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病床

熱い、痛い、苦しい


私の身体が壊れていく音がする。いや、正確には、それは音ではなく感覚だ。私という存在の端々が崩れ落ち、世界から薄れていくような感覚。


熱い、痛い、苦しい


時間がこんなにも長く感じられるものだとは知らなかった。


壁に掛けられた時計の針が刻む音が、重くのしかかる。秒針が進むたびに、私の体力が削られていくような気がする。


アルノー様はきっと来る――いや、来てくれるはず。何度も自分にそう言い聞かせる。彼は婚約者なのだから、私のこの状況を無視するはずがない。


「……来るわけないですよ」


耳元で低く響いた声に、心臓が跳ねたような気がした。振り返ると、侍女のエリーナが立っていた。淡々とした表情の中に、わずかな侮蔑が見え隠れする。


「どういう意味?」


声が震えた。まるで、何かを恐れるように。


エリーナは窓辺に立ち、外を見ながら肩をすくめた。その動きには一片の感情も感じられない。


「どうせアルノー様は来ません。何かお忙しいご用があるんでしょう。エリザベート様のような素敵な方とお過ごしになっているかもしれませんね」


その言葉は、胸を刺す棘のようだった。それでも私は平静を装う。今さら取り乱したところで、どうしようもないから。


「アルノー様は、私の婚約者です」


「ええ、そうですわね。でも、それも長くは続かないでしょう」


冷たく、淡々とした声が続く。


エリーナは振り返り、私の顔を真正面から見据える。その目は、まるで感情を失った湖面のように静かだった。


「だって、アリシア様が亡くなれば、アルノー様は喜んでエリザベート様と結婚するでしょうから」


胸の奥が氷のように冷たくなる。その言葉の意味を噛み締めようとするたびに、何かが崩れていく音がした。


「……そんなこと、あるはずがない」


反論する声が震えた。説得力の欠片もない、自分でもそう思うほど弱々しい声だった。


「本当に、そう思いますか?」


エリーナの口元に浮かぶ薄い笑みが、私の心に塩を塗り込む。彼女の言葉には一切の悪意がないのに、それが余計に辛かった。


「アルノー様が、あなたを愛していらっしゃると?」


彼が私を愛している――そんな希望を口にする勇気はもうなかった。けれど、彼に愛していないと言われるのは、なおさら耐え難い。


エリーナは再び窓の外を見やり、静かにため息をつく。


「まあ、アリシア様が亡くなれば、全て丸く収まるのですもの。アルノー様も、そしてエリザベート様も幸せになれるのですから。それに、アリシア様はどのみち長くは持ちませんよね?」


彼女の言葉が、私の胸を抉る。


どうして――どうして私は、こんなにも惨めなのだろう。


アルノー様を待つ。


来るはずのない人を待つ。


来ない理由を理解しながら、それでも彼の姿を求めてしまう。この矛盾が、私を蝕んでいく。


「……もう、いいわ」


消え入りそうな声で呟いた。けれど、それは誰に向けた言葉だったのだろう。自分自身? エリーナ? それとも――アルノー様?


侍女が部屋を出ていく音が響き、静寂が戻った。薄暗い部屋の中で、私は再び時計の音に耳を傾ける。秒針の音は、まるで私の命を数えているかのようだった。


その時、ふいに扉が開く音がした。


「アリシア、具合はどうだ?」


その声を聞いた瞬間、私は涙が滲むのを感じた。ようやく――ようやく彼が来てくれたのだ。

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