私は嘘をつきました。
お母様は私の父である夫のフリール男爵を愛していました。
フリール男爵は愛人を愛していました。
お母様の死後に後妻となった愛人は、以前と変わらず執事を愛しています。
私テッサは婚約者の伯爵家次男のルカ様を愛していました。
ルカ様は私の異母妹プラオダラを愛していました。
プラオダラは──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
学園の卒業パーティで婚約を破棄され、生家の男爵家からも絶縁された私は、とある神殿で修行者の日々を送っていました。
なにもかもが新鮮で楽しい毎日です。
最近は貴族令嬢だったときに身に着けた読み書きの技術で代筆業も始めました。私が神殿へ入ったのは行き場がなかったからです。商家だった母の実家は男爵家への莫大な援助のせいで不渡りを出し、今はもうありません。
神殿に依頼されて記した手紙の文字を気に入ってくださって、代筆者として勧誘してくださった商会があります。いつかここを出て自分でお金を稼げるようになったら神殿に寄進したい、そんな夢を抱きながら日々を過ごしていたころ、彼が私を訪ねてきました。
「……どうなさったのですか、ルカ様」
私の言葉にはふたつの疑問が含まれていました。
ひとつは、愛しいプラオダラと結婚してフリール男爵家へ婿入りした彼が、今になって私を訪ねて来るだなんてどういうことなのか、という疑問。
もうひとつは、彼がどうして杖を突いているのかという疑問です。
伯爵家次男の彼は我が家への婿入りが出来なかったときに備えて、学園で騎士爵を得ていました。
でも男爵家へ婿入りした以上、兵役の義務はないはずです。
男爵領でなにかあったのでしょうか。
彼は私に言いました。
「男爵家へ帰ってきてもらえないか、テッサ」
少し考えて、私は思い当りました。
「父……フリール男爵が後妻と執事の関係に気づいたのですか?」
「知っていたのか、テッサ!」
「……信じていただけないかもしれませんが、私は幼いころから人間の愛情を見ることが出来たのです。お母様は私の父である夫のフリール男爵を愛していました。男爵は金目当てで娶った正妻よりも愛人を愛していました。お母様の死後に後妻となった愛人は、結婚前からずっと執事を愛しています」
私は溜息をつきました。
「直情的な男爵のことですから、後妻の不貞を知ったことでプラオダラは自分の娘ではないと思い込んだのではないですか? 髪や瞳の色は違うけれど、あんなに男爵に似た娘なのに。それで、離れに監禁していた正妻が産んだ、自分の子どもでしかあり得ない私を連れ戻そうとしているわけですね」
本人が来ないで婿のルカ様を差し向けたのは、私が今も元婚約者の彼を愛していると思っているからでしょうね。
確かに私はルカ様を愛していました。
私の能力は自分にも効果があったのです。鏡を見ればいつも、ルカ様への愛情が見えていたのです。
ですがルカ様が愛していたのは──
「君は知っていたのか? どうしてなにも言わなかったんだ」
「こんなわけのわからない能力を信じてくださる方がいるでしょうか。それ以前に父や後妻、異母妹、あの親娘が我が家へ来てからのルカ様に私の言葉を聞く耳がおありだったのでしょうか?」
「……」
ルカ様は、私のお母様が亡くなってすぐに男爵家へ引き取られたプラオダラにひと目で恋をなさいました。
男爵が私を始末しなかったのは、母の実家の財産を最後の一滴まで搾り取るためと、ルカ様のご実家の伯爵家の目があったからでしょう。
どんなに愚かな行為でも、強行されてしまえば周囲の人間は巻き込まれずにいられません。卒業パーティでの婚約破棄の後では、伯爵家もルカ様とプラオダラの関係を認めざるを得なかったのです。
「私もプラオダラは男爵の娘だと思う。だが義父は受け入れないのだ。私のこの足は、男爵に殺されそうになった妻を庇ったときに折られてしまった。……もう治らない。男爵は君を連れ戻せば、君の子どもの母親としてプラオダラを生かしてくれると約束してくれた」
