凄さを実感できました~モッちゃんの体験搭乗レポ(1/4)
飛行管理員として日々パイロットのアシストをしているモッちゃんに、なんとF-15の体験搭乗の誘いが!
本編4章「部隊研修(5)」と「航学魂」の間くらいのお話です。
「おい、窓は拭いたか? ブラインドの埃もしっかり取っとけよ!」
「椅子も全部チェックしといて! 座面がへたってたり破れてスポンジが飛び出したりしてないか確認な! みっともないのは奥に引っ込めといて!」
今日の305飛行班は朝から大忙し。
フライトの合間を縫って、手が空いている飛行班員総動員で環境整備に励んでいる。私も飛行管理業務の傍ら、カウンターの上を整理したり、雑巾で電話まわりやパソコンの埃を拭ったり。
明日はうちの飛行隊にテレビ取材が入る日だ。自衛隊特集だか何かで、ニュース番組のキャスターがF-15の体験搭乗をするらしい。カメラが入るということで、みんなで大騒ぎして飛行隊舎を掃除し、古い掲示物を張り替えたり物品を整頓したりして、年季の入った隊舎の印象を少しでも明るくしようと頑張っている。
「モッちゃーん!」
名を呼ばれてカウンターから身を乗り出すと、バインダーを手にピグモさんがやってきた。
「モッちゃんさ、F-15に乗ってみる?」
「はっ!?」
口から素っ頓狂な声が飛び出した。
F-15に!?
乗る!?
「コーヒー飲む?」くらいのノリで訊かれたけど!
ピグモさんが平然と頷く。
「いやさ、民間人の体験搭乗の受け入れなんてうちでは久々だから、エスコートの仕方とか上空での位置取りとか、一度リハーサルしといた方がいいだろうって話になってね。で、せっかくだしモッちゃんに搭乗者の代役を頼もうかと。モッちゃん、低圧訓練は受けてたよな?」
「はいっ! 3年前に受けましたっ!」
以前、何の機会だったかT-4体験搭乗の話が来た時に、航空生理訓練を受けさせてもらったことがあった。これを受講しないことには操縦席には乗り込めない。前回の時は何だかんだで話が流れてしまって心底がっかりしたのだけれど、あの時受けておいて本当に良かった! 訓練証の有効期間はまだ過ぎていないはず!
「でも本当にいいんですか!?」
「団司令の許可も下りてるから。航空自衛官としての自覚を深めるためにも、若い隊員に経験させてやれ、って。ブリーフィングは1300からだから」
「了解ですッ!!」
*
いくら航空自衛官だからって、誰もが飛行機に乗れるわけじゃない。
一般の人はそのあたりを誤解していることが多くて、私も「就職先は航空自衛隊」と大学の友人たちに明かした時には「パイロットになるの!? 空飛ぶの!?」という反応がほとんどだった。毎回説明するのがとにかく大変だった。
実際には、パイロットでないほとんどの隊員にとって航空機は結構遠い存在なんじゃないかと思う。
飛行隊に所属している私だって、いつもは窓から眺めて爆音を聞いているだけ。わざわざ駐機場に出て行ってF-15に近づくことなんてめったにない(そもそも用もなく駐機場をウロチョロしていたら整備の人たちの迷惑になるだけだし) だから、運用職種以外の後方支援業務についている隊員にしてみたらなおさらかもしれない。
輸送機、例えばC-1になら、他基地に出張や訓練で移動する時なんかに乗客として搭乗する機会はある。
でも、窓がないから外の景色は楽しめないし、座席は座り心地なんて度外視な仕様。着陸まで、ただひたすら薄暗い機内貨物室で荷物と一緒に、エンジンの轟音に耳を占領されて時間を過ごす。騒音にも負けずにうたた寝できればいい方かも――まあ私は、空中輸送員の仕事ぶりや、剥きだしで天井を走る操縦系統のワイヤがギコギコと動く様子なんかが興味深くて、ずっと観察していたけれど――そんな感じなので、「大空を飛ぶ」という実感を持つのはなかなか難しい。
だからやっぱり、操縦者しか乗れず、視界に広がるのは空ばかりという機体に乗るというのは心の底から憧れる。もし自衛隊を定年退官するまでにそんな機会が巡ってきたとしたら、よっぽどラッキー――そう思っていたのに。
突然その幸運が降ってくるなんて!!
