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豆狸2024読み切り短編集  作者: @豆狸
旧作:アルファポリス様の投稿ルール変更に伴って非公開にした作品です。
57/85

もう二度と逢えない。

 私は、両手両足を縛られて精霊王様の泉の前にいました。

 これから私は精霊王様の審判を受けるのです。

 精霊王様に罪人と見做されて泉に浮かんでも、冤罪だと明かされて泉に沈んでも、どちらにしろ私は死にます。愛しい陛下とは、もう二度とお会いすることはありません。


 私と陛下は、幼いころから結婚を約束された仲でした。

 早くにご両親を亡くして王となられた陛下には、私の父である将軍の後ろ盾が不可欠だったのです。

 私の父が陛下を傀儡にしている、などという悪評が流れたこともありましたが、父は忠義の臣です。そして陛下も年若いというだけで傀儡になるような愚かな方ではありません。


 私もまた、陛下の支えとなるために心を殺して励んで参りました。

 ……ですが、それが良くなかったのかもしれません。

 結婚前は婚約者として、結婚後は王妃として仕事に励めば励むほど、私は女としての魅力を失っていったのです。少なくとも、陛下にとってはただの仕事仲間であり、愛する女性ではなかったようです。


 結婚して三年が過ぎても私が子を生せなかったので、陛下は愛妾様を作ることになりました。

 選ばれたのは王宮でメイドをしていた少女です。

 明るく朗らかで笑顔を絶やさない、女性としての魅力に満ち溢れた方でした。陛下のご寵愛を受けた彼女は、先日元気で陛下にそっくりな王子殿下をご出産なさいました。


 けれど王子殿下が歩けるようになる前に、愛妾様はお亡くなりになりました。

 死因は毒です。愛妾様はだれかに毒殺されてしまったのです。

 犯人として疑われたのは私でした。


 どんなに違う、と叫んでも、だれも聞いてはくださいませんでした。

 父でさえ私が犯人であると決めつけたのです。

 愛妾様を心から愛し、政略結婚した王妃の私を疎んでいらっしゃる陛下は、最初から私を罪人として扱っていらっしゃいました。


 むしろ精霊王様の審判を受けるのを許されたことが恩情なのだと言えます。

 冤罪が晴らされたとて、陛下のお心が私に戻ることはないでしょう。

 王家に嫁ぎ、さまざまな秘密を知った私は陛下に離縁されたとしても解放されることはありません。死に方が変わるだけです。


 精霊王様はご自身の審判を望んだ人間が無実だったとき、なにかひとつだけ願いを叶えてくださると聞きます。

 私は罪を犯してはいません。嫉妬に狂って愛妾様に厳しく当たっていたことは事実です。だけど殺してはいません。

 もし精霊王様に願いを叶えていただけるのなら、私は──


 ……とはいえ冤罪が晴らされたとしても、精霊王様に願いを叶えてもらえたとしても、絶対に変わらないことがひとつあります。

 未来の私が陛下とお会い出来ないということ。

 ええ、もう二度と、永遠にお会いすることはないのです。


★ ★ ★ ★ ★


 年若い国王は新しい側近を連れて、精霊王の泉がある森に近い小さな村へやって来た。

 彼がこの村へ来るのは初めてだ。

 数年前、王妃が精霊王の審判を受けたとき、国王は同行しなかった。


 小さな村は祭りの真っ最中だった。

 今は亡き王妃が精霊王の審判を受けた年からずっと、この村の畑では豊作が続いている。

 まるでだれかが喜び浮かれているかのように花は咲き乱れ、水は澄み、畑の作物は豊かに実り続けていた。


 国王がこの村に来たことは、村長以外だれも知らない。

 彼の存在を知らない村人達の多くが篝火(かがりび)を囲んで踊っている。

 楽器を演奏するものや飲食に耽るものは、踊りの輪から少し離れたところで笑っていた。


 国王と側近は旅人の服装で、踊りに興じる村人達を見つめていた。

 これまでの長い年月と同じように手を取り合って踊る老夫婦。初々しく見つめ合って踊る若いふたり。目の前の踊りの相手よりも離れたところにいる親が持つお菓子や串肉を気にしている幼い子ども。

 やがて、彼の瞳がひとりの乙女を映した。


 彼女はひとりで踊っていた。

 亡くなった王妃と同じ金色の髪が篝火(かがりび)に照らされて赤く煌めく。亡くなった王妃と同じ青い瞳は夜空を映し、星のように瞬いている。亡くなった王妃と同じ赤い唇は幸せそうに弧を描いていた。

 溜息が出るほど美しい乙女なのに、だれも彼女に近づこうとしない。存在にすら気づいていないように見えた。


 国王が彼女に向けて踏み出そうとしたとき、美しい青年が現れた。

 最初から幸せそうに微笑んでいた乙女の顔が、さらなる喜びに光り輝く。

 乙女と青年が手を取り合って踊り出す。そこでようやく存在に気づいたかのように、村人達が彼らに目をやった。


 これもまた、今は亡き王妃が精霊王の審判を受けた年からずっと続いている不思議なことのひとつだった。

 祭りの途中で現れる美しい男女。

 よくよく思い返してみれば、乙女は最初から祭りに参加していた。だけどだれも近づくことも声をかけることもなかった。踊り終わった男女が姿を消して初めて、美しいものを見たと語り合うことになるのだ。


