お隣さんがダンジョン運営してました3
「それで、えーと、ここは日本のどこだ?」
「私たちの家ですよー。エイジ君の家の隣とも言います」
「ああ、なるほど」
まぁ、それはそうか。
むしろ、この場合は自宅以外というほうが考え難いかもしれない。
「あんまりキョロキョロ見ないでくださいよー。
この部屋は別に面白いモノなんて無いですからー」
「ああ、いや、ごめん……」
つい物珍しさであちこち見てしまった。
実は、今まで、オレはキョウコさんたちの家に入れてもらったことはない。
これが初めての訪問だったりする。
まぁ、異世界だの魔物だのと、
バレると厄介な事情を抱えているから、
当たり前といえば当たり前なんだが、
親しい近所付き合いをしてきた身としては、
一度見てみたいという気持ちが強く出てしまった。
「そうだ!
せっかくなので、レイの部屋とか見てみますかー?
今なら下着とか干していると思いますけど」
「いやいやいや、
一瞬前にあっちこっち見るなって言ったじゃん」
凄まじい速度の手のひら返しだった。
「そうですけど、
レイが見せるためのパンツとか、
勝負するためのブラジャーとか持っていたのを思い出したので、
これを機会に下着たちの使命を全うさせてあげようかなと」
「それは余計な親切心だと思う」
やめた方がいい、たぶん危険なお世話というやつだ。
「ですが、下着売り場であーでもないこーでもないと、
真剣に選びながら買うレイの後ろ姿を思い出すと、
つい思ってしまうんですよねー。
……見せる予定なんて無いハズなのに」
キョウコさんは、どこか遠い目をした。
「…………そうなんだ」
ものすごくコメントしづらい話題だった。
「というか、ブラジャー付けて形を保たなければならないほど、
レイは胸があるってわけじゃないんですけどねー」
「あ、レイちゃん後ろにいるよ」
「むっ!?」
光の速さでキョウコさんは振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
狐の娘は、しばらく硬直した後、
ぎこちない笑みでオレに振り返り、
明るい震え声で言った。
「や、や、や、やりますねー!
これでも私は化かし合いが大得意だったりするんですが、
その私を騙すとはエイジ君は将来有望ですよー」
尻尾の毛が全て逆立つくらい恐ろしいなら、
余計なことは言わなければいいのに。
彼女は、口を開くたびに自ら死地に落ちていってる気がする。
なんだろう、そういう立ち位置が好きなのだろうか?
「そういえば、エイジ君は私たちの性格が違うとか言っていましたけど、
エイジ君だって私に対する態度が今までと違いませんかー?
そこのところどうなんですかー?」
「あー、たしかにそれはそうかもしれない。
でも、今のキョウコさんだって、
今までと違う人当たりだから、
やっぱりこっちも変わっちゃうよな」
「前の方が良かったですよー。
優しい好青年ってイメージで私の中では好評価だったんです」
「オレも前の方が良かったなあ。
神秘的な美人だった」
「…………」
「…………」
「そうだ、日本に戻ってきたんだから、
さっさと人間の姿にならないといけませんねー」
変な空気を押し流すようなわざとらしいキョウコさんの言葉に、
オレはちょっと救われる思いだった。
キョウコさんは呪文のようなモノが彫られた銀色の指輪を、
ポケットから取り出して左手の薬指に嵌める。
指輪を嵌めたキョウコさんは、
その上に自分の右手をかざすと瞑想し始めた。
「なにをしているんだ?」
「まぁ、見ていてくださいよー」
すると、指輪は青白い光に包まれて、
それに共鳴するようにキョウコさんの狐耳と尻尾が、
指輪と同じく青白い光に包まれる。
「おおお!?」
狐耳と尻尾を包んでいた光に、
やがてひびが入り、
ガラスのように砕けて割れる。
破片は飛び散って、
蒸発する氷のように空中で溶けて消えた。
そこにはあったはずの狐耳とふさふさの尻尾は無くなっており、
指輪の姿形も消えていて、
キョウコさんはオレの良く知る人間の姿に戻っていた。
「すげー、狐の部分が無くなった」
「ふふふ、これが人化の指輪の力ですよー!」
人格までは元に戻らなかったようだ。
オレの知っている人間のキョウコさんは語尾を「よー」と伸ばさない。
「そういえば、オレも真っ青なままだったな。
そろそろ元の見た目に戻りたいから、
人化の指輪を貸してくれないか?」
「……あー、まことに申し上げにくいのですが、
ただいま在庫を切らしておりまして」
「ええ!? じゃあ、オレずっと青いままなのか!?」
「ご安心ください。青いままでもなんとかなります。たぶん」
「どこをどう取ればなんとかなるのか、
オレには全くわからない」
「じゃあ、例えばですが、
エイジ君は全身ブルーの人間を見つけた時にどういう反応をしますかー?」
「とりあえず通報するかな」
「本当にー?」
「んー、いや、やっぱり変態だと思って近づかないだけかもしれない。
特に犯罪行為というわけでもないしな」
「良かった。なら大丈夫ですね」
「いや、なに一つ解決されていないから」
通報されなければセーフとか、
どれだけオレはその他を犠牲にしなければならないんだよ。
「なにが心配なんですかー?
