凄さを実感できました~モッちゃんの体験搭乗レポ(3/4)
戦闘開始の合図とほぼ同時、一気に右に傾いたと思った瞬間。
「ううう……!!」
体が座席に押しつけられる! 全身が重い! 普通に前を向きたいだけなのに、ちょっとでも気を抜けば頭ががくっと落ちちゃいそう。腕すら上がらない。ひたすら置物のように固まって座っているのが精いっぱい。それなのに前席のアディーさんはキャノピーに手を突っ張り、体をねじって対抗機の姿を追っている。同じGを受けているはずなのに!!
フッ……クッ! フッ……クッ!
スピーカーから圧し詰めた息遣いが聞こえてくる。話には聞いていた、高G機動時の呼吸法。腹筋を使って全力でいきみ、Gを受けて下半身に落ちてくる血を頭まで押し上げる。息を吸う時は一瞬で。そうじゃないとあっという間に失神――航空生理訓練の時にそう説明を受けたけど、いつも訓練しているイナゾーさんでさえ実際それで墜ちかけたっていうから。
フック! フックッ!! とにかく必死に息を詰める。きっともう二度とないこの機会、呑気にブラックアウトなんかしてられない!
コクピットの中に鳴り響く色々な音声や警報音が騒がしい。ついさっきまでののんびり優雅な空中散歩とは訳が違う。本気を出したF-15は、間違いなく戦闘機だ……!
ふと圧が抜けた。ほっと息をついたのも束の間、突然ぐるんと視界が回る。わたし今、どっち向き!? 混乱して見上げた先は輝く雲海。
「うおあぁぁぁぁ――!!」
真っ逆さまに急降下。右へ左へ、訳も分からずもみくちゃ状態。こんな機動をしながら冷静に周りを見渡して、状況を判断して、編隊長なら僚機に指示して、相手に狙いを定めて……なんて無理! 絶対に無理!!
視界の色が褪せてきた。まずい! 血を頭に上げないと!
渾身の力で息張ろうとしたその時、アディーさんが低く唸った。
「クソッ……この……っ!!」
えぇっ!? いつも紳士なアディーさんが、クソ!?
思わずびっくり、そしてうっかり息が――……。
「――モッちゃん! モッちゃん!」
はっとして顔を上げる。白い雲の波がキャノピーの外を穏やかに流れている。いつの間にかまた雲海の上をまっすぐに飛んでいた。
「モッちゃん、大丈夫?」
バイザーを上げたアディーさんが、コクピットについたミラー越しにこちらを見ている。
「ええと……私、もしかして意識なくしてました?」
「みたいだね。イビキが聞こえてきた」
「やだ、ほんとですか!?」
慌てた私を見て、アディーさんはぷっと笑った。
「イビキは冗談。でも、Gロックには入ってたよ。ごめん、つい本気になりすぎた。気分は悪くない?」
「とりあえず大丈夫みたいです。でも、うぅ……絶対気絶しないように頑張ったのに……。勝負はどうでした?」
「引き分け。と言うか、モッちゃんが落ちたから途中で終わり」
「わぁ、すみません」
自分で頼んでおいてあっさりリタイアなんて申し訳ない。
それにしても。
普段は穏やかなアディーさんだけど、やっぱり戦闘機乗りなんだ。開始前は「かなり優し目にするつもり」なんて言っておきながら、いざ状況開始となったら闘争心に火がついて。きついGに抗いながら一心に対抗機を追う姿からは、地上では見たことがないほど気迫があふれていて。「クソッ」なんて口走ったり……。
「ん、何?」
声をひそめて笑ったつもりが、マイクがしっかり拾ったらしい。
「アディーさんの意外な一面、ちょっと新鮮でした」
「意外な一面?」
「あんな罵り言葉を使うこともあるんだ、って」
「ああ、あれはまあ――」
苦い声でアディーさんがごにょごにょ言う。
「熱が入っちゃうとつい、ね」
バツが悪そうに言い訳する様子が小学生のようで、またふふっと笑ってしまった。
「ということでモッちゃん、これで一連の体験は終わりだけど、満足してもらえたかな?」
「はい! まだまだずっと飛んでいたい気分ですけど、大満足です!」
「それは良かった。じゃあこれから帰投するよ」
アディーさんは防空指令所にミッション終了を告げると、僚機を従えてゆったりと翼を翻した。
