お似合いのふたり
「私には愛するものがいる。君を愛することはない」
初夜にそう言われて一ヶ月後、私は旦那様の後を追って下町へ行きました。
もちろん実家から連れて来た侍女と護衛は同行させています。
旦那様は私の実家からの援助で下町に愛人を囲っているのです。
私と旦那様は幼馴染でした。
互いの家の領地が隣り合っていたのです。
ふたりが年ごろになったとき、同じ伯爵という爵位だったことで極自然に婚約が結ばれました。我が家にはなんの益もない縁談でしたが、隣の領地が潰れたら被害を受けて共倒れになる可能性も大きいですし、なにより私は旦那様をお慕いしていました。
旦那様も私をお嫌いではなかったと思います。……後に愛人となる彼女が現れるまでは。
自惚れでしょうか。
旦那様は最初から私をお嫌いだったのでしょうか。私との婚約を最初から厭っていたから、伯爵家の下働きとして雇われていた彼女に心を移したのでしょうか。
そんなことを考えながら、私は囲われている家から飛び出して旦那様に飛びつく彼女の姿を瞳に映しました。
幼い旦那様が私の黒い瞳を美しいと言ってくださったのは、事実ではなく夢だったのかもしれません。
その日、私は旦那様が伯爵家へと戻っても愛人の囲われている家の近くの路地に立ち尽くしていました。
泣いて泣いて狂ったように笑った後で思ったのです。旦那様と彼女はお似合いだと。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お帰りなさいませ、旦那様」
伯爵家の玄関で旦那様を迎えたのは、私どもが結婚して一年と数ヶ月が経ったころでした。
この王国の法律では、一年間の白い結婚で離縁が認められます。
嫁ぎ先の伯爵家の財政は、結婚前からの援助と結婚後の私の運営で立ち直っていました。もう私がいなくても大丈夫でしょう。
「……?」
不機嫌そうに顔を背けた旦那様が、私の後ろに立つ男女に気づいたのか視線を戻してきます。
初夜に冷たい言葉を投げかけられても、私は期待を抱いていました。嫁ぎ先の伯爵家のために頑張っていれば、いつか幼い日のように旦那様に愛していただけるのではないかと。
そんなことは無理だと理解したのは、旦那様が愛人と抱き合う姿を見たときでした。
「旦那様、彼女達を見つけました。これで私が彼女に害を為したのではないとご理解いただけたことと思います。……離縁届にご署名をお願いいたします」
数ヶ月前やっと一年が過ぎて条件を満たしたので、私は旦那様に離縁を申し出ました。
ところが、ちょうどその日に旦那様の愛人が行方不明になっていたのです。
離縁を決意した私が愛人に害を為すはずなどないのに、旦那様は私のせいだと罵って彼女が見つかるまで離縁はしないとおっしゃったのです。私の実家からの援助目当てで、わざと彼女を隠したのではないかと疑ったりもしたのですけれど、旦那様はそこまで腐ってらっしゃらなかったので安堵いたしました。……以前は愛していた方なのですもの。
「私になにも言わずにいなくなって、これまでなにをしていたんだ。……その男はだれだ?」
男女の前に立つ私が存在していないかのように、旦那様が愛人に尋ねます。
彼女はこの数ヶ月、隣の我が家の領土に逃げ込んで楽しい新婚生活を満喫していた愛しい男を背中に隠しました。
ちなみに彼女達を見つけてくださったのは私のお父様です。そもそも旦那様の伯爵家の経済状況が悪化してから、我が家の領土に逃げ込んでくる人間が多くて困っていたのです。最近は減ったものの、勝手に入り込んで暮らし始める人間を見つける仕組みは残っています。
「君に兄弟はいないはずだな? 家族や親せきも数年前の疫病で喪ってしまったと言っていただろう?」
その疫病が旦那様の伯爵家の経済状況悪化の原因でした。
我が家のように乗り越えられなかったのは、最初期に旦那様のご両親が亡くなられてしまったからです。
