凄さを実感できました~モッちゃんの体験搭乗レポ(4/4)
楽しくて仕方なかった夢のような時間もあとわずか。いよいよ着陸態勢に!
機体は今度こそ滑走路に向かって高度を落としていく。そっと添えた指の下では操縦桿が小刻みに動いている。スロットルも引かれてパワーが微妙に調節される。でも、単に外を眺めているだけならそんな操作にまったく気づかないほど安定した降下。地面が一瞬ごとに近づいて。畑を越し、県道を越し、池を越し、林を越し、外柵を越し、滑走路の端を越し――地上を走る機体の影がみるみる大きくなって――そして、F-15は意外なほど穏やかに、滑り込むように接地した。
ふーっ……。
思わず大きな息が出て、そんな自分がおかしくなった。空での一瞬一瞬が踊り出したくなるほど楽しかったのに、実は無意識に緊張してもいたみたい。
「着陸、怖かった?」
アディーさんの心配そうな声が届く。
「いえいえ! むしろ何の不安もなかったです! 何て言うか……地面と繋がっている安心感を再確認したというか。やっぱり私は飛ばない側の人間みたいです」
そう答えると、アディーさんはふふっと笑った。
「飛ぶ側でも、地上に降りる度にほっとするよ。『今回も無事に戻ってこられた』ってね」
穏やかな口調からしみじみとした実感が伝わってくる。
確かに、幾度となく空へ向かい、操縦桿を握る重責を担うからこそ、フライトを着陸で締めくくることができた安堵は誰よりも大きいのかもしれない。
ゆるゆると駐機場へと向かうF-15に揺られながら、硬い座席に背中を預けて空を見上げる。
ついさっきまでは確かにあそこにいたはずなのに。今はまた、あんなに遠い。手で触れそうなほど近くにあった雲は、知らん顔で彼方の高みに浮かんでいる。
やっぱり空は、自分にとっては非日常で、遥かに遠くて、地上から見上げるものだ。
大多数の人が夢で終わらせてしまう憧れを実現させ、翼をつかみ取った人たちはいったいどんな人なんだろう――そんな好奇心もあって希望した、飛行管理という仕事。
実際、305飛行隊に着任してみれば、意外にみんなごく普通だった。おちゃらけて、下ネタなんかも好きで、酒飲みで、たまに羽目を外して大騒ぎ。でも、やるとなったらやる人たち。彼らの努力する姿に、「私も頑張ろう!」とポジティブなパワーを貰える。そんな人たちと一緒に仕事ができるのが、私はとても嬉しい……。
空を見上げてぼんやり思いにふけっているうち、気がつけばもう列線に戻っていた。停まった機体の両側から、整備員が輪留めを手に翼の下に入ってゆく。「キャノピー開けるよ」というアディーさんの声に続いて、頭上の天蓋がゆっくりと持ち上がった。甲高いエンジン音が急に大きく伝わってくる。
計器盤に向かって手元を動かしていたアディーさんが、今度は下にいる整備員に顔を向けた。首のあたりで両手をさっと動かす。
「はい、エンジンカット」
一気に掠れた高音がすぼんでいった。F-15は上空で暴れまわったことなんか忘れたように、すっかり静かに、大人しくなった。
「モッちゃん、もうハーネスを外していいよ」
慣れない装具を整備の人の手も借りて外し、座席から立ち上がる。雑多な計器に囲まれたメカニックな空間から抜け出すと、解放感に思わず深呼吸した。排気のにおいが混じる、そんな風も心地いい。上空での興奮がまだ残っているのかも。全身ぐったりなのに、頭は妙にふわふわしてる。
いやぁ、本当に凄い経験をしちゃった。これまでの人生で一番アドレナリンが出たかも。
「降りる際には気をつけて。踏み外さないようにね」
前席で待つアディーさんに見守られ、「よいしょ」とコクピットの縁を跨ぐ。後ろ向きでステップに足を掛けた――つもりが。
たぶん、一段飛ばしたみたいで。
体がズルっと……。
あ、落ちる。
1秒後の自分を変に冷静に認識した時――ガシッ!と襟首をつかまれた。
ぐえぇっ! 首が締まって慌てて手すりに縋る。見上げると、めいっぱい身を乗り出したアディーさんが必死の形相で私の襟を鷲づかみにしていた。
「モッちゃん! 地上に降りてから怪我したなんていうのは頼むから勘弁して! せっかく何事もなくフライトを終えたんだから」
