第五話 碧空、水鏡で姿が変わる
【第五話】碧空、水鏡で姿が変わる
ある日、老人は大きな鏡を持ってきた。
「そんな大きなものよくもってきましたね」
「ああ。わし、仙人じゃから」
老人が手を振るうと、顔よりも大きな鏡が袖の中に入ってしまった。
「わあ。便利」
「大抵の仙人ならこれくらいできるんじゃよ。どれだけしまえるかは力量によるがな」
四次元ポケットならぬ、四次元袖の中。
これは便利でいいなと思う碧空。普通の人間でも使えないのだろうか。
「もっと驚くといいぞい。この鏡はさらにすごい」
鏡といっても、肝心の鏡面がない。細工の立派な額があるだけだ。
「これでなにを見るっていうんです? 随分見通しはいいですけど」
「まぁ、待て。この辺に底の浅い池はないか? 流れが遅いのなら川でもいい。ああ、あそこのはダメじゃ。深すぎる」
結局、みずたまりとなった。
「……こんな立派な代物を道端の水たまりになんかつけちゃって大丈夫なんです?」
「これは借り物じゃが、まぁ、後で洗って返せばいいじゃろ。それより、ほらのぞいてみい」
「のぞけと言われても」
額だけを、水に浸して水鏡。
なんてしょうもない。
と思ったが。
「あ、あれ?」
水面に映ったのは、五歳の女児ではなかった。
齢十四、五。
花簪をつけて、白粉を塗り、唇に紅をさした、可憐な美少女の姿がそこにあった。
「ねぇ、この鏡知らない人が映ってるんですけど不良品じゃありません?」
「不良品なものか。それに、知らない相手でもない」
「まさか!」
「そうじゃ」
「将来の結婚相手が映る鏡ですか!」
「違う!」
「なーんだ……」
都市伝説的なものじゃないのか。
「というか、お主は女じゃろうが」
転生して五年。女児として育てられてはいても、意識は前世のままなのだからしようがない。
「結婚相手ではないということは、これは」
「お主の十年後の姿じゃよ」
「ええーうそだー」
にわかには信じがたい。
前世であれば国民的美少女に選出されるレベルだ。
自分がこんなにかわいいはずはない。
もっとも、今生では鏡が普及していないので、普段から自分の顔を見慣れているわけじゃないけれど。
「これはな、未来の姿をのぞく力を持った宝貝なのじゃ」
「宝貝? ああ、仙人の道具ですね」
漫画や小説で読んだことがある。
西遊記の孫悟空が持つ如意棒や金斗雲。封神演義の太公望が持つ打神鞭など。
要するに、科学で作られたのではない、不思議な道具のこと。
「なんと。宝貝のことも知ってるのか。男子こーこーせーとは物知りだのう」
「ええ、そのまぁ、はい……」
そう誉められると、漫画や小説ばかり読んでいた身としては後ろめたい気分になる。
「でも、これが本当に十年後の姿かはともかく、すごい道具ですね。立派な服を着てるし」
スマホアプリを超えてるな。
「それだけじゃないぞい。ほれ」
「え?」
げし。
びしゃん!
