第十五話 碧空、燕青と将棋対決す
【第十五話】碧空、燕青と将棋対決す
「一月もたずに死ぬって……それは碧空が死ぬということか? 一月以内に?」
「そう言っているだろう」
「えー! そんなあっさり言うなー。薄情なー」
碧空の体調が悪いことは承知していた莉音であったが、まさかそれほど深刻な事態だとは思っておらず心を乱した。
対して碧空は。
「一月か。早いですねぇ。困ったな。残り一月でなにをするべきか」
「そこ! 碧空も。受け入れて算段を始めるな! 抵抗しろ! 生にしがみつくのだ」
またものんきに受け入れる碧空に、莉音の叱責が飛ぶ。
「はぁ、そう言われましても」
「一月だぞ。そんなの一瞬だぞ。一瞬で死にたくないだろ」
「人の人生なんて、長い歴史の上では一瞬の煌めきのようなものですし。あ、仙人様は違うのかな」
「そういう話はしていないぞー!」
碧空以上に狼狽する莉音を見て、燕青は嘆息する。
「まぁ、残りの時間を大切にするんだね。では私はこれで」
「待てぃ!」
「……なんだ莉音。袖をつかむな。帰れないではないか」
「帰さないつもりだ」
「やれやれ。お前がその娘を気に入っているのはわかるが、あらゆる事物には天数というものがある。どのような運命になるかは天によって定められているのだ。例え仙道でもそれは抗うことはできない。その娘はあと一月程で死ぬ。それは、つまりそういうことなのだ。変えることはできない」
天数という考え方がある。
今、燕青が述べたようなことだ。
つまりは運命論のようなものである。
「あと一月かぁ」
碧空とて衝撃を受けていないわけではない。
落ち着いていられているのは、一度死んだ賜物だ。
死んだときのことはよく覚えていないが、心の傷になるような酷い死に方はしていない。
死ぬとわかって、頭に浮かんだのは家族のことだった。
厳しくも優しい祖母。実の子以上に育ててくれた父と母。
親不孝どころか祖母不幸になってしまうのは辛い。
そして、小鈴や雷邦。小鈴はすごく泣くと思う。その光景が目に浮かぶようだ。
あの子が妹を亡くしたときのように慰めてやれないと思うと、辛い。
将儀とはあれが最後の別れとなったか。
おやきを食べながら去っていく姿を思い出す。
もう一緒に将棋は指せないのだろう。
「我は、その天数というのが嫌いだ!」
莉音は声を荒げた。
「仙人道士連中はなにかといえばすぐ天数、天数という! なにが天数だ。我がうまく歌えたらそれも天数か? 違う! 我が練習して、聞く人のために想いを込められたからだ!」
「落ち着け。天数はなにもお前の努力をないがしろにはしない」
「だったら」
「それはそれとして、変えられぬこともあるということだ。人の生き死には最たる例だよ」
「うー!」
莉音は癇癪を起こしてぽこぽこ燕青を殴った。
燕青は仕方なしという顔で殴られるに任せる。
「ありがとう。莉音お姉ちゃん。でも、いいんですよ」
「碧空……でもでもぉ」
「人はいづれ死ぬものですから。それより、私は嬉しく思います。私の死をお姉ちゃんがこんなにも悲しんでくれることを。私は幸せ者です」
「あぅぅう……碧空ぅー」
莉音が抱きついてくる。
豊かな胸にぎゅうと抱かれて、また窒息しそうになる。
「こら、莉音。それだとその娘は今死んでしまうぞ」
「なぜお前ほどの道士がその娘に執着するのか理解に苦しむよ。確かに落ち着いた物言いと達観した態度は童子のそれではないが……」
「私もそう思います。あ、私が普通の子供だってとこ」
「碧空はすごいのだ! 将儀師叔が是非弟子にしたいと言ったんだから!」
そうだったっけ、と碧空は覚えていない。
「なに? 将棋師叔が? それほどの人物には見えないが……いや、しかし将儀師叔が目をかけるのならば……うーむ」
あの梨泥棒、どれだけ高評価なんだろう。
仙人連中に将儀がことごとく尊敬されていることに違和感を覚える碧空である。
碧空にとっては、遊びにきてはおやつ食べて、ゴロ寝して、将棋に負けそうになってはごまかして帰るおじいちゃんなんだが。
負けを認めないから、なかなか上手にならないんだ。
「将儀師叔はすごいんだぞ。見た目はおじいちゃんだが、すごいえらい仙人の元始天尊様ていうおじいちゃんの直弟子で、太上老君ていうもっとえらいおじいちゃんとも仲がいいのだ」
おじいちゃんばっかりだ。
元始天尊と太上老君て、封神演義に出てきたなぁ。
