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第四二話 不戯、酒を飲み蛍雪を想う

第四二話『不戯、酒を飲み蛍雪を想う』



 不戯ふぎが夜ごと遅くまで飲みふけるというので碧空へきくうに声がかかった。

 都ならばいざ知らず、こんな田舎の復興したての邑に酒場などなく、酒好きの邑人が作りおいていたのを飲むという。

 不戯と父親が終わりなく飲み続けるのを困った家人から訴えがあったのだった。


 碧空がその家を訪れると、まさに聞いた通りの光景が広がっており、酔っ払い二人はやれ猿の交尾を見ただのやれ猪の交尾を見ただのといった与太話を繰り返している。


「不戯さんいつまで飲む気ですか」

「おう、碧空殿。あなたも飲まれますか? なに、幼くて飲めない? 問題ない。あなたが飲めるようになるまで我らは飲み続けましょう」


 話を聞かぬことにかけては酔っ払いに勝るものなどいないもので。

 碧空の説得もどこ吹く風と酔っ払い二人は飲み続ける。

 仕方なしに、碧空は莉音りおんより借りた杯を取り出した。


「私では酒のお相手はできませんが、せめてこちらをお使いください」

「これは立派な酒杯だな。色も形も、大きさもよい。喜んで使わせていただこう」


 その杯に酒を注ぐと、静謐な湖面に木々山々と星々が浮かぶようだった。

 なにか足らぬと月明かりにかざせば、今宵は満月。

 杯の中に浮かぶ風景は夜の桃仙郷のように美しい。


「おお、これは見事」


 この家の主人、家人すら見惚れていると、驚くべきことか、杯の中の月より、使者が訪れ現実へと躍り出た。

 豊かに年を重ねた色香を漂わせる美女の名は、嫦娥じょうが

 月に住む仙女とも精霊とも、月の魔性の化身ともされる。

 彼女にお酌をされるとなんともよい心地で酒に酔える。

 美酒に美女に馬鹿話。

 酒こそ簡単な手法の猿酒であったが、その他二つを揃えてはうまし酔えしとその家の主人はすっかり幸せに眠りこんでしまった。


「主人はもうお休みのようですね」

「不甲斐ないな。俺はまだ飲み足りないぞ」

「とはいえ、ここは彼の家。続きは河岸を変えましょう」


 不戯と碧空は川のせせらぐ丘の上へとやってきて星空の下の酒宴を続けた。

 嫦娥に酌をされてご満悦の不戯であったが、碧空が


「美女の借はお酒をよりおいしくさせるものと聞きます。今晩の酒は今までで一番のものですか」


 と問えば、数瞬ののちに不戯の顔はこわばり曇ってしまった。


「残念ながら、これ以上の酒を知っている」

「はて、それはどなたのお酌で」

「小賢しいやつめ。わかってていってるだろ」

「さぁ、詳しくは。都であったあの女性で?」

「……ああ、そうだよ。俺の惚れたあの人さ」


 関蛍雪かんけいせつ

 親戚のお姉さんにして、義母。

 都の王妃でありながら、明るくサバサバとして、よく気が付き、身分の隔てなく誰とでも平等に接する。

 器も大きくて、自分の悪口を言っていた相手ともいつのまにか友人になってしまうくらいだ。

 その人柄ゆえに、彼女の周囲には自然と人が集まり、人の輪ができる。


 不戯はせきを切ったように彼女の魅力を語った。

 のろけ話だ。

 残念なことに彼の細君つまではないのだけれど。


 振られた程度で、気持ちは消えない。

 否。

 むしろ離れたことで慕情が募ることもあるのだと。


「こういう話、お前にはまだ早いか」

「後学のためになります」


 彼の頭には、未練がたっぷり詰まっていた。

 一夜のことで尽きることもあるまいが、彼はとうとうと、思いつくままに彼女の話を垂れ流し続けた。


「いつか忘れられると思うか」

「さて、わかりません。私はまだ恋も知らないので」

「そうか」


「しかし、無理に忘れずともいいのでは。じんと胸の傷が痛むのもそれだけその女性のよさと惚れこんだ証を意味するものならば、その痛みを味わうことも人生の妙というもの。女でおった傷は女で癒すといいますが、最上の女性で傷を負ったなら長引いても仕方ないでしょう」


 最上の女性。

 最愛の人。

 それほどまでに惚れ込めた人と巡り会えたことを誇らしく思えたなら。

 この胸の疼きすら幸せの証明。

 ……いつか彼女以上の癒しが現れるとは思えないけれど。


「お前は本当に幼女か。信じられんな。お前も実は仙女じゃあるまいな」

「耳年増なだけですよ。あ、杯があいてしまいましたね。お代わりしますか?」

「いや、水でいい」


 不戯は空を見上げて杯をあおいだ。


「ああ、うまいな」



 それからというもの。

 不戯は毎晩飲み明かすような真似は控えるようになり。

 深酒をするときは、碧空のもとを訪れるようになったという。

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