第十話 碧空、莉音と共に小鈴を捜しあてる
【第十話】碧空、莉音と共に小鈴を捜しあてる
煙と共に赤子は変じた。
年の頃は、十三、四。
勝ち気そうな瞳をした娘である。
顔立ちも髪色もどことなく西洋風。
農民ではありえない、上等な服を着て、偉そうに胸の前で腕を組んでいる。
「我こそは、静遊山倫尚洞にその名も高き、蔡莉音である。頭が高い、控えおろう!」
「はい、既に控えております」
土下座をしたまま碧空は答えた。
「……ぬ。頭をさげながら揚げ足をとるとは器用なことをしおって」
「勝手にあがったんです。手間要らずですね」
「ばかにしおって」
「化かされたのはこちらの方で」
「ええい、いつまで頭を下げておる。顔をあげよ」
「いいんですか? ご尊顔を拝見しても」
「いいんだ。むしろ見下されている気になる」
碧空はゆっくりと頭をあげて、ようやく先程の印象を抱いた。
付け加えるなら、胸が大きい。
腕組みしたポーズからこぼれんばかりに胸が大きい。
しかし、胸ばかり育って釣り合いがとれていないようにも見える。
男にはそういったものを好む者もいるが、はてさて。
「何分、田舎育ちの六歳児なもので寡聞にして存じ上げないのですが」
「その話し方が既に六歳児ではないように思うのだが……なんだ」
「その高名な仙人様がなぜこのようなことを」
仙人を自称する妖怪も多いのだと、将儀から聞いた。
この莉音が本当に仙人かは話半分として、碧空には彼女が悪人には思えなかった。
「ふむ。その前にだ。お前、よく私の正体に気づいたな。なんでだ?」
「なんでと言われても。泣き声が大きくなるとそのすぐ後に変なことが起きましたし、虫やらなにやらに襲われても、あなたは平然としてましたから。赤ん坊なのになにが起きるかわかっていたみたいに」
不自然なことがせまい範囲で複数起きたなら関連を疑うべきだし。
見かけと振る舞いが合致しなければ怪しむべきだろう。
「む、むむ。そうか」
「重くなる、というのも、邑に行くと面倒だから近づきたくないという意思表示に思いましたし」
「う、うむ」
「そもそも、あの羊毛の布も、巻き方から変でした。赤子にするというより、まるで楽器を包むような」
「な、なぁぁ、もういい。もういい! わかったから! それ以上言うな。我の出自は言っちゃダメなのだー」
莉音は強引に碧空の話を断ち切った。
はて出自とはなんだろう。碧空にそんなつもりはなかった。
そういえば、妖怪や仙人には、人間以外の出身がいて、そういったものはすべからく他人に正体を暴かれるのを嫌うと将儀が言っていたような。
「……むぅ、さすが師叔の選んだやつだ。なかなかやるじゃないか」
「師叔?」
「師匠の弟弟子のことだ」
仙人にも師弟関係があるということか。
そういえば、封神演義でも太公望がそう呼ばれていた。
「さて、それはいいとして。話を戻しましょうか。なんで偉い仙人様がつまらないイタズラをしたのかという件です」
「つ、つまらないだと。面白かったろうが」
「あなたが勝手に面白がっていただけでしょうに。まぁ、イタズラの採点はどうでもいいです。なんで私にイタズラしたんですか?」
「それは……だって、師叔がお前の話ばかりして、構ってくれないから……」
「え? なんですか。はっきりいってくださいな」
「な、なんでもないぞ! イタズラしたかったからイタズラしたまでだ。我がわざわざ構ってあげたのだから光栄に思うんだな」
「はぁ……そうですか」
「おい、待て。どこに行くんだ」
「小鈴を迎えにいくんですよ。煮炊き用の柴も置いたままですしね」
「話は終わってないぞ」
「終わりましたよ。捨て子なんていなかった。めでたしめでたしです」
碧空は莉音を置いて今来た道を戻り始めた。
果たして、そこに小鈴なんていなかった。
めでたし、めでたし。
否。
断じてめでたくはない。
小鈴は元の場所にいなかった。
「一体どこに……?」
周囲の様子を調べてみる。荷物はそのまま。争った形跡はない。
「野犬や強盗の仕業じゃない。いや、寝たままだったらあるいは……」
この山一帯はそれほど危険な場所ではない。
たまに猪が出るくらいだ。
あとは狸。狸がその辺にぽこぽこ湧いたりする。
しかし、狸は小鈴をさらわない。
ちら、とついてきていた莉音を見る。
「わ、我じゃないぞ。我があやつにかけたのは眠くなる仙術だけだ。お前と二人きりになりたかったのでな」
莉音は嘘をついているようには見えない。
すると、小鈴は自らここを離れたのか。
なんのために。
小鈴は寝ていた。
寝起きですることといえば。
「眠気覚ましに川にいった……?」
そう思い立って最寄りの川辺へ向かった。
それほど深くはないが、そこそこ流れがある。
子供なら流されてもおかしくはない。
そして、溺れるには十分だ。
誰かがすべり落ちたとか、特にそんな形跡はないが……。
