第二一話 娘たち、くしゃみして本質を漏らす
【第二一話】娘たち、くしゃみして本質を漏らす
ある日のことである。
暖かな、風の強い日だった。
「はっくちゅ!」
碧空のくしゃみを聞いて、幼なじみの小鈴が笑った。
「やだぁー。碧空たら、くしゃみまでかーわーいーいー」
「そんなことないよ。くしゃみなんてみんな同じでしょ」
「同じじゃないよ。くしゃみにはその人の本質が出るんだよ。ほら」
たまたま通りがかった猟師のおじさんがくしゃみをする。
時々、肉を分けてくれるおじさんだ。せっかちで有名でもある。
「へーくしょい! ちきしょーめ!」
ああ、確かになんだかそれっぽい。
小鈴がドヤ顔をした。
「それにしても。今日はたくさんくしゃみをする日だね。私だけじゃなく、みんなくしゃみをしてる」
なにか原因があるのだろうか。
「あたしはしないもんねー」
小鈴が胸を張る。
と、そのとき一陣の風が吹いて小鈴がくしゃみをした。
「へぷち!」
「……」
「待って。違うの」
「なるほど。へぷちか。なるほど。本質だね」
「いや、違うの。へぷちが本質てなんなの。やり直させて」
「やり直すものじゃなくない?」
と、そこへ小鈴の兄、雷邦がやってきた。
「はくしゅっ!」
なるほど。男の子っぽいくしゃみだ。
「お。小鈴に、へ、碧空じゃねえか。久しぶりだな。元気にしてたかよ」
「うん。元気だよ」
すぐ近所に住んでいるのに、雷邦とは段々疎遠になってきていた。
碧空は気づいていないが、一足早く男女の差を意識し始めたのだろう。
「今日は、あの連中はいないのかよ」
莉音たちのことだ。
碧空を実の姉妹のように溺愛する莉音たちから、雷邦は最初こそ碧空を守ろうとした。
しかしすぐに、無駄だと悟った。
明るく魅力的なお姉さんや、凛々しくて可憐にもなる麗人、そして色気のある美女。しかも全員仙道。
そんなもの、ただの少年の敵う相手だろうか。
しかし、今日は妹と碧空だけ。
少しだけ背が伸びたが、相変わらず可愛い、美少女の種、碧空を堪能できると思ったら……。
「莉音お姉ちゃんたちになにか用? 今日は多分もうちょっとしたらくるよ」
「……。いや、別に用はない」
雷邦、残念。
「そう? あ、噂をすればお姉ちゃんたちだ」
「……んじゃ、俺、親父に用事頼まれてるからもういくわ。じゃあな」
「あ、うん。またねー」
足早に立ち去ろうとする雷邦に美人のお姉さんが声をかける。
「あら。いっちゃうの?」
「ッ! お、俺、ホント、用事あるんで! ごめ、ごめんなさい!」
「あら、いっちゃった」
美女に声をかけられて、雷邦は逃げるように去っていった。
さもありなん。その格好は刺激的過ぎた。
この美女は、一言で言えば、江戸時代の花魁のような格好をしていた。
薄い着物をいくつも重ねて、腰は帯で締めて、胸元は大きく緩んでいる。
自然と、女性らしいふくよかな部分の大半が露出する。
「紅蘭がそんな風に着崩してるからだろー?」
「だって、きっちり着るとここだけ窮屈なんですもの。そういう莉音さんも胸元はすっきりさせているでしょう」
「まあな。大きいと邪魔だしな」
「ぐぎぎ……」
紅蘭と莉音の会話を聞いて、一人歯噛みする燕青である。
この花魁美女は、紅蘭の今の姿だ。
別に幻術を使っているわけではない。
着飾ることに興味を覚えて、すっかり服装も言動も変わったというだけだ。
若い娘の姿だが匂いたつような色気がある。
「あら、燕青さん。そんなに険しい顔をしてどうしたの?」
「なんでもない!」
燕青のコンプレックスに本気で気づかない紅蘭である。
「燕青お姉さんは手足がすらっとして、髪も艶やかできれいだよ。気にすることないと思います」
碧空だけがいち早く燕青の悩みに気づいていた。
胸の大小を気にするなんて、なんて二次元的でわかりやすい人だろう。
「うう。ありがとう。碧空、慰めてくれて」
それでも。
「私は、も少し胸が欲しい」
着替えや湯浴びの度に、莉音が燕青の胸が小さいことを気にかけてくるそうだ。
『人間は子を育てるのに乳がいるらしいぞ。お前はそれで大丈夫か? 小さすぎやしないか。我は平気だが』
みたいな。
「なにが我は平気だが、だ。余計なお世話にも程がある!」
確かに莉音くらい豊かなら乳量には困らないかも知れない。
けれどそれってそういう意味だろうか?
