第三五話 鳳王、碧空たちの前に登場す
【第三五話】鳳王、碧空たちの前に登場す
「あそこの酒場だ」
声をかけてきた男は沙恵風と名乗った。
切れ長の瞳に、細面だがたくましい体つきをしていて、とてもかっこいい。
恵風は、見事な鉄剣を換金に出した旅人の噂に興味を持ちわざわざ尋ねてきたのだが、玉鼎真人と武器談義に話を咲かせた後、親切に不戯の居所まで道案内してくれたのだった。
「ありがとう。恵風さん」
「いいってことよ。そんじゃ、またな」
恵風と別れ、酒場に入る。
酒場の中は日も暮れないうちから酔っ払った男たちがわんさかいたが、中でもとびきり賑やかな一画があった。
「なーなー春麗ちゃーん。お酌ぅ。お酌してくれよぉーん。一杯だけ。一杯だけでいいからさぁー」
赤裸顔でひげ面の男が、酒場の娘に言い寄るもすげなく断られている。
きりっとすれば少しは見映えもするだろうに、しまりのない顔をしてるものだからどうしようもない。
「一回だけ。ほんと一回だけでイイから! お尻さわらせて!」
ぺしん。
酒場の娘にひっぱたかれて、嬉しそうに尻餅をついた男。
碧空は玉鼎真人の表情を見て察した。
「もしかしてあれが……」
「……元弟子の不戯だ」
玉鼎真人は深いため息をついた。
「いやぁ、春麗ちゃんのビンタは効くなぁ。なぁ、おい、あんたもそう思うだろ?」
「わからん。されたことがないのでな」
「ははは。じゃあ、一発経験することをおすすめするぜー……ってあら? あんたどっかで見覚えが」
「縁が切れれば顔も忘れるか、不戯よ」
「げげ、そのつまんなさそうな声、クソ真面目な顔。玉鼎師父! 玉鼎師父じゃないっすか」
不戯は焦っているわりにはのたのたと居住まいを正して玉鼎真人に礼を示す。
「久し振りに会ったというのに、えらい言いようだな。お前は、私のことそう思っていたのか」
「ははは。ま、ま、酔っ払いの戯言と聞き流して下さいよ。あり? もしかしてその後ろの娘さんたちは師父のお連れさんで? 女人同伴とは堅物の師父にしては珍しい」
不敬にあたる態度だが、玉鼎真人には許している節がある。
「なぁ、聞いたか聞いたかな? 一目で私を女人と判断したよ。彼はいいやつだね」
「燕青姉さんはちゃんと女性に見えますから」
碧空が燕青を落ち着かせる。
「お前が勘ぐるような仲ではない」
「そうなんですか。それなら是非俺にお酌を一杯お願いしたいねぇ。そこの異国風な姉ちゃんと男前な姉ちゃんと、ちびっ子……はは。お嬢ちゃんのお尻は十年後だな」
「お尻はさわらせないので」
「十年後でも?」
「十年後でも」
碧空のお尻は姉である私のものなのだ、と莉音がたわけたことを言っているのは流して。
碧空たちは用件を告げた。
碧空たちの邑へと来て、武術師範として邑人を鍛えてやってはくれないかと。
「あい、わかった。断る」
断られた。
「なぜか聞いていいですか」
「今の生活を気に入っているんだ。よそへ移ってあくせく働きたくないね」
「今はなんの仕事を?」
「いやー、なーんにも? そもそも働く気がない」
……こ、この人、ニートか。
「期待されているのにか?」
「師父。俺ぁ、仙道になれなかった落伍者です。でも、今となっちゃ、それでよかったと思ってるんです」
人生に乾杯、と不戯は酒をあおった。
「酒に溺れ女に惑う生活か」
「最高ですよ」
玉鼎真人は深いため息をついて「帰ろう」と言った。
「元々不真面目な男であったが、もう少しまともかと思っていた」
「いやぁ、師父自らご足労いただいたのにすいませんねぇ。あっしはまともじゃねえんで」
玉鼎真人の背中に叫ぶように大きな声を浴びせ、酔っ払い特有の笑い声を上げた。
「帰ろう、碧空。この男、ただの酔っ払いの穀潰しだ」
燕青は碧空を促し帰りかけるが。
そのとき。
「よいではないですか、兄者。一緒に行けば。関邑には僕たちがいます。兄者のご不在も立派に守り通してみせますよ」
他の酔客がざわめく。
その者の登場で、一瞬で空気が変わったのがわかった。
尊大な口調で、尊大な態度で、尊大な表情をして歩いてくる幼児。
後ろに屈強な男たちを引き連れて、この世の全てを見下すような冷たい視線。
幼児でありながら、誰もがその歩みを妨げることのできない、圧倒的な風格。
そうか、この人が。
「鳳王様だ」
誰かが畏怖を込めて呟く。
鳳王、関天翔。
王の末子に産まれ、数々の改革を成してきた天才。
その偉業から邑人の尊崇を一手に集め、王の継承を待たずして王と称される。
いや。
そんなことより。
碧空は驚愕したのは鳳王の登場などではなく。
鳳王に兄者って言われるってことは、もしかしてこの髭面の酔っ払い。
「不戯ってこの邑の王子様?」
ただの酔っ払いじゃなかった!