多良崎城の戦い(六)
門が破壊され三の郭内は敵、味方が乱れる。どっとなだれ込んだ敵兵達に曽谷時頼は「はぜる竹筒」を放り投げる。相手の勢いが止まった所で一軒もの長さの竹槍が穂先を揃え突く。その繰り返しで攻城兵達は命を散らしていく。しかし数の差が大きい。後から後から次々にやってくる攻城兵の中には運よく竹槍を潜りぬけ向かってくる者達が増えて来ていた。
(さて二・三百ほどは討ち取ったか。こちらはほぼ無傷。もう少し粘り敵を削り、二の郭に引くか。)
曽谷時頼は冷静に引き時を計っていた。現状では攻城方は三千五六百、守城方は援軍を含めて千七百。およそ倍の数であるが、当初は四倍もあった戦力差から考えると善戦している。
さあ、もうひと踏ん張りと「はぜる竹筒」をまた放る。しかし、攻め手は勢いを止めずに雪崩れ込んでくる。慌てて竹槍隊が槍を突ける。
実は門の外では水野重好隊への伊藤刑部長安率いる軍勢の当りが強くなっていた。長安にしてみれば門が破壊されたのを目の前で見たのだ。城が、千葉重胤が危ないと兵を鼓舞したのである。目の前で城が落とされるなど援軍に駈けつけた者としては面白くない、面子も潰れる。
長安が率いる兵達、すなわち鳥居成次の家の兵は中山照守によって高麗八条流馬術を教え込まれている。馬術に秀でた軍勢であった。その騎馬隊が激しく水野重好の背後から攻めた。|徒歩(かち)の重好隊は押された。その為に前面へ、城門方向へ重好隊は押される形となったのであった。
時頼が気付いた時には三の郭内は敵味方が乱れて「乱戦状態」であった。はっきり言えば、守城方が不利である。攻城方の方が数が多い上、守城兵の得物は長い竹槍。乱戦となっては長い得物は邪魔でしかない。
時頼と配下の合わせて七名が奮戦している状態であった。
「者ども、よう働いた。引ける者は二の郭へ!」
無駄に兵を減らすことはない。二の郭には鉄砲隊もいる。そこで三の郭を表の援軍(この時点で時頼は援軍が誰なのかは知らない)と挟撃できる。
一人、二人と徐々に二の郭に引いて行く。決して敵に背を向け逃げ込んでいるのではない。
(外から激しい戦の音が聞こえておる。曽谷殿が気張ってくれおるのじゃな。この郭には鉄砲隊もおる。上手く乗り越えられそうじゃ。しかし儂はいいのか? 曽谷殿に無理はするなと言ったが、彼は気張るであろう。例えこの城を守り抜いたとて儂一人の力ではない。采も東金政辰に任せた。それでいて儂は城代といえるのか?)
千葉重胤は落ち着かず、本丸から二の郭に下ってきていた。改めて二の郭の門越しに戦の気配を感じていた。彼も落ちぶれた名家とはいえ戦国の世に生きる|武将(もののふ)だった。手柄が欲しいのではない、ただ漢として血が騒ぐのである。
「政辰っ!」
重胤はこの戦の采を任せた東金政辰を呼ぶ。
「政辰。そなたは思い通りに采を振るえっ!儂は城代として打って出るっ!後は任せた!」
そう言われた政辰は驚いて重胤の前に立ちふさがった。
「殿っ!なりませぬ!万が一の事があれば……。」
「曽谷殿が気張っておる。きゃつは引いては来ぬっ!黙っておれば危ういっ!城代として放ってはおけぬ!」
政辰はこんなに激しく感情を表にです重胤をはじめて見た。いや当の重胤も己の感情に驚いていた。
政辰がどうしようかと考えを纏める暇もなく、重胤は政辰を突き飛ばし「後は頼むっ!」と言い残し、二の郭の脇の通用門から飛び出して行った。
「曽谷殿~っ!ご無事か~? 水野の兵どもっ! 我こそはこの城を預かる『千葉重胤』じゃ!」
敵味方が揃って重胤を見たのであった……。




