真実の愛のまぬけ
「ソニア。僕が君を愛することはない。僕には真実の愛の相手がいる」
ルイス様にそう言われたのは、初夜の床ででした。
彼の家と私の家はどちらも伯爵家で、ルイス様の家の領地にある宝石鉱山で採掘された石を我が家に仕える細工師が加工して、この王国だけでなく大陸中で販売していました。
両家のつながりは深く、私達は早くから婚約していたのです。
早くから婚約していたので、私は彼の真実の愛のお相手を知っていました。
彼のお父様が再婚した相手の連れ子、彼の義妹に当たるアロガンシア様です。
美しい銀髪に紫の瞳の彼女と出会ったルイス様は、ひと目で恋に落ちたのです。
ええ、彼の気持ちはわかっていました。
この王国の貴族子女が通う学園の同級生もきっと、私ではなく彼女が彼の婚約者だと思っていたことでしょう。
それくらいふたりはいつも一緒だったのです。
「……」
私は微笑んで、彼に言葉を返しました。嘘偽りのない正直な気持ちです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「なんのご用ですの?」
私は首を傾げて、王都の我が家の応接室で長椅子に腰かけたルイス様を見つめました。
彼とは一年以上前に離縁しています。
三年間の白い結婚の末の離縁です。結婚生活のことは思い出したくもありません。彼の家の離れにはアロガンシア様がいて、使用人達はみんな彼女の味方でした。
なにか言おうとしては唇を閉じていたルイス様の視線が、私の指で止まりました。
「……君の瞳と同じ色の宝石だ」
「ええ、母の形見です。母もこの青玉と同じ色の瞳でした。……この宝石はルイス様のご領地の鉱山で採掘されたものです」
「ずっとつけていたのか」
「母の形見ですもの。六歳で亡くなった母から譲り受け、指に合わなかったころからずっと肌身離したことはございません」
「……」
ルイス様は応接室の机の上に、小さな栞を置きました。
青い押し花を貼った栞です。
じっくり見なければ、紫色の花だと思う人もいるかもしれません。
「これは君が僕に送ってくれたものだったんだね」
「はい。伯爵家の子どもだけのお茶会で私が落とした指輪が烏に奪われたとき、石を投げて烏から取り戻してくださった貴方への感謝を込めて作りましたの。……手紙にも書いていたと思うのですが」
「手紙が届いた直後に僕の母も亡くなって、家の中が落ち着かなかった間に手紙のほうは無くしてしまったんだ。この栞は……大切に持ち歩いていたのだけれど」
「そうですか。ルイス様のお宅はいろいろと大変でしたものね。お母様の喪が明けたと思ったら、アロガンシア様達がいらっしゃって。……あの方はお元気ですの?」
知っていたけれど、私はあえて尋ねました。
「アロガンシアはモレノ侯爵と駆け落ちした。彼女と再婚したときにこの栞を見せたら、よく見たら自分が渡した花とは色が違うと言い出して……それでも一緒に生きて行こうと誓っていたのだが、彼女の初恋の相手はどうもモレノ侯爵のほうだったらしい」
「モレノ侯爵はご結婚なさっていたのではありませんか?」
「だからこその駆け落ちだ」
学園時代、アロガンシア様に散々自慢されました。
ルイス様が私の婚約者であっても、真実の愛で結ばれているのは自分達なのだと、互いが互いの初恋相手なのだと。
アロガンシア様がお婆様の形見の指輪を落として探していたときに見つけてくれたのがルイス様で、彼女は彼にお礼として自分の瞳と同じ紫色の花を渡したのだと。ルイス様はその花を押し花にして、大切に持ち歩いているのだと。
よく似ているけれど微妙に違う想い出は、恋に恋するふたりの中では同じものになっていたのでしょう。
私は、私の指輪を取り返してくださったのとは違うときに、ルイス様がアロガンシア様を助けたのだと思っていました。
