後編
その夜、彼らは青年がいるリビングへと集まっていた。
屋根裏部屋から、そっと青年の様子を窺う。
彼は相変わらず、携帯を弄りながらソファに座っていた。
彼らは意を決したように、お互いの顔を見ながら頷き合うと、その場からふっと姿を消した。
ブツン
微かな電子音の後、テレビの画面が突然明るくなった。
ソファで寛いでいた青年は、何事かと顔を上げる。
その間にも、テレビの画面に映し出された映像が、途切れ途切れに切り替わっていった。
何処かの番組の一部分だけを、切り取って繋げた様なその映像には、大小様々な音声も途切れ途切れに流れていた。
オ マ エ ノ ウ シ ロ ニ イ ル ゾ
続けて聴くと、そんな風に聞こえた。
青年は、ゆっくりと振り返る。
そこには――
有象無象の化け物たちがいた。
彼らは、人前で正体を明かすのは、これが初めてだった。
その容姿は様々で、到底人とは呼べないような容姿の者ばかりだった。
化け物たちは己の醜い姿を誇らしげに、より大きく、良く見えるように青年へと見せつけていた。
これでどうだ、叫べ!悲鳴をあげろ!
化け物たちは、これでもかと胸を張った。
しかし待てども待てども、青年からは悲鳴どころか何の反応も無かった。
青年は、じっと彼らを凝視したまま微動だにしなかった。
まさか、恐怖で気絶したのではないか?
と、ある化け物が呟いたとき、青年が動いた。
「これで全部か?」
え?
青年は、銀縁の眼鏡を長い指でくいっと押し上げながらそう呟いてきたのだった。
予想だにしない青年の言葉に、化け物たちは固まった。
青年が眼鏡をずらしたことで、反射していた光が消え、彼の瞳が良く見えた。
青年は、化け物たちに怯える様子も無く彼らを凝視していた。
まるで射抜くようなその眼光の鋭さに、化け物たちは一瞬背筋がひやりとする。
なんだ、こいつは?
化け者たちの脳裏に、初めて浮かんだ疑問だった。
自分達は相手を脅かす存在で、決して脅かされる側ではないというのに・・・・・・。
今、この瞬間、彼らは本能的に逃げたいと思ってしまったのだった。
そんな事はあり得ないと、彼らの矜持が否定する。
しかし、目の前の青年の視線に晒されていると、何故か『見つかってはいけない相手に見つかってしまった』気がしてならなかった。
早くこの場から立ち去りたいと、本能が訴えかけてくる。
しかし、彼らが動く前に、青年の方が早かった。
「何処へ行く気だ?」
見透かしたような涼しい声音に、化け者たちの肩がびくりと震える。
何故か足に根が生えたように、そこから動けなくなってしまった。
何故だ?どうしてだ?と、己に起きた事実に化け物たちはパニックになる。
見た目は十分恐ろしい彼らは、動かなくなった足を必死に動かそうとして、その場でもがいていた。
そのあまりにも気持ちの悪い光景にも、青年は眉一つ動かさず彼らを見ていた。
そして、徐に溜息を吐くと、こう告げてきたのだった――
「お前達は、この辺りにいた低級霊だな。」
その言葉に化け物たちはぴたりと動きを止めた。
低級霊?
青年の言った言葉を反復するうち、彼らはみるみるうちに憤怒の表情へ顔色を変えていった。
貴様!我らをその辺の低級霊と一緒にするか!我らは我らは……
「じゃあ、なんだ?」
!!!
青年の言葉に、化け者たちの動きが、ぴたりと止まった。
我らは……我らは……なんだ?