「……私はフリール男爵家へは帰りません」
「っ! こちらにばかり都合の良い話だったな。では君を復権して、跡取りとして迎え入れたのではどうだろう。……プラオダラの命だけでも助けてもらえたら、私は君の言うことをなんでも聞く」
「そうではありません。私は子どもを生せない体なのです。母を殺したのと同じ毒粥を食べていたので、内臓がボロボロになっているのです。この神殿へ入ったときに調べていただきましたので、神殿長様に申し出ていただければ診断書が手に入ると思います」
「毒粥……?」
「男爵の愛人は執事を愛していました。でも執事にとって愛人はただの金の生る木で、彼は男爵家の新人メイドを好んでいました。愛人が後妻になったのは男爵家の財産で容色を維持し、若い女が好きな執事を繋ぎ止めるためです。そして執事は愛人を後妻にしてプラオダラを跡取りにしたほうが巻き上げられる金が多くなると踏んで、先代男爵夫妻の死後は離れに監禁されていた私達へ、新米メイドに命じて毒粥を運ばせていたのです」
「毒粥だとわかっていたのに食べていたのか?」
「毒粥だとわかったというか、買うのに許可がいる鼠捕りの毒特有の匂いがしていたのです。私は母に食べないでとお願いしたのですが、母は男爵を愛しているうちに死にたいと望んで食べ続けました。私はこっそり捨てていたのですけれど……」
十分な栄養を取れていなかったので、痩せこけた私はよく後妻や異母妹に死に損ないの骸骨女と嘲笑されていましたっけ。
「貴方が……」
私はルカ様を見つめて言葉を続けました。
「ルカ様が異母妹を愛していると気づいた日から食べるようになったのです。元より生きるために虫でも苔でも食べていたせいか、母よりも若かったせいか、死ぬ前に婚約破棄されてしまいましたわ」
「……」
「私の診断書を持ち帰って、根気良く説得すればフリール男爵も彼女が自分の娘だと受け入れることでしょう。ご自身のお心に嘘をついてはいけませんわ、ルカ様。貴方はプラオダラを愛しているのですから、彼女を裏切るようなことを口にしては駄目です」
私は歌うように言葉を転がしました。
──お母様は私の父である夫のフリール男爵を愛していました。
フリール男爵は愛人を愛していました。
お母様の死後に後妻となった愛人は、以前と変わらず執事を愛しています。
私テッサは婚約者の伯爵家次男のルカ様を愛していました。
ルカ様は私の異母妹プラオダラを愛していました。
プラオダラはルカ様を愛しています。
「悲しいことに愛情の多くは一方通行です。ルカ様とプラオダラはせっかく両思いなのですから、その関係を大切になさるべきですわ」
「妻は、プラオダラは君達親娘を母親とその情夫が毒殺しようとしていたことを知っていたのだろうか」
「私は存じません」
「……男爵は……」
後妻と執事は、おそらく男爵に殺されたのでしょう。
直情的な彼が怒りに任せて行動してしまったことは間違いありません。
ですが、それは不貞に対する怒りだけではなく、知らぬ間に殺人の片棒を担がされていたと知ったことへの怒りもあったのではないでしょうか。おそらく暴力で殺したであろう後妻と執事は事故死に見せかけられますけれど、毒殺された母の遺体を検死されたら言い訳が出来ませんもの。
もっとも先代男爵夫妻だった両親が死んだ途端、私達を離れに監禁して、正妻の実家からの援助で愛人と異母妹を囲っていた時点で、男爵こそが諸悪の根源なのは間違いありません。
私の母が亡くなるまで愛人親娘を家に引き入れなかったのは、それをしてしまったら母の実家が法に訴えてでも私達を取り戻すだろうと思ったからでしょう。
邸内で監禁しているだけならば、外に情報が漏れないように誤魔化せましたからね。
学園へ通うときと婚約者だったころのルカ様との交流お茶会のときだけ、私は離れから出ることが出来ました。
