君がいなければ
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティ。
王太子の隣に立つのは婚約者の侯爵令嬢ではなかった。
彼に寄り添っているのは男爵令嬢と呼ばれている魔女だった。魔女に魅了をかけられて、その青い瞳から光を失っている王太子が唇を開いた。
「侯爵令嬢よ! 僕は君との婚約を破棄する! 僕にはもう君は必要ない。君がいなければ……君が……」
そのとき魅了が解除された。
光が戻った青い瞳が涙に濡れる。
王太子は床に膝をつき、両手で顔を覆った。彼が身に着けていた、耐性を弱めて魅了にかかるための呪いの魔道具も壊れて床に転がる。
「駄目だ。僕は君がいなければ駄目だ。君を解放してあげなくてはいけないと、自由にしてあげないといけないとわかっているのに、先生に魅了をかけてもらって誘導してもらってさえ、僕は……」
魔女の魅了によって抑えられていた侯爵令嬢への想いが蘇り、王太子の魔力が彼女に注がれる。
数ヶ月前、ふとした事故で命を喪ってしまった侯爵令嬢の幽霊が王太子の魔力によって姿を取り戻す。
神の御許へ昇るべき彼女を現世に縛り付けていたのは、婚約者である王太子の執着だった。
このままでは侯爵令嬢は悪霊になってしまうかもしれない。
それを恐れた王太子自身が、魅了を研究していた学園教師の魔女に依頼して魅了をかけてもらい侯爵令嬢への想いを封じ込めていたのだが、幼いころからの婚約者へのあまりに強い愛情が魅了を打ち砕いてしまったのだった。
この王国の王家の血筋は愛するものへ強い執着心を持つことで知られている。
「……もう良いのではないですか?」
そのとき、在校生代表でもある第二王子、王太子の弟が足を踏み出して言った。
「兄上は義姉上を愛していらっしゃるし、義姉上もそうだ。実体がなく透き通っていても光り輝くお体に邪気は感じられない。伝説に出てくる清く神聖な精霊のような存在になられているのではないでしょうか」
第二王子は卒業パーティを見守っていた自分の両親、国王夫婦に告げる。
「このまま兄上が王となり、義姉上が王妃になったので良いのではないですか? 兄上を愛する義姉上が悪霊になられるとは思えない。我が国には精霊の王妃がいる、それで良いではないですか」
熱く語る第二王子を見つめる卒業生在校生、招待客の瞳は冷めている。
この王国の王家の血筋は愛するものへ強い執着心を持つことで知られている。
独占欲の強い第二王子が、自分が兄に代わって王になることで婚約者が王妃となり国母として民に慕われるのを望んでいないと、だれもが知っていた。
とはいえ、王太子が今からべつの女性を妃として受け入れるとは思えない。
王太子の依頼を受けて魅了をかけていた魔女だけれど、魅了が解けていなくても王太子の瞳に魔女への愛が灯ることはなかった。魅了というよりも王太子の侯爵令嬢への愛情を抑えるための洗脳でしかなかったのだ。
どこからともなく拍手の音が響き始め、この王国に未来の精霊王妃が誕生した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
呼ばれているだけでなく、魔女は本当に男爵令嬢であった。
古今東西の伝説には魅了の力を持つ男爵令嬢が出現する。
魔女の家系でも、無意識に発動して制御出来ない魅了の力を持つ人間が先祖の姉妹として生まれたことがあった。彼女は学園在学時に問題を起こして処刑された。
そんな悲劇が繰り返されないよう、魔女は魅了の研究をしていたのだった。
学園在学時から研究を始めて、最近やっと形になって来たと思っていた。
しかし王太子の婚約者への愛情は簡単に魔女の魅了を打ち砕いた。
学園職員寮の食堂で、酒杯を揺らしながら魔女は同僚教師に尋ねた。
今は卒業パーティの後、真夜中である。
食堂にはふたりしかいない。
