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先生の耳は福の耳 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 こーらくんは、工作の類は得意かな?

 ――ははあ、その顔を見ると「あんまり……」といったところっぽいね。いやいや、純粋に気になっただけで、深い意味はないのだけどね。

 最近、あちらこちらで建物が取り壊されては、新しいビルに変わり始めているだろ? ああいう工事をする時に、学校で習う工作の経験ってどれほど役に立つんだろうと、ふと思ってね。

 このごろはDIYと称して、自分の手で家を改装するケースも珍しくない。僕もそこまで手先が器用な方じゃないけど、将来的にはできた方がいいんだろうなあって、漠然と感じている。そうなると、図案を引くのはもちろんだけど道具の扱いも重要になってくるだろう。

 実はついこの間、昼間にある中学校の前を通る機会があってね。ひょいとフェンス越しに校舎へ目を向けると、庭に面した木工室で生徒たちが木のアタッシュケースを作っているところだった。それを見てふと、学生時代の不思議な体験を思い出しちゃったんだよ。

 興味があったらお聞かせしようか。


 僕が中学生の時、技術の先生は眼鏡をかけた、たくましい体格の先生だった。だが、女性だった。

 学生時代はアスリートだったと語る先生は滅多にスーツを着ない。木工、金工の授業の関係もあるのだろう。校内ではほとんどジャージだった。

 授業は分かりやすく、面白い先生だと思っていたけれど、入学してから半月ほど経ち、クラスの間ではとある噂が広まり出した。かの先生の耳たぶが長くなっていやしないか、とね。

 先生は自己紹介の時、自分の両耳たぶを触りながら福耳であるアピールをしていたことを思い出す。実際、先生の耳たぶは周りにいる人より、若干長いように見えた。それが今に至って、更に伸びているのだとクラスメートは話し出す。

 写真が撮れていれば、簡単に検証ができただろうけど、当時の僕の周りにカメラ付き携帯を持っている人はいなかった。カメラは行事の時をのぞけば不用品扱いで、持ち物検査が定期的にある学校だったから、それをかいくぐるのも難しかったよ。

 記憶にかすかに残る、入学当初の先生の姿を掘り出そうとするも、今ひとつはっきりとしない。でもその話を聞いたのが、先生の耳を気にするきっかけになったのは確かだった。


 それから技術の授業があるたび、僕は先生の両耳を観察する。やはり先生の耳たぶは長く、その先っぽはもうじき、鼻の位置よりも下へ伸びていきそうだ。歩くたびに、軽く揺れている時さえあった。

 見れば見るほど、僕を含めたみんなとの違いが際立つ。それでもせいぜい「不思議だなあ」程度しか思っていなかったけど。とある日の木工室での授業のこと。

 ちょうど話に出した生徒たちと同じように、僕たちのクラスもアタッシュケース作りに励んでいた。これからの技術の時間で必要な道具を入れておくものになるもので、入学当初から取り組んでいたものだ。多少の個人差はあるものの、ほぼ全員が木材を切り終え、縁や表面を紙やすりで整える段階に入っていたよ。特に僕が切ったやつは縁が少し割れちゃってて、どうにかなくしたいなと、必死でごしごしこすっていたところだった。

 そのふとした拍子に顔を上げて、先生の方を見ちゃったんだよ。先生は他の生徒に目を向けながら、自分の耳たぶにやすりを当てていた。

 手に持つものを無意識に顔のどこかへひっつけてしまう、というのはままあること。でも僕が見た先生は、明らかに耳たぶへやすりをかけていた。手のひらに収まるサイズの紙やすりを二つに折り、そこに耳たぶを挟んで二回。「ぞりぞり」と音が響いてきそうなゆったりした動作で上下動させたんだ。

 最初は見間違いかと思ったよ。けれど、いったん動きを止めても、先生はやすりを離そうとしない。また「ぞり」と一回こすりながら、机上巡視に移ってしまう。手を止めているのがばれたらまずいと、僕は意識的に先生から視線を引きはがし、遅々としたやすりがけに時間をかけ始めたんだ。

 

 やがて授業が終了、午後最後のコマだったこともあって掃除になる。クラスの幾人かは特別教室の掃除担当となり散っていき、僕はおあつらえ向きに木工室の担当だった。

 授業後に軽く片付けたとはいえ、先ほどの授業の残滓が、まだここに転がっているはずだ。先生が自分の耳にやすりをかけた理由も、ひょっとしたら残っているかも。

 僕は部屋に着いてすぐ、ほうきとちりとりを持って掃除にあたった。向かうのは、先生が己の耳にやすりをかけていた、教卓近辺だ。頼むから証拠が残っていてくれよ、とこっそり願う。確率などほとんどないだろうけど。

