第二三話 碧空、妬まれ憂き目に会う
【第二三話】碧空、妬まれ憂き目に会う
晴天に恵まれたある日の枝邑のことである。
王の孫娘、枝喩は非常にお怒りであった。
その怒りは、節約のため普段より味の薄い麦粥のせいでなければ、いくらねだっても従姉妹のおさがりのまま、服を新調してくれやしない母の仕打ちによるものでもない。
いや、それらに対する怒りは確かにあるにはあるが、目下の怒りは他にある。
枝喩は広くて大きな邑一番の家を出て、川沿いの平らにならされた道を南下し、邑外れの山際にある粗末な家を訪れた。
杉の木陰からのぞくと、庭では見たこともないきらびやかな衣装を身にまとった美しい女たちが昼間から宴を開いている。
彼女らのもとにはおいおいにして邑の子供たちが集まってくるものだが、今はいない。
この時間は家の手伝いをしているのだろう。
藍染め着物の女性は、美少女とも美少年ともとれる中性的な美貌を備えていて、凛々しい流し目は女の矯声を呼び、やわらかな微笑は男の視線を集める。
熱心な者たちは、毎夜彼女の夢を見るようになったそうだ。
噂では、天上の貴人であるに違いない。
名を燕青という。
透けるような薄絹をまとった女性は、西の異民族出身なのか、未知の風景を臨む情緒と妄想を掻き立てられる風貌をしている。
露出は多いが不思議といやらしくはなく、活力的な魅力となっている。
朗々快活としていて分け隔てなく人と接し、歌と楽器が上手いので邑の子供たちや老人にとても人気がある。
噂では、西方の天女であるに違いない。
名を莉音という。
華やかな着物の女性は、他二人より年長で完成された大人の色香を漂わせている。
だらしなく見えないぎりぎりのところで衣服を着崩していて、またそれが様になっている。
布の下の体つきも肉感的で女性の美しさに溢れていて、邑の男の視線を釘付けにしている。
農作業の合間にせっせと通う若い男もいるそうだ。
噂では、人知を超えた魔性であるに違いない。
名を紅蘭という。
そんな三人の美形に囲まれて独占しているのはこの邑の住人、碧空だ。
六歳の女児である。
多少目鼻立ちは整っているが、性格から滲み出るのんびりとしたしまりのなさがせっかくの容姿を台無しにしている。
この幼児こそが、枝喩の怒りの矛先であった。
碧空は、寝てるのだか起きているのだかわからない表情をしていたが、どうやら起きていたらしい。
「できましたー。古代中国風ペペロンチーノ……は通じないな。えーと、えーと、ここの言葉風にいうと、辛洋麺です」
庭でなにをしているかと思えば、なんと料理をしていたらしい。
かまどもないのにまともなものなどできるものか、と思ったが。
碧空はなにやら細い紐状のものを皿に盛り付けて、宴を開始している燕青たちに振る舞う。
そして巻き起こる大絶賛。
「おいしーい! なんだこれー。こんなの仙界でも、見たことも食べたこともないぞ」
「つるっとすべるように口に入ってきて、食べやすいし、気持ちいいね」
「ピリッと辛くて食欲が刺激される……素晴らしいわ。仙界どころか天地冥界どこを探してもこの味を見つけることはできないでしょう。さすが碧空様」
「碧空様はよしてください。ここまでくるのに大分紅蘭さんたちの力を借りましたから、でも喜んでもらえてよかったです」
「碧空ちゃん。おかわりー」
「あ、はいはい。何度でもお代わりしてね」
なんだあれは。植物の蔦か変色したミミズか。
あんな黄色い紐が美味しいわけがない。
なのに美女たちはそれを喜々として頬張っている。
「本当に、美味しいのかな」
一体あれはなんなのか。
どこから調達してくるものなのか。
食材もそうだけど、服も、あの天女たちも……。
「枝喩じゃないか。こんなところでなにしてんだ?」
声をかけてきたのは、雷邦である。
まだ少年ながら男手として邑の仕事に参加する彼は、王の一族として邑の集まりに顔を出す枝喩とも面識があった。
「雷邦! ど、どうしてここに」
「いや、どうしたもこうしたも、俺の家そこだし」
雷邦は碧空のお隣さんであった。
「あ、ふーん。そうなんだ。知らなかった」
「知らないわけないだろ。何度か来てるし」
「知らないったら知らないの」
「そか。ま、いいけど。なにを見てたんだ? あ、碧空たちか。相変わらず変なもん食べてるな」
碧空たちの奇行はすっかり周囲の邑人に知られるところとなっていた。
「よくあんな変なもの食べられるわ。気が知れないわよ」
「ああ、本当にな」
「でしょでしょ。雷邦もそう思うわよね」
枝喩は雷邦と同い年。
やんちゃだった雷邦もここ二年程ですっかり背が伸び大人びた。
碧空と天女たちを慕う子供たちに、雷邦は混ざらない。
雷邦は他の子供と違う。枝喩はそんな彼に密かな好感を抱いていた。
「……かわいいよな」
雷邦がポツリと漏らした言葉。
嘘偽りを含まずないその言葉は、枝喩を激しく動揺させた。
「え、な、なによ、雷邦。急に言われても、そんな……私困っちゃう……」
確かに枝喩じゃ雷邦のことをちょっといいなと思ってはいた。
加えて、もう結婚を視野に入れていい時期でもある。
王の娘とは言え、小さな枝邑においては身分差は問題ではない。
枝喩と雷邦の交際を妨げるものはさし当たって見つからないわけではあるが、急に求められては心の準備というものが……。
「かわいい。碧空。最高だ。天下の宝だ。天女たちに囲まれていても全然見劣りしない、否、碧空こそ一番だぜ」
「……ほほう」
枝喩は雷邦を殴って帰った。
羨ましいったら、ない。
ただの貧農の子供のくせに。
枝喩だって、貧しい邑長の孫娘に過ぎないけれど。
それでもこの邑では一番。
年頃の娘にも関わらず、ご飯も服も我慢しているのに。
枝喩はその日のうちに、王である祖父に直訴した。
複雑な乙女心からの行動であったが。
だが、それを聞いた王とその周囲の大人たちは、枝喩の意に反した盛り上がりをみせていった。
「その子、碧空を邑から追放しよう」