悪魔とクリスマスを
ブレーキの音、衝突のすさまじい音。
天地がひっくり返った。
ああ――死んだな、オレ……。
誰かの声がした。救急車がどうのって。
よりによってクリスマスに死ななくても……。
別にカノジョとのデートがあるワケでも(つかカノジョいねーし)、家族とパーティする予定もないが――何も祝いの日に死ななくても。
とか、思ってた気がする。
授業中うたた寝から覚めた時みたいに、体がびくりと跳ね、目が覚めた。
灰色の雲が空には広がっている。自分が外にいるのは分かった。だが、何故なのかは分からない。寝る前オレは何をしていたんだ?
「何だ……?」
オレは意味もなく頭に手をあて、記憶を引き出そうとする。頭を打ったような気がするから、確認したくなったのか。
自分が地面に転がってたような感覚がある。血もたくさん流れていた。
オレ、バイクで事故った……?
辺りを見まわすと、事故現場ではないどころか――自分の視線がやけに高い。電線や家が下の方に見える。
つるり、と足がすべった。
気がつくと、オレは四・五階建てのアパートの屋上からずり落ちていた。柵はなく、手を伸ばして屋上のヘリに捕まってるギリギリの状態。
「何これオレなんでこんなところに?! つか死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
ってもう死んだんだっけ?!
「てか助けて!」
無我夢中で足をじたばたさせていたら、足の裏が何かを蹴った。何もなかったはずなのに。
空が視界いっぱいに広がって、オレは背中から屋上に転がり落ちた。
なんだ今の感触。空を蹴った?
死んでユーレイになったからか?!
頭の中に、白い着物を着て三角の布をつけて人魂をまとう自分の姿が思い浮かぶ。伝統的な日本の幽霊を思い浮かべたが、中身がオレなのであまり怖くない。そもそも今のオレは朝出掛けた時と同じ、ファー付きフードの黒いジャケットにジーンズって格好だ。
しかし、さっきの感覚はなんだったのか。
もしかして、やろうと思えば空も飛べるんじゃないか? 幽霊なんだし。幽霊ってやつはマンガやらテレビだとよく空を自由に飛べてるはずじゃないか。
オレは試しに見えもしない階段をのぼる仕草をした。最初はうまくいかなかった。だが、繰り返すうちにだんだんとコツが分かってきた。
「おおっ! アイキャンフライ!」
誰も聞いてないと分かっているから、ひとりごとがでかくなる。
オレはアパートの屋上から飛び降りた。もちろん地面に突き刺さって死ぬなんて事はない。もう死んでいるんだから。
空を飛ぶのは簡単だった。水の中にいると思って動けばいいんだ。しかも、周りの人にはオレが見えていない。触れようとすると、透けるっていうか、すり抜ける。やっぱりマンガか何かで見たのと同じだ。
「スゲー!」
オレの声は誰にも届かなかったけど、大音量だった。
地上も楽しいが、さえぎるもののない空を飛ぶのは半端なく楽しかった。人ってやつは空を飛びたがるように出来てるらしい。これはやばい。楽しくて仕方がない。アホみたいに楽しい。
平泳ぎで町の上空を飛んでいると、小さな子供と目が合った。
「ってアレぇ?!」
間違いない、バッチリちびっこがオレを見ている。つぶらな瞳で、まっすぐに。
二階建ての家の窓から、小学生になるかならないかぐらいのショートカットの女の子が、オレを見ている。白い肌にこぼれ落ちそうな大きな目をしている。窓ガラスに両手をついて、子供らしい熱心さで相手を観察しているのだ。
「み、見てる……?」
今や幽霊となって誰の目にも映らず声も聞かれず無敵となったハズのオレの姿が……、見えている……だと?
純粋で無垢な子供には幽霊が見えるのか?
いや待て、何もオレが見えていると決まったワケじゃないだろう。オレの後ろの鳥か何かを見てるとか……オレに手を振ったのかと思いきや後ろの女子に手を振ってただけの加藤さんのように!
ちょっと恥ずかしい過去までよみがえった。オレ宛てじゃねえっていうな。
目玉の大きなちびっこは、まだオレを見つめている。
念のため振り返るが、オレの背後には鳥はおろか誰もいない。まさか本当に、幽霊の姿が見える子供なのか? 霊感があるってやつか?