切実な言葉にひたすら恐縮しながら、今度こそ慎重に梯子を降りた。
改めてF-15の巨大な機体を見上げてみる。私、本当にこれで空に昇ったんだなぁ……夢のような時間だったぁ……。
「モッちゃん、体験搭乗どうだったよ――って、大丈夫? 生気抜けてない?」
リバーさんとともにやってきたイナゾーさんが、私を見るなりびっくりしたように声を上げた。確かに、まだ上の空でぽわぁっとしているかも。
「いやぁ……興奮しすぎて、今日一日分のエネルギーを全部上空で放出しちゃったみたいです。でも、ほんとにいい経験をさせてもらいました。一生の思い出です!」
整備記録簿にサインをしていたアディーさんが、マスク跡の残る顔におどけた笑みを見せた。
「俺もエスコートのいい予行練習になったよ。普通の人は酸素マスクの装着方法を知らないっていうことと、絶叫が凄いっていう予備知識を得られたからね。あと、降りる時も気をつけていなくちゃいけないってことも」
うっ……舞いあがってところどころでやらかしてしまったのが恥ずかしい。「まあ、何でも慣れてないと分からないもんだよなぁ」と笑顔でフォローしてくれたのはリバーさん。
「それにしても……パイロットの皆さんは本当に凄いんだって実感しました。あんなに色々な手順をこなして離陸して、その後さらに格闘戦だとか要撃だとか! しかもそんな訓練を毎日2回も3回もなんて――皆さんがとてつもないスーパーマンに見えてきました」
心の底から感嘆して言うと、アディーさんが穏やかに笑った。
「フライトは毎日の仕事だから日常になってしまっているけど、他の人たちにとってはやっぱり特別なことなんだろうね。でも、地上職のみんながそれぞれの役割をきっちり果たしてくれるからこそ、俺たちも何の不安もなく空へ上がっていける――改めて身が引き締まる思いがするよ。ということで、モッちゃん、これからもよろしくお願いします」
アディーさんに敬礼を向けられ、私もしゃきっと背筋を伸ばした。3人のパイロットに最大限の尊敬を込めて敬礼する。
「こちらこそ! 運航に携わるひとりとして、今後も精一杯自分の責務を果たしていこうと思います。今日は貴重な機会をいただきありがとうございました!」
今回体験したことは、戦闘機乗りの日常からしたらほんの僅かな一部分。本来はもっとずっと厳しくて、遥かに過酷で、妥協のない世界。
そんな世界で文字どおり命を張る彼らが滞りなく空へと向かい、フライトに集中できるように、細かいところまで気を配りサポートするのが私の仕事。その中で、願うことはいつだって同じ――「全員無事で。安全に」
日々、滑走路を飛び立つ彼らを窓越しに見送る。飛行管理員として、何か作業をしていても、電話応対をしていても、彼らが空にいる間は緊急事態の発出に備えて常に片耳は無線交信に向けている。訓練や任務を終え、帰投してきた機が滑走路に降り立つごとに、管制塔から着陸時刻が伝えられる。それを逐一現況ボードに書き込んでいき、最後の空欄を埋めて初めてほっとする。髪を汗で乱し、頬にマスクの跡をつけ、激しい訓練を窺わせる険しい眼差しでパイロットたちが戻ってくると、そのひとりひとりの姿を確認してフライトが無事済んだことに胸をなでおろす。
ほんの微力でしかないけれど、自分もそうやって彼らの世界に関わっている。刺激的で、緊張感があって、やりがいがある仕事。
明日からもまた、頑張ろう!
「――さてと」
敬礼を解いたイナゾーさんが、ニンマリと手の中のビデオカメラを見やった。
「記録ビデオ、いい画がバッチリ撮れたことだし、後でBGMつけて編集してあげるから!」
「えっ!? それ、今回のフライトの趣旨から完全に外れてません?」
「いいからいいから! せっかくなんだし任せといて! で、もちろんこの後は飛行班のみんな集めてビデオ鑑賞会だよな!」
「うわっ! ちょっとそれは勘弁してください!」
「おい! また余計なことを……!」
ウキウキと足どり軽く飛行隊に駆け戻っていくイナゾーさんと、上映会だけは阻止しようと追いかけるアディーさんと、二人の様子に笑い声をあげるリバーさんと。
最初から最後まで大騒ぎだった体験搭乗、人生最高の思い出となりました!