側近Bと魅了眼
あたしは魔王様の側近B。
メイの欠点は夢中になると周りが見えなくなることだよね、とは側近Aの言葉である。
あたしはふと気がつくと、山と積み上がった焼きたてほかほかのクッキーの前で高笑いをしていた。
両手を腰に当て、料理房の高い天井に届きそうなくらいのそれを見上げたまま。
ぽかん、とあたしは大口をあけて呆ける。
「え……?」
訳が分からず、周囲を見渡すと、料理房は死屍累々の大変なことになっていた。
さらに視野を広げれば、隅の方に縮こまって震えているリザードマンがいた。大きく筋肉質な体はまったく隠れていないけれど、腕で頭を覆って丸くなっている。
「アキッシュ?」
近寄りながら声をかけると、びくぅと体をひきつらせる。赤い髪と赤い尻尾が、ぴ、と一瞬跳ねた。
「…大丈夫?」
宥めるようになるべく優しい声を出してみたのだが、やはりアキッシュはただただ震えて横に何度も首を振っている。
どうやらよほどの事があったらしい。
あたしは首を傾げた。
とそこへ、別の気配が近づいてきた。今までどこにいたのやら、この調理房の主、料理長だ。
「スフィロク」
ミノタウロスのスフィロクは、料理長として包丁をふるっている。彼にかかれば斬れない材料はなく、包丁裁きは目を見張るほどの正確さ。
攻撃力も高く、グランドピースの三ノ駒に就いている。ついでに言うと二ノ駒は先日のタランテだ。
メデューサのタランテが挑戦者を石にして、ミノタウロスのスフィロクが武器兼用の包丁で切り刻む。という流れになっている。
戦闘中はまさに怒り狂う雄牛のようなスフィロクだが、普段は大人しそうな細い青年の姿をしていた。焦げ茶色の髪で顔の半分を覆い、一つしかない目を隠している。
ユーディットの笑顔・タランテの眼鏡・スフィロクの前髪は三大「中身を見てはいけないもの」として裏で名を連ねている。
各所を騒がす暴れ者だったアキッシュがスフィロクのそれを見て、すっかり丸くなった話は悦話として知られている。
そんなスフィロクは、あたしの呼びかけに非常にゆっくりとした動作で顔をあげた。それがあまりにも青く、力ないものだったのでびっくりした。
普段は日溜まりのように朗らかに笑う人なのに。
「どうしたの!?」
思わず叫んで近寄ると、スフィロクは青い顔のまま
「メイちゃん」
と息を漏らした。
「正気に返ってくれて本当に良かった。
メイちゃん…無理をしたらいけないよ。俺でよければ何だって聞くから。ね?」
今までで一番真剣な目で、あたしが少なくとも十回は頷くまで、こうして諭されたのだった。
スフィロクの説明によれば、ご飯時で料理を取りに来ている魔物が沢山居る中にあたしが現れたので、何人かの阿呆が絡んできたらしい。
けれどどこかおかしい様子のあたしは全く取り合わず、魔王様の女、と言いかけた奴の口を片手で塞いで持ち上げたという。
もがもが言って暴れるそれを全く気にせずに、あたしはスフィロクに「クッキーを作るの」ととろけるような最高の笑顔で言った。そして、
「でも困ったわ、材料が足りないなんて」
「クッキーができないと魔王様がお嘆きになる。そうしたら、わたし」
そこで涙を溜めて、崩れるように床に座り込み
「誰か、助けてくれないかしら…」
居並ぶ者共を泣き濡れた顔で仰ぎ見て、哀願したという。
チャームアイの発動だ。
そこからはもう、ありとあらゆる所から我先にと材料を用意する者共、手伝いを申し出て限界まで酷使される者共、生命力を絞り出されてクッキーの隠し調味料に使用されて床に沈む者共、とトントン拍子に屍が積み上げられていったらしい。
スフィロクはなんとか無事だったがアキッシュは魅惑にかかり、延々クッキーを焼くために炎を吐き出し続けたのだという。
あたしはもはや何も言うことができなくて、ごめんなさいとスフィロクに頭を下げた。
あたしは魔王様の側近B。
実はチャームアイなんてものが使えてしまうらしい。