 もし、残っているとしたら、耳の皮膚だろうかと僕は想像する。少なくとも三度、この目でやすりが先生の耳たぶを行き来するのを見た。そのやすりが削るものは、皮か脂か。まさかやすりそのものを床に転がしているなんて、考えづらい。

 僕は教室備え付けのゴミ箱をのぞきにいくけど、どうしたことか中袋がない。まさか、掃除が終わらないうちに出しに行ったのかと、ちょっと舌打ちしてしまう。掃除終わりに行くようにすれば、新品の袋をセットして気持ちよく締めくくれるのに。しかも、前の時間に捨てたやすりたちを、吟味できないじゃないか。


 僕が顔を上げるのとほぼ同時に、近くにいたおにぼうき持ちの女子が「ひっ」と悲鳴をあげる。

 彼女は僕の方を見ていない。視線は教卓の下へ向いている。何があったのか尋ねると、小さい虫らしきものが、教卓の下へ滑り込んでいったというんだ。

 もう言葉の続きは分かっている。僕に確かめて、取り除いてくれというんだろう。家でもさんざんやらされている役回りだ。もうあきらめていた。大掛かりに教卓を動かすと、その影からブツが這いずり出てきた時、また耳障りな悲鳴を受けかねない。僕は教卓の下からそっと下をのぞき込んでみる。

 

 数センチもいかないところに、奇妙な虫がいた。手の人差し指第一関節ほどの長さしかないが、一本だけある足で細長い身体を浮かせている。ほうきで掃く動作を思わせる足の動きで右往左往しているが、奴が行き来する場所あたりの床は、妙にてかっている。こちらに気づいていないようで、動きを止める様子がない。

 なんだ? と更に顔を近寄せてみて、僕は息を呑む。一本足だと思っていたそいつの支えは、垂れさがった極短小のベロだったんだ。

 掃くような動きをするのも納得。あいつは地面をなめながら、自らの身体を運んでいた。行き場所さえもはっきりさせないままに。ぽかんと僕があきれている間に、そいつはついにこちらを向いた。目鼻はなかったが、足代わりのベロが向きを変え、僕の瞳とかちあったからそう感じたんだ。

 さっとそいつは踵を返す。そちらは黒板があり、教師が立つためのひな壇が一段だけあったが、その中の暗闇の中へ紛れていったんだ。見た感じ、段の下のわずかなすき間へ潜っていったようだった。

 そうして去っていく姿に、舌のつけ根がしっかりと胴体の口らしき穴から出ているのも確認した。まるで赤ちゃんサイズの唇だけが分離し、舌を足に動いているような、おかしな生き物だ。


「ねえ、もう虫いなかった?」


 しびれを切らした女子が、頭の上から声をかけてくる。他力本願なくせして、経過報告だけ欲しいこの姿は、現場の人間にとってイラつくものだ。「いなかったよ」と適当に返し、そこで話は打ち切り。僕の頭は帰りまでずっと、あの奇妙な存在のことでいっぱいだった。

 もう一度、間近でよく観察したいと思ったよ。


 そんな僕の願いとは裏腹に、それからあの生き物を見かけることはなくなった。音沙汰がないままひと月ほどが経ち、さすがに関心が薄れかけてきた朝っぱら。

 たまたま早い時間の登校になり、校門をくぐるのとほぼ同時に、技術の先生が乗っている車が敷地内へ入ってきた。自転車置き場の横が、先生方の駐車スペース。生徒用の昇降口からさほど離れていない。

 ライトブルーのBMWから降りてくる先生は、校内じゃ滅多に見られないスーツ姿。その耳はいつぞやのように長く、エキゾチックな香りのする大きめのイヤリングを着けている。僕を見かけると「おはよう」と声を掛けながら前を横切り、外来用の玄関へ回ろうとする先生。

 でも僕はそのわずかな間で見たし、聞いた。先生の長い耳たぶの先、イヤリングに挟まれた肉の部分に、びっしりと小さい歯らしきものが並んでいたのを。それが小さく「ガリガリ」、金属を削っているだろう音を。

 その日、僕たちのクラスは技術の時間があり、また木工室を使ったけれど、先生はすでにイヤリングをつけていなかった。外したのかもしれないが、僕の頭にはどうにも違う可能性がよぎってしまう。耳をやすっていたのも、きっと「あれ」を分離させるため……。

 それからも先生が何度か紙やすりを耳に当てているところを見たよ。あいつらが逃げた木工室のひな壇、大変なことになってなきゃいいけどさ。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] その虫達も何か福にあやかりたくてかじりついてしまったのでしょうかね。 そう思わせるほどの福の耳だったのかもしれませんが、もし他の人よりも運に恵まれていたとしても、あんな奇妙な虫にまとわりつか…
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