家臣団
一六一二年六月
里見家の大評定が館山城で開かれた。
大身の者から千石に満たない小身の者まで直参の者が集う。
藤康ら譜代の者、池引内匠介、堀江頼忠、大塚賢介、鳥居成次ら家老達が居並び、次は今や大身となった土岐義成、千葉重胤の常陸組が続く。その後は順次、各城の城主・城代。最後は城を持たない小身の者達だ。
まずは各地の所領の報告からだ。常陸の事に関しては、組頭である鳥居成次が纏めて報告する。その後は順次、主要な城下の報告となる。
「さて、主だった地の状況は分かったわ。後で個別に指示するとする。それ以外の小領については池引に報告せよ。」
そう義康が言い評定が終わるかと思われた時だった。
「殿、少しお伺いしたき事がございます。」
と発言する者がいる。皆が声の主を見ると、滝田城主である正木頼忠であった。
「なんだ、頼忠。申して見よ。」
義康は先を促す。
「はっ。近年の里見家を見まするに、功を上げる方は決まっております。殿が戦を命じられる将が偏っておられるのではありませぬか。鳥居殿などは、ついこの間にお抱えになったと言うに今や常陸組頭。我ら古参の者にも、功の機会をもう少し与えていただきとうございます。」
そう言う頼忠の言葉に、一門衆の薦野頼俊や長田義房が頷いている。薦野頼俊は明星山城、長田義房は稲村城、正木頼忠は滝田城の城主だ。
幾人かの小身の者達も頷く者がいる。
「その方は鳥居成次が務める兵の鍛錬に、兵を出したか?」
義康は頼忠に向かい問うた。
「い、いえ。そ、某は兵は百ほどしかおらず、領内の仕置を考えれば、そんな余裕はござりませぬ。」
「ほう。細野彦兵衛率は抱えおる兵は僅かに五十よ。それでも毎回、交代で二十は出しよるぞ。のう、彦兵衛率。」
「はっ。出しており申す。」
「な? じゃから、儂は彦兵衛率を矢作攻めなどに用いた。そこで功を上げた。これから言おうと思うておったのじゃが、丁度良い。細野彦兵衛率には真里谷城代を命じる。新知二千五百石とする。」
「はっ。ありがたく。一層の忠勤に励みまするっ。」
「うむ。話が折れたがな、頼忠。先の評定でも、その前の評定でも、そなたは戦となる時に参陣を願い出たか? それでいて働き場を与えよとは虫のよい話しじゃ。」
頼忠は悔しげな顔をして俯いてしまった。そこに頼忠に助け船を出すように薦野頼俊が発言する。
「殿、仰ることは確かに筋が通ってござる。じゃが、それぞれの所領にはそれぞれの都合と言う物がござろう。戦の不得手な者もおろうし、領内に不穏な動きがある者もおろう。」
薦野頼俊は義康の従兄弟である。義康の父・義頼の兄・義弘の子で薦野時盛の養子となっている。
「これは従兄殿。それは儂も分かっておるわ。印東主膳などは戦には向かぬ。じゃが、領内を治めるに池引の所へよう相談に来ておる。それ故に那珂湊の代官に引きたてた。」
義康の言葉に座は静まりかえる。
「よいか。里見家の、治める領内の為になること、武でも良い。智でも良い。よく考えて務めよ。考えて分からぬ事があれば申せ。頼忠のように功が欲しくば、言うてくるがよい。今日は終いじゃ。明日にもう一度集え。領地替えなどを申し渡す。」
評定は明日も続く。
正木頼忠、薦野頼俊、長田義房は連れだって出て行く。彼らは何やら談合するようだ。それを見て、義康は池引内匠介、堀江頼忠、鳥居成次、大塚賢介を居室に呼んだ。
今や大大名となった里見家の家臣団であるが、一枚岩ではない。大きくなるにつれ鳥居成次ら外様の家臣が増え、その者が功を上げると、古参家臣の中には不満を持つ者が少なからず出てきている。
義康は家臣団を改めて纏めあげねばならないと思っていた。




