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玲奈の想い

 水鏡に映した幻影が二人。

 どちらも、帆波によく似た姿をしていた。瑠璃色の髪の幻は、帆波を教えて欲しいと。帆波と同じ、色の抜けた茶色い髪を生やした影は、帆波の想いを、死人が抱く生者への嫉妬と謳った。


 どちらも自らを帆波ではないと謳い、故に帆波に成り替わろうとした。

 慕情か、自責か。俺はどっちを選べばいいんだ。あのとき、何もできず、帆波を見殺しにした俺は、今さらそんな、我儘な選択に迷うのか。父親になりきれなかった俺なんかに、決断ができるわけないだろ。

 いっそのことならば、ふたりとも、欲しい。俺は、溺れてしまいたい。


 甘えさせてくれ! 殺してくれ!


 他力本願な叫びは届くことはなく、ふたりは夜霧が晴れるようにして、消えてしまった。

 頬に熱い川を流す、不甲斐ない自分。また、俺は、ひとり取り残されたんだ。ちょうど、冷たくなってしまった帆波を抱いて、すすり泣くことしかできなかったあのときの自分と同じように。

 へたり込んで呆然とする俺を、玲奈が澄ました瞳で見つめていた。


「――凪兄、早く行こう。あたしの家に」


 声が冷たい。あれだけのことがあったのに、玲奈は平静を保っているよう。いや、むしろ取り乱した俺を見たことで、肝が据わってしまったようなのか。玲奈の瞳は、俺の心の傷を直に見つめているようだった。


「もう、大丈夫だよ。酔いも覚めたし」


 先ほど目の前で繰り広げられた光景に、酔いなど吹き飛ばされたことを引き合いに、俺は玲奈の介抱を断った。

 正直、玲奈の鋭い眼差しに耐えきれない。俺に彼女の瞳は、強すぎる。

 だけど、立ち上がろうとすると玲奈は、俺の濡れた服の裾を引っ張った。


「嘘つき……、大丈夫なんかじゃないくせに。今の凪兄、放っておけないの。――独りだと、どっかにいっちゃいそうで」


 また、玲奈は泣いていた。また、俺のせいだった。

 何も言い返せなかった。俺の服の裾を掴む華奢な手は、力強く、どこか温かかった。


 玲奈は、乗ってきた自転車を押しながら、俺の三歩先を歩いていた。こちらには背中で話しかけるが、振り返りはしない。肩が小刻みに震えていた。


「帆波って、娘の名前?」

「……、ああ」


「亡くなったのは?」

「二年前」


「そう。ねえ、あたしね。知らなかったのよ。何にも」

「……、ごめん」


「あたし、すごく怒ってるから」


 そこで会話が止まった。似合わない金色の髪が、月明かりに照らされて夜風になびいていた。


 俺が幻を見た港から、歩くこと十分強ほど。トタンを打ち付けた柵には、潮が噴き出た白い斑点がまだらについている。ひび割れと青黒い染みが所々についた、年季の入ったアパートだ。


「見てくれはあれだけど、中はそれなりに綺麗にしてあるから」


 灰色の廊下に粉を噴いた木製のドアがある。表札には、「潮見」と名がある。その成りからして、随分と古いアパートのようで、ドアの高さも建てられた当時の世風に合わせてか、少し低めだ。背の高い男性なら、頭をぶつけてしまいそうだ。残念ながら、俺の頭を掠めることはない。


 玄関には、ビーチサンダルとパンプスが置かれていた。そこに、履いてきたスニーカーを脱いで並べた。フローリングの床は、掃除が行き届いていて、室内灯の光を反射して光っていた。

 内装は、落ち着いていて、むしろ殺風景とも取れるくらい。部屋の中心には、チェック柄のカーペットの上に木製の座卓が置かれていた。


「座って」

「すまない。邪魔する」


 玲奈はキッチンの下の棚から、一升瓶を取り出した。長崎の地酒らしい。しかし、今は酔いは醒めてるとはいえ、先ほどまでまともに歩けないくらい酔っぱらっていた自分。

 もう酒はいいと断ると、むすっとした顔を向けられた。


「いいの、あたしが飲もうと思って取り出したの」


 玲奈とは高校を卒業して以来会っていないから、酒を酌み交わしたことはなかったし、酒を飲んでいるのを見たこともなかった。

 透明で高さのある円筒形のグラスは、どうみても酒をちびりちびりと嗜む用途ではない。暑い夏場に冷えた麦茶を一気飲みするためのもの。

 玲奈はそれに、清酒をなみなみと注いで、一思いに喉を通らせた。あまりにもの飲みっぷりに、開いた口を塞げずにいると、早くも怪しい呂律で玲奈は吐き捨てた。


「――言っとくけど、あたし、下戸だから」


 朱色に色づいた、薄化粧の頬。とろんとまどろんだ瞳。どうして、玲奈は酒に弱いという自覚がありながらそんなことをしたのか、よく分からなかった。

 狼狽している間に、鼻を抜ける酒の香ですでにふらついている玲奈。あぐらを掻いて座り、座卓にグラスを乱暴に置く。再び清酒を並々と注ぎ込み、ぐびりぐびりと勢いよく飲む。


「おい、――やめとけって」

「――うるさいっ。今日はいっぱい凪兄に、こまらされたんだもん。すこしくらい、あたしにも凪兄をこまらさせてよ」


 わけの分からない駄々っ子のような理由に、とんと呆れた。


 自分の腕に額をくっつけて不安定に肩を揺らす。かと思えば、手繰り寄せるように額を持ち上げて、再び清酒を口に運ぶ。その行ったり来たりの動作を繰り返す玲奈。

 その間、こちらに目を合わそうともしないし、自身も表情を見せまいとしているようだった。

 だけど、すすり泣くような鼻の音は、微かに漏れ聞こえていた。


「せめて、あたしで困ってるあ……いだ……は、わす……るでしょ……」


 似合わない金髪が、だらりと垂れて泣き顔を隠していた。


「凪兄が島の外に行っ……て。れんらくもこないし。ふっきれようとおもって、かみを、そめたの……。でも今のいま……まで……。似合わないのに、わけわかんない」


 酔いに任せて、玲奈は思いの丈をつらつらと口ずさむ。


「ねぇ、いつからか知って……る……? あたしが、むっつのとき。きんぎょをあたしのかわりに、すく……てくれたでしょ? うれしかった。きっと、あれからずっとだよ――」


 俺が身投げをしようとしているところを見て、あそこまで必死になった理由も。再会してから、ずっと俺に対して怒っていた理由も。似合わない金髪に染めた理由も。


「だから、凪兄。いなくなんてならないで」

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