第2話「魔法少女が壊した社会の歪み」
本作はフィクションです。
登場する人物・制度・社会状況はすべて架空であり、現実とは無関係です。
これは誰かを傷つけるための物語ではなく、“理不尽な世界”を問い直すための物語です。
この国の平均年収は、およそ450万円。
仮に少し多めに見積もって、500万円としよう。
そのラインを超えて収入を得るということは、誰かの取り分を奪っているに等しい。
年収1000万円──つまり誰かの年収は0万円だ。
0万円では生きていけない。
生きていけないのなら、死ぬしかない。
そう考えれば、年収1000万円というのは「一人の殺人罪」に相当する。
年収800万円なら「殺人未遂」。
年収700万円は「傷害罪」。
年収600万円は「暴行罪」。
……あくまで、おおよその感覚としてはそれくらいの罪に近い、という話だが。
だが、今の法律はどうだ?
この国は、こうした“高所得による加害”を罰する術を持たない。
奪う者たちには、制裁が必要だ。
魔法という異常な力をもって、異常な格差を正す。
他人を犠牲にして幸福を得た者たちに、相応の罰を与える。
それが──
「魔法少女・マネーヘイト・ノゾミ」なのだ。
お金を独占する者を、彼女は決して許さない。
──墜落現場にて──
黒煙が空を裂くように昇っていた。
滑走路から離れた都市部の空き地に、大型旅客機が真っ二つに裂けて横たわっている。
鋭くねじ曲がった機体の鉄骨。
焼け爛れた機体の断片からは、いまだ立ち昇る炎。
腐臭と焼けたプラスチックの臭いが混ざり合い、あたりは地獄のような光景だった。
パトカーと消防車がずらりと並び、現場には厳重な封鎖線が張られていた。
ヘルメット姿の救助隊員たちが瓦礫の中から遺体を運び出し、その横で、スーツ姿の中年記者がカメラマンと共にインタビューを行っている。
「……目撃者によると、墜落の直前、機体に“砲撃のような光”が命中したという証言があります」
記者はマイクを口元に寄せ、小声でそう呟いた。
「それと……見たって人がいるんですって」
通行人の一人が、隣の誰かにささやくように言った。
「子どもだったらしいよ。10代くらいの女の子。
金髪で、ドレス着てて、赤い目で……羽まで生えてたって……もしかして“魔法少女”なんじゃないかって……」
記者はふと口をつぐみ、顔をこわばらせた。
「……魔法少女……?」
そう呟いた彼の顔に浮かぶのは、否定しながらも、どこかで真実を確信してしまった者の不安だった。
────。
無財 希のアパート。
六畳一間の、かび臭い部屋。ベランダは干された雑巾で覆われ、空になった冷蔵庫には白カビの浮いたパック牛乳が残されている。
テレビが流すニュースを前に、無財 希は一枚の冷凍食パンを咀嚼していた。マーガリンすら溶けきらないまま、機械のように噛み、飲み込む。
《墜落事故の死者は三十名以上に上る模様です。乗客には有力財界人、某上場企業の創業者、著名な投資家らの名前も含まれており──》
どこか他人事のように流れるニュースの声。だが、希の目には、その映像が深く刻み込まれていた。
ピンポーン。
突然、インターホンが鳴る。
「……すみません、警察です。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」
希の全身が一瞬で強張った。
「はい……」
ドアを開けると、スーツ姿の警官が二人立っていた。年配の方が手帳を開く。
「この近辺で、ちょっと変わった少女の目撃情報がありましてね。
──年齢は十代前半くらい。金髪で、肩あたりまでの長さ。
白地に赤いラインの入ったドレスのような服を着ていて、背中には小さな羽のようなものが見えたという証言もあります。
それに、赤い靴に白い靴下……かなり目立つ格好だったそうです。心当たりはありませんか?」
希はまばたきを一度だけし、答えた。
「見てません。そんな子、見たこともないです」
警官は彼女の姿を頭から足元まで見渡し、無言で頷いた。
「……なるほど。お子さんもいらっしゃらないようですね。失礼しました」
