第二十話 紅蘭、料理を食して志を得る
【第二十話】紅蘭、料理を食して志を得る
「さて。なにを教えればいいのでしょうか。煮炊きでしょうか。それとも魚のさばき方でしょうか 」
紅蘭を先生として料理教室が始まった。
生徒は碧空。
莉音、燕青の他、なにげに小鈴もいる。
「はい、先生。質問があります」
「いきなりですね。なんでしょうか」
「この世界にはどのような料理があるのでしょうか?」
碧空の知識と比べて食文化は進んでいない。
碧空はそれすらもあるがままに受け入れてきたが、元日本人としては、そろそろ麦粥や饅頭じゃなく、お米が恋しくなってきた。
味付けも、山椒や岩塩だけでなく、味噌や醤油が欲しい。
仙人は遠い地方もあっという間に行き来できるし、仙人界は技術水準も高いので、碧空は期待を込めて色々と尋ねたのだが……。
「味噌、醤油? 知りませんね。酒や油とは違うのですか」
碧空の期待は大きく裏切られた。
仙人界もどっこいどっこいだ。大豆の加工食品は全然進んでいない。
生臭いものを食べない天界ですら、肉の代用品となりうる大豆食品はないという。
碧空は発酵について知っている限りのことを説明した。
「なるほど? 目に見えない程小さな生き物が。確かに、そういった研究をしている仙人はいましたね。酒作りも仕組みは一緒? ふむなるほど……それは腐敗とはどう違うのですか?」
醤油や味噌のことを考えているうちに、碧空は焼おにぎりや味噌汁を食べたくなってきてしまった。
香ばしい醤油の香り。
一口すするとほっとする味噌汁。
幸い、稲作は別の地方で行われているそうなので、米の調達はできる。
料理教室のはずが、逆に碧空が色々と知識を披露する側になってしまった。
そうしている間に気づいたことがある。
紅蘭は頭がいい。
一を聞いて十を知る。
受け答えも巧みで、話しているうちに知識がずるずると引き出されていく。
その感覚が楽しい。
だが、そういった話は小鈴には難しかったようで、いつの間にか寝息をたてている。
「……と、そろそろ一休みしましょうか。お腹も空いてきましたし、そういえば全然お料理してません」
碧空は紅蘭に助言してもらいながら、以前より考えていた焼売を作る。
本日は、幸運なことに猟師のおじいさんからお裾分けがあって、猪の肉がある。
カラシはないので唐辛子や辛い実をすりつぶしたものつけて食べよう。
と思っていると、莉音が碧空を見てにこにこしている。
かと思ったら、袖の中からあるものを取り出した。
麦かと思ったが、違う。
米だ!
「びろろろろーん。碧空のいっていたのはこれだろう?」
「すごい! お米です。どうしたんですか、これ」
「この前碧空が食べたいって言ってただろ? だから探しておいたのだ」
千里を駆ける莉音とはいえ、聞いただけの穀物を探すのは大変だったろう。
「農民から実のところだけを分けてもらってきた。碧空にあげよう」
「いいの? ありがとう莉音お姉ちゃん」
「えへへー。もっとお姉ちゃんを褒めるのだー」
碧空の方から抱きつくと、莉音はしまりのない笑顔を浮かべるのだった。
精米の技術がないので、今回はおにぎりにするのは諦めて玄米粥にすることにする。
圧力鍋が欲しいところだが、そんな便利なものはない。
代わりに、多彩な宝貝を持つ道士たちがいた。
手順はたくさんあって、一つ一つやるのは時間がかかるが。
「なんだ、碧空。火を起こすならお姉ちゃんに任せるのだ。我の術は火行を呼ぶぞ」
「わぁ。すごいですね、莉音お姉ちゃん」
「ふふん。どうだ。もっと色んなことができるぞ。なんでも言ってみろ」
「こほん。莉音もいいが、燕青姉さんに頼ってもいいんだよ……?」
「え。では私も」
「ありがとうございます。燕青姉さん。紅蘭先生」
お言葉に甘えて手伝ってもらおう。
すると、さすが仙人道士なだけあってとてもよい仕事をしてくれることがわかった。
本来、肉を挽き肉にするのは大変だ。
けれど紅蘭の持っていた千刃車という宝貝を借りたらあっという間だった。
「さすが宝貝、お料理が楽チンです」
喜ぶ碧空だったが、その柔軟な発想に驚いているのは逆に紅蘭たちだった。
「威力の弱い宝貝を料理に使うとは……!」
その発想はなかったわ。
他にも色々と仙術や宝貝を使った。
