多良崎城の戦い(七)
千葉重胤は堂々と立った。鎧は桜をあしらった薄桃色の上品な装飾が施されている。鎧姿は良く似合っていて絵になる。
「千葉様! 」
曽谷時頼が敵兵を蹴飛ばしながら叫ぶ。
乱れた三の郭にいかにも上級の武将の出で立ちの者が現れたのだ。重好の雑兵達は重胤の周りに集まってくるのは当然である。
一人の雑兵が重胤に槍を突き出した。
刹那、重胤はすっと体を捻った。次の瞬間、その雑兵は首が飛んでいた。
「千葉様。お見事でございます。居合ですか? 」
側に駆け寄った時頼が問う。
「ふふふ。香取神道流を学んでおる。」
千葉重胤は幼少時から武術を学んでいたのだ。実践の機会こそなかったが……。その中で重胤は居合を好んで習得していた。
仕える将が敵を倒せば、兵達は勢いづくものだ。重胤を囲むように城兵達は集い、敵に対するようになる。時頼の的確な指示もあり、兵達は奮戦している。
城塀の士気が上がったとはいえ、後から後から攻め込んでくる攻城兵に対し三の郭内は数に劣り不利な状況に変わりはない。竹槍隊の竹もぼろぼろである。たまに「はぜる竹」の爆発音が木霊するが、攻城兵も臆することなく向かってくるのであった。
いつの間にか隣りにいて刀を振りまわしている時頼が重胤に言う。
「千葉様、我らは既に五十を切っております。この郭にいる敵兵はおよそ三倍。もう「はぜる竹」も底をつきました。一旦二の郭へ引きましょう。」
本来ならばもっと敵兵が雪崩れ込んできていてもおかしくないのであるが、「はぜる竹」の効果と門の間口の狭さで敵兵は思うように入り込めないでいた。しかし「はぜる竹」も残り少なくなり攻城兵の勢いは増すであろう。その前に二の郭へ引き、敵兵を二の郭内に押し込め、表の援軍と挟撃するのが得策と言える。問題は引き方である。政辰は鉄砲隊を二段構えにして迎えつつ策を考えていた。もう少し鉄砲の錬度があれば三段構えも考えられたが、現状では二段構えが精一杯であった。
「よしっ!者ども!ようこらえたな! 引けっ!」
重胤も叫び、兵達に二の郭へ引くように命じた。引く時は敵に背を向けて引けば容易に討ち取られる。時頼は兵たちの間を廻り、援護しながら少しづつ引かせていくのであった。気付けば二の郭の門は内側から開け放たれ兵を迎えこんでいる。政辰行きいる鉄砲兵も狙いを定め援護する。
その間は重胤も刀を存分に振るい、得意の居合で敵を討ち取る。肩口に傷を負っていたが、重胤の立ち居振る舞いは立派であった。
(中は、中はどうなっておる? 先程、「敵の大将が出て来たぞ」と声が聞こえた。このまま押し込めそうであるが、危ういな。わが軍はいわば挟まれておる。中に入れば閉じ込められてしまうのではないか?「殺しの間」か? 危うい! ええいっ!仕方ないか。)
重好は伊藤隊に背後に付かれてしまい、このまま攻め込むことの危険を悟る。
「者どもっ! 徳川の意気を十分に示したぞっ! 引けーっ! 左手に引くのじゃっ!」
重好は撤退を決め引き金を打つ。
結局、重胤は曽谷時頼、伊藤長安の助力もあり城を守りきったのであった。己だけの力だけではないとはいえ、この事は千葉重胤に大きな自信を持たせることになった。
撤退していく水野重好隊へは伊藤長安隊がしばし追撃を行ったが、ほどなくして多良崎城へ帰って来た。
「曽谷殿、伊藤殿、助かり申した。ありがとうございまする。」
多良崎城の本丸に曽谷時頼、伊藤長安を招き入れ、東金政辰も加わり、ほっと一息つくのであった。
千兵の内、結局百五十ほど命を散らした。水野方はおよそ千兵。見事な勝ち戦であった。
千葉重胤は、この後、義康に呼ばれ多良崎城の城代から城主へ昇格したのである。その後、徳川頼宜の名で土豪たちへの締め付けが厳しくなると、重胤のもとへ多賀谷重経など恭順する土豪たちが幾人かやって来た。
いまや多良崎城は二千兵を擁するまでになったのである。土豪たちの支配地を含め治める地は五千石である。
○この時分の里見家常陸領(四万六千石)
常陸領組頭:中根城八千石 城主・鳥居成次
成次寄騎:金上城三千石 城主・土居義成
成次寄騎:多良崎城五千石 城主・千葉重胤
成次寄騎:那珂湊代官(里見家直轄領三万石)・印東主膳
鳥居家直臣 ・伊藤刑部長安
〃 ・中山照守
千葉家直臣 ・東金政辰
〃 ・多賀谷重経
○房州(安房・上総・下総)里見領は四十八万石
常陸領と合わせると里見家は五十二万六千石となる。