私が不愛想だったせいか、警官はどこか嫌みったらしくそう言った。
ドアが閉まる音が、静かに部屋に響く。
その瞬間、部屋の片隅──カーテンの向こうから、ぬっと小さなマスコットのような存在が現れた。
「安心するチー。今の希と魔法少女ノゾミは、見た目も雰囲気もまったくの別人チー。誰にもバレない仕様チー」
チープルと名乗る、その異形の存在は、黒い影のように浮かんでいた。
希はふっと、パンの耳を噛みちぎりながら笑う。
「そりゃ便利だな。正義の味方が顔バレじゃ、漫画にもならないし」
だが、その笑みには確かな毒が宿っていた。
「……でもさ、毎回このボロアパートから魔法少女が出てきたら、いくら顔が違ってもバレるんじゃねぇの?」
チープルはくすくす笑いながら、手をひらひらと振った。
「安心するチー。それも対策済みチー。
チーの作った《マジカル・バイアスポータル》を使えば、変身したあとに別の場所へ飛べるチー」
「へえ……やけにハイテクだな、魔法のくせに」
希はパンの耳をぽりぽり噛みながら、ふと目を細めた。
「まてよ……それ、通勤に使ったら最強じゃん。移動時間ゼロ、交通費ゼロ。朝の電車地獄から解放されるぞ?」
「それは無理チー。変身中しか使えないし、高所得者の近くにしか飛べないチー。
それに、下手したらその人に見られる。毎回使ってたらいずれ身バレするチー。
そういうズルは禁止チー」
「ちぇー、良い案だと思ったのに」
希は口を尖らせながらも、どこか納得したようにため息をついた。
──某暴力団事務所──。
老朽化した雑居ビルの一室。
厚みのある木製の机、煙草のヤニで変色した壁。
スーツ姿の男が、満足そうに電話口で話していた。
「──はい。社長はあの便に乗ってて……残念でした、ええ。でもまあ、保険が五千万かかってましたからね。
ええ、俺が受け取ることになりますんで……手続きは任せてくださいよ」
その背後で、空間がキラキラと歪んだ。
──《マジカル・バイアスポータル》、開通。
魔法少女の意思に応じて、高所得者の近くへと転送される。
「……今の電話、全部聞かせてもらった」
少女の声だった。
次の瞬間、そこに現れたのは──魔法少女・ノゾミ。
金色に輝くミディアムヘアが宙を舞い、白地に赤い装飾が施された魔法衣装が夜の闇に映える。
背中には小さな翼が揺れ、手には赤く光を帯びた一本の槍を携えていた。
その赤い瞳が、まっすぐに男を射抜くように見据えている。
「チッ、なんだこのガキ……? その格好、ふざけてんのかよ……」
男が立ち上がろうとした瞬間──
ノゾミは低く、静かに呟いた。
「ふざけてねぇ。……殺しに来ただけだ」
ノゾミは静かに、手にした赤い槍を床へ突き立てた。
ゴン──。
鈍い音とともに、空間が軋むような振動が走る。
重力が歪み、部屋の空気が引き裂かれるような音が響き渡った。
ただの威嚇ではなかった。
それは明確な“力”による支配。
壁がわずかに軋み、天井の照明が揺れる。
空気が重く沈み込み、見えぬ圧力が空間全体を押し潰すように広がっていた。
まるで──この部屋ごと“断罪”されるような、凄絶な殺気。
男の額から、冷たい汗がじっとりと伝い落ちた。
「ま、待て……! な、何が目的だ……?」
怯えた声を絞り出しながら、男は後ずさる。
「そ、そうだ! 金なら……金なら出す! いくらでもやるって!」
「金!? 金額によっては、助けてやってもいいぞ!?」
思わず、ノゾミの眉がピクリと動いた。
その言葉には、つい反応してしまう。
だが──
宙にふわりとチープルが現れた。
「ダメチー。変身中にもらったお金は、現実には持ち帰れないチー。変身を解いた瞬間に、ぜーんぶ消えるチー」
にこりと笑いながら、チープルは淡々と続ける。
「ゲームの中の通貨みたいなものチー。何兆円もらっても、意味はゼロチー」
「はぁ!? なんだよそのクソ仕様!」
男は顔を歪め、怒りに任せて懐から銃を引き抜いた。
「てめぇ……なめんじゃねえぞォォォ!!」
ダン! ダン! ダン!
