第弐集:魔女としての可能性
「満足した?」
「うぃ、マム」
スコーンを二十個ほどたいらげたところで、あきれ顔のファージから「そろそろ検査するわよ」と言われた。
わたしはこのとき全く気付かなかったが、どうやらファージは微笑んでいたらしい。
妖精たちが教えてくれた。
「ギフト、あなたそんなに食べちゃったらランチ食べられなくなっちゃうわよ? せっかく今日は一から製麺もスープも拵えたラーメンなのにぃ」
「え? わたし燃費悪いのでいくらでも食べられますよ」
「あら、もしかして食費がかかる系のお子様なの?」
「まぁ、そうですね」
「腕が鳴るわあ」
ファージは上機嫌だ。
料理についても教えてくれたらいいのに、と心の中で薄く思った。
いつか独り立ちしたら自分で作らなくてはならない。
前にいた世界では「もし、将来結婚することになっても、結婚式当日の朝まで実家に居座るから」と言っていたほどのめんどうくさがりだったため、実家で料理などしたことがない。
しかし、留学が決まり、致し方なしに管理栄養士である兄嫁に基本だけ叩き込まれた。
包丁で指を切るなんてベタな怪我は一度もしなかったが、ポテトチップスを作るときにスライサーで親指をザックリ削ってしまったことはある。
血まみれのポテトチップスは「揚げればいけるだろ!」と二番目の兄とその友人たちに食べさせた。
そんなレベルである。
「ファージさんは良い嫁? 良い婿? 良い伴侶になれますね」
「まぁ! そんな! あんた、褒めたってチャーシュー増やしてあげるだけだからね! お金はあげないわよ!」
「検査お願いしまーす」
ファージが喜び狂っているのが気持ち悪いので、殺意が増えた。
「ファージ様、ローブでございます」
ゴブリンが布を載せたラックを恭しくファージの前に運んできた。
「さぁ、あんたのためにわたしが仕立てた特製のローブよ!」
ファージが布を広げると、紺色の生地に見事な銀色の糸で刺繍された紋章が輝くフード付きのマント――ローブが現れた。
ローブは黒いシルクでパイピングが施されており、なによりもベルベットの生地がまるで夜空のようだった。
紋章には剣を持った二人の子供を載せた八咫烏が描かれており、その周りは緻密な模様が施された盾のようなもので囲まれている。
とても贅沢なローブだ。
「これ、わたしのなんですか?」
「そうよお。わたしの実家の家紋よ。あぁ、言ってなかったけど、わたし、明後日入籍するから」
「へぇ、それはおめで……、はい?」
聞きなれているような、聞きなれていないような、驚きの言葉がファージの口から放たれ、わたしの脳は一時停止した。
「あのね、言ってなかったけど、十二歳以下の子供を親の承諾なしに弟子にするのって違法なのよ。だからわたしは彼氏を晴れて婿に迎えて、あなたを養女として迎えるつもりなの」
一瞬、時が止まったように感じた。
養女だって?
