交易都市
交易都市リューンは西方諸国でも一、二を争う大都市だ。
隗麗きわまる高層建築が立ち並び、賢者の塔を代表とする高等教育機関も設けられている。 聖北教会の尖塔は宗教都市ラーデックに並び荘厳美麗、別の区画には繁華街や歓楽街も存在する。
交易都市という名の通り、世界各地から数多の人種がむれ集い、多くは露天商として口を糊する。
夢黄街と呼ばれるのはリューンの貧民街だ。無法の徒を統べる盗賊ギルドは、冒険者達にとっては情報を集める上でも近しい存在となる。
邪教分子もひそやかに潜伏する。クドラの教徒が、ルールの信徒が、アッチャラペッサーの狂徒が、リューンの水面下で禁じられた儀式を行っている。
地下に走る下水道は旧文明期の遺産の流用だ。
リューンは古代遺跡を土台として成立した都市なれば、たまさかに剣呑極まる魔法生物と出くわすこともあり、鋼鉄の箱の如きいにしえの道具を手に入れることもある。
戦乱の際にはこの迷路のような下水道が避難路の役目を果たし、ためにここを統治する下水道ギルドなるものも存在する。
交易都市で手に入らないものはない。
ヒヨスを煮詰めた傷薬、癒しの賜杖、プディング、山羊の乳、処女の尿から作った若返りの薬、フランベルジュ、失われた古の魔法、銀の鍵、異界への入り口を開く蝋燭、南方の銘菓、ワリトイイネ草、光弾の書、魔法の護符、異臭を放つリザードマンの革、アーシウムの赤、聖者の歯、牛の糞、臥所に置き去りにした議論、東方の絹織物、羅紗、星の貨幣、福者の肋骨、人魚の肉、コカの葉、真贋不明なドラゴンの鱗鎧、ヒヨス草、聖遺物、殉教者の聖印、チョコレート、古代の遺産、上質な洋弓、文物、書画、骨董品、小人の財布、希望と絶望、富と赤貧、名誉と驕慢、知識と教養、鈍らな両手持ちの大剣、家庭の温気、刺激と怠惰、生と死、冒険譚、あらゆるものが手に入る。
交易都市では多くの事象が起こりうる。
下水道を蠢く怪物、蒸気を吐く機巧の犬、大挙しておしよせる大蛇の群れ、すべてを食らいつくす掃除魚、変身の仮面を持って逃走する脱獄犯、凶悪な冒険者による腹いせの市民殺戮、カレーの屋台、不浄を守る古代神、凶暴化した精霊の荒れ狂う結婚式、侠気を伝授する格闘塾、桃色鼠との珍走劇、夢黄街の誘拐事件、義賊による宝石の奪取劇、盗賊ギルドとの冒険者の追走劇、宿の亭主の凶暴化、市民の一斉消失、酔夢街の辻斬り、ここで起こったことを枚挙するにはいとまがない。
あらゆるものが混在せる交易都市は、渾然たる世界の象徴として過言ではない。茫漠縹緲たるこの世界では、どんな事象も起こりうる。
なればこそ交易都市は冒険者の聖地だ。
冒険者達の始まりは、多くの場合この都市だ。彼らは交易都市で仲間を集め、情報を集め、必要な武具を買いそろえ、そして渾然たる世界へ冒険に繰り出でる。
ダドガドもまた例外ではない。
「辻斬りが酔夢夢に出没するようになったのは、二週間ばかり前からだ」
禿頭の矮人は、低い声音で語り始めた。
右の耳朶に金の環飾りを通し、眉をそりあげ、瞳に陰湿な光が宿っている。
手首には入れ墨が焼印のように黒く残されている。それは法の則をこえた者に施される罪人としての烙印だ。
「不定期的に夜現れては、一人ずつ命を奪っている」
彼と卓を挟んで相対しているのは冒険者ダドガドだ。
黙然としたまま、侏儒の言葉に耳を傾けている。
「これまでの犠牲者は総勢八人。娼婦や酔漢、芸妓、客引き、花売りから剣闘奴まで、人種を選ばない」
「…剣闘奴か」
