第三八話 不戯、沙通宝と沙修均を破る
【第三八話】不戯、沙通宝と沙修均を破る
翌日の昼。
「まったく……あの師父ときたら」
不戯はぶつくさと言いながら、邑へと繰り出していた。
家にいてもすることがなく、妙なことばかり考えてしまうので、酒を飲んで気を紛らわせようと思ったのだ。
不戯は昔から義理の母である王妃を愛している。
そう指摘されても、認められるものか。
いや、確かに嫌いではない。親しくはある。向こうもそう思ってくれている、はず。
だけどそれはあくまで家族として。そう、家族としてだ。それ以外の特別な感情はない。
ないのだが……。
「ああ、くそ。義母上の顔が頭から離れねぇ」
気品ある顔立ちながら、ころころと娘のように変わる表情。
他人のことばかり心配して自分のこととなると無頓着。危なっかしくて見ていられない。
そうだ。
だからそんな王妃を守れるように仙人に弟子入りしたんだ。
結局、玉鼎真人のもとでは体術、武術ばかり修めて、仙術を操る才能に欠け、月日を経る内に志を失い破門となったが……。
「……結構老けてたな。まぁ、当然か。十年経ってんだもんな」
不戯が王妃のことを思い出しながら、酒場の入り口をくぐると、強烈な一撃が不戯を襲った。
「言いましたよね。この邑を出てけって」
天翔であった。
不戯がまた酒場に顔を出すと踏んで待ち伏せしていたらしい。
「聞き分けのない兄上には、どうやら徹底したしつけが必要みたいですね。やれ」
天翔の部下が殴りかかってくる。
王子相手だからといって手加減すると、天翔から叱咤されてしまうため、部下たちも本気で痛めつけるしかない。
全身打撲で擦り傷、切り傷多数。
そうまでやられても不戯は抵抗しなかった。
兄弟仲良く。
そう願う女性、王妃と碧空とかいう幼女の顔が浮かぶ。
不戯としても別にケンカしたいわけではない。
だが、相手がこれではどう仲良くしたらいいのだ。
「おや、これは……見たことのある石ですね?」
「んっ」
乱暴された拍子に首飾りの糸が切れて地面に宝石が散らばった。
不戯は拾い集めようとするも、攻められ続けてはそれも敵わない。
不戯の表情を見てとった天翔がにやりと笑い。
「確か、母上もこれと同じ宝石を持っていましたね。くく、兄上には不似合いだ。今度、僕が兄上に似合う、分相応な装飾品を見繕いましょう」
天翔は部下に命じた。
「だから、これは不要だ。砕き壊せ、沙通宝」
「な、やめ……」
鉄棍棒が振り上げられ。
非情な命令のもとに、不戯の翡翠が砕かれた。
「あ、ああ……」
散らばった翡翠は皮肉にも美しかった。
破壊の美とでも称するべきか。
しかし、それに飽いても元には戻らない。
もう決して戻らない。
「大の男が、首飾りが壊れたくらいで取り乱さないでくださいよ。ちゃんと弁償しますから。どうしたんです。その目つき。あれがよかったなんて、子供みたいなダダをこねないで下さいね」
「て、めえ。このクソ野郎……」
「なんですか。乱暴な言葉遣いで。僕はね、我慢ならないんですよ。あんたみたいな人間が、僕の周りをうろついているのがね」
部下に組み敷かれ、倒れ伏した不戯は、それでも砕かれた翡翠をかき集めようと手をのばす。
天翔はその手を踏みにじった。
「いい加減失せろよ。この邑の次の王は僕だ」
「ええ、そうでしょう。王様はあなたです」
ギクリ。
天翔の顔が強ばったのがわかった。
不戯が顔を上げると、小さな弟の向こう。
瞳に黒曜石の光を宿した、凜とした幼女が立っている。
「優秀で、博学で、人望も厚い、早熟の天才」
最初に会ったときのような、饅頭のようなしまりのなさは消え失せ、強固な意志を感じさせる峻厳な相貌。
碧空。
彼女は怒っている。