そして彼にとっては、アロガンシア様との想い出のほうが大切だったのだと受け入れました。採掘量が減って屑宝石しか採れなくなった鉱山を憂うルイス様のお父様に頼み込まれなければ、学園を卒業する前に婚約を解消していたことでしょう。いいえ、初夜の床であんなことを言われると知っていたら、なにがなんでも解消していました。
ルイス様が家のために私との縁談を受け入れたと嘘をついた彼のお父様は、今はもうこの世にいらっしゃいません。
死病だったのです。あの方が重病でなければ、父や兄も積極的に婚約解消に向けて動いてくださったでしょうに。
アロガンシア様の母親は、ルイス様のお父様よりも前に同じ病気でお亡くなりになっています。
「アロガンシア様とは?」
「彼女が離縁届けを置いていったので手続きはした。それでもモレノ侯爵家にはアロガンシアの元夫として義兄として、管理責任を取れと言われている」
「当然でしょうね。もしかして屑宝石を売りにいらしたのですか? 我が家とルイス様のお宅の契約は私達が離縁した時点で終了しています。再契約をお望みなら、父か兄にご連絡くださいませ」
「……ソニア!」
「今の私とルイス様は赤の他人です。名前を呼び捨てにするのはやめてください」
「す、すまない、ソニア嬢。……僕達はやり直せないだろうか」
私はあの初夜の床でのように微笑んで、彼に言葉を返しました。嘘偽りのない正直な気持ちです。
「私、無能なまぬけは好みではありませんの」
ルイス様の目の前に広げた手を翳して、言葉に合わせて指を曲げていきます。
「ひとつ、愛する人との結婚を親御さんに認めさせることが出来ない。
ふたつ、家を捨てて自分だけの力で愛する人とともに生きて行くことも出来ない。
みっつ、家に残ると決めたくせに政略結婚の相手を尊重することも出来ない」
あの夜はここまででしたが、今回の再会で曲げる指が増えました。
「よっつ、散々周囲を振り回しておきながら真実の愛を守り通すことも出来ない。
いつつ、そもそも真実の愛自体が勘違い」
泣きそうなお顔のルイス様に告げます。
「ここまでの無能なまぬけは、なかなかいらっしゃらないのではないですか?」
そのとき応接室の扉が叩かれました。
私の新しい婚約者であるエステバン様のご訪問だと使用人が告げてきます。
ルイス様にも話があるということで、エステバン様が応接室へお入りになりました。
「やあ伯爵。君の義妹がモレノ侯爵に殺されたよ」
エステバン様の言葉を聞いて、ルイス様が目を丸くしました。
「ちなみにモレノ侯爵は、下町の隠れ家に訪ねてきた父親の先代侯爵も殺して自害した」
「どうして、そんな……」
「伯爵の義妹に夢中な男達だけ知らなかったというのも面白いね。君の義妹の母親は男爵夫人だった。アロガンシア嬢の生まれたばかりの弟を病で喪った彼女は、母乳が出なくて困っていたモレノ侯爵夫人の次男の乳母だったことがあるんだ」
「モレノ侯爵に弟がいらっしゃいましたか?」
ルイス様の言葉が丁寧なのは、エステバン様が大公家のご子息だからでしょう。
「今はいない。夫の先代侯爵と乳母の浮気を知った侯爵夫人が次男の命を奪って自殺……事故死なさってしまったからね」
この王国の宗教を取り扱う神殿では自殺が禁忌とされています。
当代モレノ侯爵の死も事故として扱われるのではないでしょうか。
アロガンシア様と先代侯爵の殺害も侯爵家の力で事故にしてしまうでしょう。人の口に戸は立てられませんし、義兄としてルイス様が訴え出たらべつですが。
「出産で母乳が出なくなるほど体力が衰えていたのに、そんなとき夫に浮気されたら逆上もするよ」
「アロガンシアの母親が前の夫に離縁されたのは、そのせいだったのですか?」