いや、どうせあんな小さな子供の言うことを真に受ける大人なんていない。子供一人に見られたぐらい何だってんだ。こっちは死んでんだぜ?
何も問題ないだろ。気にせず上空から町内一周だ。なんなら地区内、いや都内に広がってもいい。
今度はクロールで、空を泳いでオレは女の子からはなれた。女の子の視線がクロールのオレを追っているとも知らずに。
東京の空は雲っていた。雨が降りそうではないが、晴れ間もなさそうだ。今日はせっかくのクリスマスなのに、どんよりとした灰色雲。
都内一周はしなかったものの、オレは普段よく行く道を上空から満喫し、隣の区まで見下ろした。
だが曇り空のせいか、なんとなくすっきりしない。
曇り空だし、さっきみたいにちびっこが一人でロンリーでパッとしない日だな。
「ん?」
言ったそばから、さっきのちびっこがいた。ちょうどさっきの家の近くに戻っていたようだ。二階の窓ぎわにショートカットの小さな子供が座っている。
相変わらず一人で、うさぎのぬいぐるみなんか片手にぼんやりしてる。一人なのたぶん母親は下の階で飯でも作ってるからだろ。ちなみにオレは飯が食える状態じゃないけどな。なんて思っていたら。
「ねえ! なにしてるの?」
女の子が、窓を開けて話しかけてきた。
マ ジ で。
まさか声をかけられるとは思わなかった。子供って、すごい。
何度も確認したが、オレの姿は生きた人間には見えないはずだ。なんていうか、まだ心の準備が出来ていないから身内や友達の前にあらわれるのはやめた。それでも道行く人の前で立ち止まっても彼らはオレにぶつからずに通り抜けた。目の前で変顔してもまったく笑われない。オレの顔芸がイマイチだった可能性もあるが。
とにかくオレはちょっと戸惑いながらも女の子に近づいた。
「あなた誰? どうして浮かんでるの?」
オレは今、二階建て相当の高さの空にあぐらをかいて浮かんでいる。
小さな女の子のキラキラして好奇心に満ちた瞳は、オレの答えを待っていた。最初はどう答えたものかと戸惑っていたが、そのうちなんだか、オレの中にイタズラ心という悪い気持ちがムクムクとわいてきた。
オレは出来るだけ悪い顔で笑う。
「オレは悪魔! 悪魔さっ!」
我ながらちょっとウケる。まさか信じたりはしないだろう。聖夜に悪魔、なんとなく皮肉がきいてて面白いかなって思っただけだ。
「すごーーーーい!!」
が。
ちびっこはキラキラした目をもっとキラッキラさせて、うれしそうにした。
すごいを連呼して、窓を全開にして身を乗り出さんばかり。
「アクマってほんとにいるんだあ! あっ、さむいでしょ入って入って!」
手をばたばたさせてちびっこは悪魔のオレを家に招く。
ま、マジで……。子供ほんとすごいな。なんでそんなすぐ信じちゃうん……。悪魔とか自称する(いろんな意味で)危ないやつを家に入れたらだめでしょ……。しかも寒いでしょって、相手悪魔なのに。なにその優しさ。いい子か。
あっ、こいつさては悪魔が何だか実は分かってないな? 子供って知ったかぶりするからな。
オレはここでお説教をするべきなのか。小さな子供に社会というものや大人というものや現実世界を教えてやるべきなのか。相手が誘拐犯だったらどうするんだよ。
まあ、いいか。オレは悪い大人でもないしな。なんならまだ二十歳でもない高校生だ。ちょっと相手して帰ろう。
ちびっこの部屋は、一人部屋みたいでベッドがひとつしかない。もともとでかい家だとは分かっていたが、小さな子供に与えるにはあまりにも広い部屋に思える。オレがこのチビくらいの年ごろは自分の部屋すらなかったぞ、ゼータクだな。
「はい、ココア! のめる?」
オレが部屋を眺めていると、いつの間にか子供はマグカップにココアを入れて持ってきた。
「あー、うん」
コーヒーは苦手だがココアなら飲める。
ってちょっと待て、今のオレにココアなんか飲めるのか? 幽霊なのに?
