第六話 碧空、誘いを断り将棋を指す
【第六話】碧空、誘いを断り将棋を指す
仙人。
人という枠組みから外れ、超人的な能力や技術を獲得した存在。
不老長寿に至る術を知り、何千年と生きる者もいるという。
大国の皇帝が莫大な富や権力の代わりに欲したとて手にいれることはできない。
人類の願い、不老不死。
数えきれぬほどの人々が熱望するその存在。
「興味ないです」
碧空は一刀のもとに叩き切った。
「お、お主、まさかとは思うが仙人のことを知らぬわけではあるまい?」
「いえいえ、知ってますよ」
碧空は自分の知っている仙人のイメージを伝えたところ、老人は否定しなかった。
「ふむ。別に強制するわけではないが、参考までになぜか理由を聞いてもいいかの」
「なぜかと問われましても、特におもしろい答えがあるわけじゃないんですよね。私は、当たり前に生きて、私なりの幸せを探すだけなので、仙人になる必要はないというところでしょうか」
「ふうむ? 老若男女みんななりたがる大人気職業なんじゃがのう」
「そんなこと言われても、そうですかとしか言えませんよ。というか仙人て職業なんですか?」
仙人だからって梨を売っていれば梨売りだし。
この老人のように油を売っていればごくつぶしなのではなかろうか。
すると、仙人にしかできない仕事、天候を操るとか、秘薬を作るとかをする人は職業的仙人といったところか。
「仕事というとちと違うかも知れんが、少なくともわしは仙人という役割に誇りを持っとるよ」
「誇りをもって梨泥棒したんですか」
「誰かがやらねばならぬことだったんじゃ。ならばわしがやった方が後腐れがないじゃろ」
「必要悪とでも言うんですか。捨ててしまいなさいそんな矜持」
「わしから仙人をとったら何も残らんぞ!」
「立派な大人がそんな情けないこと言わないでください!」
「お主、老人には優しくせよと教わらんかったのか」
「なに急に年よりぶっているんですか。あなた、本当は若い姿にもなれるんでしょう?」
「……なんでそう思う?」
老人は白い眉毛を大きくあげて、驚いた。
「先日の鏡に姿が映ってましたよ。十年後の姿の方が若かったです。とはいえその前からもしやとは思ってました。言動が若いですしね」
思い返せば、高いとこ登ったり、堅い桃をむしゃむしゃ食べたり。
「化けるならそういうところからなりきらないと」
「ほっほ、わしに説法か」
「そんなつもりもないですが」
老人は碧空をぎろりと睨み付けると、怯む様子もない碧空に一転破顔した。
そして、立ち上がり、片足で一度強く地面を踏みつけると、その姿はたちまち青年といっていい年頃のものとなった。
平々凡々、どこにでもいそうな顔である。
しかし、口では説明しづらい、これといって特徴のない顔であった。
この顔はなにか変だな、と思った。
「なにか顔を見せたくない理由でもあるんですか? 別に無理に見せてもらおうとは思いませんが」
「なんのことじゃ」
「それ、その顔ですよ。そんなのっぺりとしてるわけじゃないでしょう」
「なんと。まだごまかしていると見破ったか。かか、よくわかったの。同じ仙道でも気づかぬものがいるというのに」
仙道とは、仙人とそれの見習いにあたる道士をひっくるめたときの呼び方だ。
碧空は専門の人でもわからないものを簡単に見破ってしまったようである。
「はあ。まぁ、なんとなく」
老人は改めて正体を現した。
その姿は、目鼻立ち整い、物腰は穏やか、所作は洗練されていて、気品ある美青年といっていい。
ただ、どこか小憎たらしくも憎みきれない愛嬌のようなものがあった。
「ジャニースに入れそうな外見じゃないですか。アラシのニノみたいな」
「はて。蛇二位州とは? 阿裸子乃弐野とはなんのことじゃ」
「いえいえ。こっちのことです。あ、でも、しゃべり方は変わらないんですね」
「ほっとけ。これは素じゃ」
「名前はなんて呼べばいいですか」
「名前か。ふむ……」
名前を明かしたくない理由でもあるのかも知れないが、そんなことは碧空には関係ない。
「いつまでも名無しじゃ不便でしょう。偽名でもなんでもいいですよ。呼ばれたい名前をいってください」
「将儀。わしの名前は将儀じゃ」
「じゃあ将儀さんと呼びますね」
「う、うむ……」
老人将儀にとって、こうも気安く扱われるのは新鮮で面食らうものであったが、内心楽しくもある。
実はそこそこ立場のある将儀は丁重にもてなされることが多い。
時には神のごとく崇められることもあるくらいだ。正直、疲れる。
「将儀、将儀かぁ……あ、なんだか久しぶりに将棋が指したくなりましたね」
「わしを指したい!?」
「いや、将儀さんじゃなくて、胸元を隠すな乙女か、そうじゃなくて将棋のことで」
「痛くせんといてくれな」
「だからちゃうがな。なにをされる気ですか」
「冗談じゃ。して将棋とは?」
「知りませんか? 盤と駒を使う遊戯で……」
碧空は将棋について説明する。
どうやら将棋そのものはないにしろ、それの前身となるものはあるらしい。
「しかし、これは遊戯ではないぞ。王族が軍略を練る際や、時には占いとして使われる高度なものじゃ」
「そうなんですか。そういえばそんな話を聞いたことがあるような」
将棋の他に碁なども昔は風水や占いに使われるものだったとか、かんとか。
「まぁ、いいじゃないですか。遊戯じゃないなら遊戯にしちゃいましょう」
「ふむ。まぁ、いいか。それにその将棋とやらの方が洗練されていて、面白そうじゃ」
二人は早速、木の板などで即席の駒を作り、地面に盤を書いて将棋をすることにした。
最初こそ駒の動き方や持ち駒について戸惑ったものの、数回対戦した頃には将儀はすっかり将棋にのめり込んでいた。
「ほほぉ。これはいいものじゃ。おもしろいのう。なぁなぁ、もう一局。もう一局やろう」
「はいはい」
幼児の体は思い通りに動かないので運動するにはもどかしいことも多いが、将棋の駒は記憶通りの動きをするのが嬉しい。
「うぬぬ、また負けた。もう一局、もう一局じゃぁ」
「はいはい」
連戦は少し疲れてはいたが、子供のようにはしゃぐ将儀を見ていたら相手をしてやろうかという気になる碧空である。
だからといって、わざと負けてあげるのは違うと思う。
矢倉、穴熊、居飛車、棒銀。かじった程度の将棋知識で仙人相手に将棋無双。
再度変身することも忘れて、美青年姿の将儀が五歳児に勝負をねだる光景。
結局、その日は日が暮れ始めるまで将棋をして過ごしたのだった。
数日後。
将儀がご満悦な顔で持ってきたのは、立派な将棋盤と駒であった。
碧空から詳しく聞き出した情報を頼りに、知り合いの木工が得意な人に頼んで作ってもらったらしい。
「やぁ、碧空。元気でやっとるか。元気じゃ名、元気じゃろ。ささ、世間話はまぁ、一局指しながらといこう」
「将儀さん、あなた他に友達はいないんですか」
「いるにはいるが、お主と指している方が楽しいのじゃよ。ささ、そこの長椅子に座るがよかろ」
それからしばらく、将儀は将棋をしに通いつめることとなる。
後に、ここで生まれた将棋は大陸中を席巻する大流行を起こすが、それはまた別の話。
親子以上に、いや祖父母すら何倍も凌駕した、年の離れた将棋友達が碧空にできたのだった。