おふたりの葬儀で、幼いながらに伯爵家の当主となった旦那様が涙を堪えて喪主を務めているのを見て泣いてしまったことを覚えています。
そう、あのときです。
涙に濡れた君の黒い瞳は宝石のようだと、旦那様に言われたのは。
……いいえ、それは泣き疲れて眠ってしまった私が見た夢だったのかもしれません。
旦那様の愛人は震えながら唇を開きました。
「ダーンはダーンよ。あたしの幼馴染で恋人」
「恋人? なにを言っているんだ。君は私の……」
「お金のためだったの!」
彼女は叫びます。
「ダーンはあのときの疫病で死ななかったけど、後遺症で働くことは出来なくて。だからあたしが伯爵家で下働きをして……でも薬を買うお金にもならなかったから、コ、コルネーリスの愛人になればお金がもらえると思って……」
コルネーリス。
そうでした、それが旦那様の名前です。
旦那様が彼女に恋をしてから呼んだことがありません。一度だけ呼んだとき、振り向いた旦那様に不快そうなお顔をされてから呼ぶのをやめたのです。きっと彼女だと思って振り向いたら私だったので、嫌な気分になられたのでしょう。
「ああ、そうだ! 君は私の愛人だ! 妻の実家からの援助で君を囲っていたんだ! 君が望むだけの金額を与えるために、私は愛してもいない妻と結婚したんだ!」
家族は婚約を白紙撤回してしまえと言いました。
旦那様の伯爵家が潰れても、なんとかして見せると言ってくださいました。
いくら長年の付き合いがあるといっても、愛人のいる男に私を嫁がせたくはないと言ってくれたのです。
旦那様の愛人が泣きながら頭を振ります。
涙に濡れた彼女の瞳を美しいと思えないのは、吹っ切ったつもりでいても嫉妬心が残っているのでしょうか。
呆然としたお顔の旦那様と泣きじゃくる愛人はどう見てもお似合いなのに。
「ダーンは後遺症から回復したの! だからあたし、もう愛してもいないコルネーリスに抱かれるのは嫌! 貰ったお金は返すから、愛人をやめさせて!」
「愛してもいない……」
愛してもいない私と結婚して愛人を囲っていた旦那様。
愛してもいない旦那様に囲われて、恋人を養っていた愛人。
ほら、とってもお似合いのふたりです。
恋人のために必死だった愛人に迫られて旦那様は陥落したのです。
幼くして伯爵家の当主となり苦汁を舐めてきた旦那様にとって、無償の愛を向けてくれたように見える彼女の存在は救いだったのだと、旦那様を大切に思うこの家の使用人達が教えてくれました。
愛人が恋人の存在を隠しきっていなければ、もっと早く使用人達が彼女を排除していたことでしょう。
「旦那様」
「……」
やっと私の存在を思い出したのか、旦那様が私を見つめます。
愛人の恋人はなにも言いません。
彼はもうすっかり健康体のはずです。一年と少し前、愛人の家から旦那様が帰った後、帰路に就く気力もない私の眼前で愛人と抱き合うほど元気だったのですしね。この一年の愛人生活は、逃亡後に安楽な生活を送るための資金稼ぎだったのではないでしょうか。
「旦那様、彼女を見つけたので離縁届に署名をしてくださいませ」
「……君も私を捨てるのか」
私は旦那様に微笑みました。
「捨てられたのは私のほうではありませんか? 愛するもののいる貴方を愛することは出来ません」
お父様の使いが見つけた愛人達を連れて来てくれた時点で、私の荷物はまとめています。
旦那様に署名をもらって、私は侍女と護衛とともに帰路に就きました。旦那様……いいえ、隣の領地の伯爵とその愛人と愛人の恋人のことは、彼ら三人が解決するでしょう。
実家へ戻ったら少し泣いて、この一年に寄せられた釣り書きを眺めてみましょう。伯爵と愛人のようにお似合いのふたりにはなれなくて良いので、私を愛してくれる方……いいえ、私が愛せる方と出会えると良いのですが。
<終>