そもそもマグカップに触れるかどうか。ゆっくりとマグカップに手を伸ばすと、触れた。普通に持ち上げられる。
なんか、この幽霊の自分の使い方が分かってきた気がする。ただ、ココアは飲めなかった。中身はそのままにマグカップを机の上に置いた。ごまかす意味もあってオレは仰向けに寝転がる。
「あっ、だらしない」
このちびっこはお行儀よくと育てられたらしい、指さし確認してオレをたしなめた。
「ばーかオメー悪魔が礼儀正しくてどうすんだ」
自分でもよく分からない言い訳だなと思いつつ、悪魔はだらしないものなんじゃないかと気づいた。だってほら、物語の中の悪魔って悪い事が好きだし。だらしないぐらいじゃ悪魔らしい悪い事とはいえないかもしれないが。でも悪魔ごっこっていうのは、悪いことしても言い訳がきくような気がする。
このちびっこの部屋は子供部屋らしい明るい色の家具やカーテンで、おもちゃやぬいぐるみがたくさんある。だが今の時期には足りないものがあった。
「お前んちクリスマスツリーないのか。仏教徒?」
クリスマスにはクリスマスツリーを飾る。キリスト教徒でもなんでもないうちにすらある。まあ、うちはリビングにしかないから、うちみたいに各部屋には置かないだけかもしれないが。
「あたしモモカって名前あるんですぅー」
オレが“お前”を連呼するからか、モモカはつまらなそうな顔をする。
そういえば自己紹介もまだだった。オレは仮にも悪魔設定だから、名のらない方がいいか?
モモカの返事を待っていたら、相手はうつむいてしまった。
「ツリー……。ママ、いそがしいから」
まずい事を聞いたみたいだ。小さな子供のいる家だというのに、クリスマスツリーひとつ飾らないというのは、それなりの事情があるのだろう。両親が共働きか何か、なんて今時珍しい話でもない。
でも、こんなちびっこい子供が待つには親の労働時間は長すぎるだろう。まして、この部屋は広すぎる。
オレは体を起こして立ち上がった。
「よーし。この悪魔サマがグロテスクなツリーを持ってきてやろう!」
ちょっと悪魔らしさを出して“グロテスク”と付け加えたが、普通のクリスマスツリーの予定だ。つかグロテスクなツリーってなんだ、頭蓋骨でも吊るせばいいのか。
「ぐ、ぐろ?」
ちびっこのモモカは聞いた事ない単語だったんだろう、不思議そうな顔をしている。
オレはそんなモモカに待ってろと伝えると、モモカの家を飛び出した。
どの街にだって飾ってある、あのイルミネーションのうるさいクリスマスツリー。あれが家の中だと一家の団欒の象徴のような気がして――。
きっとモモカの家の事情はツリーひとつじゃ何も変わらない。でも、部屋の見た目ぐらい変わったっていいだろう?
家族仲は悪くもないが仲よしすぎもしない、両親揃って弟もいるオレの家はわりと普通。だからモモカの気持ちは分からないかもしれないが、オレがチビガキでクリスマスに家族にほっとかれたら、さびしく思ったはずだ。周りは楽しそうにしてるのに、なんで自分だけ――って。
子供好きなんて言えないし、近所のガキがギャーギャーさわいでる時はうるさくて嫌いだと思った事もあるが――オレはモモカのために何かしたくなった。
クリスマスツリーを持ってくると口で言えば簡単に思えたが、幽霊になった今やなかなか難しいものとなった。
マグカップを持てたのだからとツリーも持ち上げられる気がしたが、うまくいかない。何回も何回もふんばらないといけなかった。なんか、物を持つってのは新米幽霊にはちょっとした労力が要るらしい。
ツリーは五十センチくらいの比較的小さなサイズのものだったが、持ち上げた途端に気がついた。もしかして、普通の人間にしてみればツリーは何の支えもなく浮かんで見えるのでは。
