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第二九話 地狼に襲われ戒羽が大怪我を負う

【第二九話】地狼に襲われ戒羽が大怪我を負う



 話し合いが膠着すると、段々思考力が落ちてくるものだ。

 碧空は話し合いの場である、晁雲の家を離れて、自分たちに割り当てられた一際粗末な物置小屋へと向かった。


 碧空たちの生活は、捕虜でありながら不自由を感じるほどのものではない。

 夜の間、監視はつくし、家族はばらばらにした上で狩猟や採取の手伝いをさせられたが、監禁されるよりは体を動かすことで気が晴れた。

 特に、碧空は幼児ということもあってわりと自由にさせてもらっている。


「なんだ。抜けだしてきたのか」


 碧空の姿を見つけて声をかけてきたのは、十二歳の少年である。


 名を戒羽かいう。晁雲の甥であるが、先の天災で両親を亡くしたため晁雲のもとで世話になっている。

 碧空とは何度か顔を合わせていた。


「あんなに黙って座ってたら石になっちゃいそうだよ」

「……お前、面白いこというな」


 そう言いながら、ちっともそう思ってはいなそうな顔をする戒羽である。

 普段から陰のある雰囲気をまとっているから、他意はないのかも知れない。


 物置小屋へと戻るつもりだったが、なんとはなしに戒羽が後ろをついてくるので、足の向くままに散歩をすることにする。

 藪を抜けて陽光の差し込む森に入り、視界には入らないけれどもそこかしこから生き物の気配がする一帯を散策する。


「あ、よもぎだ。わ、あっちにも。いっぱい生えてる」


 この太華にも、よもぎが自生していることは知っていた。日本にいた頃にはよく天ぷらにして食べたものである。

 こちらのよもぎも、日本のものとほぼ同じだが、あまり食べたりしないようだ。


 葉には止血作用もあって、擦り傷に使った記憶があるが、これはおそらく顔も思い出せない前世の祖母との思い出だろう。


「そんな草を摘んでどうするんだ?」

「戒羽さんは知らないの?」


 よもぎの効能と美味しい食べ方について説明すると、戒羽は感心するように唸った。


「ふぅん、俺たちの邑にはない知識だ。前にいた場所ではあまり見かけなかったしな。しかし、そうか……」


 戒羽が大人びた雰囲気に見えるのは、碧空が幼い為の相対的なものだろうか。


 いや、そういえば戒羽は雷邦とも同い年であるが、彼に比べても年上に思える。

 早くに両親と死別したせいだろうか。


「……あれ?」


 視界の隅でなにかが動いた気がして目をこらす。


「どうしたんだ?」

「今、一瞬、あそこになにかがいたような……あれは、犬? 結構大きな」


 碧空が指さしたのは東にそびえる山の斜面。

 大きな石はあるものの、植物はまばらで、動物が隠れていられるとは碧空自身思えない。


「あの辺り? 小動物ではないのか? 隠れる場所もないように見えるが」

「うん。そうなんだけど……」


 理屈では否定しているが、直感が危険を告げている。

 獣の群れに襲われるんじゃないか、という。


「戒羽さん。急いで邑に戻りましょう。邑が危ないかも知れない」

「……わかった」


 戒羽は半信半疑というよりは、碧空がなにを怖れているのか理解していなかったが、その表情の真剣さに頷く形となった。

 二人は踵を返して邑へと戻る。その足は、次第に早くなっていった。

 何者かに狙われている。足を止めれば襲われる。


 ここに至って戒羽も碧空がなにを怖れているのか理解していた。

 うなじがジリジリと逆立つような緊張感を味わっている。


「……やばい」


 かつて父が生きていた時分に何度となく狩りに連れて行ってもらったことがあるが、その中で一度巨大な熊に遭遇したことがある。

 遠目であっても、自然界において決して覆すことのできない絶対的な力の差を感じたものだが、今はそれと似ているようで違う感覚だった。


 あの巨熊のような絶対性はない。けれど、今の方がより死の臭いが間近に迫っている。


「早く戻らないと……こんな幼児がいたら真っ先に狩られる……っ!」


 戒羽がそのとき動けたのは、多分に偶然によるところが大きい。足の遅い碧空に意識を向けたちょうどその瞬間に、碧空に襲いかかろうとする獣の姿に気づいた。


 とっさに碧空を抱えて地面に転がった、その空間を鋭い牙が通り過ぎた。


「今、確かに地面から生えた……こんな獣、一度も見たことないぞ」


