側近Bと凍菓子2
「誰!?」
暗い部屋の中で、声がした。
あたしは警戒して身を固める。知らない声だ。
「突然申し訳ありません。あなたのことを召喚させて頂きました」
ランプの明かりの範囲に、黒い服を着た男が進み出てきた。
膝を折ってしゃがみ込む。
輪郭を闇に溶かした男は、俯いていて前髪だけがランプに照らされて橙色に縁どられている。
「召喚?」
て、アレだろうか。魔方陣を書いて使い魔とかを呼び出すやつだろうか。
そう思って足元を確認すると、ランプに照らされて緻密な魔方陣が床に書かれているのが見えた。
凄い。今まで見たことが無いくらい綺麗だ。
そこに牡丹の形の彫細工の影が重なって、さらに複雑な模様を作っていた。
「…はい。俺の願いを叶えて頂ければすぐにお帰し致します」
「願い?」
「はい。…いきなりこんなことを言われて、ご不快でしょう?
けれど、召喚陣は阻害させて頂きました。あなたのお力だけでは帰ることはできません」
と、男は随分と悲しそうな、辛そうな顔で言う。
「んーと。あたしは召喚の知識ないからどっちにしろ自力じゃ帰れないよ。
それで、願い? って、あたしに出来る事なのかな?」
もしも出来ないことだったら、帰してもらえないのだろうか。
それは困る。すごく困る。
だって魔王様にお会い出来なくなってしまうから。
あたしがそう言うと、男は不思議そうに首を傾げた。
「帰れない? あの、あなたは…使徒様ではないんですか?」
「使徒って何?」
知らない言葉に首をかしげると、男はさらに困惑して説明する。
「使徒様というのは、天に住まう神の代行者の事です。最も聖なる方々です」
なんだそれ。
「あたしは、淫魔だよ」
「え・・・」
男はびっくりした様子であたしをまじまじと見る。
信じられないと顔中が言っているので、証明するためにマントを脱いでみた。
魔王様に頂いた真紅のマントを脱ぐと、中にはいつも通りのキワドイ服を着こんでいる。
胸を申し訳程度に覆った上半身と、腰骨から股下までの長さしかないホットパンツ。
お腹も胸の谷間も太腿も丸見えで、それなのに膝から下はブーツなのだ。
下着のがまだマシ、とはタランテの言葉である。
「!? う、うわぁぁあ!!」
男は叫んで、後ろに倒れる。体のほとんどが闇の中に隠れてしまったが、かすかに見える顔は真っ赤だ。
「すいません! 隠して!着て!下さい!」
と、あまりにも必死で言うので、マントをもう一度着なおした。
魔王様の真紅のマントは体全体を覆えるので、着てしまえば肌はほとんど出ない。
「納得した?」
「……しました」
男はがっくりと力尽きて床に座り込んだ。
○○○○○○○○○○○
「ということは、あたしを呼んだのは間違いってこと?」
「はい。本当に申し訳ありません」
オニキス、と名乗った男はべったりと床にへばりついてあたしに頭を下げた。
オニキスが言うには、ここは魔物の領域ではない人の領域で、彼の家であるらしい。
本当は呼びたいのは使徒だったけれど、何かの間違いか手違いで、淫魔であるあたしが呼ばれてしまった。
そんなあたしが帰る為には、陣を作るときに決めたように願いを叶えるか、召喚主であるオニキスを殺すかしか無いらしい。
普通、人間が行う召喚には罠があり、召喚主に逆らうと激痛が走るような仕組みが入れられているが、この陣には入れていないらしい。最も聖なる者を召喚する陣にそんなもの入れられないと思ったのだとか。
で。
「願いって何?」
あたしが首を傾げるとオニキスはびっくりして顔を上げた。
「え? 聞いて下さるんですか?」
「うん。何度も言ってるけど」
「では!」
「俺を、殺してください!!」
と、目をキラキラ輝かせながら、彼は言い放った。
○○○○○○○○○○○
真っ暗な部屋。
の、中で、とっても良い笑顔で自分を殺してくれと詰め寄ってくるオニキスに、あたしはちょっと頭が痛くなった。
「無理」
「何でですか!?」
「むやみに人間を殺すのは魔王様が禁止されているから」
「えええ!? 魔物ってもっとこう、人間殺すの大好きなもんなんじゃ!?」
「知らない」
だいたいそれ、願いを叶えるための条件、一つしかないじゃない。詐欺だ。
ぷい、と横を向くと、オニキスは重いため息をついた。
「どうしても、駄目ですか…?」
そうして立ち上がって、闇の中へと消えていった。
やがて、ちらり、と日の光が差し込んでくる。
どうやらこの暗い部屋は厚いカーテンを引いて作っているらしい。
オニキスは、そのカーテンを少しまくって日の光を入れようとしているらしい。
どうやらそれはあたしを脅しているらしいけれど、太陽の光くらいで魔族がどうこうなるなんて迷信だ。
あのへぼへぼの吸血鬼だって、一週間くらい磔にして日光浴させないと萎れもしないんだから。
なのであたしはその行動を特に止めない。
むしろ立ち上がってオニキスの元に行って、この陰気くさい部屋を終わりにするためにカーテンを引っ掴む。
ガシャガシャ! と音をさせて寄せると目を焼くような太陽の光が差し込んで、部屋の中を照らした。
明るくなった部屋は案外普通だ。
板張りのそこそこ大き目な部屋に、本が沢山縦積みされているのが、異様と言えば異様。
「だいたい、何で死にたいの。人間って馬鹿なの? あたしたちは死にたいなんて思ったりしないよ」
あたしは、イライラしながら詰め寄って聞く。
それがあんまり予想外だったのか、ぽかん、と口を開けて呆けているオニキスは、暗闇で予想したよりもずっとずっと若かった。
学塔のサロメルよりも若い。
人間の成人は15と聞くけれど、そのくらいに見える。
ううん、そんなことよりも、オニキスの髪と瞳。
魔王様にそっくりな、艶やかな黒髪と、瞳なのだ。
あたしが思わず見惚れていると、オニキスはぐっと唇を噛んで俯いた。
「だって、俺は、駄目なやつだから…」
そして、ぽろぽろと泣き出してしまった。