森と扉
翌日、朝早くに二人は魔法使いの家を出ました。森の更に奥へ進むためです。
もし、帰りたくなったらいつでも出口まで案内してあげると魔法使いは言いました。やはりたどり着くのは大変なのでしょう。
進むべき場所は数えきれないほどの木と底知れない闇、そしてやはり雪に包まれています。やはり恐怖は感じました。ですが行くしかありません。
王子は背負っていたリュックサックからコンパスを取り出していました。
「アグロさん、行きましょう!」
「へへ、びびって腰を抜かすなよ」
二人は気合を入れなおして歩き始めました。
とりあえず北に向かって進むことにします。
しかし、行けども行けども景色は変わりません。
時々鳥の鳴き声や獣の唸り声のようなものも聞こえますがそれ以外何も変化が感じられないのです。強いて言うなら自分たちの足跡ぐらいでしょうか。
進んでいるのか戻っているのか、それすらもあいまいなのです。
あくまでコンパスは北をさししめしていますが、本当に合っているのでしょうか。
ためしに木にナイフで傷をつけてみることにしました。王子が知っている色々なものを目印として刻んでみましたが一度記したその印が再び目に入ることもありませんでした。
「あーもう!!つまらねえ景色だな!ドジオ!なんか面白いことやれ!」
「え、えっとしりとりとかします?じゃあ……」
「しりとりぃ?へっ!まあ暇つぶしぐらいにはなるか。じゃあお前さきやれ」
悪霊の無茶ぶりにも素直な王子は従い、たまに聞こえる自然の音色以外、二人の言葉のやり取りだけが響き合いました。
「えっとじゃあリンゴ」
「ゴキブリ」
「リス」
「スリ」
「リ、陸」
「鎖」
「え、えっと……リ……リ」
哀れな王子。意地の悪い悪霊の一文字攻めに必死で次の言葉を考えようとしています。悪霊も悪霊で王子のその苦悩を見て楽しんでいるようでした。
それでも、コンパスを見ながらも歩き続けます。季節の国への扉を探しながら、後ろについてくる存在への次の言葉も探さなければならなくなってしまいました。
必死で考え抜きます。
「リ、リトマス紙」
「しこり」
「り、リニューアル!」
「瑠璃」
最近勉強して覚えた言葉も無慈悲に返されました。
じわじわと追い詰められていきます。頭も働かなくなってきます。
り、り……まだなにかあったでしょうか。
「り、リング!!」
「呼びましたか?」
「うわああ!!!!!!!!」
帰ってきた言葉は悪霊の言葉ではありません。
必死に考えてようやく思いついた言葉は思いのほかに大きな声になっていたみたいです。それは一人の女性を呼びとめていました。
そして返ってきた言葉に二人は同時に飛び上がります。そしてすぐさま振り返りました。
わずかな肌色と輪郭を現す黒い線が人影を表していました。しかし、それ以外は雪に解けてしまいそうなほど白い部分しかありません。よく見ると白いフードをかぶっているだけで顔もちゃんと見えました。
綺麗で優しそうで……周りの雪に解けてしまいそうなほど儚さを感じました。
どことなく、冬の女王と似ている雰囲気があります。
「ごめんなさいね。そんなに驚くとは思わなかったから。ただ、自分の名前を呼ばれたので」
「あ、いえ、大丈夫です。それからあなたの名前を呼んだわけじゃなくて、その……」
「はははは……俺様をビビらせるとはなかなかやるじゃねーか」
王子はほっとしながら、雪だるまを虚勢を張りながら返事をします。
そしてそんな様子の彼を見て、ぱあっと目の前の女性の表情が変わりました。
気が付けば雪だるまのすぐそばまで寄っていました。
「あらー!かわいい雪だるまさんねー。しゃべれるなんてすごいわー!!」
「ちょ!?やめろこら!?俺様はかわいくなんてねーだろ!!」
そっと白い服から伸ばされた手で雪だるまの頭をミット帽子ごと撫でつけます。
雪だるまの粗雑に嫌がるそぶりもなんのその。思う存分、可愛がります。
しばらくして、満足したのか、王子に向き直りました。
「それで、こんなところで何をしているの?」
「あ、えっと……」
王子は言葉に詰まります。代わりに雪だるまが答えました。
撫でられ放題されたせいか、少し機嫌が悪そうでしたが。
「へ!俺たちはな。この長い冬を終わらせるために、季節の国へ行かなきゃならねえんだ!だから部外者に構っている人はないんだよ!あっち行ってろ!しっし!」
「ちょっと雪だるまさん!そんな言い方……」
その言葉に目の前の女性は納得がいったようです。
「なるほど。そういえばこの森は……でもだめよ。もし本当に行きたいのなら、道具に頼っちゃだめ」
「え……?」
気が付けば真面目な顔をしている目の前の女性に王子は思わず振り返りました。
彼女の視線は王子が持っているコンパスを指し示していました。
「行きたいと思う場所に行きたいと強く願い続けるの。ここを進んでいけば行けるだろうとか、この道は本当に合っているのだろうか、とか迷っちゃダメ。とにかく願い続けるの。そうすればきっと行けるから」
「え、えっと……あなたは一体……」
御礼を言おうと思いましたが、どこかで今の自分たちのように言葉が迷子になってしまい、代わりに出たのは少しだけ無礼なものでした。
彼女はクスリと笑います。
「ふふふ。私の名前はリング。ただそれだけよ。それじゃあ、行きたい場所に行けることを祈っているわ」
「は、はい!ありがとうございます!僕はジオです!」
「おう、俺はアグロだ。だが、てめー嘘だったら承知しねえぞ!」