例を挙げれば次のようなものだ。
莉音の、誘行唱の術。
世界を構成する五行、つまりは火とか水とか土とかの塊を呼び出す術である。
この世界のあらゆる物は五行に属する。
魚は水行、獣は火行、人間は土行といったように。
そして、五行はそれぞれ連鎖するように関係しあっている。これを相利相克という。
わかりにくいので、噛み砕いて言えば。
RPGの属性のようなものだ。
獣は火属性だから水属性の攻撃に弱い。
未熟なものは術を維持できなくなったりする。
本来、この誘行唱はこの弱点属性を攻めるために開発された。
厳しい修行を重ねて会得する術である。
それを、かまどに火を入れるためだけに使ったのである。
「わぁ、さすが莉音お姉ちゃん。その薪、ちょっと湿気ってたのにあっというまに火がついたね」
「真なる火炎、三昧真火には敵うまいが、我の火はなかなかのものなのだ」
二竜剣。
霊魂を宿して剣自体が自由に動くようにした武器だ。
かつて、燕青の命令によって白毛大仙という妖怪を懲らしめた剣であるが。
今回は、その鋭利な刃が食材を刻んだ。
使鬼。
幽霊の召し使いである。
その姿は才能のある者にしか見えない。
だが、碧空には生き生きと料理を手伝う姿が見えた。
幽霊なのに生き生きと、というのも変だが、料理が好きなのかも。
千刃車。
見た目はただの風車だが、力を通して風をあてると幻の刃を発生させる。
威力の弱い失敗作だが、猪の肉を挽き肉にするには十分だ。
玲瓏塔。
巨大化して敵を塔内に閉じ込め、熱を与えて弱らせる。
今回は圧力鍋の役割を立派に果たした。
定熱珠。
空気の温度を高温に変える珠だ。
狭い空間を切り取り、灼熱地獄へと変えてしまう。
今回は蒸しせいろの役割を担った。
紅蘭は優秀で、色んな仙人の手助けをしたので術も宝貝も豊富である。
とはいえ仙人の秘蔵の宝貝はその仙人にとってクンフーをつぎ込んだ命にも等しきもの。
完成品は渡されず、威力の弱い試作品や出来損ないの模造品を譲り受けることが多かった。
「まさかそれが料理の役に立つなんて」
「碧空は使い道を考える天才なのだ」
そうかも知れないと紅蘭は認めざるを得なかった。
やがて料理が完成した。
野菜炒めに茄子の煮浸し。
特製焼売に玄米粥。
焼売は、太華では初めて作られた料理である。
また、世界で初めて仙人時短クッキングで作られた料理でもある。
と、作ってから気づいたが。
「あれ? そういえば仙人て生臭料理は食べちゃだめなんでしたっけ?」
仙人は食事に制限がある。
基本的に食べて良いのは野菜や果物だけだ。
動物や魚の肉を食べないのは、生物をみだりに殺してはならないということに由来する。
と、前世で聞いたことがある。
「ああ、人間出身の仙人はよくそう言うな」
「あと、大蒜や生姜なども食べてはいけないと言うね」
「え、なんでなのだ?」
「さぁ? 臭いが強いからかな」
莉音も燕青もわからない。
「天界の住人の真似をしたんですよ」
紅蘭が言った。
天界は地上より遥か上空にあり、住人はそこでのみ取れる桃などの果物や葉っぱの魚を食べている。
どうも人間出身の仙人はその食生活を模倣したくて仕方ないらしい。
「なんでまた?」
「憧れでしょうかね」
人間が仙人に憧れるように、仙人が天界人に憧れることがあるという。
「まぁ、我らは別にそんなことないからいいのだ。細かいことはいいから愛妹の料理を食べさせるのだ」
莉音が脳天気に言う。
まぁ、本人たちが食べると言っているのだからそれでいいか。
碧空は納得してみんなで試食することにする。
さて、そのお味はというと。
「おいしーい! なにこれなにこれ。なにこれおいしーい!」
と小鈴はおいしさに興奮して手足をばたばたさせる。
「薄い皮にみっちりお肉が詰まっていて、お肉の味にムラがないね。せっかくのお肉をあんなにしてしまってどうなるかと思ったが、まさかこんなにおいしくなるとは」
「それだけではないぞ。お肉の中にシャキシャキとした歯ごたえ。これは細かく刻んだ蓮根だ。食感が楽しい! 口の中に音楽がある!」
燕青はしみじみと焼売の肉の味をかみしめる。
莉音はほっぺたを押さえて左右に揺れて喜びを表現している。