わたしは自分の家族を皆殺しにした奴の娘になるのだそうだ。
お風呂場で見た映像が頭をよぎる。
日本のニュース番組は積極的に遺体の映像は使わないため、わたしの家族がどんな姿で発見されたのかはわからなかった。
でも、犯人は目の前にいる。
わたしの家族に最期をもたらし、永遠に時間を奪った魔女。
早く一人前の魔法使いになってこいつを殺そうと心に誓った。
幸か不幸か、わたしの表情筋は半分くらい死滅したらしい。
顔だけは冷静さを保つことができた。
「婿って、あー……、さっきの男娼さん……?」
「ちがうわよー! あれはつまみ食いでしょー? 何言ってるのよ! わたしの彼氏はちゃんと彼氏よ!」
「え、でも、浮気とか……」
どこまでクズなんだこいつ。
「あぁ、あんたのように純愛主義の異性愛者にはちょっと難しいかもしれないわねぇ。わたしたちカップルはつまみ食いはフリーなのよ。つまみ食いっていうのは、『二度は会わない』ってことよ。一回だけの関係。そしてそこには必ず金銭を発生させるの」
「なんで彼氏さんと、その、交わらないんですか?」
わたしの言葉に、一瞬、ファージが切ないような悲しいような、陰のある表情を浮かべた。
「それは……、彼のそういう対象が女性だからよ」
「え? でもファージさんと結婚するんですよね?」
ファージは深く息を吸い、遠くを見つめながらゆっくりと息を吐き出した。
わたしに向けた愁いを帯びた瞳は、ひどく美しかった。
「えっとねぇ、わたしは男のままで性的にも男が好きな性。彼は男のままで精神的には男を愛するけど、性的に興奮するのは女性だけ、っていう性。だから『子種を撒かない』っていう条件でそこらへんはフリーにしてるのよ。一緒に苦しんで苦しんで苦しみぬいて出した結論なの。彼はわたしといると、とても穏やかな気持ちでいられるんですって! ふふふ! それが一番大事なことよね」
少しだけ切なさに揺れる瞳と、桜色に染まる頬を、恥ずかしそうに両手で包んで微笑むファージ。
さっきわいた殺意を忘れそうになるほど、このときのファージは綺麗だと思ってしまった。
「じゃぁ、明後日わたしはパパに会えるんですね?」
ファージは驚いたようにわたしを見つめ、すぐに顔をそらした。
肩が震えている。
喜ばせてしまったみたいだけど、まぁ、今日はしょうがない。
ファージはハンカチで目元を拭ってからこちらに顔を向け、ニヤリとした。
「ふふふふふ。ギフト、あなたはこの世界でも有数の名家のご息女として扱われることになるでしょうね」
「へー、すごーい」
「気持ちがこもってないじゃない!」
「検査してくださーい」
名家だのなんだの、これ以上の衝撃をうけて検査に支障が出たら困る。
ささっとローブを羽織り、次はどうするんだという目をファージに向けた。
「まぁ、生意気! でもいいわ。わたしもはやくあなたの属性を知らなければならないし。庭でやるわよ!」
「いえす、マム」
わたしは用意されていたローファーを履き、硝子戸を開けて庭に出た。
庭に出たはずだった。
扉を開け、外に出た、と思ったら、そこは円柱状のだだっ広い空間だった。
灰色の石壁に覆われ、床は固そうな……、フローリング? とにかく、細長い木の板が無数に敷かれていた。
部屋の中には何もない。
「ほら、ギフト。なにぼさっとしてんのよ。これを右腕につけなさい」
「わぁ、派手な腕輪ですね」
幅の広い金の腕輪には、下地が見えないくらい大量の宝石がついていた。
宝石の大きさやカットは不揃いだが、隙間が無いようにきれいに収められている。
「この腕輪は魔力を増幅することができるのよ。あなたはまだひよっこ中のひよっこだから、いくら潜在能力が高くても、魔力の通り道が狭いの。検査ではちゃんと属性への働きかけを見なくちゃいけないから、こういう装備品でわざと大げさに魔法を使うのよ」
「なるほど」
「じゃぁ、検査のための魔導具を出すわね」
そう言うと、ファージは手を叩いた。
