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評定を終えて・・・

 里見家大評定が終わると各領では、それぞれ活発に内政に精を出す。



○常陸国


 鳥居成次は新たに賜った金上城の城代に中山照守を任じた。もちろん義康の内諾を得たうえである。成次はこれまで八千石で旗本も伊藤長安と中山照守の二人だけであった。この度の加増で三万五千石を拝するようになり、伏見から従ってきた雑兵の中から幾人かを鳥居家直臣に取り立てる。その中には池引内匠介と酒を酌み交わした若者・長坂宗勝も含まれていた。長坂宗勝には側廻りを命じた。伊藤長安と中山照守は共に三千石を与え家老とし、長坂宗勝は三百石とした。

 成次の居城中根城には千兵を、金上城には五百兵を配したが、少々無理をしている。徳川頼宜領と接しているためで、仕方がないと言える。成次は内高を上げるべく尽力していて、実際は二千石ほどの上乗せがある。伊藤長安、中山守照、長坂宗勝らの縁者も臣下に加え、それぞれの代官や奉行に任じている。家臣団が構成されつつあるところだ。



○万喜城


 土岐義成は大忙しであった。万喜城を再建するのである。二万二千石となり家臣団も形にしなければならない。幸い義成には譜代の家臣達がいるので、さほど苦ではないが。義成は館山城を模し、小振りながらも天守を備えた城を作りはじめた。郭も大きく多く備える。今の築城術に疎い義成は成次や内匠介に助言を求めて進めていた。泰平の世であれば時間を掛けてじっくり縄張りできるが、里見家は徳川方と反しているため悠長に時を掛けられない。


 まずは借りの本丸、それに続く郭を二つ、ひと月で形にした。一応の体裁は整えた。引き続き真の本丸の建築が進んでいる。石垣などの石材は金谷の鋸山から切り出して運ぶ算段が付いたところだ。


 「ほう。なかなか立派ではござらぬか。本丸も館風とはいえ立派でござる。」


 いきなり訪ねてきた鳥居成次が万喜城内を見て回っている。鳥居成次にしてみれば元寄騎の土岐義成が気になっている。一方の義成にしても、かつての家老の反乱により蟄居の危機を救ってくれた成次に多大な恩義を感じている。


 「ははは。お褒めいただき、ありがとうございまする。まだまだ手を加えねばなりませぬが、追々と言ったところでございますよ。」


 「まあ、追々にということですな。ところでこ度はお祝いの品をお持ちしたのでござる。お受け取りを……。」


 「ほほっ。これはこれは。ありがたく。なんでござろうか。」


 成次はにやっと笑うと引き連れた雑兵達に声を掛けた。


 「おい!こちらにお持ちせよ!」


 やがて大きな幌に包まれた台車がごろごろと音を立てて引かれてきた。


 「ま、まさか!? ひょっとして?」


 義成は驚きの表情をしている。成次は一つ頷くと幌を引き剥がした。


 そこには黒光りする大筒が一基現れた。


 「や、やはりっ! この様な物を頂いてよろしいので? い、いやはや、ありがたく存じまする。」


 この時代は大筒はまだ高価でなかなか手に入らない。それに加えて徳川家では製造を禁止している。豊臣家では近年、向島で生産が始まったばかりだ。成次の持参した大筒は南蛮製で、豊臣秀頼直臣の来島長親御用達の商人・里屋九助に用意してもらったものであった。

 鳥居成次は万喜城の防御の要にと大筒を送ったのであった。


 土岐義成は大筒を本丸に据えて、築城を急ぎ進めて行く。



○佐貫城


 御付家老の勝長門守行遠は義康から軍備を整えるように命じられていた。その際は土豪等が反乱をおこす可能性がある事の説明を受けていた。行遠は先の評定の様子から、里見家の中から土豪達を支援する者が出るのではないかと考えていた。

 勝長門守行遠は小身の身からいきなり御付家老に取り立てられただけあり、なかなかの才がある。行遠はすぐに自らの兵を百名ほど雇う。その上で藤康の直卒兵として千五百名あまりを揃える事にする。


 「殿。大殿の仰せの通りに、佐貫城としましては兵を揃えねばなりませぬ。某の所では既に百ほど抱えました。他に殿の直卒兵として千五百程は揃えとうございます。今は七百程は揃いましたが……。」


 「そうか。頼むぞ。で、揃いそうなのか?」


 「は。この城下では少々集まりが悪うございます。大殿の所と近いゆえに、館山城へ集っておる者が多い故に……。」


 実際に、藤康の直卒兵は七百を超えたあたりから、なかなか集まらなくなってきていた。


 「長門守。苦労かけるの。したが何か策はあるのか?」


 「苦労など、とんでもございませぬ。兵は下総、常陸などでも声を掛け、集めとうございます。」


 行遠は領内広く兵を集う事を提案し、藤康もそのように進めるよう許可を出した。その上で雑兵を束ねる将も集めなければならない。藤康自体には独自の家臣はいないのである。御付家老の行遠も厳密には藤康の臣ではなく、義康から藤康に預けられた者である。

 義康に請えば幾人かの将を借り受けることはできるが、藤康自身が新たに召し抱えなければ、里見家自体の力量は上がっていかない。行遠にしても、藤康を支える者が一人では五万石の領内を見きれない。


 行遠は下総でかつては臼井城を治めていた臼井氏の直系であり、帰農していた臼井忠胤、臼井良胤を見つけて、藤康の家臣にする。両名は千石を与えられた。その他にも良い人物がいると聞くと接触して藤康の家臣を増やしていくのであった。

 このような行遠の尽力の元で二ヶ月後には、佐貫城の抱える兵は千七百となる(藤康直卒・千五百、行遠・百、臼井兄弟・百)。



 一方、反義康派の者達も動き出していた……。

 


 

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