 だれもが息をするのも忘れてしまうほど美しくも不思議な時間が過ぎ去り、踊り終えた男女は森へと消えていった。若い恋人達なら珍しいことではない。

 少しだけ今の踊りの美しさを称えてから、村人達は楽しい祭りへと戻る。

 青年の出現で彼女へと踏み出すことの出来なかった国王以外は。いや、彼は最初から祭りを楽しんではいなかった。


「……王妃だった」


 国王の呟きに、新しい側近は事もなげに頷く。


「ええ、そうでしたね。私も王宮で遠くからお見かけしたことがございます。ですが、初めからわかっていたことではありませんか。王妃様の冤罪を晴らされた精霊王様が、あの方を花嫁にするとおっしゃったのですから」

「彼女は私の妻だ」

「精霊王様の審判によってお亡くなりになる前は、でございますね。今のあの方は魂だけの妖精に変じた存在です。陛下の王妃様は精霊王様の泉の底に沈んだご遺体です。……引き揚げてご葬儀をなさいますか?」

「そうではない! そうではなくて……」


 新しい側近は溜息を漏らした。

 幼いころから国王に仕えていた以前の側近は、毒を飲んで死んでいた。

 愛妾を殺したのと同じ毒だ。しかし、以前の側近が愛妾を殺したのではない。


 ふたりは心中だったのだ。

 違う場所で、同じ毒を飲んで同じ時間に死んだのだ。

 それが気づかれなかったのは、愛妾の侍女と以前の側近の家族がふたりの遺書を隠したからだった。それだけでなく、以前の側近は病死として届けられていた。


 心中だったと暴いたのは王妃の父である将軍だ。

 将軍は娘が犯人だと決めつけていたが、それは娘憎しの行動ではなかった。

 冤罪だと明かしても娘が国王に愛されるわけではない。王家のさまざまな秘密を知ってしまった娘が解放されることはない。それを知っていたから、将軍は娘の死を選んだのだ。


 だが将軍は精霊王に娘の無実を知らされて心を変えた。

 たとえ死を免れることがなかったとしても、冤罪は晴らさなくてはいけなかったのだと。

 彼の捜査によって国王の愛妾となる前のふたりの関係が赤裸々になり、責任逃れをしようとした愛妾の侍女や以前の側近の家族達も真実を明かさずにはいられなくなった。彼らは愛妾の産んだ子どもを殺さないことを条件に真実を明かした。


 愛妾の産んだ子どもは、間違いなく国王の血を引いていた。

 だからこそふたりは死を選んだのだった。

 子どもが女の子なら、王妃にも子どもがいたならば、愛妾はいつか解放されたかもしれない。国王の寵愛を受けることが仕事だった愛妾は、王妃のように秘密を知らされることはなかった。いつか国王の愛が冷めた日に、以前の側近へと愛妾が下賜されることだけを夢見て生きてきたふたりに、彼女が国母として束縛され続けるかもしれない未来はあまりにも重く耐えがたいものだった。


 残される人々のことを考えていないふたりは愚かだ。

 だがそれも仕方がない。

 愛妾となった王宮メイドと以前の側近は周囲を憎んでいたのだ。


 王宮メイドが明るく朗らかで笑顔を絶やさず、女性としての魅力に満ち溢れていたのは恋人への愛ゆえだったのに、それを王命という言葉で奪い取った国王を。

 異議を申し立てようとした以前の側近を自分達の利益のために止めた家族を。正式に愛妾にされる前に止めておけば問題はなかったのに、遠縁だった彼女の後ろ盾になることで利を得ようとして側近の家族は話を推し進めたのだ。

 国王の愛妾への寵愛を煽っておこぼれを得るために、王妃を貶めていた侍女達を。


 ──ふたりが一番憎んでいたのは、なんの罪もない生まれたばかりの王子だったのかもしれない。


「王妃は、美しかったな」

「愛し愛されている女性は美しいものです。今のあの方は精霊王様を愛し愛されていらっしゃいます。ですが……国王陛下を愛し国のために励んでいたあの方も、とても美しかったと思います」

「私が見ていなかっただけなのか」

「そうですね」


 新しい側近はなんの遠慮もなく言葉を紡ぐ。


「精霊王様があの方を花嫁にするとお告げになったときに、冤罪だったあの方の願いをひとつ叶えたともおっしゃいました。それは、生きていた間のことをすべて忘れ去るというもの。今のあの方は陛下を愛していた王妃様ではありません。あの方がいつか妖精としての終わりを迎えたとしても、精霊王様によって消し去られた記憶が戻ることはないでしょう」


 娘の冤罪の裏にあったものを暴いて、将軍は国王のもとを去った。

 愛妾との日々が、自分の我儘のために紡がれていた人形劇のようなものだったと知ってから、国王が思い出すのは王妃のことばかりだ。

 国王と王妃は幼いころから結婚を約束された仲だった。彼女はずっと、ずっとずっと自分を支えてくれていた。


 精霊王の花嫁は国王を憎むことも恨むこともない。

 そもそも彼の存在自体が彼女の記憶にはない。

 これから国王と出会ったとしても、彼を愛することはないだろう。あの乙女は美しい青年の姿で現れた精霊王に溢れんばかりの愛を向けていた。


「私の王妃はどこにもいないのだな。もう、二度と……」


 逢えない、と呟いて、国王は両手で自分の顔を覆った。


<終>

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