側近Bと勇者他4
勇者の胸には、あたしが放った矢がふかぶかと刺さっている。
聖女が悲鳴を上げながら引き抜こうとするが、まるで根でも生えてしまったかのように抜けず、治癒魔法をかけても効かない。
そこで、はっとあたしは意識が元に戻った。
必死になればできるもんだと実感しながら、急に足から力が抜けてへたり込む。
はぁとため息を付きつつ手から弓が転がり落ちた。もう何も出来る気がしない。
ぼんやりと勇者を見つめながら独り言を言う。
「…人間って、心臓に矢ささると死ぬんだっけ?」
「…死ぬなあ。だが、あれは」
意外に思うかもしれないが、魔王様は人をむやみに殺してはいけないという厳命を出されている。
殺していいのはダンジョンの中だけ。だがそれも、出来れば撃退するに留めて欲しいとお思いになっている。
それは人間との無用の軋轢を避けるためなのかもしれないし、人間になにかしら利用価値があるからかもしれないし、人と魔物では異なる『命の価値観』というものを尊重しているのかもしれない。(と、ユーディットが言っていたが、あたしには難しくて良く分からなかった)
とにかく、魔王様が殺すなと命令されているのだから、殺してはいけないのだ。
「…魔王様、お怒りになられるかしら?」
「淫魔に殺されるような弱きものは勇者ではなかろ。そもそも、ヒトごときいくら殺そうと」
「あああ、きっとお嘆きになるわ!!」
「我の話を聞かぬか!」
あたしが一人、魔王様の心痛を思いやっているうちに、勇者一行の方にも動きがあった。
聖女が勇者の胸に治癒魔法を掛け続けながら、魔術師の女が呪文を唱え始めている。
長い詠唱と共に、彼らの足元に魔法陣が浮かび上がっていき、段々と濃くなる。
「魔の撲め!! よくもわたくしの勇者様に! 滅してやりますわ!!」
強くなって行く光の中で聖女の叫びが上がる。
こちらを、目線だけで殺しそうな鋭さで睨んでいる。
治癒魔法を片手で続けながら、もう片手に何か攻撃魔法を…おそらく、先ほどの聖魔法を展開しようと手を開いたが、武道家が手を出してそれを止めた。
「お兄様、邪魔ですわ!」
すさまじい形相で怒るが、武道家はただ首をふる。
「帰るぞ」
聖女はさらに怒鳴ろうとしたが、勇者を見て口をつぐんだ。
悔しそうに唇を噛みしめて、
「覚えてらっしゃい!!」
とあたしをギロリと睨みつける。
帰る、というのだから魔法陣は移転のものなのだろう。
魔王城は簡単には移転できないようになっているけれど、魔術師は淡々と呪文を詠唱して構文を組み立てている。恐ろしい量の魔力が籠っていて、冷や汗が出る。
帰ってくれるならそれが一番。
どうやら勇者はまだ死んでいないようだし、色々とセーフだ。
だが、いよいよ煌々と陣が輝き、あと一言で発動するだろう、という時になって事態は急変した。
音も立てずに魔法陣から影が飛び出してきたのだ。
「勇者様、お戻りくださいませ!」
聖女の声でそれが勇者だと分かったが、その時にはすでに目の前に勇者がいた。
あたしの周りには何の武器もない。爪を伸ばす暇すらない。
やられる!!
つい目を閉じてしまった。
しかし、何の痛みも襲ってこない。
「…?」
不思議に思って目を開くと、勇者がなぜか、跪いていた。
こちらをじっと見つめながら、そして。
「結婚してください!」
――――――なんか凄いこと言い出したこの人!
ふう、と隣で吸血鬼がため息をついている。
「だから、お前が弓を引くと不味いことになる、と言っただろう」
「聞いてない!」
――――淫魔に弓をひかせようとする者はまずいない。
彼ら彼女らには戦闘よりも利用価値のあることがあるし、命令したとしても思い通りの戦果を上げてくるとは限らない。よっぽど、戦闘特化の魔物を向かわせた方が利があるのだ。
しかし弓とは、古来から感情と結びつきやすいもの。それが心臓に当たれば、なおさら。
ようするにそれは、魅了の弓バージョン。
滅多に知られていないその技名は、クピドの矢、というらしい。
「そんなの一種類あれば十分だよ!?」
「チャームアイは多人数に軽い魅了、クピドの矢は単体に強い魅了、という違いだ」
「全然軽くなかった! あれより強い魅了って…!!」
あたしは思わず、青ざめた。