すると、さっきまでは無かったのに、ファージの右手には身長ほどもある長い杖が握られていた。
ファージの性格から考えると、ちょっと地味に見える杖だ。
こげ茶色の美しく整えられた木の柄に錫杖のような金色の輪と、その中央に青い丸い宝石が浮かんでいる杖。
その杖を、まったく先が見えないほど暗い天井に向かい、ファージが円を描くように回すと、ゆっくりと卵型の水晶が降りてきた。
初めはわからなかったが、近づくにつれ、それが三メートルほどもある透明な蕾だということに気が付いた。
「さぁ、ギフト。この花水晶に手を当てて順番に念じてごらんなさい。初めは『火』、次は『水』、『木』、『土』、『金』、『風』、『雷』、『気』、『毒』、『石』、『光』、『闇』というようにね。それぞれの属性を使っている自分を想像しながら念じると簡単よ」
わたしはさっそくやってみることにした。
実は少し楽しみにしていたのだ。
「まずは『火』……、うわああ!」
念じた直後、蕾が一斉に開き、その中央から五メートルもの火柱が上がったのだ。
炎はそのまま竜のようにうねり、花びらもろとも焼き尽くしてしまった。
顔が熱い。
炎の熱に煽られたというのもあるが、それとは明らかに違う、興奮が血液を駆け巡っていた。
本当に自分がやってのけた結果なのだろうか。
びっくりしたわたしは後ろに倒れそうになった。
ファージはよろめいたわたしを支えながら、満足そうに口角をあげ、瞳を輝かせた。
「いい、いいわ! さっそくわたしとは違う属性を持っていることが分かったし、さらに出力が桁違いね! ああああ、感じちゃう! こんなに優秀だなんて、わたしは本当に見る目があるわ! さぁ、どんどんやっちゃいましょう!」
クネクネと身を捩り悶えているファージはこの上なく気持ち悪かったが、自分に与えられた才能に心が躍っていたわたしには、もはやどうでもよかった。
花水晶はファージが杖でノックするとすぐに元の形にもどった。
わたしは興奮冷めやらぬままに、次々と魔法を使っていった。
『水』では開いた花びらから清らかな水が川のようにあふれ出し、『木』ではいくつもの花が咲きながら蔓が天井へと伸びてゆき、大樹へと変化した。
『土』では花水晶が肥大化し、七メートルの蕾になったと思ったら、ゆっくりと腐敗していった。
『金』では花びらが金、銀、白金、銅、真鍮、などの金属に変化した。
『風』では開いた花びらがブンブン揺れながら種をまき散らし、『雷』では膨らんだ蕾の中で電気がほとばしった。
『毒』では花びらは見るも無残に枯れはて、液体をまき散らしながら腐り、異様な香りを放った。
『石』では花びらすべてがダイヤモンドへと変化した。
『気』ではファージが事前に故意に傷つけた部分が綺麗に直り、強化された。
ここまでの成果を見れば、自分で言うのもなんだけれど、誰がどう評価してもわたしの検査は完璧であり、このままいけば、史上初の全属性保有の偉大な魔法使いになれるかも、と、さらに興奮した。
「次は『光』ね! もう、ここまできたら全種類使えちゃうのかしら! やだー! わたしすぐ殺されちゃう!」
ファージはもう立っていられないほど感じてしまったようで、杖で身体を支えながら床にへたりこんでいた。
わたしは自分の可能性に少し恐れにも似た感情を感じながらも、体中の魔法に語りかけるようにうんと力を込めた。
「……あれ?」
何も出ないし何も見えない。
「……あら?」
ファージが不思議そうに首を捻る。
わたしは再び力を込めるも、蕾は発光すらしない。
ためしに次の『闇』もためしてみたが、蕾はうんともすんともいわない。
「なるほどねぇ。そういう感じね。あなた本当に珍しい子ね」
「え、ど、どういうことですか? これはマズイ事態ですか?」
わたしは不安になった。
手足から熱が消えていく。
冷や汗というものを人生で初めて強く感じた。