背中を蹴られて顔面から落水した。
ただの水たまりのはずなのに深い水の中に落ちたような感覚。
平衡感覚を失いかけて、焦って水面へと浮き上がった。
「……って、いきなりなにをすんですか、あなたは。ああもう、びしょびしょじゃないですか」
「すまんすまん。じゃが、よう見てみい。自分の姿を」
「自分の姿を見ろってびしょびしょに濡れてるのに決まって……あれ?」
びしょびしょではある。
いや、それどころではない。
碧空は先程水鏡で見た十年後の姿へと変身していたのだった。
「美女美女じゃろ」
老人のつまらない冗談はともかく。
「ええ、なんですか、これは。うわ、指細い! きれい!」
「それがこの宝貝のもう一つの力、水面に映した姿に変身させる力じゃ」
「これが、私……? 十五才になった……すごい、すごい」
ぴちゃん、ぴちゃん……。
「あの、すごい濡れてるんですけど」
「うむ。それがこの宝貝の最大の欠点なんじゃ」
欠点でかいな。
「濡れずに変身できないんですか」
「構造上それはできんようになっとる。ちなみに乾くと変身は解ける」
使えない宝貝である。
「いや、というか別に変身したいわけじゃないんですよ! なんで水に落としたんですか! 口で説明してくださいよ、口で!」
「えー、だって実際体験した方が楽しいじゃろー?」
「じゃあ、自分が落ちろ!」
「いや、じじいの十年後を見たってなんにも……ぎゃ、ぎゃー、やめて、落とされるぅー! じじい虐待ー!」
たしかに十年経ったところでじじいはじじいだろうが、碧空の目的はじじいを濡らすことなので問題ないのである。
「ん? 今、一瞬映ったのは……」
「お姉さんたちなにしてるの?」
振り返ると、小鈴だった。後ろには雷邦や他の子供達もいる。
どうしてここに、と思ったが、なんてことはない。
近所でわあわあ騒いでいたら見つかるのは自明の理。
「ね、どうしよう……って、おじいさんいないし!」
老人は煙のように姿を消していた。
「すごくきれいな服……でも、びしょびしょだね。水たまりで転んだの?」
「はは、まぁ、そんなところなんだけど」
まだバレていない、か。
隠すことでもないのかも知れないが。
「あれ? お姉さん、碧空ちゃんに似てない?」
ぎくり。
「もしかして……碧空ちゃんのお姉ちゃん?」
ほ、と安堵。
「そうそう。そうなんですよ。といっても親戚なの。親戚のお姉ちゃん。いつも碧空と遊んでくれてありがとうございますね」
「そうなんだー。こちらこそー」
小鈴は素直でいい子だ。疑う様子もない。
雷邦たちはどうだろうか。
碧空が視線をやると。
「……っ!」
目があったが、どうも様子がおかしい。
とりあえず微笑んでおいた。
すると、ますます様子がおかしくなった。
戸惑っているのだろうか。初対面の相手であるし、今の碧空くらいの年頃の娘はこの辺りには少ないから。
「あの、これ、使えよ」
雷邦が差し出してきたのは手拭い。
「あら、ありがとう」
なんだ。親切にできるんじゃないか。
手拭いで軽く水滴を除く。全身びしょ濡れで到底足りないけれど。
みんな普段とは違い浮き足たっている様子なので、碧空から口を開く。
ええと、親戚のお姉さんらしく。
「みんなのことも、碧空から聞いているよ。あの子と仲良くしてくれてありがとう。おっとりとしている子だから迷惑かけるかも知れないけれど、お兄ちゃんたちが守ってあげてね」
「は、はい!」
威勢の良い返事だな。
それからというもの。
「いいものもってんじゃねえか。お前にはもったいない。よこせよ」
なんて、赤い実を抱えた碧空からそれを横取りしようとする者が現れると、
「やい、なにを弱いものいじめしてやがる。そいつに手を出したら俺たちが黙ってねえぞ!」
以前の自分たちの悪行は棚にあげ、雷邦たちが助けてくれるようになったのだった。
「助けてくれてありがとう」
「いいってことよ。これからも困ったことがあったらすぐ俺に……俺たちに言えよ。なにせ俺たちはお前のお兄ちゃんなんだからな」
劇的に変わりすぎて、碧空は笑うしかない。
その話をまたふらりとやってきた老人に話すと、老人は碧空から分けてもらった果実にむしゃぶりつきながら答えた。
「よかったではないか。関係良好になってなにが困ろう」
「まぁ、そうですけどね。ただあの架空のお姉さんをでっち上げるのが面倒で」
「会うことがなければ心は移ろうもの。せわしい子供なら尚更。しばらくの間は我慢せい」
しかし、年頃を迎えてようやく忘れた頃にその憧れのお姉さんは姿を現すのだ。
子供らは平静ではいられまい。将来後悔することになるだろうと老人は思う。
「……ありがとうございました」
「はて。わしは礼をいわれるようなことはなにもしておらんが」
「そちらはとぼけるつもりでも、お礼はさせてもらいますよ」
「ほっほ。なら受けておこうかの」
老人は荒れ地の向こうに見える悠久の山々を見つめている。
隣で、碧空は幼児ゆえの猫舌で白湯に悪戦苦闘しながらもそれを楽しんでいる。
「お主、仙人になってみる気はないか」
老人は茶飲み友達に接するような気楽さで提案したのだった。
本日の更新はここまで
ありがとうございました