「アグロさん!!」
王子が言葉が悪霊をたしなめると同時に、白い女性の姿はまるで周りの景色に解けてしまったかのように消えていました。最後の二人の駆け足気味の自己紹介も聞いていたかわからないぐらい自然に。
いったい何者なのでしょうか。
しかし、彼女の言うことを信じてみるしかなさそうです。王子はコンパスとナイフをリュックサックの奥深くにしまいました。
「しりとりは僕の負けでいいです。今から、願いましょう」
「へへ、あとでしっかり罰ゲームを考えてやるからな」
頭で考えていたことと動いていたこと。
別々になっていたことを一つに合わせるように二人は進み始めました。
季節の扉へ行きたい、行きたい、行きたいと。
さきほどまで、唸り声とわずかな言葉のやり取りしか聞こえなかった森はついに足音しか物音を聞かなくなりました。
不安を感じないように少しでも入って来れないようにただ、二人は願い、進み続けます。
何かが変わったわけではありません。
それでもやがて木がなくなり、広い場所に出ました。
二人は正面を見て、しばらく唖然としていましたが、やがて喜色を浮かべて走りはじめました。
目指していた物は目の前にあります。
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それは間違いなく扉の形をしていましたが、とてつもなく大きく、少し小さな塔と言われても違和感がないほどでした。
さらには、その扉の後ろにはいま彼らが立っている場所と同じような景色が広がっているだけです。
彼らは興奮と森を歩いてきた疲れで少しだけ息を切らしながらその前に立っていました。近くできてみると小さな彼らはその大きさや荘厳さに押しつぶされてしまいそうです。
もっともそれを感じていたのは王子だけで悪霊はなにも気にする様子を見せませんでしたが。
「へへっ。いかにもって感じの門だな。よし、ここは俺様の力を見せてやる!」
王子より少し大きいぐらいの体のどこにそんな自信があるのでしょうか。彼は手袋に包まれただけの細い腕を思いっきり扉に押し付け、そのまま力を込めはじめます。
かなりの力が入っていることはなんとなくわかりますがやはり扉はビクともしません。
なにせ、大の大人が100人いても動かせるかどうかわからないのです。
「このやろー!!俺様が開けろと言っているんだから開けろー!!」
最終的に叩いたり蹴りはじめたりしていました。もちろん、何も反応を示しません。おそらく彼の腕や足が痛くなるばかりです。
王子は魔法使いに言われたことを思い返していました。
女王に認められた証がなくてはならない。
証とはいったい……。。
そう考えたとき王子はハッとひらめきました。
彼はリュックサック下ろしてその中をあさります。よくよく考えてみたら不思議でした。森を抜けるよりその証を見つけることの方が本来は大変だったはず。でも王子は扉を見つければ何とかなると言う気になっていました。
必要そうだったもの。持って行きたいもの、色々なものを詰め込んだこの中にそれはあると。
そして王子はその中を一つを取り出して、目の前に掲げました。
「な、なんだ?そりゃあ?」
悪霊は疲れてなおかつ、自分で痛めつけた手や足を痛そうにひらひらさせていましたが、王子が取り出したものを見て思わず素っ頓狂な声をあげました。
鞘から抜かれてはいないものの、城のある程度身分ある兵隊がつけていても不思議ではないと一目でわかるほど立派な剣でした。どう考えても一般的な子供が持つような代物ではありません。
そして驚く悪霊の前で王子は叫びました。
「お願いです!僕たちを冬の国へ連れて行ってください!!」
それは願いではありましたが、同時に命令でもありました。
そしてその叫びは剣に向けられたのか、扉に向けられたのかわかりませんでしたが、どちらもそれを聞き入れたようです。
掲げた剣が少しずつ輝き始めます。
「な、なんだぁ!?こりゃあ!?」
さきほどよりさらに素っ頓狂な声があがりました。王子も驚いていないわけではありませんでしたが、迷うことなく剣を掲げ続けます。
まわりに降り積もる雪に光が反射して、まるで剣の光がこの場所を支配しているかのようでした。そしてやがてその光は剣から飛び出して門の一番天井に届いたかと思うと、そのまま扉を一刀両断するかのように降りたちました。
ゆっくりと、ゆっくりと扉は開かれ始めます。
しかし、その先の光景を眺めるより早く、彼らの体は意図せず動きました。
彼らの体は何かに引っ張られているのです。
思わず反射的に王子は鞘が付いたままの剣を地面に突き刺して、抵抗しようとしました。確かに門を開けるのが目的でしたが、こんなことになるとは思っていなかったのです。
「な、なんだしか言えのが腹が立つんだが、どうなっているんだ!説明しろ!ドジオ!」
「ぼ、ぼくにもわからないのです!!」
王子は必死に剣を掴み、いつのまにかに雪だるまもその王子の足を掴むようにしてその吸い込みに飲まれないようにしていました。
しかし、彼らの必死の抵抗もその大きすぎる力にはあまりにも無力すぎました。
剣は地面から離れ、彼らの体が宙に浮かびます。その瞬間は一瞬だったはずなのですがかなり長く感じました。
そして、まるで川の激流に流されるかのように、彼らは恐ろしい速さで扉に飲み込まれました。彼らが入ったのを確認した扉は自然と閉まっていきます。
再びその場所に静寂が戻りました。