密になって流れていく雲が、進むにつれて次第にまばらになってゆく。その隙間から、遥か下に藍色の海面が切れ切れに覗く。海原に映る雲の影と白く泡立つ波頭の間を、漁船が航跡を曳きながら進んでいる。
この景色をしっかり目に焼きつけておこう。この一瞬一瞬がとても貴重なものだもの。
気がつくと、目前には左右に延びる海岸線が。
「右手に見えるのが大洗の漁港ね。これから正面に見えてくるのが涸沼」
大洗には前に同期と名物のアンコウを食べに行ったなぁ。水族館にも寄ってイルカやペンギンに癒されたり。そろそろ冬も近いし、また旬の時期が来たらアンコウ鍋食べに行こうかな――。
そんなことを考えながら眺めていると、アディーさんが管制塔を呼び出した。
「百里管制塔、エンジョイ15。現在地、ノースIP」
『エンジョイ15フライト、了解。使用滑走路21。高度2000フィートまで降下し、イニシャルで通報せよ』
「了解」
波立つ海岸をあっという間に過ぎ越し、陸上に入る。スピード感がとたんに増した。パッチワークのような畑や森が視界の中を流れてゆく。徐々に高度が下がり、景色は更に速く飛び去って――と、真下に広々とした水面が現れた。涸沼だ。
「百里管制塔、エンジョイ15、イニシャル」
『エンジョイ15フライト、了解。風は170度方向より6ノット、視程50キロ。ブレイクの際に通報せよ』
「15、了解」
帰投ルートの要所要所で管制とのやりとりが聞こえてくる。
職種柄、無線の内容は聞き取れる。自基地の進入・進出コースや飛行ルートも航空路図誌を読んで把握している。でも、そういう知識はあくまでも図上のもの、頭だけでの理解だった。
それを今、上空で実際に体験してる! いつもカウンターの中でモニターしている無線交信のフレーズは、こんな高度で、こんなスピードの中で、こんな風景を目にしながら発せられているんだ……!
「いやぁ……今までフリップを見ながら一生懸命イメージしていたことが、今日ようやく、やっと体感として掴めました!」
感慨深くしみじみ言うと、意外そうな声が返ってきた。
「ああ、そうか……俺たちにとっては日常のことだからそんなふうに思いもしなかったけど、確かにイメージするのは難しいかもしれないね」
「日常のこと」――アディーさんの何気ない言葉にまたまた感心してしまう。彼方に望む地平線にはゆるゆると連なる筑波山地。離陸した時とはまったく違い、今は雲もすっきり抜けて遥か遠くまでクリアに見える。パイロットの人たちにとってはこんな景色もごく日常――地上人とは「日常」の範疇が違いすぎる!
感嘆しながら関東平野を見渡していると、アディーさんから改めて声がかかった。
「モッちゃん、もう正面が基地だよ」
言われて前席の隙間から覗いてみる。緑と土色が目立つ視界に、ぽっかりと開けた一角。その真ん中に伸びる白っぽい線――空から見ると、長さ2.7キロ、幅45メートルの規模の滑走路もずいぶん細く短く感じる。たまに早朝のFOD清掃に駆り出されて、小石や異物が落ちていないか探しながら滑走路の端から端まで歩いたりするけれど、それなりの距離で時間もかかる。それが今はこんなに小さい――なんて思っている間に、さすがは戦闘機! ぐんぐん近づいていく。
「百里管制塔、エンジョイ15、ブレイク」
『エンジョイ15、了解。ベース・レグで通報せよ』
「15、了解」
滑走路上空で編隊を解き、スピードを落としながら場周を回ってゆく。見下ろすと、駐機場に並ぶ航空機や作業にいそしむ整備員、徒歩や自転車で行き来する隊員たちの姿がミニチュアのよう。
私の日常は、空から見るとこんな感じなのね――ミニサイズのスケールが健気に思えて、つい微笑んでしまう。
ゴゴゴ……と足元から脚を下ろす振動が伝わってきた。翼を傾け、機体は最終進入コースへと向かっていく。アディーさんからの位置通報と着陸許可の求めに、管制塔が応答する。
『エンジョイ15、脚下げを確認せよ。着陸を許可する。風は170度方向より4ノット』