「たぶんね。でも君の父君には衰弱しておかしくなっていた侯爵夫人の誤解だったとでも言っていたんじゃないかな?」
「悪い女性に罠に嵌められて離縁することになった、そう聞いていました」
「彼女にとってはそれが真実なんじゃないかな? モレノ侯爵とアロガンシア嬢が恋に落ちたのは、そのときだったんだろうね。そうでもなければ幼い侯爵令息と男爵令嬢が出会う機会なんかないもの」
「モレノ侯爵は父君に真実を教えられて犯行に及んだということでしょうか」
「そうじゃないかなあ。先代侯爵には先代侯爵の言い分があったんだろうね。少なくとも先代侯爵は真面目な愛妻家として知られていたし、それ以降アロガンシア嬢の母親とは会っていないはずだから、彼女経由で先代伯爵に性病を移して死に追いやったのは先代侯爵じゃないと思うよ」
「……っ」
私は心の中で新たな指を曲げました。
どうやらルイス様はお父様の死因もアロガンシア様の母親の死因もご存じなかったようです。
彼の心痛を思って家令が告げなかったのかもしれません。お父様が亡くなった後の伯爵家にはルイス様しかいらっしゃらないのですから、こんな不名誉な死因を知って落ち込まれても困るでしょう。
「そうだ、さっき自己紹介はしたけど言うのを忘れていたよ。私はソニアの婚約者だ。学園で同級生だったとき、婚約者の君とアロガンシア嬢が恥も外聞もなく睦み合っている姿を見ても気丈に振る舞っていたソニアを見て恋に落ち、家のものが持ってくる縁談を拒んで想い続けていた。伯爵、君が彼女と離縁してくれて嬉しいよ。でも結婚前に婚約解消を受け入れてくれていたら、もっと嬉しかったんだがね」
「もしかして……いえ、すみません」
「私がソニアに釣り書きを送ったのは、君と離縁してからだ。私は君と違って、愛する女性を周囲に浮気女と罵られるような状況に落とす趣味はない」
「……」
離縁をしても絶縁まではしていないので、義兄としてアロガンシア様の遺体を引き取りに行くと言って、ルイス様は我が家を去りました。
駆け落ちするほど強く想っていたはずなのに、母親達のことを知ったくらいでアロガンシア様を殺害したモレノ侯爵も、私の中では『無能なまぬけ』になりました。
学園時代、私をアロガンシア様の敵だとでも思っていらしたのか、当時は跡取りだったモレノ侯爵に何度か睨みつけられたことはございますが、お話する機会は一度もございませんでした。もちろん、これからもないでしょう。
隣に座っていたエステバン様が、私の肩に頭を預けてきます。
「……あーあ。伯爵家の子どもが集まったお茶会に参加してたら、私が君の指輪を取り返していたのになあ」
「大公家のご令息が現れたら、みんな緊張してお茶会どころではなくなってしまいますわ。それに、子どもの初恋と培った愛情はべつですもの」
「そうだよね。伯爵が初恋の相手じゃなくたって、それまで恋人同士として過ごした日々が消えるわけじゃないだろうにね。ソニアの家との契約が無ければ存続が危ないほどの経済状況がわかってたら、あの女はもっと早くに姿を消してた気がするよ」
「そうかもしれませんね」
「君がアイツと会ってるって知って、情報を教える振りをして先触れもなしに押しかけて来た私も『無能なまぬけ』かな?」
エステバン様に求婚されたとき、初夜の床でルイス様に言われたことと私がどんな言葉を返したかはお教えしていました。
「……貴方は『無能なまぬけ』なんかじゃありませんわ。貴方は私の愛しい婚約者です」
「良かった」
応接室にいる我が家の使用人達がわざとらしく顔を逸らしてくれたので、私とエステバン様はキスをしました。
一度は不幸な結婚をしてしまった私ですが、今度はきっと幸せになれると思います。
だって私の新しい夫は『無能なまぬけ』ではないのですもの。
<終>