『光』や『闇』と言ったら、なんとなく魔法使いには必須な項目なのではないだろうか。
それが使えないなんて……。
明らかに怯えているわたしを見つめながら、ファージはあっけらかんとした態度で微笑んだ。
「大丈夫よ、ギフト。あなたは近年まれに見る優秀で才能豊かで恵まれた存在よ。『光』や『闇』が使えなくたってそんなに困ることではないわ。『闇』が使えないっていうのは、呪うことが出来ないってことね。『光』が使えないっていうのは、呪いを跳ね返すことが出来ないってことよ。呪術なんて装身具でどうとでもできるわよ! あはは! 大丈夫!」
ファージの楽観的な声が霞むほど、わたしはとんでもなく不安になった。
呪えないのはともかくとして、呪いを跳ね返せないなんて、魔法使い、魔女としてポンコツなのではないのだろうか。
というか、イヒヒヒヒ、と不気味に笑いながら鍋をかき回し、どこぞの姫の一人や二人遠隔操作で殺せない魔女なんて、様式美に反している。
そんなイヒヒヒヒ系魔女がはびこっているであろう世界で呪いに対して耐性がないなんて……、生きていること自体が自殺行為な気がしてならない。
早急に『無』属性の友人を作らなくてはこの身が危ない。
しかし、そんなタイミング、いつ訪れるのだろうか。
今日は眠れなさそうだ。
「……と、ちょっと! ギフト、聞いてるの?」
「え? はい?」
「やっぱり上の空だったのね。そりゃ、ちょっとはショックを受ける出来事かもしれないけど、そんなに深刻な問題じゃないのよ?」
「だ、だって、わたしは属性的に呪いになんの対処も出来ないってことですよね?」
もうほぼ涙目だったわたしの背を、ファージが思いっきりはたいた。
「ぐぇえ!」
「何言ってるのよー! 呪いって言うのは自然発生するものじゃなくて、かならずその根元には人がいるのよ? それに、呪いにはそれなりの道具を必要とするわ。言いたいことわかる?」
頭の中でファージの言葉がぐるぐると巡る。
呪いにはそれを行う人がいて……、道具がいる……。
「ということは……。呪いをかけてきた奴を殺すか、道具を木っ端みじんにすればいいってことですか?」
「あら、バイオレンスなこと言うわね。まぁ、そうね、当たりよ。呪いは術者ありきで成り立つもの。おおもとを断ち切れば何の問題もないわ」
「うわあああぁぁ……、よかった……」
わたしは力が抜けて膝からパタリと床へお尻が落ちた。
ああ、心底安堵した。
途方もないほどの魔法が使えるのに、呪い一つで死ぬなんて恥ずかしすぎる。
「攻撃は最大の防御、か……」
「え? 何か言ったかしら?」
「いいえ、何も」
わたしは小声で決意を新たにした。
敵意をあらわにしてくる奴は先に倒してしまおう。
そう、固く心に留めた。
「はぁ、わたしもう腰も膝も諤々よ。ランチにしましょう。ランチを終えたら杖を買いに行きましょうね。それから一応呪い除けの装身具と、調剤道具一式に……。大変! いっぱい買うものがあるわ! 彼氏……、いえ、あなたの新しいパパを呼ぶわね! わたしのお古の道具でもいいんだけど、やっぱり最新の可愛い道具で練習したいじゃない? ギフトの場合、一つの属性を一か月で覚えてもらわなきゃいけないから、最初に全部道具は揃えちゃいましょうね!」
「一か月でひとつなんですか?」
「そうよお。平凡な魔法使いや魔女は一つの属性を覚えるのに半年もかかっちゃうんだから!」
「わぁ、巻きですね」
「そうよ! ギフトは巻いて巻いて巻きまくるの! 来年の今頃には多属性魔法も使えるようになっているはずよ。急がなきゃ!」
「じゃぁ、わたしの出荷は来年の今頃ってことですか?」
「……ちっがうわよ! そのへんはまたおいおい話すから、今はとにかく出来立てのラーメンを楽しみにしてらっしゃい! ちゃんと手洗ってうがいしてから食堂に来るのよ!」
「はーい」
ファージは家の中へと戻ると、できうる限りの素早さでゴブリンたちとキッチンへ走っていった。
