松江隆仙と
義康は藤康を連れて、里見家筆頭家老で現在は秀頼の元に出向している板倉昌察の屋敷を訪ねるため向島に出向いた。
向島に入る際は警備の兵に止められて秀頼の朱印を出した。さすがに豊臣家の火力の一大生産地である。なかなか厳重な警戒態勢だ。外門を入ると屋敷が並んでいる。鍛冶職人や警護の者達の屋敷であろう。大通りは、なかなかの賑わいで蕎麦屋や反物屋など様々な店が並んでいる。どの店も規模は小さいが活気がある様が伺えた。義康は『松屋』と看板が掲げられた店に入っていった。松屋は現在、里見家の客将である来島長親や長親を通じて懇意にしている商人・里屋九助の元の主・松江隆仙の店である。松屋の本店は堺にあり、ここ向島の店は支店である。
小さい店が居並ぶ向島の街だが、松屋は大きな店を構えていた。暖簾をくぐると番頭とおぼしき者が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか。」
さすがに堺会合衆の一人・松江隆仙の店の番頭だ。笑顔で物腰柔らかく、客商売に長けているのが分かる。
「某、里見義康と申す者。隆仙殿はおられるかな。」
「これは里見様でしたか。失礼をいたしました。主の元へご案内いたします、お上がり下さいませ。」
義康と藤康、それに供の者二人は松屋の店の奥の中庭に面した一室に通された。
そこには隆仙とおぼしき壮年の男性が座しており、義康が入っていくと平伏した。
「里見義康でござる。隆仙殿か? 」
義康は平伏している男に訪ねた。
平伏していた男は
「お初にお目にかかります松江隆仙にございます。」
と言うと静かに顔を上げた。
「うむ。本日訪ねて参ったのは、我が里見家の客将・来島長親殿から土産を預かって参ったのじゃ。」
義康は持参した包を手渡した。隆仙は礼を述べて、包を開けた。桐の箱の中には花差しが入っていた。その花差しは薄桃色の上品な色合いで艶がある。
隆仙は花差しを手に取り眺めていたが、一つ頷くと義康に向かって頭を下げた。
「これは良き物を頂きました。来島様にお伝えくださいませんか。家宝にすると申しておったと。私の少ない知識でこの品を見まするに、これは珊瑚でございますな。聞くところによると房州では珊瑚の獲れる海域があると言います。その房州珊瑚で造られたのですな。」
隆仙はにっこりとほほ笑んだ。義康は隆仙にその珊瑚は来島長親自らが海に潜り獲り、館山城下の職人に造作させた物である事を告げた。
「なんと、そうでございましたか。来島様が自らお潜りになったとは。」
隆仙は驚いて、もう一度まじまじと花差しを眺めたのだった。
「ところで長親殿は何も言っておらなかったのだが、隆仙殿は面識があるのか? 」
「はい。来島様が九州より大阪にお見えになった時に数度お会いしました。商人にとって、縁は大事でございます。それゆえ九助を送った次第です。」
実は隆仙は、来島が大阪で過ごした僅かの間、生活の援助をしたのである。その援助は物好きで行ったのではない。秀頼から豊臣の水軍を率いる事になる長親の面倒を見よと命じられたからであった。
義康は九助からの土産も手渡し、小さな巾着を持ちあげた。
「先ほど、隆仙殿は縁を大事にすると申したな。ならばこれは儂からの土産じゃ。」
義康はその巾着を無造作に隆仙に放った。隆仙はその巾着を広げて中身を見た。隆仙は怪訝そうな顔をして中身を取り出す。広げた掌には砂のような物が乗っていた。
「あ、なるほど。里見様は煙硝をお運びになられたのでしたな。さればこれは煙硝でございますか。」
にこりと笑顔で呟いた。義康は里見領内で生産されている煙硝の一部を松屋に卸す事にしたのだった。里見の独自の製法で造られる煙硝は貴重な国産品で質も良かった。隆仙は取引ができる事を喜んだのであった。隆仙は藤康の元服の祝いの品を贈り、双方喜んで面会を済ませたのである。
義康は松江隆仙と新たな縁を結び、隆仙の案内で板倉昌察の屋敷に向かった。昌察の屋敷は他の者達とは違い鍛冶場区域内にあった。鍛冶場へ行くにはまた番所を通らねばならなかったが、隆仙が同行してくれたお陰で、朱印状を出さずに通過できたのだった。
鍛冶場区域内は『かんっ! きんっ! 』と鉄を叩く音が方々から聞こえる。時たま『しゅーっ』と鉄を冷やす音も聞こえた。活気に満ちあふれていた。
昌察の屋敷はその区域のど真ん中にあった。それなりに大きな屋敷で造りもしっかりしている。義康達が屋敷の見える所まで来ると、門の前に誰かが立っている。その男はこちらに気付くと、破顔の表情で、叫んだ。
「殿ーっ! 遅うございますぞーっ! 』
門の前に立ち叫んだ男、板倉昌察であった。