モンスターだと思われないだけでも、
人化の指輪の目的は果たされていると思うのですけど」
「そこがすでに違うだろ。
日常生活に支障が出ないために必要なんだよ」
「へー? 普段となにか違いが出ますかー?」
「しばくぞ」
「暴力ですかー? 警察を呼びますねー」
「ごめんなさい、ただの冗談じゃないですか。
いやだなあ、もう……」
オレは、キョウコさんが取り出した携帯電話(どこから出したかは不明)を、
両手で必死に押しとどめて社会的危機を防いでいた。
ふと、優等生の仮面を被っていたころのキョウコさんとは、
こういったやり取りが全くなかったことを思い出す。
そう考えると確かに距離感は縮まったんだよな。
まさか死んでアンデットになったことがキッカケで、
仲良くなれるとは思わなかったが……。
つい、そんなことを考え込んでいると、
オレの沈黙を怒りと捉えたのか、
キョウコさんがオレの表情を窺うように言った。
「まぁ、冗談はこのくらいにしておいて、
エイジ君にはこれからダンジョンの運営者に会ってもらいます」
「運営者? それってレイちゃんとキョウコさんじゃないのか?」
「私たちではないですよー。サラ姉さんが運営者なんです」
「ああ、サラさんか」
サラさんというのは、三人姉妹の長女だ。
三人姉妹というのは、オレのお隣に住んでいる姉妹のことで、
レイちゃんが三女、
キョウコさんが次女、
サラさんが長女となっている。
ちなみに両親はいないらしい。
たぶん、いろいろと異世界関係の事情があったのだろう。
サラさんが家族の生活費を稼いでいるようだ。
「とりあえず、居間のほうで話をするので、ついて来てくださいね」
オレはキョウコさんに続いて部屋を出た。
どうやら二階だったらしく、廊下の先には下り階段がある。
オレたちは階段を下りて一階に着くと、玄関前の広間に出た。
広間には金魚の入った水槽と、
洋風アンティークのコート掛け、
銀色をした金属製の傘立てなどが置いてある。
……なにげに広い。オレん家とは大違いだな。
木彫りの装飾扉をキョウコさんが開けて、
オレたちは居間らしき部屋に入った。
居間は、テーブル、食器棚、椅子など
全てがアンティーク調で揃えられていて、
洒落たカフェのような内装になっていた。
その中で、
黒髪ストレートロングの眼鏡をかけた紺色スーツ姿の美人女性が、
椅子に座っている。
長女のサラさんだ。
「やあ、来たか来たか。とりあえず、そこに座ってくれたまえ」
さっきまでコーヒーを啜っていたのだろう。
まだ、湯気の昇っているマグカップが彼女の手元にあった。
サラさんはオレを手招きして着席を勧める。
「キョウコ君。長い話になるかもしれないから、
彼の分と君自身の分の飲み物を持ってきて貰えるかい」
「わかりましたよー。コーヒー淹れてきますねー」
キョウコさんは部屋の奥にあるダイニングキッチンに向かって行った。
オレの家と比べて、
いろいろと器具っぽいものやら調味料っぽいものが置いてある。
料理が好きなのかもしれない。
そんなことをのんびり考えていると、
サラさんは椅子から立ちあがり、
オレに向かって礼儀正しく頭を下げた。
「まず、最初にキョウコ君の上に立つ者として謝らせてほしい。
……すまなかった。
うちの者が君にとんでもないことをしてしまって、
本当に申し訳ない」
冷静沈着。
オレが知るもっとも大人な人物。
一部の隙もないエリート秀才。
巨乳。
そんなサラさんが頭を下げている、その事実にオレは慌てた。
「い、いいえ!
