貴方への愛が消え去ると知っていたならば
真実の愛の末路を聞いて、思わず私は呟きました。
「あのとき、私が本当のことを言っていれば良かったのかしら」
あのとき──数ヶ月前の学園の卒業パーティで婚約者だったザウアー伯爵家のガルゲン様に本当のことを告げていれば、この悲劇は起こらなかったのかもしれません。
まさか結婚式の直前になって、男爵令嬢ギヨティーネ様が殺されてしまうなんて。
トロスト子爵家の令嬢である私ブリギッテは、新しい婚約者となったパウル様に尋ねました。
「ガルゲン様は重い罪に問われるのでしょうか」
パウル様は首を横に振りました。
「ギヨティーネ嬢を殺したのはザウアー伯爵ではないよ」
先代伯爵である父親を喪ったガルゲン様は幼くして当主となり、数年前に亡くなられた母親の支えを受けて激務に勤しんでいらっしゃいました。
享楽的だった父親の先代伯爵とは違い、母親に似て生真面目な性格だったガルゲン様は無理をし過ぎて高熱を発し、生死の境をさ迷われたこともありました。
私は首を傾げました。
「ギヨティーネ様のお腹の子がご自身の子どもではないと知ったガルゲン様が、嫉妬に駆られて彼女を殺したのではないのですか」
高熱を発して生死の境をさ迷われた際に、ガルゲン様は子種を失ってしまわれました。
それを知っているのは診断したザウアー伯爵家の主治医と私、今は亡きガルゲン様の母親だけです。
先代伯爵夫人の小母様が、私の父トロスト子爵に真実を告げて婚約解消を申し出ようとしたのを止めたのは私でした。ガルゲン様を愛していた私は、彼との婚約を解消されたくなかったのです。子どもが出来なくても、伯爵家の遠縁から養子を取れば良いと思っていたのです。
「ギヨティーネ嬢を殺したのはザウアー伯爵ではなく、彼女の母親の男爵夫人だ」
「え? 信じられません。だって……」
「うん。君の仕業に見せかけて娘をならず者に襲わせたのも男爵夫人だった。あの事件はザウアー伯爵の心を奪うための自作自演のようなものかと思っていたら、どうやら男爵夫人は本当に実の娘を殺したかったらしい」
「そんな……母親が娘を殺そうとしたなんて」
ガルゲン様が私との婚約を破棄したのは男爵令嬢ギヨティーネ様との真実の愛に落ちたからもありましたが、私が彼女にならず者を仕向けたと信じて、私への愛情を失ったからもあったのです。
私の冤罪を晴らしてくださったのが王都の衛兵隊長だったパウル様です。
とある貴族家の次男坊だったパウル様は、貴族子女が通う学園で一代限りの騎士爵を得た後で衛兵隊に入り、若くして隊長に登り詰めた実力を認められて国から子爵位を授かっています。私は子爵家から子爵家へ嫁ぐのです。
パウル様のおかげで私の冤罪は晴れたものの、本当の依頼人が判明するまでは疑いが残っていました。
彼は諦めずに証人を辿り、本当の依頼人だった男爵夫人に事情聴取をしに行ったところで男爵令嬢殺人事件に出くわしたのです。
婚約者とはいえ部外者の私に事件の話をしてくださっているのは、出くわしてすぐに解決したのと、明日には王都中に新聞が触れ回るからだそうです。
「ザウアー伯爵と男爵令嬢は異母兄妹だったんだ。ならず者による襲撃は、真実を秘密にしたままでふたりの結婚を妨害するためだったに違いない。男爵夫人は娘の妊娠を知って衝動的に殺してしまったが、どちらにしろいつかは殺していたのだろう」
学園を卒業してから数ヶ月、ですが半年も経っていません。
婚約破棄という醜聞の後でガルゲン様とギヨティーネ様が結婚式を急いだのは、彼女のお腹が大きくなる前に、ということだったのでしょう。
ギヨティーネ様の妊娠を告げられても婚約を解消しようとしない私を、ガルゲン様は人でなしと罵りましたが……あのときは小母様も亡くなっていて、本当のことを知ったガルゲン様が苦しむのではないかと思って言えなかったのです。もちろんまだガルゲン様を愛していた私が、別れたくないと思っていたのもありました。
「男爵夫人は娘の後を追って自殺していたのだけれど、暖炉に先代伯爵からの手紙が残っていてね。そこにギヨティーネ嬢が先代伯爵の子どもであるということが書かれていたんだ」
