叱責
家の中が静まり返る中、突然廊下から慌ただしい足音が響いた。その音は、まるで何かを切り裂くような緊張感を伴っていた。
「旦那様と奥様に、お話がございます!」
侍女エリーナの震える声が響き渡る。私の部屋に届くほどの大声だった。その声には、明らかな動揺と恐怖が含まれている。
私はその音を無視した。何が起ころうと、もはや私には関係のないことだ。世界が崩れようと、家が炎に包まれようと、私はただここに座っているだけだろう。
しかし、続く彼女の声が廊下を満たしたとき、耳を塞ぐことはできなかった。
「私……アリシア様が病気で臥せっていたとき、酷いことを……!」
その言葉が途切れ途切れに聞こえた。どうやら父と母に直接訴えているらしい。私は聞かないふりをしようとしたが、彼女の声が次第に高まり、その内容が耳に届いてしまった。
「私は……『アリシア様が亡くなれば、アルノー様とエリザベート様が結婚して丸く収まる』なんて言ってしまいました! 酷いことを、本当に、申し訳ありません!」
彼女の声は涙に詰まり、言葉が乱れている。その懺悔は、私にとって何の意味も持たない。過去に戻ることなどできないのだから。
「なんだと……?」
父の声が低く響いた。それは、怒りを抑えきれない瞬間の声だった。普段は穏やかな父が、その静かな威圧感を一気に放出する瞬間を、私は何度か見たことがある。そして今、その怒りが侍女エリーナに向けられている。
「お前……それが主に対して言う言葉か……!」
次に聞こえたのは、重い音だった。何かが強く叩かれる音――否、それは人が殴られた音だと直感的に分かった。
「屋敷から出て行け!直ぐにだ!」
父の怒声が響く。普段の彼とはまるで別人のようだった。廊下の空気が張り詰め、侍女たちが息を呑む気配が伝わってくる。
「申し訳ありません……申し訳ありません……!」
エリーナの泣き声が遠ざかる。彼女がこの家を去ることに、私は何も感じなかった。
ただ、廊下に戻った静寂が、何事もなかったかのように私の部屋に流れ込んでくるのを感じるだけだった。
その頃、外の世界では別の噂が広がっていた。
「アルノー様が、婚約者を追い込んだらしいわよ」
侯爵夫人たちが集う午後のティーサロン。窓辺から差し込む陽光がカップの縁を照らす中、ひそひそ声が広がる。
「病気で苦しんでいた婚約者を放っておいて、エリザベート様ばかり大事にしていたそうですの」
「まぁ、それはひどい……婚約者という立場がありながら、そんなことをするなんて」
彼女たちの言葉は、ため息と共に場を包み込む。明らかに非難の色が強いが、それを直接口にする者はいない。皆、少しずつ事実を装った噂を流し、それが広まるのを楽しんでいるのだ。
「しかも、婚約者が回復してからも何のお祝いもしないそうよ」
「確かにエリザベート様は美しい方だけれど……婚約者を放っておくなんて、あまりに軽率だわ!」
そうして噂は広がる。その中で、アルノー様の評判は次第に傷ついていく。彼の行動が軽率であること、婚約者に対する配慮が欠けていること、それらが人々の間で囁かれるようになる。
一方で、エリザベートにも微かな火の粉が降りかかる。
「まぁ、エリザベート様も、少しは遠慮すべきだったのではなくて?」
「おそらく彼女もそれを承知で、アルノー様の気を引いていたのでしょう」
そんな言葉が広がるのを、エリザベートが知るのはもう少し後のことだろう。
私はただ静かに、噂が広がっていくその空気を感じながら、部屋に座っていた。誰が何を言おうと、誰が何を思おうと、もはや私には関係がない。