「このただの野菜炒めも、やわらかい茸やシャキシャキとした葉野菜など食感の違うものが程よく組み合わされていますね。素晴らしい感覚です。茄子も今まで食べたことがないほど、やわらかく、一体どうしたらこうなるのか」
紅蘭の表情も驚きに満ちている。
碧空に会ってから、驚きの連続だったが、ここにきて最大の驚きが食の喜びと共に訪れていた。
「こんな料理は天界にいたときでも食べたことありません。見たことも聞いたことも……一体どれだけの修練と研究を重ねたらこんな料理ができるというの……?」
碧空は一口ずつ食べて、そっくりとは言わないまでも、前世の和食に近い味に満足する。
「いやぁ、初めての道具と食材だから不安だったけど、結構よくできました」
「初めてって……天才ですか!」
「へ?」
確かに上手にできたとは思うものの、紅蘭との温度差に驚く碧空であった。
「もっちもちして、なんか安心する味ね……」
玄米粥は、初めて食べる面々もどこか懐かしい味だ。
米を食べたら安心する。
生物の遺伝子に刻まれているのかも知れない。
「ほぉ……」
みんなで安堵の一息をつく。
単調な味になりがちな粥にゴマ油を垂らしたのもよかった。
お腹を満たして食休みに語り合う。
「碧空さんの発想は天地開闢に準じますね。宝貝を料理に使うのも、盲点でした」
「逆になんで料理に使わなかったんです?」
「宝貝は兵器としての側面が強い。または自身の実力の誇示だ。そもそもみんな実用品として作っていないんだね」
「ああ……」
碧空は将儀が持ってきた水鏡を思い出した。
姿を変える度にずぶ濡れになる。確かに実用的ではない。
とすると、仙人は『こんなことできるぞすごいだろー』と、いばるためだけに修行してすごい宝貝を作るのか。
それはまた、かわいらしいことだ。
「こんなに美味しいものを作れるなんて、我が妹は本当に最高なのだー」
「うむ。私も姉として鼻が高いよ」
「あー。小鈴もー」
二人の義姉と幼なじみに抱きつかれる碧空をよそに、紅蘭はなにやら考え込んでいた。
「決めましたわ」
「え。なにをですか?」
碧空は、お肉を分けてくれた猟師のおじさんとかまどを貸してくれた祖母に料理のお裾分けをしに行ってきたところだった。
幼児の作った、初めて見る料理に疑い半分興味半分の様子だったが、騙されたと思って一口食べてみたら、二人とも大いに気に入った。
これまで味覚は、毒の有無を見るときや体調の自己判断に使われることが多かった。
調理も、食べ物を食べやすくするために行われていた。
それが、今日この日。
食文化は大いに前進したといっていい。
「私は、迷っていました。仙人同士の意地の張り合いや世界の根源解明に熱意を持てず、不老長寿をいかに使えばいいのか道を失っていたように思います。仙人の資格を得ることも、それは名誉なことなれど、私には必要と思えなかった」
「はぁ、そうなんですか……?」
「しかし、わかりました。私がこれまで修行を続けてきたのは、美味しい料理と出会うためだったのだと! 私はこれより長い時間を、料理の道を究めていくために使うと誓います。あなたの言葉によれば、料理の道はまだまだ遠く深いとのこと。今日食べた素晴らしい食事すら、あなたの舌を心より満足させるものでなかったということは、その深淵にただ脅え戦慄するばかりですが、その先見を少しでも照らす灯りとなってみせましょう」
「え、はい。ありがとうございます。がんばってください。私も応援します」
淑女の仮面を放り投げて、怒濤の勢いでまくし立てる紅蘭である。
碧空は正直、理解が追いついていなかったが、なんとか言葉を返した。
「ありがたいお言葉です。万夫不当の知己を得た思いですわ。あの、よろしかったら、先生とお呼びしても?」
「いえいえ、それじゃあべこべです。紅蘭先生の方が、私の料理の先生ですから。仙人様でもない、幼い私が先生だったら変ですし」
「こだわりにならなくてもよろしいかと思いますが、仕方ありません。でしたら心の中で先生とお呼びします。碧空先生」
「あの、早速口に出てますけど」
「あらいけない。私ったら。気をつけることにします。では、これからよろしくお願いしますね、せんせ?」
そうして、紅蘭は艶っぽく笑うのだった。
碧空に料理の先生にして、生徒ができた。
後のお料理仙人、紅蘭である。