真実の愛ならば
ヘンドリック様へ
初めてのお手紙ありがとうございました。
真実の愛のお相手とのご結婚おめでとうございます。
なんのお祝いもしなかったこと申し訳なく思っております。
とはいえヘンドリック様達は結婚式をなさいませんでしたし、そもそも私との結婚式を壊して結ばれたおふたりに、なにかを贈呈するのも違いますわよね?
不貞と結婚式中止の賠償金ですら、まだいただいてはいませんもの。ええ、我が子爵家が貴方達にお祝いをする義理などございませんでしたわ。
それにしても驚きましたわ。
ヘンドリック様にお手紙をいただくなんて!
だって婚約していた間は一度もくださらなかったではありませんか。
誕生日も、長期休暇で離れているときも、私がタチの悪い風邪に罹って寝込んでいたときも、お見舞いにいらっしゃるどころか花さえ贈ってくださらなかったではありませんか。
ええ、ええ、わかっております。ヘンドリック様には真実の愛のお相手がいらっしゃいましたものね。学園でも街中でも、貴方の隣にいらっしゃるのはいつもあの方でした。
伯爵令嬢だったあの方のご実家は、貴方のお父様が治めていらした侯爵領のお隣に領地があるのでしたかしら。
彼女は大切な幼馴染……婚約者の私よりもあの方を優先していることを咎めると、貴方はいつもそう言って私を睨みつけてきましたね。
伯爵家は貧しく、ヘンドリック様のご実家だった侯爵家でも救うことは出来なかった。
学園を卒業したら老いた豪商のもとへ後妻として嫁がなければならない彼女が可哀相だとは思わないのか、そうもおっしゃっていましたね。
あのときは黙っていましたが、私はあの方を可哀相だと思ったことはございません。
老いていらっしゃるとはいえ豪商の後妻となれるのなら幸運ではありませんか。
貧しい平民でしたら学園生活を楽しむことも出来ずに娼館へ売られてしまいます。
運良くだれかに身請けされて愛妾となっても、容色が衰えたら簡単に捨てられてしまいます。
貴族の血筋を買われて、ちゃんと後妻として迎えられただけでも幸せだったのではないでしょうか。
貴方達のご実家よりも格下の子爵である我が家が裕福なのは、貴方達のような幸運のせいだけではありません。
子爵家と領民が一丸となって厄災を乗り越えて来たから豊かになったのです。
時代の変化に気づかず高い爵位に胡坐をかいて、領民からの税を貪るだけだった貴方達のご実家が落ちぶれてしまったのは当然のことです。
ヘンドリック様、本当は貴方もとても幸運だったのですよ。
もっとも貴方にとっては、美しく妖艶なあの方とはまるで違う地味な私を妻にするのは、侯爵家の借金の返済と引き換えでも耐えがたいことだったのでしょうけれど。
先ほど初めてのお手紙と書いたこと、ヘンドリック様は不思議に思われたのではありませんか。
結婚式の前に一度だけ、私宛ての手紙をお書きになられましたものね。
学園を卒業して半年ほど経ったころでしたか、ひと足早く豪商に嫁いだあの方との関係を貴方が続けていたことに気づいた私に婚約破棄を申し出られて、焦ったお父様の侯爵に怒られて。
ええ、届きましたわ。……私宛ての封筒は。
でも中身が私宛てではなかったんですの。貴方は、あの方宛てにお書きになったお手紙を間違えてお入れになられていたのですわ。
他人宛てのお手紙を読む趣味はございませんので、私は新しい封筒にあの方宛てのお手紙を入れて豪商のお宅へ届けさせました。
封筒に宛て名は書きませんでしたわ。
だって貴方の筆跡でなかったら、あの方は受け取ってくださらないのではないかと思ったんですもの。
手紙を届けてくれた人間は、そのときあの方はいらっしゃらなかったと言っていました。
ちょうど私とヘンドリック様の結婚式の前日でしたわ。貴方も王都の侯爵邸にはいらっしゃらなかったそうですね。おふたりともどちらへ行っていらしたのかしら。
老いた豪商は宛て名のない封筒をご自分宛てのお手紙だと思われたのかもしれませんわね。多忙で人脈の広い豪商でいらしたのですから、差出人のお名前のないお手紙をもらうのも珍しいことではなかったのではないかしら。
豪商があの方宛てのお手紙を読んだとしても彼のせいではありませんわ。
それにご夫婦だったのですもの。
若い妻と幼馴染の恋人とのちょっとした火遊びを許してらっしゃったくらい器の大きい方が、妻宛ての恋文くらいでお怒りになるはずがありませんわ。
もちろん妻の恋人が、毒薬を飲ませている豪商の様子を尋ねているお手紙でなければ、のお話ですけれど。
私達の結婚式に乗り込んでいらした豪商が、真っ赤なお顔で叫んでいたのを思い出しますわ。
そういえば引きずられていたあの方のお顔も真っ赤でしたわね。
裏切り続けた挙句命まで奪おうとしていた夫に殴られて、鼻の骨を折られて。
我が家からの援助の返済、結婚式が中止になったことへの賠償金、豪商から伯爵家への援助の返済は大変だと思いますわ。でも殺人未遂で訴えられなかっただけ幸運だったのではないでしょうか。
ヘンドリック様は侯爵家から、あの方は伯爵家から縁を切られてしまったとお聞きしていますが、おふたりを結んでいるのが真実の愛ならば、きっとこれからも幸せな日々が続くに違いありませんわ。
ああ、お手紙にあった借金のお申し込みについてはお断りさせていただきます。
もう婚約者でもない、そもそも真実の愛のお相手でもなかった私がヘンドリック様のためになにかする必要などありませんもの。
ご自慢のお顔を殴られて正気を失い笑い続けるだけのあの方では娼館で働くことも出来ないでしょうが、真実の愛があるのだからお金が無いなんてこと苦にもならないのではないですか?
羨ましいですわ。
私は卑しい女なのでお金が無い生活だなんて真っ平です。そうはいっても他人の命や心を犠牲にして稼いだ汚いお金はごめん被りますけれどね。
ヘンドリック様からあの方宛てのお手紙は読まなかったと言いましたが、実は宛て名と差出人のお名前だけは見てしまいました。
その際本文も少し目にしたかもしれませんけれど、なにが書かれていたかまでは覚えておりませんわ。
だって差出人のお名前が衝撃的だったのですもの。
私との結婚式の一ヶ月前で、不貞を理由に婚約破棄を申し出られていた貴方はあの方宛てのお手紙にこう書かれていらっしゃいましたね。
──君の真実の愛の相手ヘンドリックより、と。
思っていたより長いお返事になってしまって申し訳ございません。
この辺りで筆を置くことにいたしますわ。
貴方とあの方のご多幸をお祈りしております。
貴方の真実の愛のお相手ではない子爵令嬢のハニーより
<終>




