第七話 小鈴、碧空を妹にする
【第七話】小鈴、碧空を妹にする
碧空には姉妹のように仲のよい友達がいる。
名を小鈴。
同い年ながら三か月ばかり早く生まれたことから、なにかとお姉さんぶって碧空を構うことしきり。
その猫可愛がりぶりは、ある頃から増長した。
「おはよう。碧空。もう朝よ。顔を洗いにいきましょう」
「このおまんじゅうおいしいのよ。半分こしましょ。私が食べさせてあげるね」
「おやすみなさい。碧空。寝るまで子守唄うたってあげる」
おはようからおやすみまで。
いつなんどきも駆けつけてくる幼馴染み。
「愛されておるのう」
またふらりとやってきた将儀と一局指しながら世間話をしている碧空である。
「あれは愛なんでしょうか」
「愛じゃろう。どのような形であれ」
「はぁ、そう見えますか」
「愛は捨てられぬ。仙人は様々なしがらみを捨てていくが、最後に残るのが愛刧と殺刧と言われておる。無我の境地に至るまで、いや、至ってなお、それは人の奥底にこびりついて離れぬものなのじゃ」
「はぁ、そういうものなんですか。王手銀取り」
「ぬぉ、ま、待った!」
開始早々、待ったなしでやろうと言い出したのは将儀の方なのだが、将儀があまりに頼み込むので、待ったを認めてやる碧空である。
「あ、こんなところにいた。碧空。またこんな怪しい人と遊んでるのね!」
小鈴に見つかってしまった。
小鈴は誰に対しても丁寧だが、こと将儀に対してだけは違った。
なぜか親の敵のように扱うのだ。
初対面のときは愛想がよかったのに、碧空が将儀と遊んでいたら次第に険悪になっていった。
「この人は、人さらいかも知れないから、遊んじゃだめだっていったでしょう?」
「ちょ、ちょっと小鈴」
「人さらいとは失敬な。わしゃ、悪行を重ねてきたものの、人さらいだけはしたことがないぞ」
「あなたもなにを言ってるんですか。小鈴も、理由もなくそんなことを言ったらいけないでしょう」
「だって……ごめんなさい」
さすがに言い過ぎたと謝罪する小鈴を、よく謝ったねと碧空は誉めそやす。
どちらが姉代わりかわからない。
小鈴は、将儀が碧空を独占するものだから妬んだのだろう。
可愛らしい焼き餅だ。将儀はむしろ微笑ましい。
「さて、お邪魔なようじゃからわしは退散するぞい」
「あ、逃げた」
将棋に負けかけてさっさと退散する将儀。
最近では見慣れた光景だ。
「あのね、碧空。今日はいいものを持ってきたのよ」
「いいもの?」
普段の小鈴がくれるものは大抵いいものなのだが、わざわざ口にする辺りがかえって違和を感じさせる。
「いいものって、なに?」
「とにかくいいものよ。さ、あっちにいきましょう?」
ろくでもない予感がする。
果たして、その予感は的中した。
「きゃぁぁぁ、かわいい。かわいいぃー。食べちゃいたいぃぃ。はああぁ」
「おぎゃあ……て言えばいい?」
碧空は小鈴によって着替えさせられた。
とってもきれいで、上等な布が使われた、かわいらしい、赤ちゃん用の服であった。
生まれてきた赤子の無病息災を祈願して、新しく仕立てた服を着させるというのは地方の伝統である。
この邑は都に比べて豊かとは言いがたく、小鈴の家も裕福とは言えなかった。
だが、新しい家族のために服を用立てたのである。
碧空は同年に比べても体格が小さいので、赤子用の服でも他の服とうまく合わせれば着ることができた。
着たかったのかといえばそうではないが。
ちなみに邑とは集落の単位で、くにとは呼ぶものの大小は様々だ。早い話が、村でも町でも大都市でも、なんでも邑と呼ぶのである。
「かわいいぃぃぃ、かわぃぃょぉぉ。ぺろぺろしたぃぃ、ぺろぺろしたぃぃぃ、はぁぁ。尊い、尊いよぉぉぉ。生まれてきてくれてありがとぉぉぉぉ」
「その言葉、誰から覚えたの?」
「親戚のお姉さんだよぉぉ」
「うーん。よくわからないけど、そのお姉さんと仲良くするのは慎重にね」
いや、特に理由はないんだけれども。
小鈴が喜んでくれるのはいいものの、今更赤ちゃん扱いはさすがに恥ずかしい碧空である。
こんな格好、他の人には見せられない。
「おい、小鈴。こんなところにいたのか。ん、なんだ。碧空もいる、のか……?」
雷邦の来訪である。
ここは小鈴の家で、雷邦は小鈴の兄なのだから当然ではあった。
