板倉昌察
義康一行は板倉昌察に案内されて、昌察の屋敷に入る。昌察の屋敷内は驚くほど物がない。生活の匂いが全くしないのである。
「昌察。内殿はいかがした? 不在なのか? 」
義康は当然迎えてくれると思っていた昌察の女房がいないのを不思議に思い尋ねた。昌察はそれに笑顔で答える。
「実は、家内と息子は大阪城におります。家内は千様のお世話を、息子は幸村殿の小姓をしております。今の私めは男やもめでございますよ。かっかっか。」
そう言って昌察は笑った。義康は昌察の家の中が殺風景な訳が分かった。
「それでは不便であろう。幾人か使用人を雇えば良かろうに。」
「ははは。はじめは不便でございましたが、もはや慣れ申した。使用人なら一人雇っており申す。今、買い物に出しておりましてな、直に戻りましょう。」
あっけらかんと言う昌察を見て、義康は思っていた。
【昔から、こやつは仕事以外はまったくもって無頓着。変わらぬのう。】
今日、義康が昌察を尋ねたのは理由がある。ただ顔を見に来たのではない。義康は隆仙に頼み、藤康を連れて向島の内部を案内してもらうようにした。昌察と二人で話たかったのだ。
隆仙は義康の意をくみ取り藤康と向島の街へ出て行った。
昌察は慣れない手つきで茶を入れ、義康に差し出し、自らも茶を啜った。そして義康の言葉を待った。
何か話があって来たのであろうと昌察も分かっていたのだ。
「昌察。そなたはこのままで良いのか? 向島の守将と言う豊臣家にとって重要な仕事を任されておる。陪臣であるがために色々やりにくき事があるのではないか。どうじゃ、秀頼様の直臣になってはどうじゃ。少し前から考えておってな、本日はそれを言いに参った。」
秀頼は昌察に全幅の信頼を置いている。それ故、向島の事に関しては何も口を挟まない。今でも直臣扱いなのである。義康は大野修理からそれを聞き、けじめをつけた方が良いと思っていたのである。また、義康の命で表向き里見家『追放』とし大阪に来させた。昌察は何一つ文句を言う事もなく従ってくれた。陪臣から直臣に格上げでもさせてやらねばと思っていたのである。
義康の言葉を聞いて、昌察は悲しげな顔をしていた。そして背をすっと伸ばし、胡坐の状態から正座へ座りなおして平伏した。
「殿。そのような事を仰いますな。我が主はあくまで殿一人でございます。どうか家臣の末席で構いませぬゆえ里見家に置いて下され。伏してお願いいたしまする。」
義康はそのような返答が返ってくるとは思っていなかった。胸の奥から熱い物がこみあげてくる。目頭も熱くなる。義康は昌察に気取られぬように深く息を吸い込み、自らを落ち着かせて言った。
「昌察。この律儀者が。分かった。そなたはこれまで通り儂の家臣じゃ。筆頭家老の職は解き、本日よりそなたは里見家宿老じゃ。」
里見家では今まで宿老と言う家老の上に位置する役職はなかった。義康は昌察の思いにこたえてあげたくて宿老に昇進させたのであった。
昌察は平伏したまま義康に言上する。
「あ、ありがとうございまする。離れておりましても御恩は決して忘れませぬ。」
そう言って昌察は体を起こした。目が充血していた。
この後、義康は再び大阪城の秀頼を訪ね、昌察の妻を通いにしてくれるよう頼んだ。昌察を秀頼の直臣に進めた話も隠さずに述べた。秀頼は義康の主従関係を羨ましがり、特例として板倉昌察に下総国香取郡三千石を与えるとした。実はこの香取郡の地はまだ徳川に与する藤堂正高が治めている。義康にその地を取り昌察に与えよと言っているのである。現在、昌察は二千石を秀頼から拝領しているので合わせて五千石の知行となるのであった。
すべての目的を果たした義康は房州に帰って行った。