考えた末にオレは、ツリーを一度人目につかないようなかなり高い上空まで一気に持って行く事にした。鳥の飛ぶ高さじゃ写真撮られて都市伝説のひとつに数えられてしまう。それはそれで楽しいけど、人目を集めるつもりはない。
そうして苦心して、オレはモモカの家に戻ってきた。ちなみにクリスマスツリーは店から万引きする訳にもいかず、オレんちのものを持ってきた。
せっかくだからツリーを飾る楽しさも味あわせてやろうと、オーナメントはみんな外してある。
「ほいっ。モモ、お前も飾れ!」
実はオレも近年はツリーを飾る作業をやっていない。小さい時は家族みんなで飾ったけど、家でのイベントごとは子供がでかくなるとやらなくなるものらしい。うちのツリーはいつの間にかオカンが一人で出したり片付けたりするようになった。だからオレも飾りつけが久々でちょっと楽しみだ。
「ぐろてすく、ってなに?」
モモカはどうもオレの発した言葉が気になって仕方ないらしい。
「それはもういいんだよ」
というか予定通りグロテスクなツリーではないのでオレのテキトーな発言は忘れてほしい。
とにかくオレたちはツリーを飾る事にした。
うちにあったクリスマスツリーは、本物の木を使った鉢植えじゃない。作り物とはいえ深緑の葉がきれいだ。
オーナメントはなんかよく分からんが色の種類がある球体のやつ、赤い靴下にプレゼントボックス、赤と白のしましまの杖みたいなやつ、金色の星とベルに小さなリースもある。あとはヒイラギだったか緑のトゲトゲした葉っぱに南天の実みたいなのがついてるやつとか、雪に見立てた白い綿とかだ。
オレはたいしたセンスもないくせに、これはここだとバランスが悪いとか言いつつも――モモカにてっぺんの星を飾る栄誉を譲った。オレが子供の頃は、クリスマスツリーの一番上に黄金の星を飾るっていう行為は、なんだか特別な事に思えたものだった。弟のリョウとは自分が星を飾るんだってよくケンカになったっけ。
そういえばモモカには兄弟はいないらしい。話していて出てくる話はママばかり。
モモカはクリスマスツリーの飾りは大好きだと言った。これまでまったくクリスマスに触れてこなかった訳ではないのだ。特にリースが好きだとか、赤と白の杖の名前はキャンディケインと言うのだとか教えてくれた。
小さな子供は、ツリーを飾りながらすごく楽しそうにした。おっきな目をキラキラさせて。モモカのうちにツリーを持ってきてよかった。
急に、モモカがむせはじめた。最初はおしゃべりが過ぎて喉が乾燥したのかと思ったが、モモカの咳は止まらない。
「お、おい、大丈夫か?」
心配になるくらいで、オレはモモカの背中でもさすってやろうと手を伸ばすが――死者は生者に触れられない。マグカップやツリーの例もあるから気合いを入れればたぶん触れるが、病人のような姿に力んで触れるのはためらわれた。
「だい、じょぶ……。くすり飲めばなおるから」
モモカはベッドサイドの棚から薬を取り出すと、ペットボトルのミネラルウォーターと一緒にのみくだす。
オレがただおろおろしてるうちに、モモカの咳が止まった。
「む、ムリすんなよ。お前寝てた方がいいんじゃないのか?」
まだ何度か咳こんでいたものの、モモカは笑ってみせた。
「平気! いつもより、おさまるの早かったよ。アクマさんのおかげかな?」
まだランドセルも似合わない小さな子供のくせに、大人を気づかってみせる。
改めてモモカを見ると、肌がやけに白いと思ったが青白い病人の肌なのだと分かった。体が弱いから、外にも出ずに留守番をしていたのだ。
こんなに小さいのに。いつも薬を飲んで、耐えているのか。
オレの顔は楽しそうには見えなかっただろう、それなのにモモカは喉の調子を整えるように咳払いをして、明るい顔をするのだ。
「アクマさんじゃなくて、サンタさんなんじゃない?」
「ハハ……そりゃねーわ」
第一オレはただの死人だ。
死人――幽霊がそばにいて生きた人間に影響がないと、言いきれるのか?