「では、これからF-15に体験搭乗していただくにあたってのブリーフィングを実施します」
ブリーフィングルームのスクリーンの前で、改まった様子のアディーさんが口を開いた。さっきピグモさんから、「リハーサルなんだから本番同然にちゃんとやれよ」と釘を刺されたためだ。
同席しているのは私の他に6人――直接取材対応するアディーさん(これはもちろん画面映えを考慮しての人選)、空撮のためのエスコート機を操縦するリバーさん、その後席でビデオカメラを使って撮影を行うイナゾーさん。その他に隊長、飛行班長、総括班長も顔を揃えて、リハーサルの様子をチェックしている。
「離陸時刻は1400。百里基地を離陸後、鹿島灘沖の訓練空域に向かいます。空域滞在時間はおよそ30分。その間に編隊飛行および各種空中操作を実施します」
そこまで説明すると、アディーさんは急に困惑顔になって私を見た。
「モッちゃん、頼むからニヤニヤしないでもらえるかな」
「あっ、すいませんっ」
F-15に乗れるのが嬉しくて嬉しくて、知らないうちに口元が緩んでしまっていたらしい。慌てて頬を引き締める。いつもは第三者的な立場で耳に入れるだけだったブリーフィングを、フライトに直接かかわる当事者としてこんな風に受けるなんてこそばゆくて仕方ない。
「現在、飛行場周辺および空域は下層雲に覆われていますが、使用予定の高度帯では課目の実施に支障はないと予報されてます。次に、注意事項をお伝えします――」
手隙の飛行班員たちが入れ替わり立ち替わりやってきては冷やかし混じりに覗いていく。そんな中、アディーさんは構わずに続ける。
「――上空では必ず私の指示に従ってください。コクピット内の計器類、操縦桿やスロットル等には絶対に手を触れないようにお願いします。万が一緊急事態が生じた際には私が適切に対処にあたりますので、落ち着いて指示に従ってください。くれぐれもご自分の判断で射出レバーを引くことのないようにお願いします」
さすがパイロット、「私が適切に対処にあたる」だなんて、大船に乗った気持ちにさせてくれるセリフだわ……。
感銘を受けながら、ぴしりと背筋が伸びる思いで頷く。
「説明は以上となりますが、何かご質問はありますか?」
「はい! できたら上空で写真を撮りたいんですが、自分のカメラとか携帯は持ち込めますか?」
「申し訳ありませんが、私物の記録媒体についてはご遠慮ください」
やっぱり駄目かぁ。
がっかりしかけたところで、イナゾーさんが「俺が僚機の後席から撮影したビデオで良ければ、後でダビングしてあげるよ」と請け合ってくれたので、ありがたくお願いすることにした。
「その他にご質問は?」
「なし!」と自衛隊式に即答してしまってから、慌てて「ありません」と代役らしく言い直す。
ブリーフィングが終われば、次はフライトスーツに着替えて救命装備班へ。
案内されて、個人の装具が一様に並ぶ通路を奥へと進む。両側には整然と準備されたヘルメットや救命胴衣に耐Gスーツ。装具にしみついているのか、機械油かジェット燃料の排気のようなにおいがうっすら漂っていて、ワクワク感がますます高まってくる。
「じゃあ中森先輩、これを着てください」
女性自衛官の後輩で救命装備員の綾原士長が装具一式を抱えてやってきた。
憧れのGスーツ! これを着ければ気分は一気に戦闘機パイロット……!
ところが、どの部分を体のどこに当てたらいいのか、どの金具をどこに合わせたらいいかさっぱり分からない。もたもたする私を手伝って、綾原ちゃんは手際よく耐Gスーツを下半身に巻き付けて締め、救命胴衣のバックルを嵌めてゆく。
「おー!」
自分の格好を見下ろして感激――だけど、とにかく重い! そして重い上に窮屈! 救命胴衣はずしっと肩にのしかかってくるようだし、脚にきつく巻いた耐Gスーツのせいで、ロボットみたいなぎこちない動きになってしまう。これを普通の顔で身に着けて動き回っているパイロットの人たち……恐るべし。
ヘルメットのサイズ合わせも終え、「先輩、よく似合ってますよ!」とお愛想を言ってくれる綾原ちゃんの前で、調子に乗ってポーズを取ってみる。
「お、楽しそうにやってるねぇ」
「モッちゃんもこういうのに興味があったんだ。普段全然そんな様子もないから」
すっかり支度を整えたリバーさんとイナゾーさんが、はしゃいでいる私を見て面白そうに言う。
それはもちろん、いくら興味があるからってさすがに日常的にキャアキャア騒ぐ訳にはいきませんから。仕事は仕事、粛々とこなします。
「モッちゃん……」
再び呼ばれて振り返ると、遅れてやってきたアディーさんがいた。私のことをまじまじと眺めた後、笑いを抑えきれない顔で言う。
「モッちゃん……フライトスーツ姿は……見慣れないね……」
要は「似合ってない」と言いたいらしい。まあ確かに、ちょっとダブダブで借り物感は否めないけれど。
「当たり前ですよ、フライトスーツを着るのは人生初なんですから」と仏頂面で言い返しておいた。
「先に行ってるよー」と、リバーさんとイナゾーさんが救命装備班から出てゆく。
綾原ちゃんがヘルメットと酸素マスクを差し出して、「先輩、気持ち悪くなってもマスクの中には吐かないでくださいね」と冗談半分本気半分の笑顔で念を押す。
「心配しないで! そうなったらそれ用の袋をちゃんと活用するから!」と頷いたけれど、もし本当にそんな粗相をしてしまったら、後始末をする羽目になる後輩には10回くらい豪華ランチを奢らないといけないかもしれない。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
アディーさんに促され、いよいよ駐機場へとステップアウト。
視界には、ずらりと居並ぶF-15。
もう何年も見てきた光景なのに、視点が変わればまったく違って目に映る。間近で見上げるスモークグレーの巨大な機体は武骨で堂々として、一種の風格さえ感じられて。一切の無駄がない美しさと威厳に、改めて圧倒される。
アディーさんが、歩みを緩めた私を振り返って怪訝そうに眉を寄せた。
「モッちゃん、大丈夫? 顔が赤くない?」
「大丈夫です! 本当にこれに乗れるんだと思ったら、感激で頭がぼうっとしちゃって」
それを聞いて、アディーさんがおかしそうに笑う。
「まだ乗り込んでもいないのに? 興奮しすぎてよく分からないうちに基地に戻ってきました、なんてことにならないようにね」
言われてみればそのとおり。舞い上がってぼんやりしたまま貴重な時間を過ごしてしまったとしたら、こんなにもったいないことはない。
頭はクリアに、感覚はフル開放で! しっかりと見て聴いて感じて、ばっちり記憶に刻みつけておかなくちゃ!