そんな大したことされてません」
……そういえば、オレはキョウコさんに殺されてた。
「た、確かに大事かもしれません。
でも、サラさんが頭を下げることは、
ないですって!」
サラさんも、いわば一種の被害者だ。
筋は通っているのかもしれない。
でも、目の届かない場所で起こった事故に対して、
彼女が頭を下げるのは、なにか違う気がする。
その時だった。
台所の方からキョウコさんの声が聞こえてきた。
「そういえばー!
エイジ君って、砂糖とミルクはどうしますかー!?」
砂糖もミルクもどうでも良かった。
そんなことより、サラさんに頭を上げて欲しかった。
というか、もとはといえばキョウコさんが全ての元凶なのに、
なぜ彼女はのほほんとしていられるのか?
彼女こそもっと謝るべきではないのか?
いや、謝るべきだ。
「砂糖もミルクも必要ありません。
いま必要なのは、
キョウコさんが地面に頭をこすりつけて、
土下座をすることだと思います」
オレは物凄く真面目な声でそう言った。
「私が土下座したってコーヒーの味は変わりませんよー!?」
物凄く真面目に泣きそうな返事が戻ってきた。
そんなオレとキョウコさんのやり取りを聞いていたサラさんは、
突然、頭を下げたまま「ふふふ」と小さく笑い声を洩らした。
貴重な光景を目撃してしまったと思った。
紺スーツを着たサラさんは、
そのパリッとした身なりからも想像できるように、
大変クールな女性で滅多なことで感情を表に出さない。
そんな彼女が不用意に笑いを洩らしたところを、
ひょっとしたらオレは初めて見たかもしれない。
「まさかあのキョウコ君とここまで仲が良いとはね。
初めて君たちを見たときは、
そんな関係になると想像すらしなかった」
胸の谷間が見えていた。
しかし、サラさんは、頭を上げて、
胸の谷間は見えなくなってしまった。
サラさんは凛とした面構えをオレに向ける。
微笑を浮かべているものの、どこか諦観がこもっていて、
ああ、やっぱりこの人はすごい大人なんだ、と、
酸いも甘いも知り分けた彼女の微笑に、
オレは改めて年上としての尊敬を覚えるのだった。
――――こんこんこん。
その時、ドアをノックする音が背後から聞こえてきた。
オレは後ろを見る。
オレ達が先ほど入ってきた木彫りの扉が開いて、
黒と赤のゴスロリ調のドレスを着た西洋人形のような少女が現れた。
それは、八十七歳という年齢がバレてどこかに居なくなったレイちゃんだった。
「あら? もう全員あつまっているようね?」
鈴の音のような声がレイちゃんの口から響く。
彼女は正当な血筋を持つ貴族のように、
気品と余裕に満ちた美しい足取りで席についた。
……いや、今さら格好をつけたところで、
さきほどの珍プレーは帳消しにはならないだろう。
なんとなくジト目を向けると、
レイちゃんはほんのりと頬を赤らめたあと、
ツンっとそっぽを向いてしまった。
……あまり追及するのも可哀想だ。
あとで飴ちゃんでもあげようかなと考えたところで気付く。
彼女は八十七歳だった。
八十七歳のご機嫌取りに飴ちゃんをあげるというのは、
果たしていかがなことなのだろう?