悪霊に取り憑かれると体調を崩すとか、ポルターガイストがどうのとか、そういうのは幽霊の話にはつきものだ。
このままこの病気のちびっこの近くにいていいのか? モモカはオレがいたから咳がいつもより早く止まったなんて言っているけど、それだって本当かどうか分からない。あの咳はオレのせいかもしれないのに。
まさかとは思うが……そろそろここを出よう。
ツリーの飾りつけももう完成した。オレんちのツリーはこのままここに置いておこう。今は、あとの事をいろいろ考えている場合じゃない。
オレは無言で立ち上がった。また少し水を飲んでいたモモカは顔を上げる。
「トイレ?」
幽霊や悪魔がトイレ行くのか疑問だったが、モモカはそんな事をたずねた。
なんとなく彼女を見ていられなくて、オレは顔をそむけた。
「いや、もう帰る」
今度はツリーを取りに行くのではない。戻るつもりはなかった。
「待って!」
悪魔もどきを簡単に受け入れた子だから、引き留めてくるだろうとは思っていた。でもオレは振り返らない。
「おねがい……ママがかえってくるまでで、いいから……」
甘ったれた子供の“お願い”の仕方じゃなかった。もっと大人の出すような、ためらいながらもこらえ切れない思いを吐き出すような、吐息。
「ママ、あたしの病気治すためにお金がいるから、いっぱい働かなきゃなの、だから、分かってるけど……ちょっとでいいから」
考えられる事はたくさんあった。
モモカの話からはママしか家族がいないようにも思える。片親か、あるいは父親とはうまくいっていないのかもしれない。頼みの母親は仕事でいないし、モモカは町がクリスマスだからと浮かれ騒ぐ日にも、一人ぼっち。自分の体の事も分からない年じゃないから、余計に母親は引き留められない。
悪魔なんていう、得体のしれない相手でも話し相手になってほしかったのか――。
心臓がしめつけられる思いだった。
子供のくせに、やせ我慢してたのか。
オレは拳を握った。
「分かった。じゃあ……」
どうせならもっと、派手に行こう。オレはわざと笑顔を作って振り向いた。
「ママを驚かせてやろう」
クリスマスパーティを、この部屋で開くんだ。オレの言葉に最初はきょとんとしていたモモカも、それを聞いてぱっと顔色を明るくした。
「うんっ!」
毎度、おなじみの我が家からの無断借用を重ね、オレはモモカの部屋をパーティ会場にする事に成功した。モモカの家にもおりがみや色画用紙なんかがあったから、それを使って会場を華やかにした。オレも小学生の頃に紙で作った飾りでクリスマス会の準備をしたものだ。輪っかの鎖を作ったり、色のついたものはなかったからティッシュペーパーで花を作ったりした。
それから、オレんちでスポンジケーキを発見した。パーティするほどじゃないが、オカンはケーキぐらい毎年用意している。それも今年はスポンジケーキ台からはじめる、自分で飾り付けするタイプのケーキだった。同じくうちにあったイチゴとしぼるだけのクリームと、うちとモモカんちにあった市販の菓子を使って、いかにも手作りといった体のデコレーションケーキを完成させた。
「クリスマスケーキ、完成ーーっ!」
オレが拍手してみせると、モモカも真似した。
「大成功だぞモモ!」
立派とはいえないが、料理なんてまったく出来ない男子高校生と小学生にもならないちびっこの二人で作ったにしては上出来だろう。クリスマスまったく関係のないコア○のマーチとか、ポッ○ーが刺さっているのもご愛嬌。ほかに飾るものがなかったんだよ。
「やったやったー! ママすっごいおどろくよ!」
モモカはこういうお菓子づくりには慣れていないのだろう、危なっかしい手つきばかりだったが、自分で何かを出来る事が楽しいとばかりに、作業中から今までずっと笑いっぱなしだった。自分でケーキにのせた“メリークリスマス”と書いてある板チョコをいとおしそうに指でなでる。
「ああ。そんでスゲェよろこぶだろうな」
やっぱり、ツリー同様パーティの準備をして、よかった。
途中何度もオレはまたモモカがむせないか心配したが、薬が効いているのか苦しそうにする事はなかった。
それどころかオレは時々モモカの体調の事も忘れ、年のはなれた妹と過ごすような気持ちで、ケーキ飾りを心から楽しんでいた。
こういうのは、当たり前だが、誰かとやるから楽しいんだ。モモカには家族との時間が少ないようだから、少しでもそのさびしさがまぎれたんなら、よかった。
「すごいよアッくん、ありがとう!」
ケーキ作業中あたりから、モモカのオレの呼び方は“アッくん”になっていた。アクマのアッくんという事なんだろうが、悪魔っていうのは種族名みたいなもんだと思うんだ。人間ならニンくんか?
