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那珂湊の振興

 那珂湊での船戦は、里見軍が圧倒した。

 徳川方の安宅船は大筒は積んでいないようであり、鉄砲が主であった。


 僅か4刻で雌雄が決したが、座礁した船に対し、来島長親は大筒を試し打ちした。

 一刻、十分に大筒の試し打ちを行い満足であった。


 その後、湊の施設に対し砲撃を行い、里見家水軍(百首水軍)は帰途に着いた。


 「実にあっけなかったですなぁ。」


  竜崎弥七郎は長親に話しかけた。


 「商港でありますからな。これが九鬼の軍港であったなら、こうは行きますまい。」


 「ははは。勝って兜の…… でございますな。」


 「ですな。したが大筒にはそれぞれの癖があるのですなぁ。打って見て分かり申した。」


 大筒は手作りであるので、一台一台少しづつ性能が違う。真っ直ぐに飛ぶものもあれば、左右に流れるものもある。


 「熟練の者を育て、癖を見抜かせるようにしなければなりませぬな。」


 長親は独り言のように呟いた。


 竜崎弥七郎は真面目で真っ直ぐな心根の長親が好きであった。

 目を細めて思案にふける長親を眺めていた、笑みを浮かべながら。



 【一六〇七年八月 里見家評定】

 館山城で里見家の評定が行われた。

 客将である来島長親も参列していた。


 評定では里見家は、まだまだ地力をつけねばならぬこと。

 各地の情勢。領内の仕置について談合された。


 談合がひと段落し、沈黙が多くを占めるようになった時、長親が発言を求めた。


 「お、長親殿、何かあるか? 」


 「はい、先日、弥七郎殿とともに那珂湊を攻めました。」


 「そうであったな。ただの遊びの様なもんじゃがな。」


 「はい、それでその後、那珂湊はどの様に立て直すのか、手の者に見させておりました。」


 「ほう。それは初耳じゃ。で? 」

 

 「はい、那珂湊は商港というよりは物資の仲立ちの湊でございます。東北よりの物資を江戸に送るための。」


 「そうじゃの。」


 「堺の湊や富津港のように大きな商人と言うものはおらず、徳川の役人が物資の流通の差引をしております。

  私は那珂湊に商人を送り込んではどうかと思っております。その商人に那珂湊の益を大きくさせてその利を得るのはどうかと。」

 

 

 里見義康はしばらく黙して考えていた。

 随分と長い時間が過ぎた。


 やがて沈黙を義康が破る。


 「なかなか面白そうじゃのう。」


 「はい、上手くゆけば里見家の財政も潤うやもしれませぬから。」


 と長親が言うと。


 「いや、それは長親殿がやられよ。以前より湊での商いの事を学んでおるであろう? それに長親殿は、ゆくゆくは豊臣の水軍を率いるのじゃ。今の内に、お抱えの商人を持っておくのもよい。なにせ船は金がかかるでの。」


 といって義康は笑った。




 長親は義康に添え状を書いてもらい、向島の板倉に書状を送った。

 向島から堺は近いので商人を紹介してもらうためである。

 

 やがて一人の商人が長親を訪ねてきた。


 「来島様、主よりの書状にございます。」


 その男はそう言って長親に書状を渡した。

 その書状には九助という手代の者を送る旨が書かれてあり、松江隆仙が後ろ盾になるが、九助を独立させるので、使ってやってくれとの事であった。


 「ふむ、九助とやら、よろしく頼む。」


 「はい、来島様。」


 「何かよい屋号を考えねばならぬが、何かあるかい? 」


 「いいえ、できますればお付けいただければ…。」


 「ふむ…。里屋ではどうであろう。世話になっている里見家の一字をもらい里屋九助。……いかかじゃ? 」


 「はい。良い名で。ありがたき事。」


 「では決まりじゃな。で、九助には、はじめは海産物を中心に取り扱ってもらう。仕入れや手立ては任せる。それと長屋を建ててもらいたいんだ。」


 「長屋でございますか? 」


  九助は首をかしげた。


 「そうだ、長屋だ。まずはあの湊を賑やかにせねば商いも伸びるまい。

  また、海産物の他にも九助の才覚で商いを広げてくれていい。

  基本は私の欲しいものが安く手に入ればいいんだ。

  何が欲しいかは、九助が考えよ。良いものであったら買う。」


 「はい、気張りまする。」


  こうして来島長親はお抱えの商人を持つことになった。



  なんと九助は那珂湊に大きな長屋を三棟建てて、五十名が入居した。ほとんどが漁業に関係したものであったが、武家用の仕様にした一棟には浪人や徳川の下級武士が住むようになったのである。


  九助は那珂湊に卸される海産物を買い、堺に送り、堺からは工芸品や播州そろばんなどを仕入れて売った。仲立ちの湊であるためにそろばんは良く売れた。それを手始めに徐々に商いを活発にしていく九助であった。


  長親の敵領である湊の振興策に義康も興味を持ち静観していた。


 【ふむ、きゃつは面白い事を考えるな。自領ではなく、敵領をなぁ。よし、儂も遊んでみるか。】


  義康は街の振興のためには何が必要かと改めて考えて見た。


 【安心して居住できるのには、やはり治安と医者だな。】


 そう考えた義康は腕のいい医者を送り込み開業させた。

 


  一年もたつと那珂湊の街は盛況になっていた。

  基本は仲立ちの港であるものの、様々な店が立ち並んでいた。

  やはり近代的な内政的手腕の伊達の仙台港からは最近商船が頻繁に来るようになっている。

  義康の元には、九助から長親へともたらされた東北の物資や情報が入るようになって来ている。


  長親のお陰で義康は武力だけではない、情報の収集の重要性を再認識し、石高だけでは測れない富についても再度学ぶことができたのである。 

 

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