「元始天尊様といえば仙人道士の集う崑崙山脈の総元締めで、全仙道の尊敬と崇拝を集めるお方だ。仙人の半分は師匠筋を辿っていけば元始天尊様に行き着く。太上老君様は謎多く、弟子をほとんどとらないが元始天尊様と同等の実力者か、またはそのお師匠様とも噂されている」
と、燕青が補足する。
その辺は、だいたい封神演義と一緒らしい。
「そのお二方に目をかけられている将儀師叔の才覚やいかにということだね。また、将儀師叔は人を見る目もあると言われている。師叔が連れてきた者はことごとく才覚を現し、大仙人にならぬ者はおらぬということだ」
「うむ」
「……莉音以外は」
「おい。待て。どういうことだそれは」
燕青はつっかかってくる莉音をあしらう。
「将儀はすごい人なんですね」
仙道に誘われてにべもなく断ってしまったが。
「ならば試してみよう。将儀師叔のお眼鏡に敵うほどの者ならば、あるいは死相すら覆すかも知れない。なんでもいい。私に勝ってみせなさい。さすれば私は君に力を貸そう」
ありがたい申し出である。
だが、莉音は憤慨した。
「燕青は武術も仙術も同期に負けたことがない。ごく普通の人間の、それも子供が、万が一にも勝てるはずないだろ」
「それだけのことをしようしているんだ。当然だろう。でなければ、死へと向かっている流れを変えることなどできない」
「機会をくれるというのですから、ありがたいことですよ。見ず知らずの私を助ける義理もないのに」
「碧空ぅ……たとえ負けても、我はお前の味方だからなぁ」
「ありがとう、莉音お姉ちゃん」
「それで、勝負はなににする?」
燕青は手加減するつもりはない。信条と性格によるものだ。
時間を割いてくれるのは、本当に碧空の素質を信じているというよりは、莉音との禍根を残さないためだろう。
燕青にとっては、これが最大譲歩できるところなのだ。
自分が死ぬことになっても、この二人の関係に亀裂が入ることだけは避けよう。
碧空はそう思う。
さて、それにしても勝負である。
年齢差もあり、運動では敵わない。
普通の勝負では普通に負ける。
適当に決めては、自分の命を粗末に扱うようで、誰に対しても失礼だ。
少しでも可能性のあるものを選ばねばと思うが、思い付かない。
将儀ならどうするだろうか。
と、考えて思い至った。
「燕青様は将棋指せますか?」
身体能力に関係ない勝負で、燕青に将棋に疎いのではないかという期待もあった。
けれど、将儀との思い出に気持ちが寄せられたというのが正直なところである。
「将棋か。ああ、もちろん知っている。仙人界で大流行している知的遊戯だね」
「えっ。流行しているんですか」
「ああ、将儀師叔が広めたのだ。今や仙人界で将棋を知らないものはいない。弟子入りの条件に将棋を覚えることと明言する師匠もいるくらいだ」
まさかそんなことになっているとは。
仙人の師匠、弟子相手に将棋指す気満々である。
「下界では、都などの大きな邑では指されていると聞いたが。このような地域にも将棋を知っている者がいたんだな」
まさかその発祥が碧空だとは思うまい。
言っても仕方ないので言わないが。
「言っておくが、私は将棋は得意でね。ほとんど負けたことがない。それでもいいかな? 他の勝負に変えてもいいんだよ」
「碧空、碧空。燕青は将棋だったら師匠連中にも勝つのだ。他の勝負にしておこう」
「自慢するわけではないが、先日行われた大会では優勝させていただいたよ」
優勝。
ということは、仙人界で一番将棋が強いのか……?
「やめとこう。な、な?」
とはいえ、他によいものが思い浮かぶわけでなし。
将儀との思い出のゲームで引導を渡されるのなら納得もできよう。
碧空は将棋を選択した。
「……そうか。残念だよ。だが、これも君の選択。そして天数だ。負けても恨むな」
そして。
結果だけ言えば、碧空があっさり勝利した。
「わっはー! 圧勝なのだ、碧空ー! まさかこんなに将棋が強いとはお姉ちゃんびっくりだぞー」
「あ、はい。あはは、勝っちゃいました……」
「な、なぜだ。私は将棋には絶大の自信が……それこそ将儀師叔くらいしか私に勝てる者はいないというのに」
実は、将儀の将棋の師匠ですとは言い出しづらい碧空である。
遠回しなマッチポンプのような気がしてちょっと罪悪感。
「あっはっはっは。あれだけ大見得切ったのにあっさり負けて、燕青は馬鹿みたいであるなー!」
「……うー! 黙れ黙れー」
「あひゃひゃ、ほっぺひゃいひゃいー! だが、黙りゃにゃいぞー。燕青恥ずかひー」
「うー!」
やはり二人は仲が良い。
微笑ましい光景だなぁ、と碧空は茶をすすった。