ほんと、子供ってすげえな。初対面の相手にも物怖じしないで、なつっこくて。それなのにモモカは日中こうして放っておかれてるのか。保育園とかは、きっと体調が悪いと追い返されるんだろう。せめて早くよくなるといいのに。
オレと目が合うと、モモカはケーキからはなれてにこにこした。
「今日アッくんが来てくれてよかった!」
ああ、もしかしてオレは――。
このために、地上でのロスタイムを与えられたのかもしれない……。
そう思ったら、見ず知らずの小さな子供相手なのに、納得した。ストン、とあるべき場所にあるべきものがおさまったように。
自然と笑えてしまったのは、自分の手が透けはじめていたから。見える範囲で自分の体をあらためると、やっぱりあちこち透明になりかけている。
モモカもそれに気づき、怪訝な顔をする。
「アッくん……?」
せっかく一人じゃなくなったのに、またこのちびっこを一人にさせてしまうのか。オレは申し訳なさを隠しながらも笑いかけた。ぎこちない笑みだったろう。
「ワリイ、もうお別れみたいだ」
モモカの表情が固まった。
オレだって永遠にこの家にいられないのは分かっていた。でも、モモカの母親が帰ってくるくらいまでは、一緒にいてあげられたらよかったのにな。
「一緒にママのびっくり仰天顔見られなくて、悪いな」
「そ、そんな……」
泣きそうな顔をするちびっこに、罪悪感が生まれる。
でももう、意識がぼんやりしてきた。
眠くなってきたというべきか。
何かが、オレを呼んでいるような、引っ張っているような。そう思いたいだけかもしれないが。
手をのばしたモモカの姿も、うすぼんやりとして、オレは息を吸った。
「待っ……」
その声を最後まで聞く事はなかったし、オレが何かをつぶやく事もなかった。
ふうわり、光の中にオレの姿はとけこんでいった。
「ただーいまー! モモカー? 今日ママ早く帰れたの~」
「ママ……」
「じゃーん、ケーキ買ってきたよ! 今日はクリスマスだからね~~、ってあら? どうしたのこのケーキ。山本さん来た? 洋介おじさん?」
「……アクマさんが、来たんだよ」
「二人で作ったの……」
こうしてオレは地上での暮らしの最後を、知り合ったばかりの少女と過ごし――別れたのだ。
とか思ってたけど。
「生きてるうゥゥ!」
もう一度目覚めた時オレは、病院のベッドの上にいた。ギブスやら包帯やらで固められた、完全な怪我人スタイルで。
どうやらオレは幽霊じゃなくて、幽体離脱ってやつをしていたみたいだ。それとも一度死んだのだろうか。
とにかくオレは死んだと思っていたが、現世に帰ってこれたのだ。生身のある人間として。
オレが目覚めた後は大変だった。
「ショウヘイぃっこのバカ息子があっ!」
オカンはぎゃあぎゃあ怒るし(生きてたんだからよくね?)、親父はおろおろするばかり。弟のリョウは反抗期みたいに拗ねた顔だ。こいつまさに反抗期まっしぐらだけど。それでもオレが目を覚ましたからってすぐに帰るほど薄情じゃなかった。
クリスマスに事故ったオレを、とにかく生きて帰れてよかったと安心した家族たちだった。
退院は意外にも早かった。事故に遭ったクリスマスの翌々日だ。オレが目覚めたのはクリスマスの次の日。見た目はひどいが長々入院するほどの怪我じゃなかったって事だ。あと何回か通院が必要だけど。
退院にはオカンがつきそってくれた。ちょっとした荷物も病室に置いてあったし、オレはまだ少し一人じゃ歩きづらかった。
病院を後にしながら、オカンはしみじみ息をついた。
「アンタみたいなバカが、運よく生きてられたのはサンタクロースのプレゼントだったのかもね」
「げっミチコ、その年でサンタ信じてんの」
母親を名前で呼び捨てにしてけなすと、ばしっと勢いよく叩かれた。怪我人にするにはあまりにも強い一撃だ。かなり痛いしよろけたぞ。
「アンタは死にかけても口がへらないね!」
「そっちは手をへらせ」
身内ってのは本当に容赦がない。オレはまだ反論しながらもひょこひょこ怪我した足をひきずって歩いた。
うちの車まではもうすぐだ。
通りすがった小さな子供にも気づかずに、オレはオカンに文句を言っていた。
「モモカー?」
その幼い子供は母親が先に行っているのにも気づかずに、通りすがった少年を見上げていた。高校生くらいの男子と、その親らしい女性が話しながら立ち去っていく。
似ている。
あの時会った、あの人に。
もうはなれていった後姿に、重なるのは――
(まさか、ね)
モモカは、口元で笑った。
この話はもう九年か八年も前に作ったものを、ちょうど時期なので改めて書き直して投稿しました。