「あ、雷邦。勘違いしないで、これは好きでやってるわけではなくて……」
「お、おおおっ、おおおおおおおおおおおおおお!」
聞いちゃいない。
「かわぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「うおおおおおおおおおおおぉぉ!」
「かわぃいぃっぃ! かわぃぃいぃぃょっぉぉぉお!」
「うぉぉぉぉおっっっっっっっっぉぉうおおおおおぉ!」
正気を失い張り合うように叫び続ける兄妹のおたけびは、二人の頭上に父親の拳骨が落ちるまで続いた。
「やれやれ……」
ようやく小鈴たち兄妹から解放されて、碧空は自宅に帰ってきた。
正直なところ、赤ちゃんプレイは懲り懲りなのである。
生まれて間もなく前世の自我があった碧空は、泣くことしかできず、食事も下の世話もされるがまま、他人に委ねるという経験をしっかりと覚えているわけで。
「あれはなかなかの体験でした」
なにかに目覚めてしまいそうで、忘れたい過去なのだけれども。
「おかえり、空」
帰宅した碧空を出迎えてくれたのは、祖母である。
腰の曲がりきった祖母は、孫の帰りに合わせて毎度なにかしらのおやつを用意してくれている。
今日も内職の手を止めて、あぶっていたおやきをとろうと腰をあげた。
厳密にはおやきではないが、それに近いものだ。
碧空は器を用意したりしてそれを手伝い、祖母の横に座りご相伴に預かる。
碧空はこの祖母が好きだった。前世では早くに祖母を亡くしたせいかも知れない。
おやきを食べながら、碧空は祖母の仕事を見る。
鉄製ではない鈍くて曇った銅の針。
布を縫い合わせて人形を作っているのだった。
「そんなにじっと見つめて、ばばの仕事がおもしろいかい?」
「うん。おもしろいです」
「そうかいそうかい」
「私にもできますか?」
「空がかい?」
祖母は碧空を、空と呼ぶ。
碧空は、その響きが好きだった。
「本当ならまだ早いけれど、空は早熟だからねぇ、できるかも知れないね」
「おばあちゃん。教えてくれますか?」
「ああ、ああ、もちろんだとも。やってみなされ」
祖母に教えてもらいながら、人形を作る。
五歳児の指に針仕事は難しかったが、楽しかった。
祖母と一緒の時間なら、なんでも良かったのかもしれぬ。
できあがった品は、祖母のものには到底及ばなかったが、五歳児の初めての仕事と知れば驚嘆に値する出来であった。
「おお、おお、立派なものじゃ。初めてでこれだけできりゃあ、すぐに嫁に行けるようになるで」
「はは、そういう話はまだ早いと思いますけど」
中身が男であるから、ぞっとしない話である。
「早いものか。いづれそういうことになる。空のようにめんこい子なら、引く手あまたじゃて。まぁ、相手は誰でもいいが」
え、誰でもいいの?
「相手は誰でもええが、空を幸せにしてれくる人を選びなさいよ。どんな仕事でも、顔でもええ。幸せにしてくれる人じゃ。それが一番じゃて」
ああ、なるほど。そういうことか。
「うん。わかったよ」
孫の幸せを願った祖母の言葉を、胸に刻む碧空である。
「嫁ぐときには、今日覚えた人形をお父に渡しておやり。お前さんの代わりじゃ。残された者の哀しみを癒してくれるから」
「残された者かぁ……」
碧空は祖母の言葉を一つ一つかみしめ、できあがった人形を見つめる。
「おや、誰かきたようだよ」
玄関へいくと、小鈴がやってきていた。
「それが、あのお嬢ちゃんがいないことと、どうつながるんじゃ?」
今日も今日とて、将儀は碧空と遊びために訪れていた。
普段ならすぐ邪魔しにくるはずの小鈴がいつまでたっても来ない。
その理由を尋ねられ、碧空はことの次第を説明していた。
とはいえ、そう難しい話ではない。
「私は、亡くなった君の妹じゃない」
そう伝えたのだ。
碧空にとって小鈴は大事な親友であり、小鈴にとっては妹分である。
それでも本当の妹にはなれない。
小鈴の母は、妊娠していた。
産前の占いでは女児と出て、赤子の服を仕立て直すなど用意を進めていた。
小鈴もそれを手伝い、日に日に膨らむ母のお腹を撫でては、とても楽しそうにしていたのを覚えている。
しかし、その子が産声をあげることはなかった。死産であった。
赤子が死ぬことは珍しいことではない。
だが、小鈴には初めての経験であり、受け入れがたいことだったのだろう。