なにに対して。
「なのに、兄弟仲良くもできないんですか? 王様は!」
碧空の激しい感情が発せられた。
子供らしからぬ威圧感に、男たちが一瞬呆気にとられる。
「くっ、先日の妖術師か、余計な真似はご遠慮いただきたいですね! 沙修均!」
いち早く立ち直った天翔が、部下に命じる。
大男、沙修均は碧空へと迫り、そして。
あっさりと幼女を捕まえた。
ぷらーん。
熊のような大男とあどけない幼女とでは当然の結果といえよう。
だが。
「我が愛妹に、さわるな下郎」
響き渡る歌声を合図にどこからともなく現れた蟻の大群が大男を覆い尽くす。
仲間を助けようと集まった兵士たちの前に、立ち塞がるは、流麗なる美剣士、玉鼎真人。
兵士たちの間を縫うような動きで駆け抜けると、兵士たちの剣のことごとくが折れ、見たくもない裸体をさらす結果となった。
「……つまらないものを切ってしまった」
燕青が不戯を組み敷いていた沙通宝の顎を砕き吹き飛ばすと、戒めから解放された不戯に碧空が傷薬を塗った。
「昨日あれだけのケガをしたというのに、反省のないのは男の子だからですかね」
「そういう性分なんだ」
「それではすみませんよ。このままやられっぱなしで終わる気ですか?」
「あいつのいうことも、もっともだからなぁ」
「あの人の方が王様に相応しい? だからなんです。そんな話はしてません」
「は?」
「お兄ちゃんの仕事をしなさい!」
幼女にびしりと言われて固まる不戯。
お兄ちゃん。
そうか、お兄ちゃんか。
故郷を離れていた間に生まれた弟。思えば兄らしいことはなにひとつしていない。
「不戯。己の力を示してみろ」
不戯は玉鼎真人の投げる剣を起き上がりざまにつかみ、構える。
それを見届け、潮が引くように碧雲たちは下がる。
仙道たちの人界への介入は歓迎されない。
とはいえ、危害を加えられる場合は無論抵抗してもよいことになっている。
つまりこれは、確信的過剰防衛。
しかしここからは違う。
「弟よ。俺は確かにダメな兄貴だが、それでも年長として一言いわねばならないことがある。聞け、我が弟天翔よ」
「愚者の戯言など聞く耳持ちません!」
天翔がさっと手を振り下ろすと部下たちが不戯へと殺到した。
槍、棍、鉄剣。多勢に無勢。
あわれ不戯は刃の露と消えるかに見えた……。
「目上の者を敬え! バカにするんじゃねえぇぇ!」
剛剣一閃。
不戯は周りに群がる下級兵を力任せに吹き飛ばす。
「ぐわっ、なんという膂力」
「本当に人間かっ」
「人を化け物みたいに言うんじゃねえよ。師父に比べりゃ普通に人間だってーの」
不戯は腰を低くし、鉄剣を横に構える。
さて次はどうするかと思えば疾風のように飛び回り、敵を切り裂いていく。
剛剣、流剣、自由自在。
玉鼎真人にして武術の才は門下一と認めさしめた道士関不戯ここにあり。
「かつて竜の不戯、虎の恵風と並び称された力、いまだ衰えを知らず、てとこだな」
「二人がかりで行かねばなるまいね」
それぞれ鉄棍棒と鉄斧を持った大男二人が不戯に襲いかかる。
沙通宝、沙修均兄弟の連携絶技。
遊技殴。
息の揃った攻防一体の技を防げる者なし。
でした。これまでは。
「わりと強かったぜ」
神速の域に達した不戯の剣技が沙兄弟を破った。
「まさか沙兄弟ですら敵わないとは……」
死んでないけど死屍累々。無事な者でも怯え腰。
「あれ? なんか強すぎないです?」
碧空たちすら呆気にとられる獅子奮迅ぶりである。
「さて、次はどいつだ。我が弟殿か」
「く、くるな」
逃げる天翔。
「ありゃ、随分派手にやられてるじゃない」
そこへやってきたのは、先日碧空たちを案内してくれたあの男だった。
「来たか。恵風」
「来たよ。不戯ちゃん」
竜虎合い見える。