる保証はない。

 絶対に自分を裏切らないと思っていた家族が、紛い物だったからだ。

 ファージはそれを埋めようとするのではなく、全ての出来事を受け入れた上で愛してくれている。

 あまりに大きく、あたたかな愛。

 ギフトは葛藤している。

 もはや後戻りできないのだ。

 ファージやキール、そしてたくさんの友人たちから受け取る優しい気持ちを、今更手放すことなんてできない。

 だからこそ、強くなりたいのだ。

 命に代えても守れるように。

 そのために、どんな犠牲が出ようとも。


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