冒険者は呟く。
盗賊ギルドの情報屋はうなずいた。
「剣闘奴は巨躯の力自慢で、剣にも相当に手練れていた。それが、剣を抜く間もなく袈裟がけに一刀両断されていた」
ダドガドはうなずき返す。
「酔夢街の辻斬りは、相当に使う奴だということだな」
鍛え抜かれた戦士の肉体を一刀両断とは、まさしく尋常な為事ではない。
なおかつ、それは剣闘奴に得物を抜く間も与えずになされたのだ。
「犯人の目星はついているのか?」
ダドガドは重ねて問うた。
「人間臭い分別のある奴が犯人にしては、ちょっと無頓着だな」
「無頓着?」
「現場が散らかりすぎている。いかにも愉しみのままに遊び散らした、という感じだ」
「なるほど。具体的には?」
「血糊に紛れて、小さな足跡が何度も見つかってる。ちょうど子どもくらいの大きさのな」
「…なんだって?」
覚えず、冒険者は聞き返していた。
「犯人が子どもの可能性があるってことだ。実際バカなガキなら、捕まることなんざ考えねえだろう」
「子どもに手練れた剣闘奴を殺すことができるか?」
「この都市では何が起こっても不思議じゃねえ」
情報屋は言った。
「ことによると、犯人は人間じゃないかも知れねえな。子どもの姿をした『なにか』だ」
ダドガドは沈思黙考する。
酔夢街の辻斬りは痕跡の隠滅に無頓着で、ために盗賊ギルドは真相に近づきかけている。犯人が妖魅の類である可能性にまで、彼らはすでに想到している。治安機関もおそらくは同様だろう。
事態は火急を要する。依頼主の要求なれば、誰にも真実を悟られぬうち、ダドガドは事件を収束させねばならない。
ややあって、ダドガドは口を開いた。
「辻斬りが出没する時刻は?」
「不定期だが、大体夜半から明け方にかけてだな」
「次に現れるのはいつだ?」
「不定期だ。だが大体の周期からみて、今晩か明晩あたり現れるかもしれねえな」
「…わかった」
ダドガドは銀貨の入った布袋を卓上におくと、立ち上がった。
矮人は冒険者を見上げ、口の端を片方だけつりあげる。
「冒険者ダドガドに幸運があらんことを」
冒険者は無言のまま、盗賊ギルドの隠れ家たる廃屋を後にした。
「付喪神について教えてくれないか?」
「付喪神?唐突にどうしたの?」
賢者の塔の導師は、困惑したように柳眉を寄せる。
「ただの好奇心だよ」
ダドガドは韜晦を決め込むことにした。
「ちょっと東方の怪異について小耳に挟んで、興味がわいてね」
ダドガドが賢者の塔を訪うて、依頼を通じて昵懇となったこの導師に面会を求めたのは、一重に情報収集のためだ。
賢者の塔は魔術の研究機関だ。
導師の職位を持つ魔術師なれば、なおさら膨大な知識を持っている。
無論のこと、付喪神の基本的な情報については依頼主から仕入れてはある。
だが、より多角的に物事を捉えるためには、より多くの情報を知っているに越したことはない。
「東方の怪異は私の専門じゃないわよ?」
「知っていることを教えてくれればなんでもいいよ」
嬋娟たる容姿に物憂げな気配を漂わせながら、しかし導師は切れ長の瞳を伏せて思案する。
暫時思案したのち、顔をあげて唇を開いた。
「つくもというのは、本来『99』を意味する言葉なの」
「99?」
「百年に一年たらぬ付喪神」なる言いまわしがある。これより分かる通り、付喪は九十九に通ずる。
付喪神はかつて九十九髪と表記した。
「百」という文字から一つ線をひけば「白」となる。すなわち、百に一たらぬ九十九とは「白」のことを意味し、九十九髪とは老婆の白髪のことである。