わたしは扉の外で待っていてくれた妖精たちに案内されて洗面所へ向かった。
「なんとまぁ、洗面所に何人入れるつもりだよ……」
飽きれるほどの広さ、そして謎の彫刻の数々。
「わぁ……こっちにも裸像、そっちにも裸像、あっちにも裸像。裸体ばっかりだ」
白亜の像とはいえ、こんなにも裸体の男性に囲まれたことなどなかったし、きっとこれからもないだろう。
……意外と小さいんだなぁと思った。
あ、いや、何を見て思ったのかの報告は控えますね。
「これからはなるべく自分の部屋の洗面所を使おう……」
わたしはまたもや心に誓うことが増えてしまった。
妖精たちも照れてしまったようで、せかすようにわたしの腕をひっぱっている。
手荒いうがいを済ませてから洗面所を出て、濃いピンク色の絨毯が敷き詰められた廊下に出たとたん、とんでもなく良い匂いがしてきた。
「こ、これは!」
わたしは妖精たちと共にその匂いのする方へと足を進めた。
香しい、とても胃をくすぐる贅沢な匂い。
すでに美味しい、と言っても過言ではない。
前の世界でもラーメンは魅惑の食べ物だったが、まさかこちらでこんなにも早く出会えるとは。
食欲が脳を満たす感覚がした。
もう、他のことは考えられなかった。
片方だけ開けられた大きくて高い扉。
長く美しいテーブルには、白いクロスがかけられており、二席分のランチマットが敷かれていた。
赤いランチマットの上には銀色に輝くウサギの形をした箸置き。
そして美しい白い陶器に曼殊沙華が描かれたレンゲに、黒く艶のあるスラっとした箸。
テーブルメイキングまで完璧にしてくるとは。
おそるべし、ファージの主婦力。
わたしは席につき、部屋中に漂う匂いを満喫した。
そこへ、シェフのコスプレをしたファージが、今、やってきた。
「お待たせいたしました」
お盆からわたしの目の前へと移されたそれは、もはや神の所業と言わざるを得ないほどの完成度を誇っていた。
薄く、でも黄金色に輝く透き通ったスープ。
見た目から歯ごたえが伝わってくるメンマに、涼やかな風のように折り重なる白髪ネギ。
そして、絶えず透明なうまみを放出し続ける美術品のようなチャーシューは、視界に入っているだけで尊い。
「ちょっと、ギフト。伸びちゃうから早く食べなさいよ」
「まだ麺への考察が済んでいません」
「そんなもん、食べてから感じなさいよ! 変な子ねぇ」
「はぁ、じゃぁ、いっただっきまーす」
「はい、どうぞ」
もうアレコレ考えるのをやめ、ラーメンに集中することにした。
わたしは無言で食べ続けた。
感想はあとで言ってあげよう。
これは例え世界を滅ぼす魔王が作ったとしても褒められるべき逸品だ。
わたしは心の中で小躍りした。
「あんた、本当によく食べる子ねー! 五杯よ、五杯! スープまで飲んじゃって! なんて作り甲斐のある子なのかしら」
「お褒めにあずかり光栄です」
「動けるの? 満腹で眠いんじゃないでしょうねぇ? これから本当に大量の買い物をしなくちゃならないのよ?」
「大丈夫です。一時間もすればまた小腹がすきますので」
「ギフトには携帯食料でも持たせようかしら……」
食後の余韻を楽しんでいた、そのとき、屋敷の外から地面が揺れるほどの大声が大砲のように響いてきた。
「ファーーーージーーーー!」
呼ばれたファージは脱兎のごとく窓に駆け寄り、めいっぱい開いて叫んだ。
窓の端が壁に当たり、バンっという大きな音がした。
「キーーールーーー!」
すると、ササっとゴブリンがこちらに近づいてきて、何やら助言をくれた。
「ギフトお嬢様、奥様方はああしてひととおりの愛の言葉のセッションを毎回しております。しばらくはあのままだと思います。先に外出のお仕度をしましょう」
わたしはゴブリンたちに促されるまま席を立ち、廊下に出た。
「わたしのパパになるひとって、ミュージカル系なんですか?」
この世界にも俳優という職業があるのだろうか。
「あー……、えっと、国境無き魔法魔術医師団の副団長様です」
