お隣さんがダンジョン運営してました13
『荒地の廃城』はマッピングの難しいダンジョンである。
というのも、ボス部屋のある中層の迷宮を中心に、
上と下に増築、改造を繰り返した結果、
2.5階や3.7階というような謎の階層が生まれたためらしい。
(また同じ階層の端から端に移動すると別の階層にいるという怪現象も起こる。)
高レベルの地図製作技術が必要という好条件のため、
歪んだ建築を直そうとは誰も言わず、
ダンジョンスタッフ内でやりとりをする場合は、
「地下水路」のように区域の名前と本人達の記憶力を頼りしている。
それが原因でオレは未だにダンジョンの全容を把握できていない。
そのため知らない部屋がいくつも存在する。
今から向かう『卵の保管室』という部屋も、
そんなオレの知らない部屋だった。
……ちなみに他にも、
「可愛い部屋」という気になるネーミングの部屋があるらしいのだが、
男のオレはどうも除け者にされているらしく、
その部屋の存在を教えてもらえない。
あと、『家畜ルーム』という名の部屋には、
三角木馬に跨ってボンテージを着たハードな豚がいるらしい。
「ご自由にお叩き下さい」という立て札と鞭が置いてあるのだとか。
キョウコさんが「公開時間中は真面目に働いて欲しいですよー」
と愚痴っていたのを思い出す。オレも非常にそう思う。
誰のことかはさっぱり見当がつかないが……。
「エイジ君、ここだ。
ここが、卵の保管室だよ」
ハードな豚……ではなく、サラさんが言った。
サラさんの前には重厚な鋼鉄の両開きの扉があり、
いかにも怪しい研究室を連想させる。
隠し通路のさらに奥にあり、
よほどのことが無い限り冒険者は到達できない場所に保管室はあった。
その扉には大きく頑強そうな錠前が下げてあり、
非常に重要な物、もしくは非常に危険な物が、
中にあることは明らかだった。
オレはサラさんに言った。
「ずいぶん厳重に保管されていますね。
インスタントエッグというのは、
そんなに危険な物なんですか?」
「うむ。保管されているインスタントエッグは、
ダンジョンワームという化け物の卵を改良したモノで、
軍用として利用されているほど強力な生物兵器だ。
ダンジョンワームは孵化したばかりでも、竜の幼生ほど強く、
二十四時間休むことを知らず、常に何かを喰らい続け、
非常に狂暴で、ダンジョンの通路を埋め尽くすほどの巨体なのだ。
このダンジョンの通路でダンジョンワームと遭遇すれば、
逃れる術はないだろう」
なるほど。
ダンジョンの通路を埋め尽くす巨大なミミズが、
凄まじいスピードで襲ってくる様子を想像した。
確かに成す術は無い。
せいぜい、どこかに身を隠すことしかできないだろう。
サラさんは重い錠前を外し、鋼鉄の扉を押し開けて中に入った。
オレもすぐ後を追う。
室内は大量の培養槽が並んでおり、
得体の知れない液体で満ちたその中に、大きな虫の卵が浮かんでいる。
おそらくこれらがダンジョンワームの卵だった。
サラさんが呟いた。
「さて、どの卵を使うかだが……」
外光の遮断された暗い部屋の中で、
サラさんは白緑色の保護ライトの明かりに照らされている。
サラさんの白い肌がライトで緑色に光り、卵の様子が眼鏡に反射して映り、
黒いビジネススーツがライトの白緑と混ざって気持ち悪い色彩を放っている。
おそろしく怪しかった。
「エイジ君はどの卵が良いと思うかね?」
「え? オレですか? えーと……」
こちらを振り向く際にキラリと眼鏡を光らせて、サラさんはオレに訊いた。
ビジネススーツの黒もさることながら、黒の長髪も不吉な色彩を放っている。
サラさんはマッドサイエンティストがとても良く似合う女性だった。
「オレはこれが良いと思います」
適当に近くにあった卵を選んで指差した。
というか、どれがどう違うのか全然わからなかったので、
適当に選ぶしかなかった。
「君というやつはッ……なるほど、
さすがは私が認めたSの才能を持つ者というわけか」
適当に選んだだけなのに、才能を認められるリアクションがもらえた。
なにやら正解を引いたらしい。ぜんぜん嬉しくないけど……。
サラさんが感心した様子で話し続ける。
「うむ。私もこの中ではこれが一番良いと思うぞ」
「そうなんですか? 正直、違いとか全然わからないんですが」
「この中では、この卵がもっとも色がエグイ」
「エグ……」
あらためて全ての卵を眺めてみる。
どの卵も汚れ一つ無い白色にしか見えない。
エグイ色など見当たらない。
この人はいったい何を言っているのだろうか、と思ってしまった。
「エグイ……ですか。
この真っ白い卵のどの辺がエグイ色をしているんですか?」
「全体的に、だ」
全く参考にならない答えが返ってきたが、
オレの尊敬するサラさんならば、
きっとその違いがハッキリとわかるのだろう。
あまり深く考えないことにした。
それよりも、その卵をどうやって孵化させるのだろうか。
きっとそのことについて考える方が重要だ。
「卵を孵化させる方法は簡単だ。
培養液から出して飲料水に浸したあと、空気に触れさせれば良い。
もちろん、ここで孵化させることは危険なので、
輸送用の水流パイプを使い、直接、地下水路に送ることになる」
サラさんは、そう言うとビニール手袋を嵌めた手で、
培養液から卵を取り出し、強い水流の流れるパイプの蓋を開け、
パイプの中に卵を流してしまった。
卵はダンジョンに張り巡らせた水道のパイプによって、
目標の地区に送られる仕掛けらしい。
サラさんがこの仕掛けについて得意気に語ってくれた。
「この輸送システムはなかなか画期的でな。
ダンジョン内部なら、どの場所であっても3分以内で物資を届けられる。
まあ、張り巡らされた配管を記憶しなければならないことと、
パイプに入らない物は送れないという欠点はあるが、
慣れてしまえば非常に使い勝手が良い。
天然の地下水脈を利用しているから、
魔力の節約になるという点も非常に評価が高いのだ。
今回、キョウコ君の居る場所なら、
1分以内にピンポイントで卵を届けられるだろう」
「それって、1分以内にキョウコさんが逃げないと、
ダンジョンワームに襲われるってことですか?」
「…………」
「…………」
若干、妙な間が空いた。
しかし、サラさんは表情を少しも崩さずに冷静な声で言った。
「君の指摘は正しい。
ダンジョンワームの卵は真水に浸したあと、
空気に触れることで人工的に孵化が促進される仕組みになっているからね。
だが、慌てることはない。
キョウコ君に渡してある通信機に今から連絡すれば十分間に合うだろう」
さすがサラさんは、冷静だった。
確かに、今すぐ逃げればギリギリ避難する余裕はある。
そしてサラさんはダンジョン専用の通信機を取り出して操作し始めた。
オレも通信機に意識を集中させ、耳を澄ませる。
通信機から小さな呼び出し音がする。
――トゥルル――トゥルル――トゥルル――
しかし、呼び出し音が鳴り続けるだけで、
キョウコさんが通信機に出る様子が無い。
これは、ひょっとしてマズイんじゃないか?