「……王太子殿下の婚約者への愛情が強過ぎただけで、私に魅力がなかったから魅了の力が弱かったわけじゃないわよね?」
「どうだろうな」
同僚教師は公爵家の次男坊である。
魔女とは同級生で、学園在学時から魔法研究の莫迦ふたりとして知られてきた。
美しい見た目の同僚教師は貴族女性に人気があるのだが、魔女は彼の浮いた噂を聞いたことがない。
「ねえ、貴方に魅了をかけてみても良い? すぐに解除するから」
「無駄だ」
魔女は頬を膨らませた。
もう良い年齢で、実家にいると家族が結婚結婚とうるさいので職員寮に入ったのだけれど、同僚教師と一緒にいると学生のころに戻ってしまう。
「それは私に魅力がないから、貴方は魅了にかからないってこと?」
「違う」
「じゃあどういう意味よ」
「私はもう君に恋をしているから魅了をかけられても変わらない。だから実験しても意味がないということだ」
「……は? な、なによそれ、知らないわよ?」
「今初めて言ったからな。学園時代の君は一心不乱に魅了の研究をしていただろう?」
「ご先祖の姉妹の話を聞かされて育ったからね。自分が無意識に魅了の力を発動して周囲を操ったりしないように、制御の方法を探して必死だったのよ。……もしかして私、気づかない間に貴方を魅了していたってこと?」
同僚教師は首を横に振り、自分の酒杯で唇を湿らせる。
「それはない。我が王国の王家の血筋は魅了に耐性を持っている。だから王太子に魅了をかけるときも、彼の耐性を弱めるために呪いの魔道具を大量に着けさせたのだろう?」
魔女の先祖の姉妹のときも魅了されたのは王族ではなく、他国からの留学生だった。
もっともだからこそ処刑されてしまったのだけれど。
幸い無意識の発動で制御出来なかったということが考慮されて、男爵家までは潰されなかった。
「私が君に恋をしたのは、私自身の心の導きだ」
「そ、そう。どうして今まで言わなかったの?」
「君は魅了の研究に夢中だったからな。君の研究に区切りがつくまでは言わないでおこうと決めていたんだ。愛する人の邪魔をしたくはない」
「……ありがとう」
どんなに研究していても、実際に人間相手に使ってみなければ魅了の効果はわからない。
今回王太子からのたっての願いで、本来は違法行為である精神魔法の人体実験が出来たのは、魔女の研究にとって大きな一歩だった。
たとえ導き出された結果が、我が国の王家の執着心は魅了よりも強い、ということであっても。
「では結婚しよう。式はいつにする?」
「なんで話が一気に飛ぶの!」
「君は私が嫌いか?」
「嫌いだったら学園時代からずっと友達付き合いはしてないわ。でも……こういう告白っていうのは会話のついでじゃなくて、もっときちんと言って欲しいものなのよ」
同僚教師は微笑んで席を立ち、魔女の前に跪いた。
「君が好きだ。私と結婚して欲しい。君がいなければ私の世界に光はないんだ」
「大げさね。でも……わかったわ、私も貴方が好きよ」
手の甲にキスを落とされながら、魔女は考える。
学園の入学式でひと目惚れした公爵令息に優しくされて、自分が無意識に魅了を使ったのではないかと思って怖かったから研究を始めたということは、いつごろ話せば良いだろうか、と。
そして、これからも自分達の子孫のために研究を続けていきたいということは認めてもらえるだろうか、と。
なにしろこの王国の王家の血筋は、愛するものへ強い執着心を持つことで知られているのだ。
公爵家は王家から分かれた血筋である。
恋人になる前は研究に夢中な魔女を応援してくれていた公爵家次男坊の同僚教師は、恋人になっても魔女が研究に夢中なことを受け入れてくれるものだろうか。
(魅了の研究は一生続けたいのよねえ……)
思いながら魔女は、学園職員寮の食堂で唇にまでキスして来ようとしてきた恋人の鼻を指先で弾いた。
<終>