それからというもの、小鈴は碧空に過剰といえるほど構うようになった。
碧空はそれを拒絶したのである。
「拒絶、したつもりはないけど」
「お嬢ちゃんは果たしてそう受け取ったかのう」
碧空は転生者である。見た目は幼いが、死を受け入れられるまでには精神が成熟している。
だが、小鈴は大人ぶっていても見かけ通りの五歳児に過ぎない。
喪失感を、碧空を身代わりにすることで癒そうとした。
「その気持ちはわかります。私も彼女を慰めてあげたい」
けれど。
「それは友達として、です。私が身代わりになるというのはいけない。妹さんは死んだんです。彼女の妹として死んだんです」
碧空はそれを伝えようとしたが、小鈴は喚き始めてしまって、かなわなかった。
絶交だと言って、帰った。
今朝も家を訪ねたが、顔を見せてはくれなかった。
「このまま絶交するか」
「仕方ありません。私は曲げない。それが友人としての最後の仕事になるとしても」
「強情じゃのう」
「強情じゃありません」
「お主は教育者が向いてるぞい。器用ではないがな」
将儀は王手を放つ。将儀が好調というよりは相手が精彩を欠いていると言えた。
碧空はなすすべもなく負けてしまった。
「……ふむう。手応えがないのう……それはなんじゃ?」
将儀が示したのは、碧空が昨日祖母と作った人形だった。
せめてもの慰めに、小鈴にあげようと思っていた。
「人形か。わしがもらおう。戦利品としてな」
「え、でもそれは……」
「うむ。初めて作ったわりによくできておるわい」
将儀には有無を言わさないところがあるので、観念して人形はあげることにした。
欲しいというなら新しく縫ってもいいのだが。
「いや、これがいい。想いがこもっておるでな」
翌日、小鳥が囀ずり始めた頃合い。
碧空を呼び止める者がいる。
「小鈴……?」
「碧空、ごめんね」
仲直りのための言葉を紡ぐより早く、小鈴の体が胸に飛び込んできていた。
「ごめんね、私。悲しくて、碧空を妹の代わりにしてた。碧空は友達で、妹じゃないのに。ごめんね、本当にごめんね……」
碧空は突然のことに驚き戸惑いつつも、泣きじゃくる小鈴をあやすことに専念した。
小さな手で抱き止めて、大丈夫だよと落ち着くまで撫で続けた。
このまま疎遠になってしまうかも知れない、と思っていたから、和解することはうれしい。
けれど、突然どうしたのだろう。
その理由は、泣きすぎて赤く熟れた桃の実のようになった小鈴からようやく聞けたのだった。
昨夜、小鈴は深夜にふと目を覚ました。
誰かに呼びかけられた気がする。
なにか気配がして窓を見ると、ぼんやりとなにかが光っている。
蛍のような淡くぼんやりとした光。
近づくと、その光はまるで自分に話しかけてくるように明滅を繰り返す。
小鈴には、それが「さよなら、ありがとう」と言っているように感じられた。
翌朝、目を覚ますと、いつのまにか寝床に戻っていて、窓に光はなく、代わりに人形が置いてあったという。
「これ、私が作った人形……」
「あの光は、きっと私の妹だったんだと思う。魂魄が戻ってきて人形に宿ったんだわ。私に会いに来てくれたのよ」
ありがとう。妹に会わせてくれて。
碧空の人形のおかげだわ。大切にするね。
小鈴はまた泣き出してしまい。
その感謝の涙は絶えることがなかった。
いつものように長椅子に座って将棋を指す。
「……小鈴は感謝してましたよ」
「ほお、それはよかったのう。わしはなんにもしとらんが」
「昨日あげた人形はどうしたんですか?」
「酒代が払えなくてあげちまったよ」
「五歳児の作った人形が酒代になるわけないでしょうに」
碧空は嘆息した。
「私からもお礼を言いますね。ありがとうございます。これで小鈴も前を向いて歩いていけます」
「なんのことだか。それよりもわしの新手を見よ。どうじゃ、これで王手じゃ」
「悪手ですね」
「な、え、な、えー? あ、あそう。え、でもこうすればよくないか?」
「いえ、それはここに歩を打てば」
「あ、あーそう。歩をね。あー、歩ね」
「はい、歩です」
「……とほほ。急にまた強くなりおって。調子を取り戻させるんじゃなかったわい……」
一気に形勢不利になってしまった将儀は、小鈴が駆け寄ってくる気配を察すると勝負をうやむやにして逃げる算段を始めるのだった。