「えっ、ほ、本当に?」
俳優じゃなかった。
予想外にもほどがある。
「はい、本当でございます。優秀な方ですよ? 最年少入団記録を塗り替えた方ですし、何より、見る目がおありです」
「見る目って……、ファージさんを選んだことについて?」
「左様です」
「ふへぇ」
「では、ギフトお嬢様、お部屋へ参りましょう。本日はお買い物ですし、お外は寒うございますので、ロングボトムにしましょうね。お色味はどのようなものがお好みですか?」
「あぁ、じゃぁ、秋っぽい色がいいです」
「かしこまりました」
ファージはたしかに優しいし、従業員のみなさんに強く言っている姿も今のところは見たことがない。
でも、わたしは家族を失った。
兄嫁のお腹には新しい命だって宿っていたのに。
生まれることなく死んでしまった。
その原因はファージであることに変わりはないし、どんなに良い環境を用意されたって、わたしの家族の命に報いるには到底足りない。
優しくされるたびに、自分の身体を掻き毟りたくなる。
なぜわたしだけ生きているのか。
憎しみの感情だけでは言い表せない何かが、頭の中でピンっと音を立てて張り詰めたような気がした。
わたしが真顔で自室の前に突っ立っているのを心配した妖精たちは、そっと頬を撫でてくれた。
そしてわらわらと十名ほどの妖精たちが集合したかと思ったら、一斉に子供の手のひらほどの紙を開いて見せてくれた。
「これは……、移籍証明書?」
妖精たちは「ココを見て!」と言わんばかりに、わたしの目の前でぴょんぴょんと踊りだした。
「えっと、所属召喚者……、『ギフト=リリーベル』。わたしに苗字があったっていうのも今知ったけど、みんな、わたしの妖精になってくれたの? ありがとう! とても嬉しい!」
わたしが抱きしめようと腕を広げると、いっせいに妖精たちが胸に飛び込んできた。
華やかでさわやかな、とても心地のいい香りがする。
「みんなも一緒にお買い物行こう!」
妖精たちは嬉しくてたまらないという様子でわたしの髪にもぐったり、肩に座ったりを繰り返した。
わたしの上半身は暴風雨にでもあったかのようになってしまった。
そのまま部屋にあらわれたもんだから、わたしの支度の準備をしてくれていたゴブリンたちが慌てて駆け寄ってきた。
「な、なにかあったのですか!?」
「あ、ちがうんです。妖精たちと遊んでいたらこんなことに……。ごめんなさい」
「あぁ、いいのですよ。無事ならなんでも。ふぅ、びっくりしました」
ちょっと迷惑をかけてしまったので、大人しく素早く用意してもらった外出着に着替えた。
ロイヤルブルーのゆったりとしたブラウスに細い黒いリボン、こげ茶色のツイード生地の厚手のスーツのセットアップ。
どうやらこのお屋敷のみなさんはクラシカルな恰好が好きらしい。
可愛いメイド服を着た背の高いゴブリン? オーガ? 鬼? とにかく角の生えた綺麗なお姉さんが髪を結ってくれた。
いつの間にか部屋に設置されていた鏡台は、なんとも重厚感ある艶々の木でできており、引き出しが八個もついているが、きっとわたしは使いこなせない。
「ギフトお嬢様、本日はギブソンタックにおリボンでよろしいでしょうか?」
「は、はい」
ギブソンタックがなんだかわからないが、メイドさんがこの服に合うと判断した髪型なら文句はない。
自分一人だったらきっと適当にポニーテールか三つ編みで終わらせていただろう。
「ギフトお嬢様は髪が長くていらっしゃいますね。毛先が少し痛んでおりますので、本日ご帰宅なさったら整えましょうね」
「は、はい」
「ふふふ。申し遅れました。わたくしは本日よりギフトお嬢様専属のメイドに仰せつかりました、カノンでございます。御屋敷全体では、メイド長補佐をしております。種族はオーガ――赤肌大型鬼人族でございます。よろしくお願いいたします。いつでも何なりとお申し付けください」
専属の……、メイド!?