そんなことを思い始めた時に、ようやくキョウコさんと繋がった。
『はいはーい、遅れてすみませんですよー。
ちょっと冒険者と一戦交えてたので――』
「良いかね。キョウコ君、良く聞きたまえ――」
その時、通信機から何らかの巨体が水路で跳ねた音が聞こえてきた。
「――今すぐそこから逃げるんだ」
『ぎゃあああああああああああああ!!』
キョウコさんの絶叫が通信機から溢れ出て、卵の保管室に木霊した。
そして、肉っぽい何かとか、金属の機械っぽい何かが潰れる音だけ残して、
通信機からキョウコさんとの通話が途絶えた。
オレとサラさんは目を合わせて、沈黙した。
「…………」
「…………」
どう考えても、キョウコさんがダンジョンワームに食されて、
その衝撃で通信機が壊れたに違いない。
オレが巨大ミミズに食べられるキョウコさんの様子を想像して身震いしていると、
サラさんは何事も無かったかのようにこう言った。
「まあ、彼女ならきっと無事だろう」
「今の一連の流れをそう解釈しますかッ!?」
明らかにやられた音がしたけど、
サラさん的にはセーフなのだろうか?
「レイさまがよくおっしゃるのだが、
キョウコ君はいくら殺しても殺しきることが無いくらいに、
生存能力が高いとのこと。
あのレイ様がそれだけ言うのだから、きっとダンジョンワームごときでは、
キョウコ君を殺すことは不可能だろう」
「いや、レイちゃんは、
キョウコさんにすごい厳しいだけだと思いますけどね」
能力を認めているというより、
限界を認めてあげない厳しさだと思う、あれは……。
「……とにかく、こうなってしまった以上は仕方が無い。
すぐに我々も地下水路に向かうとしよう。
ひょっとしたら、まだキョウコ君が生きているかもしれないし、
そうであるならば、助けに行かなくてはならない」
「やっぱりサラさんも薄々死んだと思っているじゃありませんか」
死体を回収しにいく気持ちで、オレとサラさんは地下水路に急いだ。
◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□
生物兵器に使われるというだけあって、
ダンジョンワームは凄まじい破壊力だった。
フロア一帯の冒険者を丸呑み尽くし、
起動する罠を巨体で破壊し尽くし、
アイテムや財宝を喰らい尽くし、
挙句の果てには一つだった壁の大穴が三つに増えた。
本当にとんでもない化け物っぷりであった。
「これは……本当に酷いですね……」
「うむ。キョウコ君はいるだろうか?」
地下水路はまさに地獄絵図といった様子で荒れ果てている。
人の気配が微塵も無い。
ダンジョンの内装も無事な部分が見当たらない。
さすがにキョウコさんは死んだと思った。
オレは言った。
「さすがに、今回はちょっとキョウコさんが可哀想ですね。
一人で地下水路の冒険者を相手しつつ、
味方から放たれたダンジョンワームに襲われる。
敵と味方の両方から挟み撃ちにされたようなものじゃないですか」
「ああ、君の言うことはもっともだ。
だが、しかし、いや、だからこそと言うべきか、
このダンジョンの中ボスは彼女にしか務まらないのだよ」
サラさんはそう言うと、
壁に近づいて壁と同じ色の布を剥がした。
ぺらりとめくれた布の向こう側から、
顔を真っ青にしてヨダレを垂らしたキョウコさんが現れる。
「……ハッ。
あ、あっれー!? 二人ともいつの間に来ていたんですかー?
嫌だなー。気の抜けたカッコ悪いところを見せてしまいました。
もう、居るなら居るって言ってくださいよー。恥ずかしいじゃないですかー。
……あと、それと、ダンジョンワームを放逐したんなら真っ先に教えてくださいよ。
……本当に、いつ死んでもおかしくない、地獄だったんですから」
「すげえ。生きていた」
後半、光の無い目で何かぼそぼそと呟いていたが、
彼女の身体には怪我ひとつない。
流石というか、見事というか、
普段あまりしっかりしたところを見てないが、
こういう結果を目の当たりにすると、
彼女はダンジョンの中ボスに違いないと思えた。
ただ、サラさんが「どうだ。私の言った通りだっただろう」という表情をするのは、
なにか違う気がした。