「こほん……」
わざとらしい咳を入れたあとレイちゃんは言った。
「ところでどのあたりまで話は進んでいるのかしら?」
まだ始まったばかりで、何も内容は無い。
そのことをサラさんが言った。
「……すみません。レイ様。
まだ殆どなにも。これから始まるというところでしたので」
しょんぼりとした声のトーンだった。
そして、サラさんは地面に平べったくうつ伏せになった。
いや、違った。
良く見るとレイちゃんの足元に顔を屈めて、
靴を舐めているだけだった。
オレはもう一度サラさんが何をしているのか確認した。
口から出した小さな舌で、
ぺろぺろとレイちゃんの黒い靴底を舐めているだけだった。
天井を見上げて深呼吸をする。
すーはー。きっと何かの見間違いだ。
オレは、もう一度だけサラさんが屈んでいるところだけ見て、
細部までは見ないようにした。
なぜか頭が痛い。
まさか本当にサラさんがレイちゃんの靴を舐めているというのか?
そんな馬鹿な。
オレよ、落ち着け。
そして冷静になるんだ。
冷静になってオレは思った。
何をしているのかは、よくわからないけど、
空気を読んで、オレはこの場を去って、
二人だけで続きをしてもらえばいいんじゃないだろうか?
オレはこの部屋から脱出したい思いで、
立ち上がり扉の取っ手を掴んだ。
いやいやいや、思い直せ。
話の中心人物たるオレがいなくなってどうする?
オレと話をするために、全員が揃っているんじゃないか。
ここで居なくなるわけにはいかない。
オレは席に戻ろうとした。
「ねえ。サラぁ~、もっと手際よくしてくれないと困りますわ」
「はい、レイ様、申し訳ありません」
「…………」
やっぱり、オレは居なくなった方がいいのかもしれない。
いやいや、オレがいなくなってどうするんだよ?
話を聞かないと困るのはオレだろ?
オレはやっぱり席に戻ろうとした。
しかし、そこにはさっきよりも遙かに激しい動きで、
アレやコレを、ああああああああ……!!
逃げるでもなく戻るでもなく、
オレはどうしようもなくなって席と扉の狭間でおたおたしていた。
そこにリョウコさんが、
銀のお盆にコーヒーカップ四つを乗せてキッチンから出てきた。
「サラさん、またやっているんですかー?」
と、キョウコさんはのんきな声で言う。
まさかの日常茶飯事だった。
「ちょっ! エイジ君、なんで踊っているんですかっ!?」
と、キョウコさんは、
あの人なにしているの?
という表情で叫ぶ。
「え! ……いや、その」
なんでだよ! 普通、あっちだろ。
すると続いてレイちゃん達が立ち上がった。
「お兄様っ!? まさか復活の術式による後遺症がっ!?」
いやいやいや、さっきまで頭おかしかったのはそっちだろ!?
まるで変態行為なんて最初から行われていなかったかの如く、
レイちゃんとサラさんは真剣な表情でオレを見ている。
その凛として立つ二人の姿は、すごくまともな人間に見えた。
「……頭がいてえ」
さすがにオレの脳みそが処理能力の限界を超えた。
「頭が痛いですって!?
やはり術式にのどこかにイレギュラーな要素が……!」
「レイ様! ここは私が取り押さえます!」
「大丈夫。私のスピードなら逃がしませんよー!」
違う。
オレがおかしいんじゃなくて、
そっちが常識外れなんだって……。
にじり寄ってくる彼女たちを見て考える。
通常の方法では逃げられない。
そう悟ったオレは彼女たちの意表を突くため、
窓ガラスをぶち抜いて外に出た。
後ろを確認する間もなく地面を蹴って走り出す。
お隣さんのため、オレの家が目と鼻の先だが、
そんなところに逃げ込めば袋のネズミだ。
オレは駅前の人通りの多い場所を目指して逃走する。
人目の多い場所ならばアイツラも簡単に手出しができないハズだ。
ここからは冷静に考えて行動しなければならない。
そして、オレは全身が真っ青という理由で警察に通報された。