「──っ!?」
男の急な行動に、ノゾミは思わず目を見開く。
だが、銃弾はすべて──ノゾミの周囲に展開された魔法陣によって弾かれた。
そして──ノゾミの槍が、勝手に動いた。
まるで意志を持つかのように、その魔槍は男の右腕を正確に貫いた。
「が、ああああああああッ!!」
「そんな原始的な武器、魔法少女に通用しないチー」
「自動防御に自動攻撃? そんな機能あったのか……?」
「ああ、今のはチーがやったチー。ノゾミから魔力を借りて、守ったチー。飛行機を落としたときと一緒チー」
「ノゾミは、チーも守るから安心してチー」
「あ……ああ」
ノゾミは槍を引き抜き、床に転がった男を冷ややかな目で見下ろした。
「──で、金はどこにある?」
「る、るせぇ……誰が教えるかよ!」
その目は、まだ死んでいない。
恐怖に怯えながらも、口だけは決して割らない。
流石は暴力団の幹部──。
こういう男は、本当に死ぬその瞬間まで、絶対に自分の“金庫”は明かさない。
……だが、それを破る方法は、ある。
「ならこれ使うチー。“マジカル・サブスタンス:自白剤”チー」
チープルがいつもの調子で言うのとほぼ同時に、ノゾミが無感情に指を鳴らした。
すると空中に、光の粒子が静かに集まり始める。
粒子はやがて、一筋の光を纏いながら“注射器”のような奇妙な物体へと形を変えた。
ガラス細工のように繊細で透明なシルエット。
内部では、金色の液体がゆらゆらと妖しく揺れている。
注射器はふわりと宙に浮いたかと思うと──
次の瞬間、音もなく男の首筋へと突き立った。
「うっ……!?」
針は幻のように一瞬だけ現れては消え、抵抗する間もなく男の首筋に突き刺さった。
男の身体がびくりと一度だけ痙攣し、目の焦点が外れる。
そのまま、虚ろなまなざしで、口だけが勝手に動き始めた。
「……保険金は、英銀行の秘密口座に……現金は、床下に……」
言葉は、堰を切ったように滑り出す。
だが、男の口は止まらない。やがて、呪いのように続いた。
「……でもよ、どのみち、誰かが貧乏になるんだ……。
貧乏ってのは……結局、努力しなかった奴の──」
目を伏せ、肩を揺らしながら、男は小さく笑った。
「──自己責任だろ……?」
──出た、高所得者がよく言う「自己責任」。
どれだけ努力しても、何かを我慢しても、届かない世界がある。
上にいる者は、何もしなくても上にいられて。
下にいる者は、何をしても這い上がれない。
それを、たった一言で片づけるなんて。
……そんな理不尽が、この世にあってはならない。
ノゾミは無言で男を見据え、
感情の一切を断ち切ったまなざしで、赤い槍を振り下ろした。
「──なら、死んで詫びろ」
男の断末魔が、空間に溶けて消えた。
──床を開けると、札束がぎっしりと詰まっていた。明らかに、現金で五千万。
「はぁ……せっかく金を手に入れても、持ち帰れないなら、ただの紙くずか」
「でも“ばらまく”ならOKチー」
ノゾミはポーチを取り出した。
《マジカル現金ポケット》──正式名称、パブリック・ディストリビューション・ポーチ。
中へ札束を放り込むと、ノゾミたちは空へと舞い上がっていった。
「受け取れ、低所得者たち!」
ノゾミがポーチを振りかざすと、そこから札束が吹雪のように舞い上がった。
空から、金が降る。
「うおおお!? 現ナマだぁぁ!!」
「魔法少女ー!? ありがとうー!!」
チープルはにやりと笑う。
「支持率、爆上がりチー」
────。
清掃会社。
安っぽいビルの1階。床を磨く希の手元に、ふとテレビの音が届いた。
安アパートのような雑居ビルの1階。
希は制服姿でモップを手に、床を磨いていた。同僚たちは休憩中、ワンセグテレビに群がっている。
《魔法少女による一連の襲撃事件──。標的は“高所得者”と見られ、企業経営者、上級公務員などが次々と……》
《一方で、企業側にも変化が。緊急のボーナス支給を決定した企業や、年収上限制度を検討する動きも……》
《いやー……正直、人殺しはどうかと思うけど、僕の給料上がったんですよね。ありがたいっす》
「マジで魔法少女さまさまだわ~ww」
同僚たちは笑いながら騒いでいる。
上司の坂井が近づき、ぽんと希の肩を叩いた。
「無財くん。来月から時給上げるぞ。ライバル業者が急に消えたからな」
希は驚き、そしてゆっくりと微笑んだ。
「……はい。ありがとうございます」
ふと、彼女の心に言葉が浮かんだ。
(……やっぱり、“殺して正解”だった!)
だが、そのとき──耳元で小さくささやく声があった。
「……気をつけるチーよ」
「え? なに?」
「なんでもないチー」
部屋に差し込む夕陽が、希の横顔を照らしていた。
【第二話・終】
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