めんたま焼き
「ほれ」
下校の時間にやってきた少年が、下手で投げたそれを慌てて受け止める少女。
べちゃり、とした感触に思わず手放すと、それは床に落下して不快な黄と黒と、そして白の色をぶちまけた。
何だこれは。
睨み付ける少女に少年は悪びれもなく、“めんたま焼き”だと言った。
「妹から作り方教えてもらってさ。今日の実習時間に作ったんだ」
「だから、何これ。めんたま?」
手にこびりついた白いものを少年の服で拭おうとすれば、慌てる様子もなくするりとかわす。
少年によればこのめんたま焼き、卵黄と卵白を別けた後に卵黄だけを沸騰したお湯に入れ、ある程度の形が出来たら掬い取って醤油に浸し、今度はそれを卵白にまぶして再びお湯に入れて形となれば完成という単純な代物だ。
名前はもちろん、目玉に似ているからだろう。
「焼いてない」
「焼くと形が崩れるからな」
妹の奴は上手い事やるものだと腕を組む。少女は沈黙し、これの片付けはどうするのだと目で詰問する。
少年はその目に気づいたようだが、辺りを見回して人がいないのを確認すると、黙って帰ろうと背を向けた。彼の為に自分が掃除などする気は起きず、少女は少年の背中で白身を拭った。
翌日の通学路。朝から元気な少年が下手で投げた物を、既視感を覚えつつ受け取る。
昨日とはまた違う、べたりとした弾力のある感触に目を向ければ、どろりと溶けたような白身の中に、確かに黒い瞳がある。完全な球でない所が余計にそれらしい雰囲気を醸していた。
ほんのりとした温かさに、多少汚いと思っても捨てるのは躊躇ってしまうのがこの季節だ。
「うまいから食べてみろよ」
「あんたが素手で触ってきたものを? 嫌よ」
温もりが消えて、少女はそれを後ろへと放った。
べたり。
不愉快な音を出し、黄身の悪い色を地面に広げただろうそれを見ることもなく、残念そうにする少年の袖で手の汚れを拭き取った。
それからは特に会話もなく校舎に着き、少年の在籍する教室は少女の教室より奥にあるため、別れの言葉を口にしてどこか寂しげな足取りで離れて行った。
さすがにやり過ぎただろうかと考えつつも教室に入れば、例の汚物を片付けたであろう美化委員が犯人探しをしている所だった。
触らぬ神に祟りなし。
そそくさと席に着いた少女であったが、お昼時間にはめんたま焼きなるものを持参した少年がクラスの美化委員に見せびらかしたため、こちらの美化委員の耳に入りこってり絞られたのだと後に本人から話を聞いた。
しかし、何が人気になるのかわからないものだ。
この一件以降、少女らの通う学校ではめんたま焼きがブームとなってしまった。少年の作るようなどろっとしたものではなく、しっかり茹でて目玉のような形にしている。中には細かく溝を入れ、ケチャップや唐辛子などで血管を仕込む者まで現れた。
手足に角をつけたり、口をつけたりとアレンジに富み、少年は作り方をよく聞かれたそうだ。しかし彼の作り方では上手くいかないと、当の本人よりもアレンジする者にばかり作り方を教わっているらしい。
「まあ、面倒じゃなくなっていいけどな」
「本当は寂しいんでしょう」
頭に手を置く少年を横目に見ると、そんな事は無いと顔を赤らめる。
そういえば、とふと少女は少年がめんたま焼きを作らなくなった事に気づく。仕様のない話だが、あれほど熱中して、わざわざ自分の所にまで持ってきた彼がそれをしなくなった事が気になったのだ。
きつく当たった事が原因かも知れない。少女が少年にばつが悪そうな顔で聞いてみると、少年はどうでも良さそうに首を振った。
「だってよ、あれで最後なんだもん。ひとつめは味見したくて俺が食べたし」
また作れば良いではないか。
思い浮かんだ言葉は、何故か口から出てこなかった。
霜月透子様主催【ヒヤゾク企画】参加作品、二つ目となります。
今回、お題の「切」はこじつけも過ぎるので見送りました。参加作品のクオリティが軒並み高く、他作者さんの作品も読みたくて仕方ありません。
自分もきれいな文章を作っていけるようになりたいですね。