高齢の老婆の髪から転じて、長いときを経て器物に生ずる霊魂を「つくもかみ」と称するようになった。「付喪神」とは後世における当て字である。
付け加えるならば、「百年に一年たらぬ付喪神」という言いまわしは、次に挙げる東方の歌よりきている。
百年に一年たらぬつくも髪我を恋ふらし俤にみゆ
(白髪の老婆が私に恋しているらしいのがその面影にみえる)
ただし、西方文化をしか知らぬ冒険者に、表意文字(ないし表語文字)と表音文字が渾然となった東方の畸形言語、ならびにその畸形言語における「当て字」「掛け言葉」なる慣習について理解させるのは容易ではない。
東方においては99とは永劫にも等しい長いときを指すのだ、と導師は簡潔にそれだけ言った。
「その長い時を経て、器物が得た魂が付喪神というわけだな」
「そうよ。そして、器物が得た魂は、陰陽が入れ替わる時節に命を捨てれば、心を得て妖物に変ずるの」
「いんよう?」
「『陰』と『陽』は、東方思想におけるふたつの対立概念、万物の根本を司るふたつの気よ」
「なるほど」
「ちなみに、陰陽の入れ替わる時節とは季節の分かれ目で、『節分』というのだけどね」
東方の絵巻物に、古文の妖怪が万物造化の理について語っている。
須く今度の節分を相待つべし、陰陽の両際反化して物より形を改むる時節なり、我等その時身を虚にして、造化の手に従はば妖物と成るべし。
節分には陰陽が入れ替わり、万物が根本より形を改める。そのとき身を捨て天地陰陽の造化に従えば、器物も変じて妖物となる。
妖物と化した付喪神の姿については、絵巻物にかくの如く記されている。
或は男女老少の姿を現はし、或は魑魅悪鬼の相を変じ、或は狐狼野干の形をあらはす。色々様々の有様、恐ろしとも中々申すずかりなり。
依頼人の太刀もまた妖物と変じ、異形の力を得たわけだ。
ダドガドは腹のうちでひとりごちた。
「まあ、私が知っているのはこんなところね。何かの参考になったかしら?」
導師は朱い唇に微笑を浮かべた。
「久しぶりだな冒険者」
ダドガドの姿を認めると、強面の鍛冶屋は莞爾として白い歯を見せた。
「どこかに打ち損じた武器はあるか?」
ダドガドが言った。
「また粗悪品か?俺の腕が泣いちまうぜ」
鍛冶屋は苦笑いした。
「そこら辺に放り出してあるから、適当に見つくろってけ」
リューンの鍛冶屋は、冒険者の間で音に聞こえた存在だ。
彼らは冒険するなかで、たまさか美しい鉱石を手に入れることがある。
埋もれた神殿から発掘されることもあれば、ゴブリンの宝箱に隠されていることもあり、ひかりものを好む飛竜が溜めこんでいることもある。
そうしたとき、冒険者たちはこぞってこの鍛冶屋のもとへ鉱石を持ちこむ。
鍛冶屋はそれらの鉱石を鍛えて武具を鋳る。
鍛冶屋の鍛造する武具は、大剣、小剣、片刃刀、斬馬刀、戦槍、盾、手甲、鎖分銅、板金鎧、戦槌、鈎爪まで多岐にわたる。
ある種の鉱石は魔力を宿すと見え、ときに鍛造された武具には、神秘の力が宿ることさえある。
されどダドガドは得物に華美さを求めない。
「粗悪品」のなかから老冒険者が選び出したのは、ふた振りの武骨な手斧だ。
斧で人を殺めるとき、手練れた技術は必要ない。
求められるのはただ殺意だけだ。
殺意を糧に思いきり振るえば、斧は敵の頭蓋を撃ちくだく。
そこに欺瞞が入りこむ隙はない。斧で敵を屠りながら、ダドガドは否応なく己の殺意を噛みしめねばならない。
殺した感触が手に残る。