彼の瞳がプラオダラだけを映すようになっても、そこに私がいないかのように異母妹とばかり会話していても、私はルカ様の横顔を見つめられるだけで幸せでした。
しばらくの沈黙の後、ルカ様は言いました。
「診断書をもらって男爵家へ帰るよ。男爵が納得してくれるよう努力する」
「ええ、頑張ってくださいな」
嘘つきの私は、笑顔でルカ様を見送りました。
私は嘘をつきました。
ルカ様の愛情も一方通行なのです。
プラオダラが愛しているのはルカ様ではありません。後妻に言われたのと将来のために異母姉の婚約者を誘惑しただけで、異母妹が愛しているのは、私の母が亡くなるまで自分の母親と一緒に下町で囲われていたころから変わらず幼馴染の青年なのです。
ルカ様はいつ、それに気づくでしょうか。
自分に少しも似ていない子どもが生まれたときでしょうか。プラオダラが大切にしている宝石箱の中に隠された恋文を見つけたときでしょうか。
今日──私との対談が早く終わって帰った男爵家で、彼のいない隙にと幼馴染の青年を連れ込んだプラオダラのあられもない姿を目撃したときでしょうか。
私に見えるのは愛情だけです。
すべてを知る能力など持っているはずもありません。
プラオダラが両親と執事の目を盗んで幼馴染の青年と密会していた使われていない裏口が、離れの近くにあっただけなのです。体が弱り切っていると眠ることさえ苦痛になります。彼女達に死に損ないと嘲笑われていた私は、真夜中の微かな物音にも眠りを破られていたのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──ルカ様との再会から数ヶ月経ったころ、
「フリール男爵家が潰れてしまったそうだよ」
「あらまあ、そうですの」
他人事のように言葉を返しましたが、神殿を出た私を代筆者として雇ってくれた新進気鋭の商会の会頭であるヨハンは、私の出自を知っています。
「婿が不貞を働いていた跡取り娘と情夫を殺して、その捜査中に当主が前妻と後妻と執事を殺していたこともわかったらしい。婿の実家の伯爵家もこれから大変だろうね」
「息子の婚約破棄を認めたのですから、婿入り先の家の事件に巻き込まれるのは仕方がありませんわ」
伯爵家はフリール男爵家に目を光らせていましたけれど、私や母を守るためというよりも男爵家の弱みを見つけて金を搾り取るためでしたので、同情する気はありません。
ヨハンは私が清書していた取り引き先への手紙を覗き込んで言いました。
「やっぱりテッサの文字は綺麗だな。神殿からの手紙の字を見て一目惚れしたんだ。我が商会の代筆者になってくれて嬉しいよ」
「私こそ嬉しいです」
「文字だけじゃなくて、その……神殿へ入ったばかりのときよりも元気そうで……き、綺麗になって良かったな、テッサ」
「ありがとうございます」
今の私は死に損ないの骸骨女ではありません。
神殿で解毒治療をしてもらい栄養のある食事を食べて、監禁されない健康的な生活を送ったおかげです。神殿から出るときには、少し痩せてはいるものの健康体だと保証してもらえました。
ルカ様が持ち帰ったのは、神殿へ入ってすぐのころの診断書なのです。
異母妹を愛するルカ様は再会してもなんの反応も示しませんでしたが、ヨハンは文字だけでなく今の私も褒めてくれるのです。私は彼を……愛しています。
愛情が見えるという自分の能力を疑ったことは、これまで一度もありませんでした。
でもヨハンが私へ向けてくれる愛情を見ると不安になるのです。
これは自分が作り出した妄想に過ぎないのではないか、と思ってしまうのです。
「今度の休みにふたりで祭りに行かないか、テッサ。あ、雇用主としての命令じゃないぞ? お、男ヨハンとして、女性テッサへのお誘いなんだ」
「……はい、喜んで一緒に参ります」
それでも、私に見える愛情が幻だったとしても、愛情がすべて一方通行なものだとしても、私がヨハンを愛している気持ちは真実です。
真実でありたいと願っています。
この気持ちにだけは嘘をつく気はありません。
<終>