男爵夫人は先代伯爵からの手紙を常に持ち歩いていたようだとパウル様は言います。
手紙は涙で濡れていたせいで焼け残っていましたが、パウル様の到着が遅かったらいずれは灰になり、男爵夫人の動機が明らかになることはなかったでしょう。
もしかしたら、また私に疑いがかけられていたかもしれません。
「近親婚の禁忌で神に罰せられるのは恐れていたくせに、不貞や殺人の罪には躊躇いがないんだからなあ。人間というのは不思議な生き物だね」
溜息をつくパウル様に、私はそうですね、と首肯します。
ガルゲン様を愛していた私だって、婚約破棄と冤罪による悪評を浴びて泣き暮らしていた自分のところへ捜査のために足繁く通い、罪を犯していないのなら誇りを持って前を向きなさいと言ってくださったパウル様を愛するようになりました。
人間とは不思議な生き物です。心は変わり、愛は移ろいます。
「愛娘が実子ではなかったと知った男爵は半狂乱で、跡取りの息子にも疑惑の目を向けている。ザウアー伯爵も……これから醜聞の餌食になることだろうね」
長年の婚約者との婚約を破棄して、血のつながった異母妹を選んでしまったのですから仕方がありません。
そういえばガルゲン様は私に彼女との関係を告げて別れを促したとき、男爵令嬢と初めて会った瞬間に運命を感じたと言っていました。
それは愛し合う運命ではなく、血のつながりという運命だったのかもしれません。
「……やっぱり本当のことを言っておけば良かったかもしれません」
「そんなに自分を責めては駄目だよ、ブリギッテ」
子種のことはガルゲン様の個人情報ではありますが、パウル様にはお伝えしています。
捜査のために必要だと思われたからです。
ならず者を雇ったのが男爵令嬢ギヨティーネ様のお腹の子の、本当の父親である可能性もありましたもの。
ガルゲン様ご自身にはまだお伝えしていません。
元婚約者に過ぎない私から伝えても良いことなのでしょうか。
とはいえ、お伝えしなかったらガルゲン様が次にお迎えになる奥様が、子どもが出来ないことで責められてしまうかもしれません。今の話が終わったら、パウル様に相談してみましょう。
「婚約破棄のときに告げていても、ギヨティーネ嬢の妊娠を教えられたときに明かしていても、彼らは引き返せなかったんだから。男爵夫人が夫や娘に過去の不貞の罪を打ち明けていれば良かったんだ」
「いえ、それよりも……そうですね」
私が言っておけば良かったと思ったのはもっと前のことです。
小母様にガルゲン様のことを教えられて、私との婚約解消を父に申し出ると言われたとき。いずれガルゲン様への愛が消え去ると知っていたならば、私は彼との婚約解消を受け入れたことでしょう。
今の私がそうしなかったことを悔やんでいるのは、元婚約者が関わるこの醜聞に、私の新しい婚約者であるパウル様まで巻き込んでしまうのではないかと恐れているからです。
心配そうに私を見つめていたパウル様が、ああ、と呟いて優しく微笑みました。
「もしかして私を案じている? 王都で起こった事件を捜査する衛兵隊の隊長なんだ。事件から発生した醜聞に巻き込まれるのには慣れてるよ。むしろこれからの君に辛い思いをさせないかどうかが不安だな。……それでも君と別れることは出来ないけれど」
「……私もです」
「後、いつもいつも事件関係者に入れ込んでいるわけじゃないからね。毎日トロスト子爵邸へ通うほど力を入れていたのは……情けない話だけど、君に恋をしてしまったからだから」
「はい。これからはお仕事の範疇で関わるようにしてくださいね。パウル様にまで捨てられたら、もう生きていけませんわ」
「君が私に見切りをつけないでくれたら大丈夫だよ。仕事中毒もほどほどにする」
パウル様は、冤罪に苦しみながらも真相の解明に協力した私を愛してくださいました。私も支えてくれた彼を愛するようになりました。
ガルゲン様への想いとは違い、もしいつかパウル様への愛が消え去ると言われても、今の私から彼への愛を奪うことは出来ないでしょう。
愛が消え去る日が来なくて、パウル様もずっと私を愛してくださるというのなら、それが一番の幸せです。
<終>