「ふぁー! もう、ついていけない! わたし、お嬢様なんて呼んでいただけるほどの器量も気品も何もないんです! こんな小娘にそんな丁寧に接していただかなくて、本当に、大丈夫ですから!」
「うふふふふ」
部屋にいた灰肌小型鬼人族や赤肌大型鬼人族たちがこらえきれなかったのか、笑いだしてしまった。
「えっと……」
「申し訳ありません、ギフトお嬢様。ただ、あまりにもお可愛いことを申されるので、つい……、ふふふふふ」
「ギフトお嬢様、そのままで十分なのですよ。我々は喜んで仕えているのですから、この楽しい仕事を奪うようなことは仰らないでください」
「ふふふ、そうですよ」
「ファージ様は本当に見る目がおありだ」
「すぐ慣れますわ。この世界に階級制度があることはファージ様からお聞きになっていることと存じます。わたくしたちは皆、本来は下から二番目である奴隷階級出身なのです。ファージ様はわたくしたちすべての身分を買い取り、平民の階級をくださいました。ただそれだけで、もう、毎日が美しく、幸せなのです。なので、ぜひ、身の回りのお世話をさせていただきたいのです。心を込めて、アイロンがけや食器を洗っていると、ふと、胸のあたりがあたたかくなるのです」
「それに、今まではファージ様の大人のお洋服ばかりでしたが、今はギフトお嬢様の小さな可愛い、今の時期しか着られないお洋服をお仕立てするのが楽しくてたまりません!」
「そうそう、この間はフリルの形をちょっと工夫しましてね……」
「わたくしはリボンの素材を新しく……」
わたしは目の前で繰り広げられる穏やかで幸せに満ちた光景が、まるで絵画のように他人事に思えた。
わたしから家族を奪ったのはファージなのに、ファージは百人を超える奴隷階級の人々を救ったらしい。
今自分に流れているこの感情は何なのだろうかと、余計に怖くなってしまった。
はやく殺してしまいたい。
ファージも、わたしも。
ミュージカル的ラブコール合戦をしていた二人の支度が整い、玄関で待っているというので、わたしはしぶしぶそちらへ向かった。
なんとなく足取りが重い。
理由は様々あるが、今はよくわからない。
廊下を進むと、何かこんもりしたものが見えてきた。
「……なにあいつ。布の量、多くない?」
遠目からファージが見えた、気がする、が、布がわさわさしている。
あぁ、余計に近寄りたくない。
カノンさんが背中をそっと押してくれるから、まぁ、行くしかないんだけれども。
意を決して顔をあげ、前を見ると、ファージと目があった。
ズキン、ズキンと、感じたくない感情が胸を叩いた。
わたしはたじろいだ。
ファージの瞳から伝わったものが、信じられなかったからだ。
一瞬潤んだ彼女の瞳が、わたしの心を強く押すように、足元がよろめいた。
悟られないよう、わたしは強く地面を踏みしめた。
「んんまあああ! 可愛いじゃない!」
「ファージさんは巨大ですね」
「はっはっは! 大きいところが最高にセクシーなんだよギフトちゃん」
頭上から優しげな香りとともに降ってきた影と声に、肩がビクッとなる。
「え、あ、あの、はじめまして……」
キール、とファージに呼ばれていたこのひとは、声から想像したよりも二回り位大きかった。
深緑色のベルベットのセットアップスーツに、白いシャツと銀細工のボウタイ。
ハンカチーフはやわらかな桜色。
胸板の厚さはどんなに厚着をしてもきっとわかるだろう。
とにかく、良いひとっぽいガチムチなお兄さんだ。
「うふふ! キール、わたしたちの娘よ。ギフト、あなたのパパよ!」
「パパだぞ! ははははは! いきなり可愛い娘ができるなんて、神はどれだけ俺たちを祝福すれば気が済むんだ!」
熱い……、熱い人だ。
お願いだからそのテンションで抱きしめないで欲しい、と切に願ったが、まったく神は聞き入れてくれなかったようだ。
一瞬で抱き上げられ、肩に乗せられた。
こんなこと、前の世界でもやってもらったことはない。
というか、標準の体形の男性じゃぁ、無理だ。
ガチムチ怖い。
「ギフト! どんなことでもしてやるからな! 肩車でも、片手乗りでも、全力高い高いでも……」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなことされたら死にます。いろいろ死にます」
「何⁉ じゃぁ、ずっとおんぶしていような! 全力で守る!」
「ちがっ……、そうじゃない……」
「あはははははははは!」
話が通じねぇえ!
ファージもおしとやかに微笑んでないで助けろよ!
だいたいなんだそのロングドレスは!
買い物でしょうが!
裾邪魔でしょ!
わたしだけだよTPOをわきまえているのは!
殺意が一億くらい増えたわ!