「だいたいあいつは……ふぁ、ふぁ」
興奮した燕青に異変が起きた。
くるぞ、くるぞ。本質のやつがくるぞ。
「はっくしょん! ……きつね」
「狐!?」
予想外のがきた。
「え、なんで今狐って言ったんです、燕青お姉さん」
「なに? 今私は狐と言ったか? そそそそ、しょんなこと言っていないよ。聞き間違いじゃないか?」
「いえ、確かにはっきりと。ね、小鈴?」
「うん。聞いた」
「う、うーむ。そ、空耳じゃないかなぁ……」
「あ、はい。空耳かも知れません。ね、小鈴」
「え?」
燕青がごまかしたがっているように見えたので、碧空は空気を読んだ。
その後、小鈴が家の用事で帰ると燕青が話しかけてきた。
どうやらさっきごまかしたことを気にしていたらしい。
「いや、すまない。私が偽ったのだ。私は確かに、狐と言った。ごまかしたのは、その、それが私の原形だからだ」
原形とは、人間に変化した仙道の本来の姿だ。
人間以外出身の者は原形を暴かれるのはとても屈辱的なことなのだという。
以前碧空がうっかり莉音の原形を言い当てそうになったときも、莉音はひどく慌てたものだが。
「むりやり暴かれるのは屈辱だが、親しいものにこっそりさらすのならそうでもない。実際のところ、碧空たちになら見せてもいいんだが」
「そうなんですか?」
「み、見たいかい?」
「はい」
「そ、それなら……ん、あ、ダメ。そんなに見つめないで。心の準備をするから。ちょっと待っていてくれ」
「あ、いえ、無理をしなくても」
「いや、無理じゃない。大丈夫なんだ。碧空になら、私の全部を見せてしまっても……いや、むしろ見て欲しいんだ。でも、そうとは思っていても、いざとなると恥ずかしくて……」
目の端には小さな雫まで浮かび、この理知的で可憐な女性に対して、なんだかとてもいけないことをしている気分になる。
「ちょっとずつ、ちらっとだけ……でも、いいかな?」
「もちろんですよ」
上目遣いに尋ねられて、そう頷くしかない。
さりとて、はてちょっとずつとはどういうことかと思ったら。
「えい」
ポンと音をたてて、燕青の頭に耳が生えた。
髪の中から伏せていた耳が起き上がるかのようだった。
「ピンと立ってて、かわいいけどかっこよくもある。これは、犬? 犬の耳?」
「えい」
ポン。
続いて生えた尻尾で正体がわかった。
いや、元々わかってはいたんだが。
「あ。狐の尻尾だ」
ふさふさとした尻尾が三尾。
黄金の炎のように立ち上る。
「これが私の本来の耳と尻尾だ。私は狐なんだよ」
少しだけ正体を現したので燕青は、獣人のような姿になった。
恥ずかしさと嫌われるのではないかという脅えが顔に出ているが。
碧空は前世で獣の耳、即ちケモミミを深く愛していたので全く問題はなかった。
「わぁ、ほんとのケモミミ獣人だぁ。さわってもいいですか?」
「あ、ああ。いいけど、優しく……」
「わぁ。ふさふさ、尻尾もすごいもふもふ……すごい。きれいだ。ずっとさわってたい」
思いがけず、ケモミミに触れて、心震える。
「あ、あ……碧空。もうちょと、優しく……ん」
「あ。すいません。あまりにさわり心地がよくて、つい夢中になってしまって」
耳は敏感なのだ。
碧空は、今度は優しく慈しむように撫でてもふもふ具合を堪能した。
すべすべでなめらかな毛並みを隅から隅まで。
「ありがとうございました。とても貴重な体験でした」
「ん……碧空に気に入ってもらえたなら私も嬉しい。受け入れてもらえるか不安だったから」
「なんでですか?」
「なんでって、狐だからだよ。狡猾で人を謀ることに長けている。いずれ賢者をたらしこみ、大きな邑を傾ける者すら現れるだろう。私はそんな一族に馴染めなかった落ちこぼれだが、狐であることからは逃れられない」
「え、関係ないですよね。それ」
「え?」
「燕青さんは燕青さんじゃないですか。これまでそうして付き合ってきたのに、出身がわかったからって手のひら返すのはおかしいですよ。生まれも育ちも関係ないです。大事なのは、今のあなたです」
「そ、そうか。君は、そうなんだな……」
燕青は、憑き物が落ちた心地だ。
「それはそれとして、もう少しさわってていいですか?」