初めて浮かんだ疑問だった。
彼らは気が付いた時にはここにいて、気が付いたら人を脅かしていたのだ。
いや、違う……。
彼らはもともと、ばらばらだった。
あちこちを彷徨い、漸く辿り着いたこの屋敷で、最初に見た人間が悲鳴をあげてきたのだ。
その一番最初は誰だったのかは忘れたが、彼らはそれを繰り返すうちに、自分達は人から恐れられる存在だと気づいた。
そして、月日が流れこの屋敷に訪れる人間達の同じような反応に、自分達はこれ程までに恐れられる強い存在なのだと勘違いしていったのだった。
そして今、目の前の青年に指摘されて漸く思い出した――
我らは、ただの低級霊だったのだと。
突きつけられた事実に、彼らが困惑していると、青年が「ふん。」と鼻で笑ってきた。
「己が何者だったかも忘れ、随分派手にやってきた様じゃないか。」
揶揄するような物言いに、化け物たちは色めき立つ。
なにを!?
貴様、人間の分際で!!
我らはここでずっと、人間達を恐れさせ狂わせてきた存在だぞ!!
そうだ!そうだ!
彼らが唯一矜持できる事実を掲げ、青年に罵声を浴びせる。
そんな彼らを、青年は涼しい顔で聞き流しながら、徐に口を開いた。
「だまれ。」
青年の言葉に、化け者たちの体はびくりと跳ね上がった。
抑揚の無い静かな声であった筈なのに、体に圧し掛かるような重圧を感じる。
体中から汗が噴出し、本能が逃げろと警笛を鳴らしていた。
微動だにできず、冷や汗を流してこちらを凝視する化け物たちを一瞥して、青年は口元に笑みを作るとこう言ってきた。
「なんだ、威勢のいいのはさっきまでか?」
かかってくるなら来い、と言わんばかりの口調で化け物たちを挑発する。
その堂々とした態度に、化け物の一人が発起した。
貴様~言わせておけば!!
一際体の大きな化け物が、声を張り上げて仲間の前に出てきた。
その姿に他の仲間達は励まされ、感嘆のどよめきが上がった。
しかし良く見てみると、その巨体には冷や汗が浮かび、体が小刻みに震えているように見えた。
しかし、歓喜に打ち震えていた仲間達は、その事実に気づかない。
勢いを取り戻した化け物の中から、「やっちまえ!」と野次まで飛んできていた。
そんな彼らの様子を、青年は目を細めて見る。
そして、膨れ上がった殺意が爆発する瞬間、それは音を立てて弾けた。
ずぅぅん
重いものが落ちたような音に、今まさに青年に飛び掛かろうとしていた化け物たちはその動きを止めた。
目の前で起こった出来事が、信じられないといった感じで、呆けた顔をしている。
目の前には、びゅうびゅうと黒い液体を噴き上げる、化け物の下半身があった。
先程、仲間の前に雄叫びを上げて出てきた化け物だ。
その化け物の上半身は、もちろん床に転がっていた。
その上半身も、おびただしい液体をまき散らしながら、ビクビクと痙攣していた。
「な、なん、だ、と……。」
胴体を吹き飛ばされた化け物は、それだけ言うと動かなくなってしまった。
目の前で起きた現実に、他の化け物たちは思考が追い付いて来ないのか、黙りこくったまま動かなかった。
いや、動けなかったのだ。
倒れた化け物は、その大きさも相まって強かった。
それなのに……。
彼らは恐怖で固まっていた。
目の前の青年を見ながら。
そう、化け物を倒したのは青年だった。
それも、片手をかざしただけで……。
青年の掌が一瞬光ったと思ったら、目の前で仲間が真っ二つになっていたのだ。
それこそ、断末魔を上げる間もなく――。
「おや、遅かったですか。」
静寂の中、それを壊すかのように低い声が聞こえてきた。
化け物たちは、はっと我に返ると、声のした方を振り向く。
そこには、爛々と光る瞳と赤褐色の肌をした一人の男が立っていた。
いや、眷属と呼ぶべきか?