後ろをついてきた莉音がおそるおそる言う。
「川に落ちてはいないんじゃないか?」
「いえ、わかりません。ここじゃないのかも知れないし、そういった跡が残ってないだけかも知れない」
「か、考えすぎではないか? 今頃邑に戻っているかも」
「私たちが使う道は一本だけです。すれ違いはありませんでした」
碧空は、莉音に向き直り誠心誠意頭を下げた。
さっきの土下座の勢いではない。本気で頭を下げた。
「莉音様。お願いします。私に力を貸してください」
「え? 我か? そ、そんなこと言われても……。我は卜占の仙人ではないから、失せ物探しの占いなんてできない。我は……我はイタズラする術しか知らんのだ。これまでも、そのようにしか術を使ってこなかった。我は人助けすることができない。我は、我は役立たずなのだ……すまぬ、すまぬ……」
碧空の焦りが莉音に伝染したようだった。
妙なもので、碧空はかえって落ち着くことができた。
「人助けすることができない人なんていませんよ。役立たずなんてこともない。人は力を発揮する局面というものがあるのです」
莉音の震えを抑えるようにその手を握る。
「あなたも、人の力になれる。その力を持っている。どうかその力を私にお貸しください」
真摯な目で莉音の表情を見つめた。
「本当に、我が役に立てるのか? なにをしたらいいのかもわからぬというのに」
「考えましょう。私たちにはそれができる」
「そうか……そうか」
幼子の言葉は力強さを秘めていて。
いつしか莉音の震えはおさまっていた。
しばらくの後。
邑へと続く山道を歩く、碧空たち三人の姿があった。
「碧空ぅ、まだ眠いよぅ、少し寝ていかない?」
「さっき散々寝たのにまだ眠いの? 急がないと陽が暮れちゃうよ」
「だってぇ……」
あれから。
碧空は莉音の用いる術の詳細を聞いた。
仙人にもいくつかの系統があり、中でも莉音の用いる仙術は長嘯という。
音を使って動物と意志疎通する術だ。
碧空は、莉音に小動物を呼び出して小鈴の所在を聞き込めないか、と考えて実行してもらった。
何度目かの挑戦の結果、その行動は実を結んだ。
小鈴を見つけることができた。
果たして、小鈴は、狸の巣穴にもぐり込んですやすやと寝息をたてていたのである。
「あの、安らかな寝顔を見たときには力が抜けちゃったよ」
「まさに、へなへなと崩れ落ちたな」
「だってぇ、眠かったんだもん。川に水を飲みに行こうと思ったけど、だめだぁやっぱり眠いーって思ってぇ、そしたら枕が目の前を歩いてたからぁ追いかけて寝たの」
「枕が歩いていた?」
「わ、我の仕業ではないぞ? 我が変化させられるのは自分の身だけなのだ。信じてくれ」
「大丈夫ですよ。多分、寝ぼけて狸が枕に見えたんでしょう」
まさか本当に狸にさらわれていたとは。
莉音は眠りに誘う音色を小鈴に聞かせた。
どうやら小鈴はその術が効きすぎてしまったらしい。
体質的なもので、たまにそういう人がいるそうな。
「催眠術みたいだな」
と、碧空は思った。
「荷物をもってくださってありがとうございます」
莉音は碧空たち二人の荷物を代わりに持ってくれている。
碧空は、おかげで、今にもまた夢の中へ落ちていきそうな小鈴を支えることができている。
「いや、まぁ、もとはといえば、こうなったのも我の責任といえなくもないからな」
「小鈴が無事見つかったのも、あなたのおかげです」
「その娘は寝こけていただけだろう」
「そのまま夜まで寝続けていたかもしれないですし、そうしてるうちに獣に襲われていたかもしれません」
「そ、そうか。ち、力になれたなら、まぁ、その……よかった」
悪い人ではないのだろう。
イタズラをしかけてきはしたが。
「……そうか。子供は弱く脆い。気にかけてやらねばならんのだな。知ったつもりで、我はわかっておらなんだ。申し訳ないことをした」
莉音があまりにしょげるので、碧空は度々慰める。
「そんなに落ち込まないでください。失敗は誰にでもあります。それにこれは、失敗というほどひどいものじゃありません」
「お主は人ができているな。我の方が子供であるかのようじゃ」
「ははは」
相手は仙人ではあるが碧空とて見かけ通りの歳ではないので、つい乾いた笑いがこぼれた。
「いやいや、さすがは将儀師叔が選んだだけはある。お主ならば妹弟子にするに、いささかの不服もないぞ」
「は?」
そういえば先程莉音は師叔がどうのと言っていた。
碧空には、他に仙人に心当たりはない。
将儀のことだろうと察しはついていたが。
「妹弟子とは、なんのことです」
「なにをとぼけたことを。弟子とは仙人の弟子に決まっている」
「仙人になるんですか? えーと、誰がです?」
「お主だ。お主に決まっている」
莉音の言葉は、混乱する碧空の頭を痛ませる。
「碧空、お主は仙人になる。我の妹だ」