 戒羽が驚くのも無理はない。

 長い毛を持ち、すらりとした脚に鋭利な爪を、前に突き出した口に無数の牙を備えたその獣は、ほんの数瞬前に、なにもない地面から出現したのだ。


 碧空はネズミから聞いていた話を思い出す。


 地狼。

 地面に潜る妖力を得た狼の一族だ。一度地面に潜られると剣も牙も届かず、臭いも気配も絶たれ、どこから襲ってくるのかわからなくなる。非情に厄介で危険な猛獣である。


「なんたる初見殺し……助けてもらえなかったら今ので致命傷だったかも知れません」


 しかし、危機は去っていない。

 地狼は子供二人など容易く牙にかけられると言わんばかりに地面には潜らず、邑へと続く進路に立ち塞がっている。


 戒羽は碧空を背後にかばい、地狼に立ち向かった。狩りの道具など持ってきていないので、山歩きのための五十センチほどの棒だけが身を守る頼りだ。


 戒羽は必死に抵抗したが、地狼の方が敏捷に優れ、力も強い。戒羽は十二歳の少年で、碧空という足手まといまでいる。

 鋭利な爪で皮膚を裂かれ、地べたに転がされて、血まみれ泥まみれ、戒羽は既にぼろぼろだ。


「おい。次に俺が狼に突っ込んだら、俺を置いて邑へ走れ」

「戒羽さんを置いていけないですよ」

「お前がここにいても役立たずなんだよ。こいつの群れが近くにいる可能性がある。邑の叔父たちに知らせるんだ。行け!」


 戒羽が地狼に躍りかかった、その瞬間に碧空は走り出す。

 地狼が反応して追いかけようとするが、戒羽は棒を投げつけてまで注意をそらす。


 素手になってはもはや地狼の爪を逃れる術はないが、それでもいいと戒羽は思っていた。

 先の天災により、両親を、友人を、妹を亡くした。

 無力であることを思い知らされ、鬱屈とした感情ばかりが積もっていた戒羽の心は、それを晴らす機会をずっと伺っていたのかも知れない。


 棒を避けて一瞬動きの止まった地狼に飛びかかって首にしがみつく。

 碧空の姿が見えなくなるまで、粘ってやる。

 そう思った次の瞬間、戒羽の目が驚きと絶望に見開かれる。


 碧空の目前に新たにもう一匹、地狼が姿を現したのだった。

 新たな地狼は唸り声をあげて碧空に襲いかかる。ただの幼児に死を逃れる未来はない。


「……あ、これ詰んだかも」


 碧空は死を覚悟した。

 野生の獣に襲われて死亡だなんて、さすが古代異世界。

 親しい人たちの顔が、走馬燈そうまとうのように流れる。


「やめろぉ!」


 戒羽の叫び声が響いた。


 そのときだった。

 まるで、それを合図としたかのように。


 地狼と碧空との間のなにもない空間から巨大な火柱が上がった。

 だけでなく、その火柱は生きているように地狼を追いかけ回し始めたのだった。


「……な、なんだあれは」


 奇妙な光景に意識を奪われる戒羽を振り落として、地狼は仲間の救援に向かったが、意志を持つように動き回る炎をどうすることもできず、手を出して火傷を負った地狼たちはたまらず遠吠えを行い、二匹とも逃げ出したのだった。


「助かった、のか……?」


 呆然とする戒羽に碧空が近づいてくる。

 火柱は現れたときと同じく唐突に消えてしまった。


「ケガは大丈夫ですか? 歩けますか?」

「大丈夫。だが、今のは一体なんだったんだ?」

「あー、まぁ、心当たりはありますが、とにかく一旦邑へと戻りましょう」


 邑へと戻ると、こちらにも地狼の襲撃があったが、邑の男たちが対処に回っていると、大きな鷹と兵士の亡霊が現れて地狼たちを追い返してくれたのだという。

 鷹と亡霊兵士は淡々と行動して、地狼たちを撃退するといずこともなく消えた。


 おかげで、大きなケガをした邑人は出なかったが、正体不明の守護者に対する推測で邑は持ちきりだ。


 曰く、人民を救うべく天帝の遣わした尖兵である。

 曰く、妖怪たちの縄張り争いに巻き込まれただけであれらは邑を守ったわけではない。

 等など。


 真相は誰にもわからなかったが、ここに薄々見当がついている人物がいた。

 碧空である。


 碧空は、ケガをした戒羽を大人たちに預けるとこっそり一人で邑の外れにきた。

 地狼に襲われた反省を踏まえて、今度はそれほど離れていない距離だ。


 そこで、以前に莉音より渡されていた招仙笛を吹く。

 すると、間もなく彼女らが訪れた。


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