現れた男は人間ではない、と化け物たちは直感で察した。
仲間か?それとも……。
化け物たちは探るような視線で、男を見た。
「なんだ、もう来たのか。」
すると、青年が徐に赤褐色の男に、うんざりしたような声をかけてきた。
「ええ、貴方が暴走しないか心配でしたので。」
男は怒る風でもなく、青年に笑顔を向けている。
どうやら、この青年の仲間のようだ。
化け物たちは、落胆した。
関係なければ、こちらに引き込もうと思っていたのに、また変なのが来たと身構える。
そんな化け物たちを他所に、赤褐色の青年と眼鏡の青年は話を進めていた。
「言ってろ。」
「それで、この者たちはどうするので?」
赤褐色の男が、放置されていた化け物たちを横目で見ながら、眼鏡の青年に聞いてきた。
その値踏みするような視線に、化け物たちは小さく身震いする。
「丁度いい、下僕にする。」
「よろしいので?」
「ふん、お前の指図は受けん。」
「我が主の御心のままに。」
眼鏡の青年の傲然な態度にも関わらず、赤褐色の男は恭しく頭を垂れて肯定してきた。
眼鏡の青年に傅く男に、化け物たちは唖然とする。
見るからに力のありそうな異形のものが、ひょろりと細い青年に従っているのだ。
しかも人間なんぞに。
化け物たちは驚愕した。
そして察した。
こいつには関わってはいけないと。
誰かがくるりと踵を返して走り出す。
それに釣られて、一斉に化け物たちは逃げ出そうとした。
が――
「どこへいくんです?」
今度は別の場所から声が聞こえてきた。
声がした方角は、化け物たちが逃げようした天井からだった。
見ると、そこには一人の青年が立っていた。
顔は青白く、その瞳は赤褐色の男のように金色に光っていた。
新たに現れた青年も人間ではなかった。
その証拠に、天井の所で浮いているのだ。
人間にはこんな芸当、とてもではないが真似できない。
化け物たちは、突然現れた青白い青年に腰を抜かし、その場で動けなくなっていた。
な、な、な、なん…………。
なんなんだこいつらは?と口の中でぱくぱくと叫んでいると、眼鏡の青年が動いた。
「お前たちは今日から俺の下僕だ。わかったな。」
凛と澄んだ声で言ってきた。
はあ?
なんだと!?
まだなんとか動けた仲間達が、青年に向かって罵声を浴びせた。
貴様のような人間如きに我らが下僕になるものか!
化け物の一匹が恐ろしい声音で凄む。
そんな彼らをどこ吹く風と、冷たく一瞥してから眼鏡の青年は言葉を続けた。
「お前たちは俺には逆らえない。」
そう言って、青年はかけていた眼鏡を外した。
その瞬間、化け物たちは青年の顔に釘付けになった。
そこに現れたのは、二対の極彩色の瞳だった。
彼の瞳は、光に反射するでもなく自ら発光しているのか、暗闇の中で美しく輝いていた。
「まあ、どちらにせよ外に出れば、お前たちは一瞬で他の奴らに消されるだろうがな。」
吸い込まれるような、その瞳の光に見惚れていた彼らは、青年の言葉にはっと我に返った。
そして、聞き捨てならない青年の言葉に、化け物たちは惚けていた事も忘れて色めき立つ。
先程の恐怖も忘れ、興奮して抗議してくる化け物たちに向かって、青年は笑みを見せてきた。
その笑みを見た瞬間、化け物たちの体がびしりと固まる。
まるで金縛りにでもあったように、頭のてっ辺から足のつま先まで、ぴくりとも動かなくなってしまったのだった。
突然の出来事にパニックになる化け物たち。
必死に体を動かそうと身を捻るが、屈強な化け物でさえ、その場に縫い付けられたように動けなくなっていた。
「ふっ、この程度で動けなくなるとはな。」
調教し甲斐があるな、と青年は不敵な笑みを浮かべながら呟くのだった。