「もう、お買い物、カノンさんと行きたい……」
「うふふ、光栄です」
お見送りに出てきてくれたメイドさんや執事の皆様に見送られ、わたしは……、おそらくわたしのために用意されたのだろう大量のぬいぐるみで飾られた騒々しい車に乗せられた。
運転しながらキールが話しかけてきた。
「ギフト、改めて自己紹介だ! 俺の名前はキール=コーラル=ホリー。しかーし! 明後日からはキール=コーラル=リリーベルだ! あっはっはっはっは!」
「あ、あはは」
「俺の仕事は国境無き魔法魔術医師団で、主に紛争地域での救護活動をしている。こんなんでも一応副団長なんだぞー! おとといまでセントアヴェンナ郊外に行ってたんだ。ギフトはまだこの世界の地理や歴史はよく知らないんだよな? 俺がいっぱい教えてあげるからな!」
「ふぁっ、はい」
どうしよう、ものすごく良い人っぽい。
良い人そうだとは思ったけれども、たぶん、本当に良い人だ。
ファージはさっきから今日行く予定のお店と、効率的にお買い物を済ませるプランを真剣に考えているらしく、助手席でずっと地図に何やら書きこんでいる。
あぁ、なぜこういうときにそのおしゃべりマシンガンを発揮してくれないんだ。
「ギフトにはまだ洗礼名が無いんだよな?」
「せ、洗礼名、ですか?」
「そう、洗礼名!」
「なにか、宗教に入らなければならないのでしょうか……」
「いやぁ、魔女の場合は違うよ! 二つ名みたいなものだね。ファージだったら『雹血』って感じの」
「あぁ、かっこいいやつですね」
「あはははは! そう、そう、かっこいいやつ! ファージのはあだ名のようなものだけど、魔女の洗礼名は公的文書にも使うから、名を与えられたらすぐに銀行口座とか保険証とか名前の変更に行かなきゃだめだぞ? 魔女はそういうのが面倒だから婿をとるひとが多いんだ。人生で何度も名前を変える手続きなんてやってられないもんなぁ」
「たしかに……。キー……、ぱ、パパのコーラルっていうのは洗礼名なんですか?」
「お、おおおお……、聞いたかファージ! 今、ギフトがパパって言ったぞ! パパって!」
「聞いてたわよお。でもちょっと待っててね。あとで一緒に喜ぶから。ディナーの場所がまだ決まらないの」
「オッケー、ハニー! ぷふふ、パパだってさ! 録音したい!」
「あの、その、洗礼名……」
「あぁ、そうだった、そうだった。コーラルは俺のじいさんの名前だ! 魔法使いは洗礼名はいらないんだよ。魔女だけさ」
「え? なんで魔女だけなんですか?」
「うーん、どう言ったらいいか……。この世界では、〈魔女〉っていうのはひとつの医学的な情報としてカウントされるんだ。血液型みたいなね。元が何の種族であれ、魔法を専門に学び、実際にそれを使って仕事をする女性は〈魔女〉として登録されるんだよ」
「へぇ」
「差別ではないんだよ。これは、うーん、その、〈魔女〉っていうのは強いんだ。魔法使いなんかよりもずっと強い。女性の身体には子宮があるだろう? 血をため、生命を育む力があるんだ。それがどこまで関係しているのかはまだ解明されてないんだが、どうやら魔力をためる力もそれと同じで発達するらしい。通常、魔法使いなら三人必要な魔法も、〈魔女〉ならたった一人で行えたりする。だからこそ、どんなに異性に変身しようと、洗礼名で〈魔女〉だと分かる仕組みにしているんだ」
「ほえー、なるほど」
「だから厳密にはファージは魔法使いだし、俺も魔法使い。でも種族は〈魔女族〉って感じかな」
たぶんいろいろはしょって説明してくれているんだろう。
でも、大方納得した。
魔女で『闇』の属性を持つ子には関わらないでおこうと決めた。
強くて呪い上手ってもはや魔王でしょ。
なんとかパパと楽しく会話が出来ているうちに目的の街に到着したようだ。
すでに色々と疲労が溜まってはいるが、わたしのものを買うためだと思うと、やはり好奇心が勝ってしまう。
そう、さっきからすでに見えているのだ。
空を飛ぶ魔法使いたちが!
わたしは車を降りると大きく息を吸い込んだ。
さぁ、魔女になる支度をはじめようではないか。
そしてわたしの、〈ギフト〉の人生も。