側近Bと堕天使
あたしは魔王様の側近B。
あんたは間が抜けすぎなのよこの天然!とは、麗しの例の人の言葉である。
山盛りのクッキーは無事にダンジョンのドワーフに届けられたらしい。
ぬるい笑顔のユーディットは、「いっぱいできたねえ」と子供を誉めるような事を言い、チャームアイの騒動についてはあえて何も触れず。そして、明らかに魔王様が召し上がりになるより多めのクッキーを胸に抱えて、「いい?」ときらっきらした顔をあたしに向けた。
あたしには、こわばった笑みのまま「うん」と頷くことしかできなかった。
だがそれでも、クッキーはひと抱え分ほど余った。なので丁度その場にいたアキッシュに勧めようとしたら、怯えてあっという間に逃げられてしまった。スフィロクは優しいので数枚食べてくれて、余っているなら学塔の子供たちに差し入れしてはどうかとアドバイスをくれた。
さすがスフィロク!
「という訳で、子供たちのおやつにでも」
手短に状況を説明し、はい、と小袋に分けたクッキーを、学塔の責任者サロメルに渡す。小袋の数は人数分と少しある。あまったら適当に食べてしまってほしい。
サロメルはあたしが突然やってきたので目を白黒させて驚いていたが反射のように受け取って、
「あ、ありがとうございますっ」
と慌てた様子で礼を口にした。
サロメルは、手足が細く華奢な少女で、人の年で表すなら16位に見える。黒くまっすぐな髪に大きな瞳も黒。頬は薄く薔薇色に色づいて、唇だけが血のように赤い。可憐な中に妖艶な魅力があって、あたしはサロメルのような外見こそ淫魔に相応しいよなあ、と思えてならない。
ただしその背にあるのは淫魔の蝙蝠のような羽ではなく、鳥のような翼。その翼の色が黒いので、サロメルを堕天使と呼ぶ人もいる。
サロメルは甘いものが大好きなのだけれど、これ以上重くなると飛べなくなるといって、いつも涙を呑んで諦めている。今回もしばらく腕の中の籠を見つめた後、うっすらと涙を浮かべて
「うう、シェリーメイさんのクッキー…」
と悔しそうに呟いた。
「大丈夫。このクッキーはお菓子というより、保存食だから。サロメルもこれなら食べられるよ」
「本当ですか!?」
途端にパアァと輝くような笑顔を浮かべて喜ぶ。大きな目に溜まった先ほどの涙がキラキラ輝いてとても可憐だ。
とても、戦闘中の武器が首刈用としか思えない長い鎌には見えないし、広げた羽根から毒の翼矢を飛ばすなんて信じられない。
魔物は見た目に寄らないというけれど、サロメルはまさにそれだ。
なんせ、こんなに華奢で可憐なのに、サロメルこそがグランドピース最後の一人。最強の盾、四ノ駒なのだ。
世の不思議に微妙な気持ちになっていると、パタパタと走り寄る足音が届く。
「あー!」
「シェリーメイ!」
「シェリーメイだ!!」
とたんに賑やかになる。小さい彼らは、学塔の学生たちだ。学塔には様々な書物や地図、資料があるから誰でも入ることが出来るが、大人が働いている時間は小さい彼らの天下だ。
魔族には種族のテリトリーがあって、一人前になるまでは外に出る機会があまりない。そして、一族の中で育ち城にあがると、一族だけが大事な魔人になっていることが少なくない。
魔王様とユーディットはそんな状況を憂い、城の傍らに塔を立てた。そして、丁度同じ時期に城のメンバーに加わったサロメルに任せた。
「こらっ、シェリーメイさんは偉いの。ちゃんと様かさんをつけて、言葉の最後にはですますをつけるのよ」
こんな感じでサロメルはいつも頑張っている。
だが、
「ですますー」
「ロメルー先生ですますー」
まあ、だいたいこうなる。
小さな彼らの多くは、吸血一族や竜族の子どもたちだ。生まれたときから自分たちの一族こそが魔王様に次いで高貴であると教え込まれている。 淫魔は本来なら吸血一族の使役の使役くらいの下っ端なので、あたしに敬意をもつのは難しいのだろう。
だからあたしは気にしていない。
それに、
「シェリーメイほんとに何しに来たんだ?」
「授業はまだ先だよな」
「シェリーメイのじゅぎょう好きだから別にいいー」
こんなにかわいいのだ。怒る気なんて吹き飛んでしまう。
ありがとうと言いながら、わらわら集まってきた彼らの頭を撫でる。
一族が埋め込んだ常識はまだまだ彼らの中に根を張っているけれど、こうして自分で好き嫌いを判断できるまでに成長しついる。魔王様とユーディットの願いが叶う日は、きっとあと少しだ。
あたしの授業が好きだと言う彼らに怒るに怒れなくなってしまったらしいサロメルは、むむむと唸りながら仁王立ちをしている。
「サロメル」
「シェリーメイさん…」
困りました、とその顔にハッキリと描いあって、何だかおかしくなってしまう。
「シェリーメイで良いじゃない」
ふふふ、と自然と声がもれてしまう。困った時は発想の逆転をしてみればいい、と側近Aも言っていたのだ。
でも、と言い募ろうとする唇にすっと指をおく。
「サロメルもあたしをシェリーメイと呼べばいい。敬称無しは親愛の証でしょう?」
にこ、と笑いながら言うと、サロメルはぼんっと爆発でもしたかのように真っ赤になった。
そのままうっとりとした表情で手を伸ばしてきて、あたしの手を取って絡める。…絡める?
「メイお姉様」
ちがうよ。なんか違うよサロメル!
「あたし…またなんか間違っちゃった?」
「いいえお姉様はいつでも一番正しいです」
「やっぱり違う。帰ってきてサロメル!」
騒がしい私たちを後目に、小さい彼らはクッキーを見つけたようで我先にと飛びついてきゃっきゃと喜んでいる。
かわいいなあと見てるのは、きっと現実逃避だと思う。
どこで間違っちゃったんだろうなあ…
あたしは魔王様の側近B。
子どもたちはあれからあたしを「メイ姉」と呼ぶ。