なればこそ、ダドガドはこの野蛮で粗雑な武器を好む。
己の罪業を深く噛みしめるためにこそ、ダドガドは斧を得物に選ぶ。
それはダドガド独自の信仰哲学による選択だ。斧で獲物の頭蓋を砕くとき、彼は常に鎮魂の祈りを捧げている。
ダドガドは振り返らぬまま言った。
「銀貨を百枚ばかり置いていくよ」
「粗悪品に金なんかいらん。だがそれでお前の気が済むなら、そのへんに勝手に置いてけ」
ダドガドは銀貨の布袋をその場におくと、そのまま戸口に向かって歩きだす。
その背に鍛冶屋の声がかかった。
「今度は何と戦りあうか知らないが、精々うまく殺すこったな」
ダドガドは戸口の前でひたりと歩みをとめた。
「…物騒な励ましの言葉だな」
「だが間違ってねえだろ?あんたは殺すために、斧を持っていくんだ」
ダドガドは振り返った。その隻眼の見つめる先で、鍛冶屋は温乎たる微笑を浮かべている。
「武器は殺すための道具だろ?殺してこそ価値があるもんだ」
ダドガドは沈黙して聞いている。
「俺は丹精込めて殺しの道具を作ってるんだ。常日頃からな」
ダドガドの常宿である「雨天の月琴亭」は、交易都市リューンの一角にある。
階下は酒場も兼ねている。
「よう、ダドガドじゃねえか」
酔いどれた老爺が、帰ってきた冒険者を認めて声をあげた。
ダドガドも片手をあげて応じた。
「今日は珍しくこっちに来ているのか」
「酔夢街にはおっかない辻斬りが出るからな。お気に入りの芸妓がいるってのによ。早く解決してほしいもんだ」
「あんたはいつも気楽そうに酔っ払ってるな」
「気楽だったら酒なんか飲むもんか。忘れたいことがあるから、俺は酒を飲んでるんだ」
「一体何を忘れたいんだ?」
「忘れちまったよ、そんなことは」
酔漢はからからと笑った。
ダドガドは酔いどれをいなしてカウンターに近づくと、ただいま、と宿の亭主に声をかけた。
「今度の仕事はちょっとわけありのようだな」
カウンターのなかから、頭の禿げあがった亭主が言う。
「ああ」
「解決できそうか?」
「どうにかするさ」
ダドガドは答えていった。
「夜に約束があるんでね。少し仮眠をとるよ。おやすみ」
ダドガドは宿の亭主に背を向け、自分の部屋へ向かう階段を上り始めた。
老朽化した木製の階段が軋んで耳障りな音を立てる。
「無理はするなよ」
背後から亭主の声がとんできた。
「命を失くしちまったら、元も子もないからな」
ダドガドは振り向かず、ひらひらと片手をふって応じた。
「お待ちしておりました、冒険者様」
栗毛髪の少女は屋敷の玄関先で静けく佇み、気配も乏しく冒険者を待っていた。
玲瓏たる声音は、静まりかえった深更の隅々まで澄みとおるように響く。
黒衣装もあいまって、ともすれば夜闇に溶けてしまいそうなほど少女は儚く目に映る。
暫時ダドガドは娘を見つめたのち、覚えず瞳を数瞬する。
「…待たせたね。それでは行くとしようか」
「仰せのままに」
酔夢街にむけて歩み出そうとして、ふとダドガドは立ち止まり、少女を振り返った。
「…ご主人に訊き忘れたことがあった」
「はい、なんでしょう」
「これから探す太刀の銘だよ。君は知っているのか?」
紅い瞳で凝乎と冒険者を見つめながら、少女はかぼそい首を動かしてうなずき、つややかな唇が開かれた。
「主人から聞いております。かの太刀の銘は…」
「めぐり会えたな、『信天扇』」
ダドガドは恫喝するように低く言う。
無言の領する深更の酔夢街、栗毛髪の少女を伴って、ついに冒険者は首刎ね人に対峙していた。